-翌朝 午前6:00-
陽葵は少し悲しい顔をしながら俺の目の前に立っていた。
「恭介さんと夕方まで会えないなんて悲しすぎるわ…。」
「陽葵、俺もちょっと寂しいけど大丈夫だよ。また会えるからさ。」
俺が少しだけ苦笑いをすると、陽葵が名残惜しそうにバッグを持った。
陽葵は病院から直接、駅に向かう予定だったが、早く起きたので家に戻って着替えなどの荷物を置いて朝食を取ってから大学に向かうことになった。
「きょっ、恭介さん、夜まで待てないわ。このまま一緒に家に帰りたいぐらい寂しいのよ。」
「ひっ、陽葵。そんなことをしたら大騒ぎになるからね。わかった、土曜日は寮の用事があるけど、寮の受付室で時間の許す限り陽葵と一緒に過ごして、夜は陽葵の家に行こう。」
それを聞いた陽葵は途端に笑顔になった。
「ふふっ、どんな形であれ恭介さんと一緒にいられるのは幸せだわ♡」
それを聞いて陽葵は元気よく病室を後にしたのを見て、俺は独り言を言った。
「陽葵が受付をしたら寮の玄関に人だかりができるだろうなぁ…。まぁ、仕方ねぇか。棚倉先輩とか諸岡がなんとかするだろう…」
そして、長い溜息をついた…。
◇
この日の夕刻までは1人で穏やかな時間を過ごせた。
ある程度、昼寝もできたし、それなりに鋭気を養うこともできた。
陽葵と高木さんが来る際に、高木さんが一部の荷物を寮まで運んでくれる事になっていたので、俺は入院中に読んでいた本をお願いする事にした。
高木さんなら、この本も安易に運べるはずだし、もっと荷物を寄越せと言われる可能性があるが…。
それで、退院前の明日の夕方に棚倉先輩達が来るから、ペットボトルのお茶や水を比較的力がある棚倉先輩や諸岡にお願いする事にした。
かなりお見舞いにくる人がいたので、箱買いしていたペットボトルの水やお茶も、半分以下になっているから、すでに手で持てる範囲の重さにはなっていのだが…。
夕刻になって、テーブルの上に専門書やノートを置いて、高木さんに持って帰ってもらう本をまとめると、良二や村上、宗崎が病室に入ってきた。
最初に俺に声をかけたのは、本をバッグにつめていたのを見た良二だった。
「おおっ、恭介は、もう退院の準備を始めているのか。それは早く帰りたいよなぁ…」
「すまない。今日は学生課の高木さんが来るから、持ち帰ってもらうものをバッグに詰めていたんだ。」
俺が陽葵みたいに椅子をサッと用意しようとしたら、村上が慌てて椅子を出した。
村上は椅子を出しながら俺に向かって少し苦笑いしながら声をかけた。
「三上、奥さんみたいな真似をするんじゃない。左腕がどこかにぶつかったら、また入院が長引くから。」
村上がそう言うと、冷蔵庫から俺の分までお茶を出して、俺の分はペットボトルのキャップまで開けた。
「村上、マジにすまない、ありがとう。」
一口、お茶を飲むと、今度は宗崎が今日の講義のノートを開きながら俺のそばに寄って話しかけた。
「三上さぁ、今日の朝、本橋とお前の奥さんと一緒に電車に乗ったけど、怪しい奴はいなかったよ。まぁ、あの事件があった直後だから、監視なんてやったら見つかるから無理だと思うけどね…」
宗崎の言葉に良二がこちらを見て少し付け加えた。
「隣の車両に乗り込んでジッと奥さんを見ている輩がいないかを見ていたけど、今のところは大丈夫かな。明日の帰りは本館の学生課で奥さんと待ち合わせてから帰ることになったよ。学生課の荒巻さんの指示を有坂教授から伝言されたぐらいだから、把握してるみたいだぞ。」
俺はある意味での不安を覚えて宗崎と良二に答えかけた。
「参ったなぁ。陽葵が工学部のキャンパスに行ったら相当な人だかりができて学部内がパニックになるだろうし、荒巻さんの配慮は正しいし、有坂教授には正確な情報が伝わっていそうな雰囲気だよね」
その言葉に村上がお茶を飲んでから複雑そうな顔をして答えた。
「三上、お前の言うとおりだよ。有坂教授は講義後に俺達3人を呼んで、荒巻さんからの伝言を伝えて、三上と彼女を頼んだぞと言われたからさ、ガチで知ってると思うよ。」
宗崎がノートを見せながら村上の言葉に補足を入れた。
「教授が知っている事も少し意外だったけど、三上の言うとおり、奥さんをウチのキャンパスの講義室の前なんかで待たせたら大パニックになるぞ。俺と本橋が一緒に電車に乗って普通に奥さんと会話をしていたけど、あの可愛さだから、会話がぎこちないぐらいだからな。」
