-時は現代に戻る。
子供達が寝静まった頃、俺は新島先輩や諸岡夫婦に送るDMを書いていた。
俺に付き合って起きていた陽葵が、家事を終えて、先輩たちに送る前の文章をじっくりと読んでいる。
そして、陽葵がその文章を読み終わった後に、俺の頭を軽くポンと叩いて横から抱きついてきた。
『やった!!。今日も陽葵成分を吸収できたぞ!!』
俺は内心、喜んだが、あの文章を読んでいた陽葵は、ご機嫌斜めになって顔を膨らませて、あの時のことを振り返って、強く怒っている。
「あなた!。あの時、とても疲れていたのを隠していたわね!!。正直に言えば、寮長会議なんて松尾さんに連絡して中止にしたし、あんなに無理をさせなかったのに…。ばかっ!!」
「ごめん。だって、一気に用事が済めば、その後が楽だと考えたんだよ。あの当時は、後追いで予定を入れることで、アイツらに追いかけられるリスクを減らしたかったからさ…。」
「ダメよ!。だって、あなたが、無理をして倒れたら意味がないわ。分かっていれば、わたしの家に泊まらせたわよ…。」
陽葵が、こんなに昔の事に対して、なんで、こんなに怒っているのか、理由は良く分かる。
今となっては、陽葵とは長い付き合いだから俺が疲れた表情を見せれば、あまり無理をさせないように気を遣う。
しかし、当時は付き合いが浅かったから、陽葵は俺の性格や行動パターンを読み切れていなかった。
それに対して、陽葵の心の中で悔しい気持ちがある上に、俺が疲れていたことを誤魔化したことも相まって、余計に怒ってしまっているのだ。
俺は、意地を張らず正直にあの当時の本音を吐いて、陽葵の怒りを静めようと試みた。
「うーん、そうは言っても、あの当時は陽葵の家族達に迷惑を掛けたくなかったし、まだ、無理ができる年齢だったからね。もう少し付き合いが長くなれば、陽葵も気付いたのだろうけど、陽葵や家族、それに、周りに心配をかけないように頑張ってしまっていたから、そのことは謝るよ…。」
陽葵は俺をギュッと抱きしめながら、怒りを静めて俺を諭すように喋りかける。
「もぉ、あなたったら、昔からそういう所があるから、ダメなのよ。この当時は、若かったし仕方ないから許すけど、今の歳になって同じ事をやったら、わたしはもっと怒っていたわ…。」
そこで、俺は陽葵に対して、その場を切り抜けようと言葉をかけて誤魔化すことにした。
「やっぱり、怒っている陽葵ちゃんも、とても可愛いから、こっちが悶えてしまう…。このままズッと、抱きつかれていたい気持ちだよ…。」
陽葵は俺の言葉に耳まで真っ赤にして、顔を膨らませている。
「あなた!!。もぉ、そうやって、わたしを可愛いとか言い続けて、何年も誤魔化され続けているのよ!。この歳になってきたから、心配になって言っているのよ。」
そんなことを言って、むくれている陽葵の頭を撫でながら、俺は話しを続けた。
「ありがとう。そういう陽葵の可愛い顔をズッと見たいから、無理をしないように健康に気をつけるよ。だって、可愛い陽葵を見られなくなったら、早死にした分だけ損をするだろ?。このまま、長生きができるように俺は頑張るよ。」
そう言うと、陽葵は顔をさらに真っ赤にして下を向いてしまう。
「…もぉ…、昔から、あなたは、わたしを褒めるのが上手くて、こっちが恥ずかしくなってしまうのよ…。」
「だって、陽葵が大好きなんだもん。仕方がないじゃん…」
陽葵は黙ってしまって、顔が真っ赤なままだったが、そのまま文章を書き続けることにした…。
***************
…時は19年前に戻る…。
俺は、自分の部屋の荷物を一通り片付けたあと、それを手伝っていた諸岡に、お土産のクッキーとカップラーメンを渡して言葉をかける。
「諸岡、つまらないもので申し訳ないけど、今までのお礼と言っちゃなんだけど、貰ってやってくれ。1週間も寮を開けていたから、お前たちに迷惑をかけてしまっているから…」
「三上寮長、ほんとうに宜しいのですか?。カップラーメンだって普通のヤツじゃなくて、少し値が張る高価なヤツじゃないですか…。」
「大丈夫だよ。まぁ、腹が減ったときの足しにしてくれよ。」
そんな会話をしていたら、隣の部屋にいる村上が俺の部屋に入ってきた。
「三上、帰ってきたのか?。今日は緊急の寮長会議があるから、ちょっと心配になっていたからさ…。」
