時は、また19年前に戻る。
俺たちは、教育学部の体育祭実行委員の結成コンパで中華料理屋に向かっていた。
「ここだ。みんな、入るぞ。」
棚倉先輩の声でみんなが店に入ると、席が空かないので、店の入り口のレジ付近にある椅子に座って待った。俺ら以外に待っている人がいないので、激しく混んでいる様子もない。
中の様子を見ると、豪華な中華料理屋で見られるような回転テーブルではなく、ごく一般的な食堂にありそうな普通のテーブルだ。
チラッと、テーブル席を見ると、三鷹先輩が言っていた通り、炒飯などは、普通の中華料理屋では3人分ぐらいの量がありそうだ…。
「ここは、台湾の人がオーナーだから本格的だぞ。でも、味は日本人好みに合わせてある。しかも一皿の量が多いから、何も考えずに普通に頼むと、俺と同じぐらい食べるお前でも、ぶっ倒れるぐらいの量いなるから要注意だ。」
棚倉先輩が俺に向けられた注意に関して、松裡さんが少し驚いた顔をした。
「三上さん、そんなに食べるのですか?。見た感じ小柄だけど普通に痩せてるし、棚倉さんと同じ量を食べるとは思えないわ。」
そんな松裡さんの問いに、俺が答える前に棚倉先輩が先に答えてしまった。
「こいつは朝飯で、丼飯2杯なんて平気で食べるからな。とくに仕送りが途絶えた時などは、俺の貴重な栄養源だから昼飯を抜くためには食い溜めしなければならぬ。などと抜かして、玉子をかけながら丼飯3杯を平らげることもあるぞ。」
「す、すごい…三上さん…。」
棚倉先輩が話した俺の食実情に、松裡さんが口をポカンと開けて、俺をジッと見つめていたので、仕方なく、俺は弁解と説明をした。
「松裡さん、私は基本的に苦学生の部類ですからね。仕送りが途絶えたら終わりだし、寮内でバイトをしながら何とか耐えてる感じです。まともに、コンビニや飲食店でバイトをやってしまうと、レポートや課題に追われるし、寮の幹部だから、寮から離れるようなバイトは避けたくて。」
そんなことを、松裡さんに説明していると、席が空いて案内された。
店の中は普通に落ち着いた雰囲気で、みんなで好きなものを頼んで取り皿で分け合いながら、和気藹々と会話するには、ちょうど良さそうだと感じた。
「みんな、好きなものを頼んでいいぞ。今日は新島のおごりだ。普段はコンパなんて行かない奴らに恵んでやれと、高木さんが新島を恐喝…ゴッホン、いや…仰っていたから大丈夫だ。新島から金を預かってきているからな。もしも足りなくなった分は、割り勘でお願いしたいが…。」
先輩はそんなことを言っているが、俺は単純な疑問をぶつけた。
「…新島先輩は、そんなにお金を出して大丈夫ですか?」
「ははっ。あいつの家は裕福だから大丈夫だよ。逆に言えば、新島はお前みたいなハングリー精神が必要だ。それでなければ、サークルとコンパ三昧なんて不可能だ。最近の新島なんか寮の夕飯なんて、いつ、食堂で食ったのか、分からないぐらいだろ?。」
お酒が好きそうな泰田さんがニコニコしている。
「事情はさておき、新島くんのおごりかぁ~~。ラッキー☆。さて、わたしは先にビールを頼むわ。棚倉さんも同じですよね?」
先輩も、これから飲めることが楽しみのようだ。
「おお、泰田。何杯でも付き合うよ。ただ、立てなくなって電車で帰れなくなるほど飲むなよ?。三上と一緒に介抱するのが大変だからな。」
棚倉先輩はお酒が強い。
同じくお酒が強い新島先輩とよく飲んでいるが、寮のコンパで日本酒を1本開けても平気なのである。
「棚倉さん、分かってるわ。三上さんがいる前で失敗したら、わたし、恥ずかしくて彼と実行委員の仕事ができなくなるわ…」
泰田さんは笑いながら先輩に答える。
「俺はウーロン茶でいいですよ。メニューに辛いものもありそうだから、大ジョッキでお願いします。飲めない人のセオリーですからね。」
牧埜さんと松裡さんは、顔を見合わせると、俺のほうを向いて牧埜さんもそれに追従した。
「三上さん、2人とも同じウーロン茶で。」
棚倉先輩は店員を呼び出すと、まずは、みんなの飲み物をサッと注文した。
その間に、みんなでメニューをじっくり見ることにする。
「おおっ、棚倉先輩。この量で、この値段は安いですね。みんなも量に惑わされずに気軽に頼んでくださいよ。俺は何でも食えるので、食べられなかったら後始末をしますから。ただ、激辛みたいなメニューは遠慮してくださいね。」
その値段の安さに吃驚しつつも、皆は食べたいものを自由に選んでいった。
各々がメニューを見て、互いに取り分けあうことを、考慮に入れながら注文をしていった。
その注文が済むと、すぐに飲み物が運ばれてきて、棚倉先輩が俺に乾杯の音頭をとるように言われた。