俺は宗崎のノートを書き写しながら、皆の言葉に答えた…。
「みんな、迷惑をかけてすまない。こうやってノートや課題をやる時間を作ってもらって俺はマジに助かってるし、本来なら俺が朝早く起きて陽葵の送り迎えをしなくちゃいけないのに…」
良二が俺のそばによってきて頭をなでた。
「あのさぁ、恭介や。そんなに気負いするんじゃない。気持ちは分かるけど、奥さんの問題は長期戦になるし、俺達はお前に勉強も教えてもらってるお陰で補講も赤点もなく進級できているし、普通の学生で経験したことがないような学生生活を送って楽しく過ごさせてもらっている。だから俺達を遠慮なく使ってくれ。」
その良二の言葉を俺は有り難く受け取ったのと同時に、あることを思いだしてハッとなった。
「そうだ、良二。忘れていたよ。」
テーブルに無造作に置いてあった財布から500円を取り出すと良二に渡した。
「良二、俺はなぁ、お前から貰った500円のお陰で陽葵と付き合う事ができたんだ。感謝してるよ。」
そう言うと、良二は両手を広げて受け取りを拒否している。
「恭介や、お前は入院して金も掛かっているだろうし、仕送りも尽きているだろうから受け取れねぇよ」
「大丈夫だよ。今回の手術や入院費、この後の治療費や交通費に至るまで、全部、大学が持つ事になった。それと仕送りは入院直後に親が来て、親戚から貰ったお見舞いを置いていったから。」
「おっ、おう…、それはマジだよな?。嘘だったら俺は500円をお前にあげるぞ。嘘でなければ、お前が幸せになったお返しとして受け取っておくよ。」
良二は少し笑みを浮かべながら500円を受け取った。
俺は3人の仲間から欠席した講義のノートを借りて写したり、講義の内容を説明されたり、課題やレポートをやりながら病室で雑談をしながら過ごしていた…。
◇
一方でここは女子学生寮の食堂。
恭介が課題やレポートなどをやっている頃、寮長会議が開かれていた。
出席したメンバーは、学生課は荒巻・高木・そして男女寮の寮監と寮母。
そして、男子寮側は棚倉と諸岡、そして、特別職の霧島である。
女子寮側は橘と三鷹、木下と白井という面々と、文化祭の件で坪宮も来ていた。
皆が集まって荒巻が最初に話を切り出した。
「今回は三上くんがあの状況であるのと同時に暴漢事件を受けまして、慣例として1年生の寮長補佐は寮長会議には出られませんが、今回は特別措置で諸岡くんと、白井さんに出席してもらいました。今後は継続して出席することになるので、よろしくお願いします」
そして、諸岡と白井が席を立って深くお辞儀をした。
それをみて、荒巻がさらに言葉を続ける。
「皆さんもご存じだとは思いますが、暴漢事件の案件で霧島さんを男子寮側の特別職アドバイザーという役職で役員になってもらう事になりました。これには霧島さんを学生課や男子寮…、言い方を変えれば三上くんの保護下において安全を確保する意味もあります。」
陽葵が席を立って、諸岡と白井と同様に深くお辞儀をした。
荒巻は再び言葉を続けて坪宮を紹介した。
「今回の文化祭の学生寮ブースで占いをやって頂くことになった坪宮さんです。」
坪宮も席を立ってお辞儀をした。
それが終わると、棚倉が文化祭についての問題案件を話し始めた。
坪宮の占いブースに関しての問題点などが書かれた紙がメンバー全員に配られて、幾つかの案なども書かれていた。
「んー、三上が居ないから、かなり難しい議論になりそうだ。諸岡や白井、それに霧島さんも含めて皆で案を出して欲しいのだが、俺がザッと書いた今回の占いコーナーの案件で皆から意見を求めたい…」
それを聞いて陽葵はすぐさま手を挙げた。
「棚倉さん。その件に関して、恭介さん…いや、三上寮長から幾つかの案を預かってきています。」
それを聞いて皆が一斉に陽葵のほうを向いた。そして高木が微笑みながら口を開いた。
「さすが、三上くんよね。会議には出ないけど状況を読んでいると見たわ…」
陽葵はそれにうなずいて、恭介が示した案を発言するために、寮長会議の資料の裏に書いたメモを見た。
すると、棚倉が問題点として挙げたことに対して三上がシレッと答えたような案になっている。