「そうなんだよ。運転中に、陽葵の携帯に電話があってさ。俺も焦ってしまって…。」
「三上は、顔色が悪いから、かなり疲れているのが分かるよ。どっちみち、奥さんの家族もいたから、振り回されたのが、手に取るように分かるよ…。」
村上は俺の顔を見て心配そうにしている。
「いやさ、それが、あの大学理事や学生委員長の延岡さんと、あそこの日帰り温泉ができる旅館でバッタリ会ったんだよ。それがあるから、緊急の寮長会議が開かれる事になったと思うよ。あの理事たちとバッタリあったお陰でさ、うちの実家で延岡さんと理事を含めて宴会だったよ。俺なんか夕飯のバーベキュー抜きだったんだぞ…」
それを聞いた村上は口をポカンと開けつつも、余計に俺の事が心配になったらしい。
「三上…、マジに災難だよな。ほんとうにお前は気苦労が絶えないよ…」
まだ口をポカンとあけている村上に、お土産のクッキーとカップラーメンを渡す。
「村上、諸岡にも渡したけど、1週間、俺がいなかった時の罪滅ぼしだ…。遠慮なく受け取ってくれ…。」
村上は差し出されたカップラーメンとクッキーを素直に受け取ると、心配そうな顔をしている。
「そういう問題じゃないが、これはありがたく受け取るよ。ありがとう。俺もしばらくしたら受付室に行くよ。どっちみち奥さんがいるんだろ?。」
「もちろん、陽葵もいるよ。たぶん、棚倉先輩たちも降りてくるだろうから、まずは、大宮や竹田にもクッキーやラーメンを渡して、松尾さんや寮母さんたちのお土産も持って行かねば…。」
そうして、大宮や竹田の部屋に行って、クッキーとラーメンを渡そうとしたら、偶然にも2人と廊下ですれ違って、竹田から心配そうに声をかけられた。
「おお、三上、帰ってきたか。俺たちも例の事件の真相を知っているから、会議に参加することになっていて、お前も相当に大変だって松尾さんから聞いたから、心配で仕方がないよ。」
俺は、とりあえず本題に入る前に、2人にクッキーとカップラーメンを渡すと、喜んでいるが、やっぱり表情はどこか曇ったままだ。
そして、大宮も心配そうに俺に話しかけてきた。
「三上、ほんとうに助かるよ。でもさ、マジに、奥さんと一緒に厄介なことに巻き込まれてしまっているから、悲惨だよな…。俺たちも協力できることがあれば、村上のように受付も手伝うからさ。お前がいない間、少しだけ受付の仕事を村上と一緒にやっていたんだよ…。」
「大宮も竹田も、マジに悪かった。今は新島先輩もいないし、棚倉先輩も院試に向けた準備と、卒論の両方があるから、キリキリになっていて今は暇がないからね。2人とも、ホントに助かる…。」
今度は、全員のお土産を紙袋に入れて受付室に向かうと、陽葵が松尾さんに、土曜日からの出来事を順を追って話をしていたのが廊下から聞こえてきた。
「…恭介さんが、全くご飯を食べられなくて…、そうしたら、旅館に延岡理事と延岡さんがいて…」
諸岡と俺が受付室に入ると、真っ先に松尾さんに声をかけられる。
「三上君、霧島さんの話を聞いたけど、これは延岡理事の気まぐれだよね。あっちは温泉旅館でリフレッシュした後に寮に来るけど、三上くんは親戚づきあいで真剣に霧島さんの家のお相手をした後だから、気苦労が絶えないのが分かるよ。寮長会議が終わったら霧島さんはタクシーで帰るようにするから、ゆっくりと休むと良いよ…」
俺は松尾さんの一言で相当に救われた気がしたし、本音で言えば、このまま陽葵の家に泊まるのは迷惑になる気がしていたから、寮でゆっくりしたかったのだ。
「松尾さん、ありがとうございます。そして、つまらない物ですが、色々なご配慮のお礼を兼ねて…。」
俺はそう言うと、紙袋から温泉まんじゅうを出して松尾さんに差し出した。
「三上君、わざわざ…いいのに…。」
そう言いながらも受け取ってくれたから俺はホッとしている。
「大丈夫ですよ、両親は高木さんにも顔を合わせているし、寮の皆さんや学生課の皆さんにも、よろしくと言っていたので…。」
「有り難く受け取るよ。ご両親にもよろしくと言っておいてくれ。秘湯の温泉まんじゅうか…。わたしも何時かは行ってみたいものだ…。」
その松尾さんの何気ない言葉は、この事件が解決した翌年の秋頃に、ワゴン車を3台借りて陽葵や男子寮幹部と荒巻さんや高木さん、松尾さん夫婦に、さらに俺の学部の友人たちと、バイトの長である大宮や竹田、それに1年の江川を含めたメンバーで実施される。
