ー教育学部体育祭前日ー
俺は1つでも多くの課題を消化したくて早く起きた。
『今まで積み残した課題が2つ。今日も昼飯の時に必死にやって夕方の時間までやっても2つが残る。どうしても今日はコンパだろうから寮に帰ってから消化するのも無理だろう。明日は完全に休むから3つだろうな…。』
意地でも土曜日は徹夜をしても終わらせて来週からは普段通りの生活に戻りたかった。
机に向かって必死になって課題を終わらそうとするが、今までの疲れもあってなかなか進まない。
なんとか1つの課題を終わらせると、気分転換で厄介になりそうな寮の仕事をすることにした。
打ち上げコンパをスルーしたとしても、今度は日曜日になって色々と寮の用事を頼み込まれるかも知れない予感があった。
そこで、この前の寮長会議の議事録をまとめて、今回の寮のコンパの企画書を修正したり詳細なプログラムも直したりしてプリンターで印刷した。
それをクリップでとめてクリアファイルに入れる。
それと寮内の連絡事項などをまとめた掲示物も一緒に作る。
そうしているうちに、ちょうど食堂が開く時間になった。
俺は1階の食堂まで朝食を食べに階段で降りると、そのクリアファイルと掲示物の紙を受付室の机に無造作に置いた。
それに気づいた棚倉先輩が、後から何かガタガタ言い出すと思うが、気にしないことにした。
朝一番に朝食をとっていると、大宮も食堂にきた。
「三上、おはよう。お前は本当に忙しそうだよな。疲れ切った顔をしてるよ。」
俺は飯を食いながら隣に座った大宮に喋り始めた。
「おはよう。朝から課題をやりたかったけど、やる気が出なくて寮の掲示物とか、寮長会議の資料や学生課に提出する書類を作っていたよ。頼まれる前に先回りして作っちゃった。時間がないからさ。」
「そういうところが三上らしいよね。」
「それが俺らしいかなんて別として、棚倉先輩は特に人使いが荒いからさぁ。先回りしないと俺の身が持たないんだ。先輩が言いたいことを予測して、強引に頼み込まれる前に潰してるだけなんだよね…。」
そのとき、珍しく早く起きた新島先輩が後ろにいたなんて俺達は気づきもしなかった。
「三上さぁ…。本当に先輩の人使いの荒さに疲れさせてマジにごめん。俺から謝るよ…。」
聞き覚えがありすぎる新島先輩の声が後ろから聞こえて、俺は心の中で冷や汗をかいた。
「新島先輩が、この時間からいるなんて…。あっ、そうだ。明日は雪ですか?。そうすれば体育祭は延期になって課題が進みますよ。」
「お前さぁ、朝からジト目で俺のコトをいじるなよぉ~~。」
新島先輩はそう言うと、朝食を取ってきて俺の正面に座った。
俺はその新鮮さに驚きを隠せず、正直に突っ込んだ。
「先輩、どうしたんですか?。何か悪いモノでも食って改心したなんて聞いてないですよ?」
「まぁ、ときたま早く起きただけだよ。気にするな。」
新島はこのとき三上を守るために、自身のだらしない心を入れ替える気持ちもあって、手始めに早く起きることにしたのだ。
そうしたら守るべき後輩が朝早くから朝食を食べていたので、三上はこういう自己管理が行き届いている所が地味に偉いと感心をしてた。
「そういえば、昨日のコンパの余り物、ありがとうございました。隣の村上と、そこにいる大宮と竹田の4人で残さずに食べましたよ。」
「あれは、企画委員に女性が多いから食べきれない人が続出してしまってなぁ。苦労している同期やバイト仲間と分け合うなんてお前らしいよなぁ。」
新島先輩はそう言うと、寮長会議の前に三鷹先輩たちと仕事の割り振りについての交渉をしていたら長話で死にそうになったことや、企画委員のコンパで幾人かのメンバーが酔った勢いで明日で体育祭が終わってしまうので、センチメンタルになっていたことなどを話した。
その件に関して複雑な表情を浮かべながら俺は冷静な言葉を放っ。
