俺が夕飯を口にしていないことは、颯太くんを通じて、ダイニングで話をしていた陽葵の両親と親父に伝わった。
俺の家は古い家だから、大きな声は、どこにいてもすぐに聞こえる。
「なに!!」
「あら!大変よ!。わたしたち、恭介さんのことを考えずに、2度もお風呂に入ってしまったわ!!!」
「しまった!!!。恭介のぶんを完全に忘れていた。これは大失敗をした!!。もう肉もないし、片付けてしまったか!!!」
そんな声が玄関まで聞こえたが、俺はお袋から早々に店に行くように言われたから、この対処は、お袋がなんとかするのだろう。
俺は陽葵と一緒に車に乗ると、陽葵がボソッと俺に話かけてくる。
「恭介さん、バーベキューの準備をしているときに、あの時に焼いていた薄い肉ぐらいしか食べていないわよね?。あとは温泉まで車で行ったり来たりだったから、食べる暇すらなかったし、凄く心配していたの…。」
「もう、あのような時は、親父やお袋に、颯太くんみたいにアピールしちゃったほうが良い。俺がどれだけ強調してもスルーされるけど、陽葵や颯太くんなら嫌顔でも気づくからね。でも、俺が食べる肉もなかったから、完全に諦めていたよ。だいいち、みんな飲んでしまっているから、俺しか運転できないから、どうしようもない。」
「…わたし、恭介さんが食べるお肉がなかったことに気づいていたの。だから食べる量をセーブして、恭介さんの分を取っておこうと思ったけど、間髪を入れずに送り迎えをしていたから、とてもじゃないけど、無理だったわよね…。夕飯はどうするつもりだったの?」
「もう、近くにあるコンビニで買って食べるつもりだったよ…。温泉に入る前に、旅館にある自販機でジュースでも買って少し糖分を取っておいて、のぼせるのを防ぐかなぁ…とか。」
陽葵は、なんとも言えない複雑な表情をしながら、運転している俺をじっと見ながら口を開いた。
「うちのお父さんとお母さんの2度風呂は、ちょっと酷かったわ。わたしも凄く後悔しているの。その時点で、恭介さんがご飯を食べられないことを言えば良かったのよ。」
「まぁ、仕方ないよ。お互いの両親がアルコールを入れた時点で、運転ができないし…。」
俺は完全に夕飯を諦めていたから、あまり強い未練はないが、俺の腹が減っている事実は変わらない。
「…恭介さん、わたし、結婚するまでに絶対に運転免許を取るわよ。だって、このままだと恭介さんが実家に戻ってきたら、とても大変なのが、よく分かるもの。」
そんな話をしている間に、温泉旅館に着いた。
囲炉裏焼きの店は、この旅館の真正面にあるから、旅館の駐車場を使わせてくれるらしい。
車を駐車場に駐めて車から降りると、旅館の女将さんが出てきたので、俺はすぐに挨拶をした。
「女将さん、お久しぶりです。いつも母がお世話になっています。すみません、母がそそっかしくて、色々とご面倒をかけてしまって…。」
女将さんは陽葵をみて、陽葵の可愛さに、自分の息子が結婚するかの如く、もの凄く喜んでいる。
「そんなことはないわよ。お母さんには、いつも、お世話になっているからね。隣にいる女の子がお嫁さんね?。うわぁ~~~!!、すっごぉ~~~~く、可愛いし、シッカリしてるわ!!!。」
陽葵は女将さんに気圧されつつも、挨拶をした。
「もぉ…、冗談はよしてください…。恥ずかしいです…。恭介さんの婚約者の霧島陽葵です。お食事まで予約をして頂いて、ありがとうございます。」
女将さんは、喜びを露わにしながら、言葉を続ける。
「三上さんから聞いていますよ。息子さん、何度も送り迎えをしていたから、ご飯が食べられなかったものね…。真正面の囲炉裏焼きは、うちのお店だから、お会計はこっちでやるから安心してね。こんなに綺麗で可愛いお嫁さんと楽しんで食べてね。もう、うちの息子も、こんな子と結婚できたら良いのに…。」
『たぶん、お袋は、この女将さんを、商工会や習い事が一緒でよく知っているから、知り合い価格なんだろう…。』
俺と陽葵は女将さんにお礼を言うと、女将さんは店まで一緒についてきてくれた。
すると店員がすぐにやってきて、店の中に案内される。
囲炉裏焼きは随分と時間がかかったが、俺と陽葵は2人っきりで、楽しい時間を過ごすことができた。
バーベキューみたいに、肉を焼く人が慌てることもないから、炭でイワナを焼いたり、つくねや海老、鶏肉や、アジの干物まである。
陽葵は海老が焼けるのをジッとみながら、俺を見つめて話しかけた。
