俺は携帯電話を持って病棟のナースステーションに行くと看護師の井森さんを見つけた。
「井森さん、下のロビーで気分転換をしてきます。しばらくしたら戻ってきますから。」
俺がそう言うと、井森さんが少しだけ微笑んだ。
「三上さん、彼女さんがいなくて寂しくなった?」
「いや、そうじゃなくて、例の事件で、暴漢の仲間が大学にいるらしく、彼女が再び狙われる可能性があって、さっきから大学の職員と話をしていたから困ってしまって…」
その言葉を聞いて井森さんは険しい顔になった。
「いい?。男として絶対に彼女を守るのよ!。彼女さんは家族用の入室カードを持ってるから、何時でも病室に入れるし、もしも彼女さんが来るようであれば私に声をかけてね。それと下に降りて少し気分転換をしていらっしゃい。特別にコンビニで何か食べても良いわ。私が責任をとるから。」
その井森さんの言葉を聞いていた婦長さんがひょっこりと顔を出した。
「三上さん、聞こえていたから大丈夫よ。若いから気分転換に少し食べ物を口にして落ち着くのも一つの手だわ。まだ、先生が残っているから、今から私から先生に連絡してみるわ…。」
そうすると、婦長さんは先生と電話で連絡をすると、大きくうなずいたりしていた。
婦長さんは電話が終わると少し笑顔になって俺に向かって口を開いた。
「大丈夫だわ、胃がびっくりしない程度に食べるなら構わないわ。退院後も彼女さんを守らないとね、頑張るのよ。」
「ありがとうございます。」
俺は深々とお辞儀をすると、携帯と財布を持ってエレベーターに乗ってロビーまで行って少し頭を冷やしていた。
薄暗いロビーでボーッとしていたら、携帯の着信音が辺りに響いた。
携帯電話ではなく見知らぬ電話番号だったが、今日は色々な人からひっきりなしに電話があるので迷わずに電話をとった。
「はい、三上ですが…」
俺が恐る恐る電話に出ると、聞き覚えのある男の人の声だった…。
「恭介くん、夜分遅くに申し訳ない。陽葵の父です。」
その声を聞いて背筋が思いっきり伸びた。
「お世話になっています。どっ、どうしました?」
「さきほど、大学の女性の職員さんが来ていて、陽葵のことで詳しい説明を受けてな、恭介くんや学部の友人などに、陽葵の送り迎えをして貰えることを聞いて、お礼がしたくて…」
「いえいえ、気にしないでください。この件はかなり深刻な話なので、陽葵を大変なことに巻き込んでしまって本当に申し訳なくて…」
「恭介くん、謙遜しないでくれ。世間知らずな娘が大学でボーッとしてるから、よく分からない輩に絡まれて巻き込まれることになって親として恥ずかしいし、娘にどうか世間を教えて欲しい。そして、金曜日の夜は恭介くんへ退院祝いと、お礼を兼ねて一緒に食事をしようと思っていてね。」
「ありがとうございます。陽葵から聞いていましたから、寮での退院祝いとミーティングが終わり次第、お邪魔します。」
「そうそう、金曜日の夜は泊まっていってくれ。大学の職員さんに話をしてあるから外泊許可はすぐに出るはずだから。なんなら土日も泊まっていって構わないから。」
「お気遣いありがとうございます。ただ、土日は私がいなかった時の寮の仕事の処理があるので、寮に戻ると思います…。」
「陽葵や学生課の職員の話を聞いてみると、恭介くんは寮の仕事や、大学の行事なども熱心にやってるようだから、頑張っているのがわかるよ。それでな、ちょっと陽葵が大学職員の話を一緒に聞いていて落ち込んでいるから、恭介くんのそばにいたいと言い出して…。」
「ええ、私は構いませんが、明日は大学もあるし陽葵は大丈夫ですか?」
