時は19年前に戻る。
ここは、教育学部の実行委員が行われている、大きな講義室…。
三鷹先輩が乱入した後は、大きな問題もなく委員会は進んだが、棚倉先輩がいないから、課題やレポートを合間にやる時間がなくて、内心は三鷹先輩を恨んだが、これは仕方がない。
時計を見ると、もう6時前だから、俺は委員たちに声をかけた。
「みなさん、あと10分程度で6時ですのでミーティングをきりが良いところで終わりにしてください。」
俺の声に呼応するかのように、委員たちがミーティングを終わりにして、資料やコピーをバッグの中にしまいはじめて、一部の委員は雑談をしている。
タイミングを見計らって、念のために細かい連絡事項を伝える。
「次の委員会は月曜日です。時間も場所も今日と同じです。あと、今日は実行委員会としてのコンパは行いません。委員内でコンパをやりたい人は構いませんが、棚倉さんが言った通り、教育学部としての自覚を持ち、未成年に無理矢理の飲酒や強引に飲ませる行為などを控えるよう、お願いします。」
『今日は三鷹先輩のせいで、かなり精神力が削られたし、ガラにもないことをするのは疲れるから困った。本当はボーッとしていたいが…。』
そんなことを心の中で嘆いていると、俺のところに牧埜がやってきた。
「三上くん。女子寮長と三上くんが話している間に、今から1時間半だけ体育館の予約がとれたのでメンバーを全部集めて練習をしたいとのことです。三上さんは大丈夫ですか?。今日の女子寮長の件を考えると、かなり忙しそうなので心配ですから。あと、泰田さんが三上さんの同期の2人にも連絡をしていて、2人とも承諾を得ているようです。」
俺は、その急な予定の入れかたに対して、とても困惑をしていた。
体育で使うようなジャージや体育館用のシューズは、高校時代に使ったものを念のために寮に持ってきているが、当然、寮にあるから手元にはない。服装は典型的なオタク的な格好だし、汚れたりしても洗濯ができるし、何処かに引っかかるような服は着ていないが、シューズがないから困った。
「牧埜。俺は時間的に構わないけど…。シューズがない。」
「三上くん、その心配をすっかり忘れていたよ!!。まずいなぁ。」
牧埜も不安を口にすると、それを、少し離れた場所から聞いていた守さんがやってきた。
「三上さんっ、牧埜くん、その心配をするのは流石だわっ。大きい市民体育館だから、貸しシューズがあるから大丈夫よ。私は家が近いから着替えてお母さんと一緒に来るけどね。でも、泰田さんや皆はこのままの格好で練習するわ。大丈夫よ、今は暑くなってきたから、それにみんな動きやすそうな服装だし。」
そこに総務委員で、細かいミーティングようやく終えた泰田さんやってきて、練習の内容を俺たちに説明する。
「今日は腕試しのような練習になるし、その後は結成会を兼ねた食事会だから気を抜いて良いわよ。食事会は、あの体育館から近い中央通りにある、凄く安いビュッフェだから三上くんも安心してね。三上さんは守さんのお母さんが奢るなんて言っているわよ。」
俺はその心遣いに感謝しつつも辞退をした。どのみち、土日の食事代が、新島先輩のお陰で相当に浮いているので、体育祭までは、仕送りが何時もより少なくても、お金も浮く計算だ。
「守さん。そのぐらいならありますよ。たぶん、体育祭終了までは、そんなお気遣いは無用な筈ですから。あっ、泰田さん、そこね、うちの女子寮長が評判が良いと言ってましたよ。ピザとかもあるし、私みたいな男子が行っても雰囲気的に大丈夫な場所だし、1,500円程度で格安だって聞いてます。」
泰田さんが俺がビュッフェの事を知っているから、少し驚いたように目を開いたと思ったら、ニッコリと笑った。
「三上さん、よく知ってるねっ!!。いつも、練習後の食事は決まってそこよ。もう、馴染んじゃってね…。」
そんな話をしていたら、バレーボールのチームのメンバーが俺の周りに勢揃いしているから、念の為に出席を確認してみた。
