俺が1時間半ぐらいのあいだ、寮の受付をやろうと思って受付室に行くと、陽葵と棚倉先輩が受付をやっていた。
「先輩、1週間も寮から離れてしまって、申し訳ないです。院試もあるでしょうから、少しの間ですけど、受付をしますから…。」
俺が先輩に申し訳なさそうに声をかけると、なぜか先輩は涙ぐんでいた。
「ううっ、三上よ、お前のそういう優しさが心に染みるのだ。陽葵ちゃんも、お前と同じことを言っていたが、お前たちのことを思うと理不尽で仕方ない。とくに陽葵ちゃんは、電車で大学に行けずに毎日のように、お前の車で大学に行く羽目になるのだから…。」
しかし、霧島陽葵は、三上恭介という生涯の伴侶を持ったことによって、そこから産み出される、恭介さん大好き♡な愛のパワーによる精神力が、並大抵ではなかった。
陽葵は、恥じらうように両手を組んで顔を赤らめると、無意識のうちに俺への絶大的な愛を込めて、棚倉先輩の嘆きを真っ向から否定してみせた。
「棚倉さん、その心配はありませんよ♡。わたしは、恭介さんと一緒に、車で2人きりになれるから、いまから嬉しくて仕方がないです♡」
「う゛ぐっ!!!」
無意識のうちに、棚倉先輩に全身全霊でノロケをあてた張本人の陽葵は、何事もなかったように、ケロッとしていたが、陽葵のノロケの全部が被弾した棚倉先輩は、何とも言えぬ表情を浮かべて、額に脂汗をかいているのが確認できた。
陽葵がとても可愛いことは、もちろんだが、こういう時は色っぽさも加わるので、男としては、見ていて辛いだろうと思う。
棚倉先輩は、少しばかりの恥ずかしさと同時に、ある意味で、理性を取り戻すのに苦労をしている様子がうかがえた。
先輩は、ハンカチで額の脂汗を拭くと、陽葵に本音をぶつけた。
「ひっ、陽葵ちゃん。無意識のうちに三上に
陽葵は、無意識のうちに棚倉先輩に放った言葉を頭の中で反芻したあと、先輩の忠言を頭の中で理解すると、さらに顔を赤らめて恥じらって、何も言えなくなってしまっている。
しかし、陽葵の恥じらった姿も可愛いから、棚倉先輩は目線を少しだけそらせると、その恥じらった陽葵の姿を見ないようにしていた。
俺はそれを見て、苦笑いしながら陽葵をフォローすることに専念した。
今の陽葵は、恥ずかしくて何も言えなくなっているから、ここは俺がフォローを入れないとまずい。
棚倉先輩が、これを機に、陽葵を避けたりしたらマズい事態になる危険性も秘めているから、余計に、俺のフォローが必要だと考えた。
「先輩、もう、これは、仕方がありません。ここで、白井さんがいたら別でしたが、私たちの重要なツッコミ役がいないので苦しいところです。それと、無意識のうちに、俺や陽葵も暴走してしまうことがありますが、そこは慣れてもらうしかありません…。」
俺はあえて、今後のことを考えて、その場しのぎの言い訳をせずに、棚倉先輩に茨の道を歩ませることにした。
どのみち、俺や陽葵が、周りを無意識のうちに当ててしまうような事態なんて、防ぎようがない。
棚倉先輩は俺をジッと見ると、少し間を置いてから、声を絞り出した。
「三上よ。陽葵ちゃんは可愛すぎるから、男心に刺さるものがあって、こうやって当てられると、言葉にできないぐらい辛い。お前は、彼女の婚約者であると同時に、その虜になっているから無理もないだろう。」
「先輩、そう言って貰えると助かります。来年になれば、ツッコミ役に新島先輩が必ず登場するので、ある程度の歯止めが効くでしょう。そこまでは頑張って頂きたいと思いまして…。」
俺は棚倉先輩にそう言って手を合わせて謝ると、先輩は静かにうなずいた。
「うむ。それは仕方ない。お前達が熱愛しているのは、一緒に歩いているのを見ただけで分かるからな。それに、病院でアーン♡を目撃してしまっているから、今の会話などは、まだ、序の口だろう。あれ以上の暴走を見ることは、まず、ないだろうから…。」
