泰田結菜は三上が本館キャンパスへ向かっている間に考えごとをしていた。
体育祭の前夜に実行委員会のチームの最後の練習をしたいが、この体育館でやれば棚倉や新島にバレてしまう。
別の場所で練習をしても彼らは絶対に一緒についてくるだろう。
彼らにバレたら冷やかしに来るばかりで練習にならない。
まして、最後の練習だから邪魔に入られるのは絶対に勘弁して欲しい。
今年は三上がいるお陰で、みんながやる気を出しているので、前夜コンパをやりたいなんて声があがっているのだ。
彼女は去年、自分や守の親子と仲村だけで決起コンパをやったことを思い出して、それを利用して棚倉に嘘をつけないかを考えていた。
『わたし達のチームだけでコンパをやりたいと嘘をついてしまおう。今夜、前夜コンパがあるなら、その隙に練習すれば良いのだわ。』
一部の人に見られても棚倉や新島に見られなければ、それで構わないのだ。
もう翌日には本番だから、明日の朝になって噂になって広まっても問題はない。
泰田は棚倉を見つけると最後の練習ができるように上手い嘘をついた。
「すみません。前夜コンパの件ですが、棚倉さんと新島くんでお願いできますか?。去年のように実行委員チームで決起コンパをしたいのです。だから三上さんをお借りしますね。」
棚倉は眉をひそめたが、去年の泰田や守、仲村らが同じようなコンパをしていたのを思い出すと、二つ返事で承諾するしかなかった。
これを断った場合、泰田や守が機嫌を損ねるのは当然だし、女性が機嫌を損ねたときの怖さは郷里にいる彼女から嫌ってほどに味わっていたからだ。
それに、棚倉は結成コンパの時に三上のことを喋りすぎて大失敗をしていたので、新島が脇にいれば必ずストッパーが効くと踏んでいる部分もあった。
今年は牧埜や松裡も一緒だろうが、コンパの集金は松裡がいなくても経理委員の誰かに任せれば済むことだった。
棚倉は目を閉じてやむを得ない決断をした。
「分かった。できれば、そちらのコンパが終われば、三上をコンパに呼び寄せて欲しい。無論、お前らもだ。総務委員長や経理委員長、副実行委員長や企画実行委員長まで抜けるのは形としてはまずい。」
泰田は考えた。
練習は1時間半程度もあれば済むはず。
『今は午後6時だから時間はあるわ。』
おそらく午後の8時頃にはチーム全員がコンパに合流できるだろう。
「棚倉さん、ありがとうございます。うちのチームの決起集会が終わったら、もうコンパの終盤かも知れませんが、そちらに皆で向かいますので、それまでは新島くんと頑張って下さい。」
この時、彼女は棚倉がとりあえずOKを出してくれてホッとしていた。
「泰田、すまない。お前も分かるとおり、三上がいないと事が進まないのだよ。今日の準備がこれだけ早く終わって、あれだけ効率のよい指揮をとれたのも三上のお陰だ。」
棚倉の顔を見ると笑みを浮かべている。
「あいつは課題やレポートが終わらないからと明日の打ち上げコンパは断固として欠席だ。あれは意地でも行かないつもりだし、無理矢理に引っ張ろうとしても学部の仲間の家に閉じこもると言いだしている。だから、実は打ち上げコンパを明日はやらずに延期しようと考えている最中なんだ。」
「それはどうしてですか?」
泰田は理由が分かっていたが、あえて聞いてみた。
三上が気になっていることが棚倉に分かれば面倒なので伏せたかったのだ。
「委員達から、三上がいない打ち上げコンパなんて寂しくて仕方ない、三上さんの都合にあわせてコンパをやろう。なんて声が多くあってな…。やつは土曜日の一徹だけで課題やレポートが全て終わるらしいから、日曜日の夕方から寮の近くの大きな宴会場を借りてやることを考えているのだ。」
その言葉を聞いて泰田は笑顔で棚倉に答えた。
「それはそうですよ。この実行委員会で最大功労者の三上さんがいないと何にも始まりませんもの。」
棚倉はその言葉に笑顔を作った。
その答えなら彼に淡い好意を持ってることなどバレないだろうと考えた。