俺はウーロン茶の入ったジョッキを持って立ち上がると、乾杯の台詞をどうするか少し考えた。
こういう場合の長話なんて好きじゃないから、簡潔に終わらせる事だけに専念した。
「今日は皆さん、お疲れさまでした。無事に準備委員会が結成されたことと、体育祭の成功を祈って乾杯!」
俺の乾杯の音頭で、みんながグラスをつきわせて乾杯をする。
その直後、牧埜さんが俺の目をみて、興味深そうに質問をしてきた。
「さて、三上さん。ズバリ本題ですがね、学生課で見た高木さんですが、とても怖そうな人には思えません。どうして、皆さんが高木さんを怖がるのですか?」
牧埜さんの質問に関して、松裡さんも同じような疑問を持っていたようだ。
「わたしも興味があるわ。浜井教授や棚倉さんも一緒だけど、なんで怖がるのか分からないもの。」
「そうよ。高木さんが、棚倉さんをジロッと見た時に、かなり怯えたような様子だったけど、わたしには、ごく普通の、お淑やかな女性に見えたわ。」
最後に泰田さんも同じような疑問を口にすると、棚倉先輩が眉間にしわを寄せながら、俺にその問いを求めてきた。
「三上。あれは、なんと言ったらいいのか、俺にも分からん。上手く表現できる方法はないか?」
俺は棚倉先輩の問いに、人差し指を上にあげながら、皆に答えた。今日の有坂教授の講義の後に、学部の友人達にした説明を、繰り返せば良いだけのことだった。
「皆さん、そうですね…。普段の高木さんは相当にお淑やかな人ですから、あんな人が激怒するなんて思いもよらないでしょう。ですがね、高木さんは高校時代にグレていた時期がある影響で、滅茶苦茶に怒ると、その時の地が出てしまうのです。例えて言うなら、暴走族の総長が激怒した上で、私たちが怒鳴られまくられるイメージでしょうね。」
俺の説明に、棚倉先輩を含めて、5秒ぐらい思考停止した。
泰田さんや、牧埜さん、松裡さんが思考停止をしたのは、俺の胆力に驚いたことによるものだったが、棚倉先輩の思考停止は、高木さんへのトラウマを払拭するための思考停止だった。
そして、思考停止が終わったあとに、最初に口を開いたのは、牧埜さんだった。
「みっ、三上さん…それって本当に怖くありませんか?。いきなり普通の人が、滅茶苦茶に怖い言葉で怒るのですから、トラウマになりますよね…。」
泰田さんはビールを飲みながら、牧埜さんの率直な意見に同意しつつも、俺に突っ込んできた。
ちょっと顔が赤くなっているから、アルコールが回って酔っているようだ。
「三上さぁ~ん、それを…説得ですよねぇ~??。マジッすかっ?。マジに説得ですか???」
真面目そうな彼女が酔うと、言葉が少し砕けるようだ。
その泰田さんの問いに、棚倉先輩がすぐさま答えた。
「泰田よ。本当にそうだ。こいつは俺と新島が怒られているところを、説得して助けたのだ。この前も、高木さんから1時間以上、お説教を喰らうところだったが、こいつのおかげで、10分程度、叱られただだけで、終わりにしたから凄すぎる。」
「本当に凄いわ。わたしだったら泣いてしまうかも…。高木さんが、そんなに怖い人だなんて…」
松裡さんが、俺や棚倉先輩などの話を聞いて吃驚しているが、凄いことをやっている意識などないから、真っ向から否定をしたかったが、面倒なので、笑顔で応えてスルーすることにした。
そうすると、牧埜さんから次の俺への質問が飛んできた。
「三上さん。あの奇策を思いついた思考回路が凄いですよ。とても奇妙な質問から、どうやって浜井教授の説得方法を思いついたのかが、凄く謎なので、根掘り葉掘り聞きたいですよ。」
棚倉先輩も、牧埜さんが俺に持った疑問に同意をしながら、質問をかぶせてきた。
「牧埜の言うとおりだ。俺もそれを三上から聞きたいぞ。とんでもない思考から、とんでもないことを思いつくから、頭の中を割って見たいときがある。お前はいつも、笑ってやりすごるが、たまには語ってくれても、いいじゃないか?」
その問いに関して、俺が適当に答えようとしたとき、注文した品物が次から次へと運ばれてきた。
大皿に盛られた炒飯やエビチリ、水餃子や青椒肉絲など、お約束の中華料理が、1人前とは思えない量でテーブルの上に並んだ。
それを、みんなで小皿に取り分けながら、色々なものを食べてみたが、三鷹先輩が見つけた店だけ会って、味は悪くない。
三鷹先輩はこういう店を見つけるのが上手い。
この前も大学の近くにある駅前のパン屋が美味しいと聞いて試しに買って食べたら、彼女の話に嘘はないと確信したばかりだった。
俺は、かなり大盛りによそった炒飯を食べながら、先ほどの牧埜さんの質問に答えた。