「ふふっ、わたしも、さすがにお腹が空いていたのよ。だって、恭介さんはご飯を食べていないから、お腹が空いて困っちゃうと思って…。でも、わたしもお腹が満たされそうだから、とても安心したの…」
「陽葵、ありがとうね。それにしても、あの旅館は、かなり贅沢な店を作ったと感心しているよ。こんな場所なんて、地元の人は近寄らないし、逆に余所の人を連れてくるなら穴場かもね。でも、焼くのに時間が掛かるから、ここに宿泊した人がゆっくりするのには、ちょうど良いだろうし。」
「なんだか、恭介さんはご飯が食べられなくて、損をしたけど、ここで、ちょっと得した気分になった感じよ。だって、貸し切り風呂も長時間、借りているのに、あの金額よ。ここも、絶対に、あんな金額じゃ食べられないのに…。」
陽葵は少しだけ声を落として、俺に本音を吐いている。
「まぁ、正月休みになって、うちに来たら、陽葵の家族も一緒にここで食べると良いよ。親父やお袋も、陽葵の両親も、あの、お酒の量では、完全に酔っ払っているから、今日はここには来られないしね…。」
「お父さんもお母さんも心配だわ。いつもよりもビールの量が多いから、明日は二日酔いで起きられないかも知れない…」
俺は海老が焼けたのを確認すると、陽葵に海老が刺さった串を渡してあげた。
でも、熱くて海老の殻が、なかなかむけないから、少しだけ待ってから殻をむくことにして、その間に、つくねを食べることにする。
「陽葵、大丈夫だよ。それを考えて、出発は10時から11時ぐらいの間に出れば大丈夫だから。そうすれば、昼飯を挟んでも夕方の3時頃には戻れるからね。俺は陽葵の家族を送ったあとに、すぐに寮に戻っちゃうけど…。」
「あれ?。今日よりも随分と遅く出発して大丈夫なのね?」
「帰りは、高速道路に乗れば、すぐに帰られるから安心して。今回は、駅前でレンタカーを返す手間があって、余計に時間がかかっているからさ…。あの山道を考えたら、無理はできないし…。」
「あの道は凄かったわ。イノシシは出るし、道は曲がりくねっているし、道の駅で鹿の肉とかイノシシの肉も売っていたから、びっくりしたのよ…。」
陽葵とそんなことを話していたら、若い女性の従業員から声をかけられた。
「三上くん、久しぶり。もっ、もしかして…、隣にいる女の子が彼女?。マジで可愛いすぎる!!」
俺の中学時代の同級生の女の子だった。
「印西さん、お久しぶり。1年前の中学の同窓会以来だね。彼女というか…、もう、婚約しているのと同然だよ。そうそう、印西さんは、ここで働いているの?」
「ええ!!!。マジで婚約状態なのね!!。ここで働いているのよ。それで、女将さんが店に来て、三上くんがお嫁さんを連れてくると聞いたから、びっくりしたのよ。さっきまで仕事で忙しかったから、顔を見せられなかったけど、いまは、お客が空いてきたから、ようやくね…。」
印西さんはそう言いつつも、隣の席にいた客が帰ったから、食器や串などを綺麗に片付けながら、俺達に話しかけている。
「うちのお袋のことだから、女将さんに、べらべらと俺のことを話をしていると思うから、面倒くさいよ…。」
「女将さんから、三上くんのことをよく聞いているのよ。工業高校を卒業した後に、遠いところの大学に行っているのよね。大学に入れる頭があるのも凄いし、なんだか、そういうのに憧れちゃうよな…。それに、こんなに綺麗な人と結婚しちゃう三上くんが凄いと思ってね。大人しかった中学の時を考えると、びっくりだわ…。」
陽葵は印西さんとのやり取りを黙って聞いていたが、微笑みながら口を開いた。
「恭介さんは、大学で、スタンガンを持った暴漢から、怪我をしてまで、わたしを2度も助けてくれたの。もう、こうなったら絶対に結婚するしかないわ。今ではお互いの両親が公認する仲になっているのよ…。」
印西さんはそれを聞いて、陽葵と俺を交互に見ると、少しだけ顔を赤らめている。
「わたしも、そんな凄い恋をしてみたいわ…。女性としては最高の出会いよ!。ホントに、うらやましすぎるわ!!」
そんな会話をした後に、印西さんは手をふって持ち場に戻ったので、俺は溜息をついて、お茶を飲みつつ、少しだけ愚痴をこぼした。
「こんな場所で中学時代の同級生が働いているなんて思わなかったよ…。しかも、お袋はなんでもベラベラと周りに話すから、こうなってしまうのが痛い…。」
