俺たちは男子寮に戻ると、真っ先に松尾さんが出迎えた。
「三上君、受付は私が見ているから、みんなにパソコンを教えてあげてくれ。その怪我では、まともにキーボードが打てないだろうから、不自由だろうし、このさい、教えるのは良い機会だと思うよ。」
「松尾さん、そうですね。時間は掛かるかもしれませんが、私のギブスがとれるまでに、誰かが慣れていれば、助かりますから。」
俺と陽葵、それに良二や宗崎と村上、白井さんと諸岡が、寮監室に入ると、俺はパソコンからソフトを立ち上げて、まずは基本的な操作を、諸岡に教え始める。
パソコン初心者の諸岡は、その几帳面な性格から、一つ一つメモを取りながら、丁寧に俺の説明を聞いていた。
その脇で陽葵と白井さんが、じっくりと俺のマウス操作を見ながら、2人とも真剣にメモを取とって真剣そのものだ。
最大の難関は、キーボードのタッチだったから、諸岡が心配そうにして、俺に問いかけてくる。
「三上寮長のように、あれだけ早くキーボードが打てるようになるまでに、どれぐらいの時間が必要ですか?」
「諸岡さぁ、そこまで求めなくてもいいから、日本語変換を、かな文字にするのか、ローマ字変換にするのか、自分の相性で決めて欲しいな。最初はそこからだよ、ブライドタッチなんか最初は無視して構わない。」
「ちなみに、三上寮長はローマ字とカナ、どちらですか?。」
諸岡は、俺の回答に少し不満そうだった様子だった。。
「俺はローマ字変換のほうだよ。」
そこからは、村上や宗崎、それに良二に任せて、それぞれ、キーボードの使い方とか、手の運び方を教えていった。
どうしても俺は左手が使えないので、しばらくの間は片手打ちのような動作しかできない。
諸岡や白井さん、それに陽葵に、キーボードの指の運びかたを3人が教えている間に、俺は部屋に戻って洗濯をすることにした。
寮生共有の洗濯機で洗濯をしていると、洗濯機のそばにいた1年生の寮生に声をかけられた。
「寮長、なんだか色々と忙しそうですけど、マジに大丈夫ですか?。大変そうだから心配してますよ。最近、寮のバイトで顔を見せる時間が減っているみたいですし…。」
声をかけられた、バイトをやっている寮生の名前がとっさに浮かばずに考えていると、ようやく名前が思い浮かんだ。
「あれ最近、諸岡と一緒にバイトをやってる、塚田くんだったっけ?。どうだ、仕送りは足りているか?、大丈夫か?」
「寮のバイトで頑張ると、寮監さんの奥さんのご飯にありつけるので、助かってますよ。最近は竹田先輩や大宮先輩と一緒に風呂掃除をやることが多くなりました。三上寮長がなかなか忙しいみたいだから、みんな寂しがっていて…。」
入院していたこともあったが、新島先輩から寮長を引き継いでからは、バイトもマトモにできていない。
棚倉先輩や諸岡がバイトの様子を見ていたことは大いに想像できた。
「そういえば、塚田くん、今日は4時頃からバイトだっけ?。今日は霧島さんと一緒だけど、一緒にバイトが出来るかも知れないなぁ。この怪我だから見回りだけになってしまうけどね。」
それを聞いた塚田くんは少し喜んだ。
「三上寮長がいると、みんなのモチベーションが違いますよ。霧島さんが可愛すぎて、集中力が少しだけ切れるかも知れませんが、頑張りますよ~」
俺は塚田くんとの話が終わると、洗濯機が終わる迄の間、寮間室に戻って、村上に企画書の文章だけは書いてもらうことにした。
村上もタイピングスピードは、そこそこ速いので、洗濯機が終わる1時間程度で書き上げてしまうだろう。
諸岡には、寮内で発生してる故障している機器や備品などを学生課に報告する申請書を書くことを目指すことにした。
寮長会議の議事録に関しては、棚倉先輩が補足した程度で収まっているし、今回は手書きにして、そのまま提出することにした。
「村上、悪い。たぶん、企画書に関しては文章が長すぎて、提出に間に合わないから、今から俺が言う文面を所定のファイルの場所に打ち込んでもらって、追加で印刷する形で大丈夫だから。ほとんど棚倉先輩が書いてしまっているから、俺が話すのは補足ぐらいかな。」
陽葵が練習をしていたが、その話を聞いて席をサッとどけた。