「仲村さんも、天田さんも、牧埜や女性陣も全員参加ですか?」
その問いに答えたのは、意外にも天田さんだった。
「三上さん。今日は全員参加ですよ。私たちも頑張りましょう!!」
俺は、急いで携帯を取り出して、松尾さんに電話をかける。
急遽、バレーボールの練習が入ったことや、村上も同じように練習をするから、俺と共に帰りが門限を過ぎることを話すと、村上は松尾さんに俺のことを含めて話した上で、宗崎と何処かで待ち合わせて体育館に向かっているという。
その電話を終えると、泰田さんがメンバー全員に声をかけた。
「みんな。わたし達しかこの講義室にいないから、すぐに出るわよ。わたしが最後に電気を消すからね。三上さんの性格だと、最後まで残って電気を消しかねないから…。」
何故かそこでみんなが笑うから俺は正直に、皆に疑問を呈した。
「おいおい、なんで皆んなが笑うのか分からないよ、俺がそんなにマメだと思いますか?」
俺はあえて、今まで実行委員のメンバーに使っていたよそ行き言葉を止めて、言葉を砕いて皆に問いかける。
松裡さんが俺の言葉にクスッと笑って俺の問いに答えた。
「三上さん、絶対にやりそうだから、そういう細かいところは私達に任せてください☆。」
『これは、面倒くさがりな俺の性格を、完全に封じることになるのか…。嫌だなぁ、俺は皆が思っているほどにマメじゃねぇぞ…。』
俺は、心の中で、長い溜息をつきながら講義室を後にしたのだった…。
◇
俺たちがバスに乗って運動公園前のバス停に着いて、門を入って、すぐに見える体育館に行くと、その入口に村上と宗崎が立っていた。
村上が俺を見て、ニヤニヤしながら話しかけてくる。
「おお、三上。少し待ったよ。急に泰田さんから、俺の携帯に連絡があったから、寮監さんに門限が過ぎる可能性もあるから話しておいたよ。」
「村上、助かった。俺も念のために松尾さんに連絡を入れておいたから大丈夫だよ。それと、宗崎も、急な予定だったけど、参加してくれて、ありがとうな。」
俺の労いの言葉に、宗崎も少しニヤつきながら言葉を返す。
「三上、急な練習だけど、結成会も兼ねているらしいから、急いでやってきたよ。ちょっと早く着いちゃったけどね。」
俺は、村上と宗崎に関して、初対面の人がいるから紹介しなくてはいけない事に気付くと、慌てて、みんなに2人を紹介した。
「あ、そうだ、皆さんに紹介します。俺の同期の村上と宗崎です。主に、私たちの練習を手伝うような目的としての参加だと思いますが、よろしくお願いします。」
初対面の守さんや、仲村さん、天田さんが、相次いで自己紹介を交わしている。
その後、体育館の入口で、シューズを借りて中に入ると、泰田さんと守さんの親子が既に待っていた。それぞれの母親の顔が似ているので、どちらの親子なのかは、すぐに分かる。
守さんのお母さんが真っ先に、少し背の低い俺を目を見みながら、もの凄い笑顔で声をかけてきた。
「あなたが三上さんかしら?。」
「はい、守さんのお母さんですか?。初めまして三上です。」
守さんのお母さんは笑顔を崩さずに俺をじっと見ている。
「今日は腕試しとして、私とワンツーマンで練習をするわ。大丈夫よ。私は高校時代は交代要員で補欠気味だったし、変な緊張感なんて持たずに捨てるのよ。もう、ブランクがありすぎて忘れているだろうから基礎的な事から教えるから大丈夫よ。それと、三上さんはセッターよ。もしかしたら、うちの和奏と2セッターになる可能性もあるわ…。」
俺は守さんのお母さんの話を聞いて吃驚している。
中学では背が低いので、完全に補欠でハブられていたし、そんなポジションなんてやったことがない。
「え???。普通のセッターならともかく、2セッターですか???。私は背が低かったので、補欠で守備固めとピンチサーバーだったし、前衛なんて数合わせの補欠の練習以外に上がった事なんて皆無ですよ?。アタックもまともにやってないし、ブロックも駄目です。背が低くて攻撃力がない私に2セッターなんて、大丈夫ですか??。」