「本人は大丈夫と言っている。もう明日の用意をしてから病院に向かうと言って聞かないのだよ。恭介くんも知っている通り、うちの女房と同じで、これと決めたら言って聞かなくてな…。ああ、陽葵にかわるよ。」
お父さんから陽葵に電話がかわったが、陽葵は親の目の前なのか少し恥じらいながら話し始めた。
「てっ、手短に言うわ…。今からタクシーに乗って病院に向かうわ。」
「わかったよ。看護師さんの許可を得て病院のロビーにいるから、そこで待っているよ。家族カードさえあれば夜間の入口からロビーに入れるだろうから。」
「分かったわ、少し待っていてね…」
そう言うと陽葵は電話を切った。
俺は少し溜息をつくと、どこで時間を潰そうかと考えていたら、なかなか病室に戻らない俺を心配して井森さんが、俺のそばに立っていた。
「あらっ、電話をしていたのね。三上さんって学生寮の寮長さんだから大変よね。電話でも大変そうなのが分かったわ。それと彼女さんも今からくるのね。彼女さんが来たら、夜食でも買って上にあがってきてね。個室だから病室で食べても構わないわ。」
「井森さん、ありがとうございます。しばらくしたら病室に戻りますので…」
井森さんはとびっきりの笑顔で俺に向かって口を開いた。
「大丈夫よ、彼女さんのベッドの準備もしておくからね。」
そう言うと、井森さんは急いでロビーの近くにあったエレベーターに乗って上に上がっていった。
俺は携帯の着信履歴から陽葵の家の電話番号を登録をして、陽葵が来るまでしばらく待つことにした。
ロビーにある椅子に座ってボーッとしてると、誰もいない廊下から足音が響くように聞こえた。
遠くから陽葵の姿を認めて立ち上がると、陽葵も俺の姿を見て駆け寄ってきた。
陽葵は持っていたバッグを少し放り投げるように椅子の上に置くと、俺を抱きしめてきた。
「恭介さん、会いたかった!!!」
俺は右手で陽葵を優しく抱きしめると、陽葵は体を預けるように俺をギュッと抱きしめて胸元で少し涙目になりながら、ささやくように喋りかけた。
「あのね…、あの電話が終わった後にね、高木さんが家にきて詳しい話を両親に説明したのよ。高木さんは怒ると恐いけどホントはすごく優しい人よ。うちの両親に丁寧にあのことを説明しながら不安を一つ一つ取り除くように話していたわ。」
「それよりも、陽葵、大丈夫か?。今は恐くないか?。ごめんな、こんな面倒なことに巻き込んでしまって男として失格だよ。俺は可愛い陽葵を守りたいんだ…。」
その言葉に陽葵は俺を抱きしめる力を少しだけ強めて少し頬を赤らめて口を開いた。
「そっ、そんな、失格なんて言わないで。恭介さんは2度もわたしを助けたのよ。でも、ちょっぴり恐いわ。明日の朝は宗崎さんや本橋さんと駅のホームで待ち合わせて行くことにしたわ。」
「良二も宗崎も信頼できる男だから安心して欲しい。本当は俺が陽葵を守りたいけど、この状態だから自分が動けないのが情けない…。」
そう言うと俺は自然と陽葵を抱きしめる力が少し強くなってしまった。
陽葵は俺の胸元で少しだけ首を横に振った。
「良いのよ、恭介さんは私を守ろうとして、色々なことを必死に考えているわ。そういうところが大好きよ。」
しばらく抱きあって陽葵が落ち着くと、2人は自然と手を繋いだ。
「ごめん、左手が駄目だからバッグが持てないから右手で持つよ。」
陽葵のバッグを持とうとして繋いだ手を離そうとしたら、陽葵はすぐに左手でロビーの椅子に置いてあったバッグを持った。
「恭介さん♡。このまま手を繋いでいて欲しいの♡」
陽葵はそう言うと顔を赤らめながら俺に体を少しだけ寄せた。