「あれだけ一致団結すれば、別れは悲しいですが、先に進みませんからね。」
「お前さぁ、そういう部分はヤケにドライだよな?。」
俺は新島先輩のツッコミに対してシャケの切り身を食べながら答えた。
「先輩、当たり前でしょ?。情が入ったらこの手の仕事は進みませんよ。」
「昨日、村上の部屋に入る直前に、お前が高校時代に生徒会に入っていたことを偶然に聞いてしまったんだよ。マジに悪かったと思ってるし棚倉先輩には絶対に言わないけどさぁ…」
新島先輩の話を聞いて、棚倉先輩にバレると面倒になるのを恐れていたが、内心はホッとしていた。
「ああ、先輩、そうして下さい。棚倉先輩のことだから余計に人使いが荒くなります。」
「三上さぁ、あの実行委員会の立ち上げの挨拶のうまさはソレだと思ったわ。お前が平気な顔をしてシレっとあんななコトができるなんて、聞いてなかったしなぁ。」
こういう時の新島先輩の口の固さには定評があった。
恐らく非常事態がない限りは、棚倉先輩に話さないだろう。
「新島先輩、そんなことを話すわけないでしょ。そうしたら、棚倉先輩は全部の仕事を俺にぶん投げてきますよ。俺はこの実行委員会の案件ですら瀕死なんですよ。まぁ、本人がいないし、新島先輩だから言いますけどねぇ…。」
3人はご飯を食べ終わると早々に部屋に戻った。
大宮は三上達に話を合わせた結果だったが、三上と新島には理由があった。
2人とも、こんな朝早くからの食事を棚倉に見られたくなかったからだ。
新島は、こんな時間に早起きしたという珍しすぎる明確な理由があったが、三上はこれ以上の野暮用を頼まれる事を防ぎたかったのだ。
◇
ー夕刻ー
俺は午後の講義が終わって、ある程度の課題が片付いて運動公園に行ってみると、実行委員は講義が特欠扱いなので午前中から実行委員達が準備をしたお陰で、ほとんどの準備が終わっていた。
俺はその様子を見ていると、泰田さんに呼び止められた。
「三上さん。もう準備がほとんど終わったのですが、一つだけ頼みがあって、強制参加の綱や玉入れの道具などをトラックで運んで欲しいのよ。他に運転ができる委員でやろうとして、一度は運べたけど運転している委員が途中で事故りそうになったお陰で怖じ気づいちゃってね…。」
俺は二つ返事で受けることにした。
「泰田さん、分かりました。ここに大学のトラックがあるのは、そんな理由だったのか…」
そうすると、彼女は携帯で仲村さんに電話をかけて、本館キャンパスに残っている外販委員のメンバーに強制参加の綱をなどをトラックに積むのを頼んでいた。
「さぁ、一緒に行きましょ!」
泰田さんにそう言われて一緒にトラックに乗り込んだ。
大学に向けて俺がトラックを運転していると、泰田さんが深刻そうに俺のほうを向いた。
「三上さん…。そういえば、体育祭が終わった後も、仲村くんのように練習に来て貰えますか?」
俺は運転に集中していたが、横目で彼女を見ると、どこか寂しげなで不安な表情をしていた。
「泰田さん、宗崎や村上と一緒に週末の練習に参加させてください。俺も体が鈍ってますし、工学部は体育もないから鈍りっぱなしなんですよ。適度な運動になりますから。」
彼女はその言葉を聞いて嬉しそうだった。
「その言葉を聞いて安心したわ。嬉しいわ!!。お母さんのように、抱きつきたくなっちゃう!!。」
横目で見ると泰田さんは、ほんのりと顔を赤らめている。
「泰田さん、喜びを露わにするのは分かりますが、運転中なので私に触れるのは止めてくださいね。確実に事故りますから。」
その後は、車の中で、泰田さんや守さんのお母さんが、俺に抱きついた時に俺がいなくなって、とても焦ったことや、泰田さんのお父さんに4人が怒られたことなどを話していた。