それから陽葵が落ち着きを取り戻すと、棚倉先輩は実行委員チームの練習時間まで、俺達と一緒に受付をやる事になった。
受付をしている間、棚倉先輩と陽葵の家族が、俺の実家へ行って、家族ぐるみで挨拶しに行くことを話すと、とても残念がっていたが、うちと陽葵の家族同士の話となれば、棚倉先輩が一緒に俺の実家に行くことなんて、無理なのは当然である。
それから、俺は受付室の脇にあるパソコンで寮内の故障箇所の報告、申請書類などを書いている間に、棚倉先輩は、陽葵と俺のコトについて色々と雑談をしていたようだ。
陽葵の家で、どのように過ごしているのかを詳しく話していたようだが、詳しい内容までは聞き取れなかった。
俺が寮内関係の書類を書き終えて、2人を見ると、棚倉先輩の額から滝のように汗が流れていたし、陽葵はかなり恥じらっていたので、俺は口をポカンとあけて事態の収拾を図るために、どのように声をかけるか迷っていた。
しかし、棚倉先輩は、俺を見た瞬間に、滝のように流れた脂汗をタオルで拭きながら、陽葵の家での俺の生活ぶりに関して問いただした。
「みっ、み、み、みっ、三上よ…。おっ、お、おっ、お前は、毎日、陽葵ちゃんと一緒に風呂に入って、一緒のベッドで寝ていると聞いたが…、それは本当か?」
「はい。」
俺は、恥ずかしさを完全に殺して、返事をするのみに留めた。
それ以上、詳細なことを語るのは絶対に無理だったからだ。
「おっ、お前ってやつは…。シレッと、はい、なんて簡単に返事をしてくれるが、俺だって彼女の家で、そんなことをするのは、無理だっていうのに…。」
棚倉先輩は、陽葵や俺の話を聞いて、驚きを隠せない様子だった。
一方の陽葵は、体を少しよじらせながら、とても恥ずかしがっているので、どう対処するか、俺にかなりの迷いが生じていた。
俺は、ここは羞恥をかなぐり捨てるために、あくまでも事務的にサラッと、棚倉先輩に聞かれた事に対して、素直に話して受け流すことにした。
「先輩、これが親公認の婚約者ということです。もう、陽葵の両親は俺のために布団なんて用意してないですからね。しかも、陽葵の母親からは、子供ができても構わないとまで言われています。」
棚倉先輩はそれを聞いて、いよいよ開いた口が塞がらない。
「お前たちは、完全に夫婦そのものじゃないか…。」
それを聞いていた陽葵は、棚倉先輩に向けて、ところかまわず当てるだけの砲台になっていた。
次の言葉で、陽葵は先輩の思考にトドメを刺しすように惚気る言葉を放つ。
「棚倉さん。恭介さんと私は、卒業して2年後ぐらいには結婚することにしているのです♡。もう、式場も決まっているし、わたしは卒業したあとに、社会勉強をしたり、車の免許を取ったりして、そのあとは、恭介さんの家で一緒に暮らすのが目標です。♡」
棚倉先輩は、しばらく凍りついて動けなくなっていた…。
◇
そのあと、陽葵は、松尾さんの奥さんに呼ばれて、泰田さんや守さんと一緒にお菓子作りをしていたので、先輩は陽葵がいなくなって、精神的に落ち着くと、ようやくホッとした表情を浮かべている。
棚倉先輩は陽葵と俺の関係性について、ようやく素直な感想を言ってくれた。
「三上よ、陽葵ちゃんも、そのご両親も、お前とは家族同然なのだな。俺も彼女と将来的には、そんな関係になれたら、どんなに幸せか…。」
「先輩、こう言っちゃなんですが、俺は運が良すぎただけです。一途で、あんなに可愛すぎる将来の嫁が、思いもよらぬ形で舞い込んでくるなんて、誰も思わなかったはずです。」
「たしかに、お前は怪我をしたかも知れないが、それ以上に、皆がうらやむ女性を得たよな。芯も強いし、お前の支えになることは間違いない…。それに、泰田がボソッと俺に言っていたが、ウチの学部で美人と言われている女子学生よりも、陽葵ちゃんはズッと綺麗だし、可愛げもある。学部で言い寄る男子学生が絶えなかったのも分かるぞ…。」