運転手役を俺と村上、それに良二や宗崎が担当する形になって、松尾さんや高木さんも交代しながら長距離の運転を担当した形になった。
女子寮側は、寮母さん以外の幹部が全くそのことを知らなかったのだが、随分と後になって、それがバレてしまって、白井さんや木下から声を大にして文句が相次いだのは言うまでもない。
学生課の面目としては、宿泊を伴う慰労会において、俺と陽葵は、親公認の婚約者だから問題ないが、女子寮幹部と一緒になったときに、男女間の問題が発生した場合の懸念を指摘されて、そのような形になったのだ。
そうじゃないと、理事側からの許可が下りなかったのは当然であるのだが…。
それは、後の話として…。
そんな話をしているうちに、陽葵が寮生の友人が来た寮内放送をした直後に、俺が帰ってきたことに棚倉先輩が気づいて受付室まで駆けて下りてきた。
先輩は俺と陽葵の顔を見ると、真っ先に言葉をかけてくる。
「三上、それに陽葵ちゃんもお帰り。やっとお前達の顔がまともに見られたと思ったら、緊急の寮長会議があるから、日曜日なのにかなり慌ただしくてな…」
「先輩、1週間も寮を開けてしまって、申し訳ないです。つまらない物ですが、お腹に納めて下さい…。」
俺はお袋が持たせたクッキーを2つ渡すと、棚倉先輩は途端に上機嫌になっている。
「三上よ、かたじけない。院試の準備と卒論の合間にでも食べるよ。それにしても、急な寮長会議があるのは、お前の今の状況と負担を考えると、少し厳しいような気もするが…。」
「先輩、そのことを含めて、松尾さんと色々と話していたところでした。こういうのも今回限りにしてほしいところです。明日からの陽葵の保護体制を話し合う為に、延岡理事の一声もあったのでしょう…。」
棚倉先輩が、延岡理事と聞いただけで眉をひそめている。
「それなら尚更に断りづらい状況だろうが、お前の今の状況を考えたら、体が持たないだろう。新島がいれば、必死に止めたかも知れないな…。」
「今のところは大丈夫ですよ。長距離だけど、この状況は親父の手伝いで慣れていますからね。しばらくしたら、私は陽葵を連れて、一旦、夕食を済ませてきます。日曜日で道路が混んでませんから、陽葵の家まで、そんなに時間がかかりませんでしたから…。」
「ああ、そうか。寮生には秘密だけど、お前は車を使えるのだよな。それなら時短にもなるし、奴らにも見つからないだろうし…。」
そんなことを話していると、村上が受付室にやってきた。
「三上、それに奥さん。寮長会議が始まる前に、俺が受付をやっているから、奥さんの家に行ってきてくれ。大丈夫だ、俺たちは、どっちみち三上の車に乗ることになるから、気にするな。」
俺は村上の言葉にうなずくと、皆に感謝の言葉を口にしながら、陽葵の家に戻ることにした。
車の乗り入れに関しては、寮生に勘づかれないように、寮監室を抜けて松尾さんが住んでいる家の庭を通って、職員用の駐車場から乗ることになる。
そうしないと寮生にバレてしまって、騒ぎになるからだ。
結局、この車の案件は、男子寮では寮幹部と村上、それに大宮や竹田が知っているだけで、事件解決まで誰にも知られることがなかった。
陽葵と一緒に車に乗り込むと、陽葵が心配そうに俺を見つめていた。
「恭介さん、棚倉さんや松尾さんも心配していたけど、今回の寮長会議のスケジュールは、とても無理があるわ。昨夜はご飯抜きで旅館と家を往復した挙げ句に、延岡さんや延岡理事の宴会騒ぎに付き合って、今日は早朝からお墓参りまでしているから、ホントはクタクタよね…」
「陽葵、まぁ、大丈夫だよ。陽葵がタクシーで帰った後は、寮でゆっくりして体力を回復させるからね。冬休みになれば、こんに振り回されるような事態にはならないと思うよ。まぁ、親父の仕事の手伝いはあるけど、こんなに酷いことはないからね…。」
陽葵はそれを聞いて、少しだけ安心したような表情をしながらも、心配の言葉を口にする。
「恭介さん、少しでも疲れたら、わたしに言ってね。無理は絶対に駄目よ…」
『もう、完全にキャパオーバーだけど、耐えないと駄目だよな…』
俺は作り笑顔を浮かべながら、疲れを誤魔化すことで精一杯だった。