「ははっ、泰田。その言葉が出てくるのは三上の虜だからだよ。俺もその1人だ。」
「ふふふっ、本当にそうですよね。棚倉さんの言うとおりだわ…。でも、棚倉さん。三上さんを強引に引っ張ったら彼だって嫌になってしまいますよ。」
泰田のその笑いの裏に少しの悪戯心があったが、棚倉にそれは分からなかった。
話し相手が三上なら、棚倉はかなりの警戒感を持って臨んだかもしれないが、学部で秀才でもある泰田を完全に信頼しきっていた。
「泰田。その通りなんだ。一昨日、新島にも同じことを言われてな。三上は強引に引っ張ったことに対して内心は相当に怒っているらしい。お土産として新島は三上を守るために真面目に寮の仕事をやり始めたが、委員会の立ち上げ時のような強引な手法は、二度と使わないことにしたよ…。」
『よかったわ。三上さんには及ばないけど、なんとか棚倉さんを騙せたわ。三上さん、こんなことをやって棚倉さんから頼まれる面倒な用事を回避させたり、時には彼の性格を読んで面白くいじるのよね。三上さんの度胸は凄いわよ…。』
「棚倉さん。最初に三上さんが相当に怒ったのは無理もないわ…。コンパは彼の都合に合わせましょうよ。今回は参加希望の委員が多いですし、場所の確保に時間がかかると言えば納得するはずだわ。」
泰田はそう言って笑顔を作ると、棚倉から自然に離れて運動公園の体育館裏に姿を隠した。
そして、彼女が真っ先に電話をしたのは三上だった。
「三上さん、お疲れさまです。このあと、この運動公園の体育館で最後の練習を棚倉さん達に内緒でしようと思って…」
「あ、泰田さんお疲れさまです。棚倉先輩と新島先輩に見つからずに練習をするのでしょ?。それなら、急いでそっちに行きます。ついでに仲村さんにも声をかけておきますから。」
泰田は三上の電話を切ると、他のメンバーの携帯に連絡を入れて棚倉達には内緒で極秘裏の練習をすることを伝えた。
『三上さんのように上手くやるのは疲れるわ。たしかに彼の苦労もわかるわ。切れ者の棚倉さんを上手く騙すのは難しいもの…』
彼女は少しドキドキしながら、体育館の裏から夕暮れの時の紅く染まった空を見上げた。
◇
俺は泰田さんの連絡を受けて、本館キャンパスからバスに乗って急いで運動公園に向かった。
体育館の入り口付近まで歩くと、ボーッとして俺に気づいていない泰田さんを見つけて声をかけた。
「泰田さん。お疲れさまです。」
彼女は目を見開いて相当に吃驚した。
「キャッ!、三上さん…吃驚したわ。ごめんね、ボーッとしてたわっ…。」
吃驚しすぎた泰田さんを見て、俺はソワソワしてる理由を言い当てることにした。
「泰田さんさぁ、棚倉先輩を出し抜くときは冷静さを保たないと騙せませんよ。」
「み、三上さん…、よっ、よく分かっていらっしゃるわ。」
俺は彼女がボーッとしていた理由が図星だったので苦笑いをした。
「そうなんです、だから途中で抜け出して急いでここに来たわけですよ。」
「三上さん、それは何か作戦がありそうよねっ?」
それは彼女の期待通りだった。
俺はコクリとうなずくと、泰田さんに聞いた。
「泰田さん。どのように棚倉先輩を騙しました?」
泰田さんは棚倉先輩に結成コンパを装って練習をすること、そして練習が終わった後に全員が前夜コンパに顔を出すように言われたこと俺に説明した。
「それなら、まずは服装はこのままで練習しないと駄目ですね。フォーメーションや連携、それにトスのタイミングを合わせるぐらいに留めておきましょう。汗だくになるとすぐに気づかれます。」
「みっ、三上さん、流石だわ…。」
この段階で、泰田さんのお母さんと守さんのお母さんが俺の後ろにいたことに気づかなかった。
「それと、暫くしたら仲村さん達がここに来るでしょうけど、コンパを装っているのなら隣のコンビニでご飯を買ってみんなで食べましょう。そうしないと、コンパの最後のほうになって押しかけてガツガツ食っていたら怪しまれます。」