「参ったなぁ、泰田さん。確かに泰田さんのお父さんの言ったことは正しいと思いますよ。両方が喧嘩をしてたら、私の居場所なんて何処にもないですからねぇ。」
俺は運転中なので泰田さんの表情までは見られないが、その発言に少し落ち込んだようにも思える。
「ごめん、言い過ぎた。俺は駄目なんだ。こういうときに人の気持ちを考えず追い込んでしまうことがある。」
「三上さん、いいのよ、あれはお母さん達が絶対に悪いわ…。」
彼女は少しクスッと笑うと、もう気持ちを切り替えたようだ。
『この人は嫌なことがあると、気持ちを切り替えるのが上手い。羨ましいよ。俺は絶対に無理だ。』
守さんから教えられた道を通っていると、信号にぶつかって相当に行列ができている。
「うーん、夕方だから少し道路が混んでるなぁ…。」
泰田さんは俺の方を向いて笑顔になっていた。
「やっぱり三上さんは運転が上手いわ。午前中にその運転した委員と仲村くんと一緒に乗ったときに、運転が怖かったけど、三上さんは慣れているから怖くないわ…。」
「泰田さんは免許を持ってないから分からないと思うけど、マニュアル車なんて乗る人が少ないから、教習所で経験しただけで、いきなり乗ると、クラッチやミッションの繋ぎが全く分からなくて戸惑ってしまうのですよ。事故りそうになった委員はギアチェンジに気を取られすぎた上に、不慣れな車で集中力が切れたのでしょうね。」
「ふふっ、さすがは三上さんだわ。わたし、他の委員と一緒に乗っていて、委員の不注意で追突しそうになった時に怖くなったわ…。」
「ああ、よくあるパターンです。不慣れな人だと、今、左手で動かしてるシフトを目で折ってしまう人がいます。それで前を見るのが遅れてしまうのです。」
そんな話をしてると、大学のキャンパスに着いた。
教育学部の体育倉庫につくと、仲村さん達がすでに待機をしていた。
「三上さん、ちょいと待ちましたよ…。」
仲村さんは待ちくたびれたように俺を迎えた。
外販委員なので、まだ食材などの買い出しなども残っているだろう…。悪いことをした。
「仲村さん、忙しいところ申し訳ない。道路が夕方で混んでて思った以上に時間が掛かっていまいました。」
「やっぱり三上さんじゃないと駄目ですね。うちのサークルの仲間に頼んだのは良いけど、お釜を掘りそうになって、泰田と2人で冷や汗をかきましたよ。」
仲村さんは苦笑いをしながら、トラックの荷台に荷物を置いている。
俺もそれを手伝いながら、仲村さんに声をかけた。
「仲村さん。これが終わったら、トラックを元に戻して、食材を購買の業務用冷蔵庫に入れる手伝いぐらいはしますからね。」
「三上さん、助かるよ。こっちは何時もこんな感じだから、今年は三上さんの采配で楽ができても、この仕事だけは最後に残ってしまってね。ただ、三上さんのおかげで、昨日のうちに終えた企画委員をまわして貰ったから助かっているよ。それに経理もいるからお金の管理も楽だしね。」
そう言うと仲村さんが笑顔になった。
「やっぱりその辺が三上さんの采配の凄いところよ。去年とまるっきり違うわ…。」
泰田さんの言葉で、そこにいた委員の全員から笑みがこぼれた。
荷物を全部積み終わると、泰田さんは牧埜に電話を入れた。
この荷物を降ろすのに人手を集めるお願いをしている。
俺がトラックを運転して運動公園に行くと、牧埜が入口で待っていた。
「三上くん、お疲れさまです。陸上競技場までトラックを寄せて下さい。管理事務所に許可を貰ってますから大丈夫です。」
そうすると、陸上競技場の入口に棚倉先輩や新島先輩、それに松裡さんや天田さんまでいる。
総勢15人の委員が集まって、一気に仕事が終わった。
俺は泰田さんを運動公園に降ろして、1人で本館のキャンパスに向かってトラックを走らせた。
「しかしまぁ…、面倒な仕事も明日でいよいよ終わりだなぁ。もう楽がしたい…。」
俺は独り言を自然にこぼしていた。