「陽葵さ、看護師さんが消化の良いものであれば、夜食を食べて良いと先生から許可が出たからさ、少しコンビニに寄ってから病室に行って食べようか。陽葵が来ることは看護師さんに伝えてあるし。」
「ふふっ、わたしね、ご飯を食べている途中で高木さんが来てしまって、少ししか食べられなかったの。なにか一緒に食べましょ。」
そして、手を繋ぎながら病院内にあるコンビニに行くと、入り口で互いに微笑みながら手を離した。
俺がコンビニに入ってカゴを持つと、陽葵は少し微笑んだまま手に持っていたカゴを引き寄せて手に持った。
「恭介さんは左手が使えないからご飯が選べないわ。わたしが持つから気を遣わなくていいのよ。」
2人がコンビニで品物を選んでる姿は恋人を通り越して新婚夫婦のような感じであった。
陽葵は大好きな人の前で少し遠慮するべきなのか悩んでいた。
恭介のように大食いという訳でもなく、ごく普通の一般女子が食べる食事量であるが、ガツガツと食べたら、恭介が幻滅しないのか少しばかり悩んでいた。
しかし、陽葵のそんな悩みは恭介の次の言葉で払拭された。
「陽葵さぁ、俺の目の前では太るとか寝る前とか気にしなくて良いよ。どんな姿になっても陽葵は可愛いから別に俺と同じぐらいの量を食べようと構わないからね。」
レジに立っていた店員が恭介の言葉を聞いて微笑ましくてクスッと笑ったが、2人は気づいていない。
陽葵はほんのりと顔を紅くしながら少し声を落として俺に向かって恥じらうように言った。
「きょっ、恭介さん、可愛いは余計よっ!。まったく、もぉ…♡」
それを聞いたレジの店員は、左手で顔を覆って、自分の顔がニヤけるのを我慢するのが精一杯だった。
俺は消化の良いものだったので、暖かいうどんを選んだ。
ここで温めても、袋が傾かなければ汁はこぼれないだろう。
「そうね、うどんなら消化がよさそうだわ。」
陽葵は迷った挙げ句にサラダパスタを手に取ると、デザートの前で立ち止まった。
俺は迷っている陽葵にトンと背中を推すような言葉をかけた。
「陽葵さ、俺はみんなからお見舞いも貰っているし、入院中は陽葵に世話をしてもらっているから、ここはお金を出すよ。そしてね、気にしないで食べて良いよ。」
彼女はその恭介の心遣いが良かったし、何を食べても気にしないとハッキリと言ってくれるのがとても嬉しかったので恭介の言葉に素直に従うことにした。
俺がフルーツゼリーを手に取ると陽葵も同じゼリーを手に取って、微笑みながらカゴの中に入れた。
微笑みを浮かべた陽葵の心の中では『苦学生の恭介さんに無理をさせるのは良くない』とも思っていたが、その彼の気持ちを大切にすることにした。
2人はレジを済ませると、エレベーターに乗って病室に向かった。
途中のナースステーションで井森さんに声をかけられた。
「彼女さんを連れてきたのね。もうベッドの準備ができているわ。三上さんは、これから可愛い彼女さんと一緒にお食事ね。退院してギプスが取れたら思い切りデートして欲しいわ。」
「井森さん、色々とありがとうございます。ほんと、金曜日の退院が少しだけ名残惜しいような…」
「ははっ、医者や看護師は病人を治すのが仕事よ。わたしも名残惜しいけど、良いことをしてニュースや新聞記事になった人を看られたのは誇りよ。三上さん、彼女さんを大切にするのよ。」
そう言うと、井森さんはナースステーションの奥のほうに行ってしまった…。
陽葵はその看護師と恭介の会話に少しだけ違和感を覚えた。
『恭介さんは、担当の看護師さんと話が弾むようなことがあったのね?』
彼女は少し不思議に思いながら恭介と病室へ入った…。