「ふふふっ、それなら、あたしが全員のぶんを奢っちゃうんだからっ☆」
俺は守さんのお母さんの声にビクッとした。
「え゛~~、守さんのお母さんと泰田さんのお母さんもいたのですか?。心臓に悪いですよ。」
泰田さんのお母さんが頭をポンと叩いて俺の方を向いた。
「練習の邪魔をする子がいるのは迷惑だから内緒でやるのは当然だわ。三上さんは皆から慕われているから、色々な子を引きずり込んでしまうのも仕方ないわ…。」
「そうなんですよね。特にうちの先輩達は俺たちを冷やかすから余計に駄目です。この練習に邪魔者さえ入らなければ、あとはバレても関係ありませんけど…。」
「三上さん。明日の体育祭が終わっても、仲村さんのように練習に参加してね。あなたがいないとホントに寂しくなるわ…」
泰田さんのお母さんが心配そうな顔をしてる。
その泰田さんのお母さんの表情を見て俺は少し微笑みながら答えた。
「うちの同期の2人も含めて参加するので安心してください。私も仲村さんと同じようにやりますよ。」
守さんのお母さんは俺の言葉に笑みをこぼした。
「ふふっ、ホントに助かるわ。このチームのお疲れ会は三上さんが落ち着いたタイミングで開きましょ。この影響で課題が大変になっていると宗崎さんや村上さんが言っていたのよ…。」
俺は守さんのお母さんの言葉に腕を組みながら答えた。
「うーん、明後日の土曜日が徹夜になると思うのですよね。それが抜ければ一安心ですけど…」
俺の言葉を聞いて、泰田さんが不安そうに首をかしげた。
「みっ、三上さん…ちなみにどのぐらい溜まってるの?」
顔色を一つも変えずに泰田さんに返答をする。
「たぶん7つ以上かなぁと。」
「うげ~~~。それは死ぬわよ…。」
「まぁ。それでも、今週は14出たうちの半分は消化できたのですがねぇ。」
「やっ、やっぱり理系は課題やレポートが多いわ…」
その実態数を聞いた泰田さんは最初のコンパの時と同じ反応を示した。
彼女は3人が図書室でやっていた、あの課題が山ほど出ていると思っているのだろう。
「あっ、思い出しました、泰田さん。先日、宗崎や村上、三橋がお世話になって申し訳なかったです。あのあと、寮から帰ってきて村上から話を聞いたのですよ。村上はやり方まで覚えていたお陰で微積の展開がスラッと入りましたよ。」
泰田さんは何故か恥ずかしくなって顔が真っ赤になった。
「みっ、三上さん、あっ、いや…あれは、みんなが困っていたからね…。ただ2年次の前半で、あれが出てくるのは、さすが理系だと思ったわ。わたしは塾講師にあの微積のやりかたを叩き込まれたけど、うちの講義ではそんなの出てこないし…。」
俺はあることに気づいて泰田さんとの会話を止めて声をあげた。
「あっ!!!、泰田さん。棚倉先輩はどこにいますか???」
泰田さんはその言葉を聞いて相当に慌てた。
「三上さんっ、しまったぁ~~!!。棚倉さん達は運動場で明日の準備をしていたから、そろそろ終わって戻ってくる筈だわ。」
そうすると、かなり遠くのほうから棚倉先輩の影が見えた。
『まずい!!』
「みなさん、運悪く棚倉先輩がやってきましたが、ここは俺の話に乗って下さい。泰田さんや守さんのお母さんも普通にして下さい。少し先輩を出し抜きます。」
俺の言葉に3人がうなずく。
棚倉先輩たちと声なんて聞こえないほどに離れているが、ここでお母さん2人がサッと逃げてしまうと、その様子を見て余計に怪しまれる。
「まだ距離があるから、声が聞こえてないと思いますが、決起コンパをやるから、ウチのチームのコーチと監督である2人のお母さんを呼ぶのは当然と言い切ります。それに乗って下さい。それだけで済むはずです。」
『これは牧埜が鍵を握るな。泰田さんはメンバー全員に対して棚倉先輩には内緒と言ったはずだ。牧埜ならピンチになったら上手く話を合わせられるだろう。』
段々と近づいてくる棚倉先輩達の集団に俺は少し息を呑みながら、それをジッと見ていた。