「ごめんね、練習は村上が打ち込み終わってからにしよう。時間を考えると今は無理だけど、良いお手本を見せられると思うよ。」
俺がマウスで、今回の文化祭の企画書ファイルを出すと、村上に代わって指示を出していった。
ここの欄に、棚倉先輩が書いたA4で2枚のこの文章をまずは打ち込んで欲しい。
全部打ち込んだら、俺が少しだけ文章を足したい場所もあるから。
村上は俺の話を聞いて、いつもの通りブライドタッチで文章を打ち込んでいった。
諸岡は普段から俺の打ち込んでいる姿を見ているので、さほど驚いてはいないし、良二や宗崎も、それは同様だが、白井さんや陽葵が驚いている。
「むっ、村上さん、打つスピードが速いわ。慣れると、こんなに早く打てるのですか?。恭介さんも同じぐらいのスピードですよね?。」
陽葵の問いに村上が少しだけ恥ずかしそうに答えた。
「旦那のタイプスピードは、俺よりもズッと速いですよ。もう、キーボードを叩く音が違います。まだ、自分なんて序の口ですよ…。」
そう言いながら、タイプは止めないのは村上らしかった。
その村上の言葉に、宗崎が補足を入れた。
「俺たちも似た通ったかですが、旦那のタイプスピードは、学部内でも一つ飛び抜けてますよ。パソコンの実習なんかでは、ほんとうにディスプレイしか見てないですからね。」
そんな雑談をしている間に、村上は棚倉先輩が書いた寮長会議の議事録をもとにして、企画書を打ち終えると俺に声をかけた。
「三上、追加事項ってなんだ?」
俺はディスプレイを見ながら、少しだけ考えて村上に答えた。
「あ、悪い。占い企画のところで、『混乱時には配慮をする』と書かれた場所だけど…」
村上がカーソルをそこに持って行くと、俺の言葉を待っている。
「あらかじめ、混乱を想定して、行列整理のスタッフを6人配置し、希望者には整理券を配って行列が最小限になるようにする。また、人数制限を設けて、行列が他ブースを妨害しないように配慮をする。」
村上はそれを打ち込み終わると、率直な感想を言ってきた。
「確かにそうだよなぁ。行列ができた後に配慮したら怒られるよなぁ。」
「村上、そうなんだよ。これだと実行委員会が行列ができたときの計画書を作れと言い始めるんだ。」
俺は少し考えて村上にもう一つの事項を付け加えた。
「その後に、今から言う事を追加してくれ…。行列ができた場合、速やかにスタッフが誘導し、別紙の図にあるように、希望者を並ばせる。また、待機時間が20分以上かかる人は、整理券を配った後に時間を指定して並ぶように指示をする。」
それを聞いた陽葵はハッと思った。
「恭介さん、それなら効率的ですよね。整理券に番号を振っておいて、チェックシートを作っておけば、並んだ人がズッと立ちっぱなしも防げるし、効率も良いわ。」
「陽葵、そうなんだけど、時間通りに来なかった人の対処を上手くやらないと駄目だからね。このお仕事を白井さんと陽葵に任せるかなぁ…と、考えたんだ。」
俺に指名された白井さんはニンマリと笑って、俺のほうを見た。
「さすが、三上寮長だわ。わたしは、そういうのを判断して仕切るのが得意よ。それに、シッカリ者の陽葵ちゃんがいれば、誰に整理券を配ったのかも、ある程度は覚えていそうよ。」
「あんまり、こんなことを狙って言いたくないけど、占いだと、どうしても女性がいるから、何か問題があった場合に、女性同士のほうが上手くいく場合が多いし、男性側も説得しやすいこともあるからなぁ…。」
白井さんが俺の言葉に激しくうなずいている。
「ただ、女性同士の場合、こじれた場合に大変だけど、ある程度は無難な線で事態の収拾を図れるわ。なるほど、わたしにそれを期待しているのね。任せてちょうだい、陽葵ちゃんと上手くやってみるわ。」
「もともと、白井さんは、三鷹先輩や木下から、状況判断が上手いことを買われて、副寮長候補になっていると思うよ。そこは自信を持って良さそうな気がする。」
それを聞いていた良二がボソッと言った。
「だからこそ、三上様なんだよなぁ。前の教育学部体育祭の件もそうだったけど、こいつは適材適所で人を割り振るのが上手すぎるんだよ。」
俺は、褒め言葉が続くのが嫌なので、村上の用事を終えて早々に、逃げる事にした。