2セッターは強いサーブがきて、仲間がミスをして返球が反れたとしても、守さんと俺のどちらかがトスをあげられるから、形勢が不利になっても攻撃に転じられるメリットはある。
でも弱点があって、俺が前衛にいたときに攻撃力がなければ意味がない。あとは前衛と後衛のポジションを意識をしながら把握しておかないと、後衛の時に、ブロックやアタックをしてしまうと反則になるので要注意だ。
「ふふっ、大丈夫よ。ブロックやアタックも教えるわ。もしかしたら和奏よりセッターの適正があるなら、三上さんが普通のセッターでいくわ。あなたには後衛からの上がりかたや、ローテーションも教えるから安心して。みんな素人だから、体育でやってるバレーの域を出ないから、緊張を解いて良いわよ。」
その会話を守さんと泰田さんと、去年までチームにいた仲村さん以外は不思議そうに聞いているのが分かる。
宗崎が、俺と守さんのお母さんの会話を聞いて、ボソッと独り言を言った。
「三上と守さんのお母さんとの会話、マジに何を言ってるか分からない。やっぱり部活でやってたのは本当なのか…。」
その宗崎の独り言に守さんが答えた。
「宗崎さん。今の会話を聞く限りでは、三上さんは本当にやっていたわ。男子としては背が低いからレシーブとかサーブのほうがメインの守備固めの人ね。それでもこのチームとしては、とても重要なメンバーになるわ。ただ、お母さんは三上さんの可能性に賭けているの。恐らく…女の勘よ。」
その話に泰田さんが自然と加わった。
「守さんのお母さん、アタックを返すようなレシーブの練習をするとき、ママさんバレーの奥様方相手では手を抜いているけど、三上さんなら、どうなのかしら。私たちも、守さんのお母さんの本気は怖くて、あれを受けるなんて絶対に無理だわ。守さんも、私もバレー部じゃないし。基本はママさんバレーの練習要員だけだからね。」
さらに仲村さんが、その言葉にうなずきながら泰田さんに答える。
「あの守さんお母さんのマジのアタックを受けたことがあるけど、あれは怖くて、どうして良いのか分からない。…三上さんは無事なのかな?。当日の試合では、部活経験者がアレと同じ程度のアタックをぶち抜いてくるからなぁ…。」
泰田さんのお母さんは、その会話を耳にして、娘の肩をポンと叩いた。
「結菜。私たちは、初心者を基本的な事から教えながら練習をするわよ。今は喋ってる時間が勿体ないわ。横目で三上さんと守さんのお母さんの練習を見ながらやるわよ。わたしも実は気になるの。」
みんなは泰田さんの親子や、守さんが主導する形で、バレーボールの経験のないメンバーを手取り足取り教え始めている。
一方で俺は守さんのお母さんとのワンツーマンでの練習が始まった。
最初は軽いトスから始まったが、相当に感覚が鈍っていたので、とんでもない方向にトスやレシーブが飛んでいってしまった。
でも、そのうち体が覚えていて、正確なボールを返せるようになる。
「やっぱり、やっていた子は違うわっ。慣れてきたら、ちゃんと正面にボールが返るし。やっぱり三上さんは守備固めだけあってトスもレシーブも上手いわ。」
守さんのお母さんは、俺を褒めると、レシーブで返したボールを軽く打っていく。
「三上さんっ、レシーブの時は少し脇をしめて!!」
俺は着実にレシーブをしながら、守さんのお母さんが打った、真っ正面にきたボールを返していく。
それを、少し離れた場所から見ていた泰田さんのお母さんが、率直な感想を娘にこぼした。
「やっぱり三上さんは、中学の時にやってたから、レシーブやトスが上手いわよ。まだ、守さんのお母さんは軽く打ってる程度だけど、三上さんも、相手が打ちやすいように返しているのが分かるの。」
その様子を見て、他のメンバー全員が練習の手を止めて、結局、俺と守さんのお母さんを見ているから、内心は困り果てている。