例えば、ポスターに占いを書くべきか、それに占いに人数制限を設けるべきか、時間制限は?など、恭介が棚倉が指摘しそうな所を全て補うような案だったので凄く吃驚していた。
白井も棚倉の資料を見て、陽葵と同じ事を思っていたので、お互いが顔を見合わせてしまった。
そうして、陽葵はメモを見ながら発言をした。
「まず、三上寮長の案として、1つ目に、大学構内に張るポスターは去年と同様に三鷹寮長にお願いする形になりますが、占いコーナーがあることを3分の1ぐらいのカットで入れて欲しいと…」
それに真っ先に三鷹が反応した。
「さっすが、恭ちゃんよね。完全に分かってるわ…。大丈夫よ、また去年同様にばっちりポスターは描くから任せてね。描いたら、学生課のコピー機を使わせてもらうわ、A3のカラーコピーで荒巻さんお願いしますね。」
「三鷹さん、それは大丈夫だよ。一般学生寮は学生課直属だからね。しかし、三上くんはオチまで分かっていて霧島さんに案を託していたんだね。さすがだなぁ…。」
荒巻が三鷹の話に答えるのが終わると、陽葵は恭介の案を続けた。
「2つめに、坪宮さんのが占っているところを目立つ位置に配置することです。教育学部の人を中心にして噂を聞きつけた学生が集まる可能性があるから整理券を用意して、列を整理する人員を寮のバイトから集めて、最後尾のプラカードを作ってください。」
「さすが三上だな。このあたりの感覚は本当に優れている。バイトの人数は去年の倍にしよう。半分を坪宮さんの占いに回さないと足りないだろうな。」
棚倉が上機嫌にそう言うと、坪宮さんが少し笑みを浮かべて口を開いた。
「三上さんは体育祭実行委員の外部委員でも同じような感じでしたからね、一部の委員は三上マジックなんて言ってましたからね、あの閃きはマジにできないですよ…」
それを聞いて思わず陽葵がクスッと笑ってしまった。
「フフッ、まだ、ありますよ。占う制限時間を決めて延長は無しにしてください。それとグループやカップルなどは1つと数えて1人ずつ占わないように。坪宮さんの休憩時間や、朝食や昼食をとる時間を決めて、最大で何人を占えるか棚倉さんと坪宮さんで相談して決めてください。とのことです。」
棚倉と坪宮が顔を見合わせた。そして坪宮が恐る恐る口を開いた。
「三上さん、マジに天才ですか?。会議に出る前からオチが分かってる人なんて、そうそう居ないですよ?。それにわたしも喋り続けるから確かに休憩時間を作らないと死ぬわ…。マジに分かってる…。」
陽葵は坪宮の言葉が終わるとさらに続けた。
「最後に、占いをやった人に100円の割引券を作って配ってください。あと、割引券を持っている人が2~3枚出しても、咎めないでください。あと余分に割引券を用意して下さいとのことです。その割引券を占いが時間切れになって並び損になった人に対して、お詫びとして配って後腐れがないように…との事でした。」
橘はそれを聞いてあんぐりと口をあけつつも、棚倉に突っ込んだ。
「霧島さん、ありがとう。三上くんは、最初から寮長会議で発言していれば、相当に優秀すぎたのでは?。今まで、三上くんが棚倉くんに助言をしていたケースもあったわよね?」
「橘、それは否定できない。アイツは俺達の切り札だったからな。まぁ、新島が結核になってしまったから、否応なしに本領を発揮せざるを得なかったが…。あと、三鷹から聞いたと思うけど、教育学部の体育祭実行委員の規模で新島の代わりに指揮をさせたら凄かった…」
棚倉がそう言うと、女子寮幹部は一様に少し眉をひそめていた。
そして、三鷹が代表して三上に関しての所感を述べた。
「棚倉さん、早めに恭ちゃんの封印を解いてあげれば良かったわ。こっちは今になっても恭ちゃんが凄すぎて理解が追いつかないのよ。さっきの陽葵ちゃんが恭ちゃんから預かってきた案もそうだけど、もうすでに殆どの問題点が解決しちゃったじゃない…」
この話を聞いていた荒巻が溜息をついて、女子寮幹部側にも少しだけお灸をすえるような発言をする必要があると考えた。
「白井さんを除く女子寮幹部に言いたいのは、あれだけ三上くんを見た目だけで判断しておいて、こんな手のひら返しも彼にとっては辛いよ?。私や高木さんも人は見かけによらないと、何度も言いましたよね?」
それを聞いて、橘や三鷹、木下の3人は一様に下を向いて黙ってしまった…。