「さっきの、奇策を思いついた話ですけどね…」
みんなが、頼んだものを食べながら、俺の話をジッと聞いていた。
「まず、最初に、高木さんが私の担当委員の教授に、私に外部委員をやるように根回しをしたことから始まります。その際に、教授は学生時代に陸上部の寮幹部でして、その当時に高木さんから怒られまくった思い出話を語ってくれたのです。」
俺の話をジッと聞いていた、松裡さんが、水餃子を熱そうに食べながら、案に俺の話を促すように質問をしてきた。
「あつっ…。三上さん、そこからヒントを得たのですか?」
俺は、炒飯を食べながら、松裡さんの質問に答えた。
「それはヒントというか…。運が良かっただけですよ。松裡さんがあの時に言い放った奇策のキーワードから、教育学部の体育祭を担当する教授なら、学部としては、相応の経験者を指名するのが妥当だろうと思ったので、漠然とした勘だけですよ。そのときは、私の担当委員の教授が、まさか浜井教授と先輩・後輩の仲だなんて、思いもしなかったですから。」
牧埜さんは麻婆豆腐を食べながら、松裡さんの質問に答えた俺に向かって、率直な感想と、新たな質問をぶつけてきた。
「あっ、これは少し辛いなぁ…。それで三上さんは、ダメ元で浜井教授が運動部であったことに賭けてみたのですか?。…それって、かなりの勝負師ですよ?」
こんどは青椒肉絲を小皿によそって食べながら、牧埜さんの問いに答えた。
「牧埜さん。だから、あそこで一か八かと言ったわけですよ。相当な賭けだったし、駄目なら仕方ないと思ったのです。だいたい、奇策なんてモンは、相手の心理の裏を掻く作戦ですからね。勝負をかけないと奇策になりません。」
棚倉先輩は、牧埜さんが食べていた麻婆豆腐に視線をうつして、それを気にしながら、俺のことについて余計な話を加えてきた。
「牧埜よ、これだから三上は分からないと言い続けているのだ。その勘が冴えすぎて、こっちが怖いことがあるぞ。おっと、牧埜よ、…その麻婆豆腐を少し貰うぞ。ビールのつまみに良いかも知れない。」
泰田さんはエビチリを食べながら棚倉先輩の言葉に応じていた。
「わたしは、三上さんの勝負師みたいなところ、ちょっと格好いいかなぁ。だって、こんな思いっきりのよい事ができるリーダーなんて、そうそういないもんっ…。うわぁ~このエビチリ美味しいわ。三上さんも食べてみる?」
「泰田さん、少し食べてみますよ。…おお、コレは美味しい。」
俺がエビチリを食べていると、松裡さんが青椒肉絲を食べながら、今までの感想を口にした。
「それに三上さんが凄いと思ったのは、そのあと、浜井教授と会ってもいないのに、オチが分かっていたことだわ。エレベーターに乗る前なのか忘れたけど、棚倉さんに向かって、最大限のフォローをください。なんて言葉は、完全にオチが分かってないと言えないわよ…。あっ、三上さんが食べてた炒飯、少しくださいね。美味しそうだわ…。」
その言葉に、麻婆豆腐を食べて辛そうにしている棚倉先輩が、ビールで辛さを鎮めながら、松裡さんの感想に答えた。
「コレはちょっと辛いな…。松裡よ、そこが三上の分からん部分なのだ。こいつは先読みが凄すぎて、落としどころまでちゃんと見えているから怖い。だから、高木さんが怒ったとしても、冷静に説得して怒りを静めることができるのかが、不思議なのだ。」
俺は水餃子を食べながら、棚倉先輩の大したことがない疑問に答えようとしたが、水餃子を食べた途端に中から肉汁が出るので熱かったから、俺の言葉を最初にさえぎった。
「熱っ。先輩。流石にそこは企業秘密ですよ。ただし、今回は明確ですよ。高木さんから怒られたら誰だってトラウマになりますよ。うちの担当委員の教授がトラウマになっているのを見て、たぶん浜井教授も同じだろうと思ったし、荒巻さんも詳細を知っていたのでしょうから。だから、あのオチになりました。」
俺は近くにいた店員を見つけると、メニューを見せて、あっさりとしてそうなラーメンを注文した。
それを見た泰田さんが真っ先に口を開いた。
「みっ、三上さん~。まだその量を食べるの??。ほんとうに凄いわっ…。わたしはビールとおつまみを頼んで、あなたと色々と話したいわ~~。」
ただ、男性陣2人の反応は、女性陣と裏返しのようだった。
「三上さん、そのラーメンを少し分けてください、まだ、入りそうです。」
「ラーメンもいいな。三上、少し分けろ。」
松裡さんは俺を見てニッコリ笑いながら言う。
「三上さん、食欲が凄いわ。わたしは少し軽いものを頼むことにするわ。でも、すこし、スープだけもらおうかな…。」
こんな雰囲気で、教育学部の体育祭実行委員会の結成コンパが過ぎていった…。