レシーブをミスすることなく、守さんのお母さんに返していくと、少しだけ笑みを浮かべているから、嫌な予感がしてたまらない。
「三上さん、段々と強くしていくわよっ!!」
俺は、少し姿勢を低くして脇をしっかり固めて強い球に備えると、守さんのお母さんの打ちやすいように、真正面にボールを返した。
「三上さん、その調子よ!!」
同じような強さのボールが数回きて、守さんのお母さんに打ちやすいように返していると、守さんのお母さんが、ボールを打った瞬間に、俺との距離をとり始めたのが明らかに分かったので、即座に警戒をする。
『これは、本気で打ってくる!』
少し様子を見る時間が欲しかったので、今までよりも少し高めにボールで返したのが、功を奏した。
そのボールを見た守さんのお母さんは、ニヤリと笑って、思いっきり全身の力を使ってボールを叩いてきのだ。
バシンッ。
広い体育館にボールを思いっきり叩く音が聞こえる。
俺は歯を食いしばりながら、姿勢をより低くしたが、守さんのお母さんはアタックの時に少しドライブがかかるので、即座の判断で半歩だけ前に出た。
そのボールをなんとか上手く当てて、守さんのお母さんの正面に返すと、周りから、どよめきがあがるが、それに構っている余裕がない。
威力としては、高校のバレーボールの授業で部活経験者が俺にめがけて思いっきりアタックを打ってきたような感覚だが、守さんの母親は、まだ、力を残している気がする。
『女性でこの威力なら、マジに上手かったほうの部類だよ。県や全国の大会に出るような高校の部活の補欠ならマジに凄いぞ…。』
俺が、もう一度、強烈なボールを守さんのお母さんにレシーブで返した途端に、再び、どよめいているが、今は無視を決め込んだ。
さっきよりも強いボールが、次々と俺の正面にかつ、正確に飛んでくるが、俺は、なんとかレシーブをして、ボールを正面に返すのが精一杯の状況である。
『守さんのお母さん、マジに上手いぞ!!。普通の人は、こんなに正確なアタックなんて打てないよ。』
一方で、俺を見ていたメンバー達がポカンと口を開けていたが、松裡さんが思わず声を出した。
「三上さん…、あんな強いボールをなんとも思わずに返せるのが凄すぎる。」
次に、仲村さんが守さんの母親のアタックを受けたときの事を思い出しながら、驚嘆を口にする。
「…あれは守さんのお母さんの本気だよ。あそこまでミスをせずに、ボールを返せるの凄い。」
村上もポカンと口を開けながら俺を見て、ボソッと本音を吐いた。
「三上はなにものだよ?。そんなことができるなんて、今まで聞いてないぞ。」
村上の言葉に答えた宗崎も同様だ。
「…村上。アイツは謙遜しすぎだよ。」
「うわー…。うちのお母さんが本気で相手にしているのを久しぶりに見たわ。お母さんの高校の同級生と一緒に練習した時の感覚だわ。」
守さんも感心しながら見ている。
俺は守さんのお母さんの強いアタックを何回か返しているうちに、お母さんがボールを打つのを止めて俺がレシーブをしたボールをキャッチした。
「…三上さん…。私もよい練習相手になったわ。それだけ正確にボールを返せるのは、守備固めで何度もレシーブやトスの練習をやっていた証拠よ。」
「守さんのお母さんも凄いですよ、これだけ同じ位置に、正確に打てる人なんて、今まで経験がありません。」
「三上さん、それはあなたが、正確に私にボールを返してきてくれるからだわ。私は殆ど動いてないわよ。多少の右左のブレはあるけど、あれは許容範囲よ。あれで私が打ち損じたら、高校の部活では怒られるもの。昔は、今よりもズッと厳しかったしね…。」
ちなみに、この時代はリベロがまだなかったので、三上の特性が活かされることはなかった。
もしも、彼が何年か後に産まれていたら、リベロのポジションで活躍できたのは確実だっただろう。
「ふふっ、ふふふっ。これは三上さんのセッターは決まりだわっ☆」
守さんのお母さんは、俺とハイタッチをしながら喜びを露わにしているが、俺はかなり不安だった…。