「先輩の彼女も、先輩のことをシッカリと見ている雰囲気はあるから、将来はそうなると思いますよ。少なくても、新島先輩の前の彼女とは違って、とても安心な人だし、先輩に尽くしそうな感じがしますよ。」
棚倉先輩は俺の褒め言葉を聞いてニンマリと笑った。
ちなみに、棚倉先輩の彼女が所用で上京したときに、大学に連れてきたことがあったが、お淑やかで綺麗な人だった記憶がある。
「三上よ、お前はよく分かっている。お前は新島から、新たな彼女ができたことを聞いているのだな?」
「新島先輩は電話で詳細を話してくれましたよ。先輩の彼女と、お知り合いのようですから、新島先輩が観念して覚悟を決めたと思って、ホッとしているのです。」
そんな話をしていたら、陽葵や泰田さん、守さんと松尾さんの奥さんが、クッキーやカップケーキを持って、俺たちの元にやってきた。
それを見て、棚倉先輩が、社交辞令として女性陣に向かってお褒めの言葉を真っ先に口にする。
「おっ、これは美味しそうなお菓子だな。1つ貰っても大丈夫かな?」
泰田さんが棚倉先輩にコクリとうなずいて、事情を説明した。
「松尾さんの奥さんに呼ばれて、お菓子作りをしてみたのよ。霧島さんがとても上手で、松尾さんの奥さんも、霧島さんから、色々と教えて貰っちゃったのよ…」
「霧島さんは、若いけど、子供の頃から料理をしているから、手つきが慣れている事が、すぐに分かったわ。高木さんも料理が上手いから、私もずっと教えてもらっているけど、霧島さんも、この年にして、なかなか上手いと思うわ。三上くんは、よい奥さんを貰ったと思うわよ。」
松尾さんの奥さんが、陽葵を焚きつけるような言葉をかけたので、事態は壮絶なものとなった。
陽葵は松尾さんの奥さんの褒め言葉を聞いて、頬を赤く染めると、少し恥じらいながら、再び周りにひたすら当てるだけの砲台と化してしまった。
「もぉ、松尾さんの奥さんったら、お上手なんですから。私なんて、皆さんに比べたら、大したことはできませんけど、毎日のお弁当を作る時に、恭介さんが美味しく食べてくれる顔を想像しただけで、美味しいものを作るやる気が出てしまうのですよ♡」
俺はペットボトルのお茶を飲もうとしていたが、それを聞いて、思わず吹き出してしまった。
『勘弁してくれ、こんな時に白井さんがいてくれると…』
陽葵のノロケ話を覚悟していると、陽葵たちの後ろから、クッキーやお菓子を持った白井さんと女子寮の寮母さんがフッと現れて、白井さんが陽葵にお約束のツッコミを入れた。
「陽葵ちゃん!!。三上寮長が恥ずかしさのあまりに、お茶を吹き出しているから、そこまでよ!!。このままでは、みんなが作ったケーキやクッキーを、私が1人で食べてしまうから、それ以上のノロケは御法度にして!!。このまま2人がラブラブだと、わたしの体重が増えてしまうわ!!。」
それを聞いた、皆は一斉に笑い出して、その場が丸く収まったのである。
あとから聞いたところによると、白井さんは諸岡と軽くデートをしている時に、寮母さんから携帯に電話がかかってきて、みんなでお菓子作りをしていることを聞いて、諸岡と一緒に男子寮に戻ってきていた。
俺と棚倉先輩が、新島先輩の話題で夢中になっている間に、白井さんと諸岡は、松尾さん夫婦が住んでいる寮と繋がっている住居に、直接、上がり込んでいたらしい。
諸岡は、女性陣のお菓子作りを少しだけ見学したあとに、食堂に回って村上や宗崎たちと話しをしていたようだ。
みんなが、食堂に集まって、雑談をしながら女性陣が作ったお菓子を食べ終えると、そろそろ実行委員チームの練習で体育館に向かう時間が近づいていた。
俺や陽葵、村上や宗崎、それに、泰田さんや守さん、仲村さんが車に乗り込むと、俺たちは運動公園にある体育館に向けて車を走らせた。
『いよいよ、陽葵もバレーボールの練習に加わるのか…』
そう思うと、助手席に座っていた、とても可愛げな女の子を見て、これからチームに溶け込んでくれることを願っていた自分がいた。