陽葵はずっと、微笑みを絶やしていない。
「恭介さんは、高校時代は苦労したけど、中学生の頃は、平穏無事に過ごしていたのがよく分かるわ。」
「こんな田舎だからクラスも少ないし、男女なんて関係なく、みんなが顔を知っている感じだよ。親同士も田舎だからすぐに顔がわかるから世間話が絶えない。小学校から中学校まで同じ子も多いし、印西さんも小学校から同じだったからね。」
そんな話をしていたら、囲炉裏に刺さっている野菜や肉なども、程よく焼けて食べ頃なので、俺と陽葵は串を抜いて皿に移し替えた。
あまり遅くなってしまうと、颯太くんが1人で親たちの話をつまらなそうに聞いているだろうから、可哀想かも知れないし、明日の朝はりんごの散歩もあるから、この店での長居ができない。
俺と陽葵は食事が終わって店を出るときに、印西さんに声をかけられて、成人式の時に陽葵を連れてきてくれと言われたが、寮生活があるし、とんぼ返りで往復するのはキツいことをざっくりと話すと、残念そうだった。
そのあと、いよいよ、陽葵と一緒に貸し切り風呂の温泉に入った。
陽葵の家にいる時は、可愛すぎる陽葵ちゃんと、いつも一緒にお風呂に入っているから、そういう緊張感はないが、今日は、なんだか陽葵が色っぽく感じる。
ただ、俺たちは、公共の場でイチャイチャするわけにはいかないから、一緒に背中を流したり、露天風呂に入って、夜の景色を楽しんだりするに留めて、温泉をそこそこ楽しんだに留めた。
お風呂から出ると、急いで着替えて旅館のカウンターにいた女将さんに、食事を合わせたお代を払う時に、俺は思わず女将さんに本音を吐くように聞いてしまった。
「女将さん、こんなに安くて大丈夫ですか?。」
「いいのよ、三上さんにはお世話になりっぱなしだし、こうやって可愛いお嫁さんや、霧島さんのご家族も、ここへ連れてきてくれるから、とても喜んでいるのよ。」
女将さんは、もう陽葵の顔をみて喜びを露わにしながら言っているから、俺は何も言えなくなってしまった。
そこに、見覚えのある人が旅館に入ってきたので、陽葵と一緒に顔を見合わせてしまう。
「朝食付きで予約をとっていた延岡ですけど…。」
俺たちの姿を見た延岡さんが驚いた顔をしながら声をかける。
「みっ、三上さん!!、それに霧島さん!!。こんなところで会うなんて!!!」
カウンターで女将に声をかけた延岡理事が、振りかえって俺と陽葵の姿をみて驚いた様子だった。
それを見ていた、延岡理事の奥さんが、理事の代わりにチェックインの手続きをしている。
俺と陽葵は、延岡さんや延岡理事の家族たちと挨拶を交わした後に、ロビーにある席に座って話をしていた。
旅館の従業員が気を利かせてくれて、延岡さんや理事の家族だけではなく、俺や陽葵にもお茶を出してくれたので、風呂上がりの水分補給を兼ねて、お茶を飲みながら会話をしていた。
「いやね、三上君が、ここの実家に帰ることを荒巻君から聞いて、急に温泉に入りたくなって家族を誘ったのだよ。まさか、2人に会えるとは思わなかったら吃驚したよ。」
延岡理事や延岡さんは、俺と陽葵が実家に帰って車を取りに行くことをすでに知っていた。
それで、俺がこの温泉旅館の近くなので、ここの温泉に急に入りたくなって、急いで家族を引き連れて、ここに来たらしい。
「いいなぁ、三上さんは。こんな感じで温泉に浸かりに行けるから、うらやましいわ。」
俺は延岡理事や延岡さんに、貸し切り風呂を予約して、うちの家族や陽葵の交代をしながら入浴をした話をすると、延岡さんがうらやましがられているが、俺は実家に帰れば、毎日のように温泉に浸かっているわけではない。
「うちは、これだけ温泉が近いですが、たまにしか来ませんよ。温泉を引いている家もありますが、お風呂の維持費が凄くかかるから、ウチは引いていないですからね…」
そこに、チェックインを終えた女将さんが話しに加わってくる。
「まさか、うちをご贔屓にして頂いている延岡様が、三上さんとお知り合いだと思わず、少し吃驚しています…。」
「いや、三上くんや霧島さんは、私が理事を務めている大学が同じなのですよ。そこにいる甥も、2人と交流があるので、顔をよく知っていまして。」
『理事が余計なことを言わずに助かったけど、この場から直ぐに立ち去らないと、厄介なことに巻き込まれるぞ…。』
俺はすぐに、凄くやな予感がしたから、この会話から脱して、すぐに家に帰るタイミングを図っていた。