「村上、とりあえず追加事項は、こんなところだ。あとは皆に午前中はタイピングを少し教えて、ご飯を食べたら、今度はそこに何枚か積み重なっている、寮の申請書類を諸岡にやってもらおう。俺は洗濯が終わりそうだから干してくるよ。」
そう言って、俺は寮監室を飛び出して、洗濯機に行ってみると、絶妙なタイミングで洗濯が終わっていた。
急いで部屋に戻って洗濯カゴを持ってくると、脱水まで終わった洗濯物をカゴに入れて、部屋に戻ってベランダに洗濯物を干し始めた。
『そういえば、1週間ぶりの洗濯だなぁ。』
左手が使えなくて不自由しているが、なんとか洗濯物を干していると、今日の夕飯の事が頭に浮かんだ。
『そうだ、ステーキなんて言ったけど、俺は両手が使えないから肉が切れないぞ。まぁ、いいか、たぶん陽葵が肉を切ってくれそうだし…。』
洗濯物を干し終えて、寮監室に戻ると、すでに村上がさっきの企画書をプリントアウトして、交代しながらタイピングを教えていた。
まだ、お昼までに1時間以上あったので、俺は受付室にいる松尾さんに声をかけた。
「松尾さん、1週間ぶりに受付をやりますよ。あと、今日の4時からのバイトも久しぶりに、みんなの様子を見たいと思いまして…。」
「おおっ、三上君がいると助かるよ。バイトのほうも、どうも三上君がいないと、皆のやる気が少しだけ落ちていてね、頑張っているのは、竹田君や大宮君、それに1年の塚田君に諸岡君ぐらいかな。」
その会話を聞いていた陽葵が、受付室にやってきた。
「恭介さん。先ほど本橋さんにタイピングを習ったから、こんどは受付を習いたいわ。」
陽葵がそう言うと、松尾さんがうなずいて、陽葵に向かって口を開いた。
「霧島さん。三上くんじゃなくて、私が一緒について教えよう。三上君は友人達と交代して、2人の後輩を教えたらどうかな?」
俺は松尾さんの意見にハッとして、うなずいた。
「松尾さん、陽葵をお願いします。俺は友人と交代して諸岡と白井さんを教えますよ。」
そうして、陽葵は松尾さんと受付の概要から、寮内放送でのマイクの使い方、客人などが来た時の応対のしかたなどを教わっていた。
それを見て、隣の寮監室に戻ると、良二や村上、宗崎に声をかけた。
「みんな、陽葵や後輩の2人を教えてくれてありがとう。村上も代わりにタイプしてもらって、助かったよ。村上も洗濯があるだろうから、3人で部屋に行って過ごすといいよ。うちらはバイトの見張りもあるから夕方までは、ここにつきっきりだし。」
俺の言葉を聞いて村上が悪そうにしていた。
「いや、三上がやってる仕事の半分もやってないし、こういう時ぐらい恩返ししないと。お前は今日も奥さんの家に呼ばれているらしいけど、やっぱりそれは当然だろうからさ。」
「気にしないでくれ、少し白井さんのタイピングを見ている限り、みんなが上手く教えてくれていたのがよく分かるからさ。あとは2人に俺が口で説明しても、分かりそうな雰囲気が漂ってるし。いいよ、お昼まで村上の部屋でくつろいでくれ。」
そういった、矢先に白井さんが、バッグからゴソッとクリアファイルを持って来て、6~7枚ぐらいあるメモ書きのようなものをパサッとディスクの上に置いた。
「あのぉ…、ホントに申し訳ないですけど…。三鷹さんに押しつけられて、ついでに作ってこいと…。三上寮長なら、すぐにできるはずだと…。」
白井さんは申し訳なさそうに俺の顔を見た。
その白井さんを見て、良二が苦笑いしながら、俺と白井さんを交互に見た。
「恭介やぁ、やっぱり俺達がいたほうが良さそうだね。」
その良二の言葉に、宗崎も口を開いた。
「本橋の言うとおりだよ。三上は無理をするな。お前がいると、絶対に色々な仕事を押しつけられるのは、2年に入ってからよく分かっているからさ…。」
「お前はマジに寮長になってから、頭の痛い問題ばっかりだからな。俺も白井さんの書類を作るのを手伝うよ。」
村上がそう言うと、俺は凄く嬉しくなって喜んでしまった。
「みんな、こんな事に付き合わせてしまってマジに申し訳ない。村上は午後から暇を見つけて洗濯しながら、3人で休んでくれ。俺は、白井さんの女子寮の申請書類の書き方について説明するから。これは男子寮も学生課に提出する書類だから、変わらない。諸岡は流れを見ておけ。」
その言葉に皆がうなずいていた…。