-そして、時は19年前に戻る。-
ここは学生課の一室で、体育祭実行委員の準備委員会の組織編成が終わったところで、俺は過去の分厚い資料が入ったファイルを見ながら問題点を指摘しようとしていた。
まず、指摘する前に、あらかじめ、みんなに詫びておいた。
「私は何も分からないので、訳の分からぬことを言うかも知れません。その時は素直に間違っていると指摘して下さい。私が無意識のうちに、言葉が悪くなることがあれば、頭をブッ叩いても構いませんからね。」
分厚いファイルをじっくりと読む作業に入って、しばらくしてから、棚倉先輩が、俺に期待を込めつつ声をかけた。
「三上、どうだ?。何か、問題点がありそうか?」
ファイルの中には競技のプログラムの内容や、詳細な競技の手順まで載っている場所もある。
無論、予算配分や、飲み物や食べ物を販売した売り上げの詳細な資料もあった。
泰田さんが、俺の発言に関して議事録を書こうとして、常に待機をしている状況だ。
分厚いファイルを目に通して、まずは少しの違和感に気付いた。
「最初に気付いた点として、強制参加の競技が終わったあとに、自由参加競技になって、運動公園内の色々な施設を使うので、委員たちがバラバラになる思いますが、実行委員会本体の所在が不明なことに違和感があります。」
棚倉先輩は俺の指摘を受け手目が開いた。
「おお、確かに。自由競技は実行委員がバラバラに動くから、首脳部がどこにいるのか分からない。何か緊急事態があったときに、それぞれの連携が取れないのは駄目だな…。」
俺から見れば、高校時代でやった文化祭の流れとほぼ同じだから、体育祭と言えども出店があるので、殆ど感覚的には変わらない。
俺は、棚倉先輩に、この場合の方策をサラッと言ってしまうことにした。
詳しくあれこれと話していると、夜遅くまでかかってしまうからだ。
「それなら、メインの体育館の入り口付近に、参加希望者の受付用テントがあるから、今の準備委員会のメンバーの誰かが、その周辺にいる形にしましょう。お互いが声をかけながら交代する形で良いと思います。プログラムに、実行本部の所在を明記したほうが良いかと。この季節ですから暑いようなら、メインの体育館内でも構いません。」
「なるほど、三上さんはこうやって指摘してくれるのですね…。」
牧埜さんは、俺を興味深そうに見て、率直な感想を言ってきたが、俺はそれに構っている余裕がない。
「牧埜。まだ、色々と出てくると思うぞ。寮のイベントの時も同じようにやってるから、俺たちが見落としていたような、全く違う別の視点から見てくれるから助かるぞ。」
棚倉先輩は腕を組んで自慢げに牧埜さんに話しているが、とりあえず何も言わずに放っておいた。
俺は去年に購入した資材などのリストに目が留まって、一昨年のリストと見比べた。
「えー、それと…。諸々の資材を買うときに、同じ予算で同じ奴を買い続けていて、相当に余らせているような物はありませんか?。特に、立て看板用の木材は、毎年、同じサイズで同じようなものを大量に買ってる気がします。体育祭用の用具倉庫があると思うのですが、チェックが必要かなと。」
今度は泰田さんが驚いたような表情をした。
「うわぁ~~、三上さん、鋭い。それは去年、わたしが企画にいたから分かるわ。確かに、用具置き場に山のように材木が積み上がっていたわ。」
「大抵は去年の立て看板などを流用したりする場合もあるので、そんなに過剰には要らないし、塗り替える手間も人も要るので、あっても仕方ないですね。まぁ、大昔の学生運動時代ならともかく、こんなに看板用の材木を腐るほど置いといても仕方ないですし。」
それを聞いた棚倉先輩が、予算を削ることに関して不安を寄せた。
「ただ、三上よ。あまり予算を削ると、寮でも同じだが、来年の予算をカットされる可能性もあるぞ。それはどうするんだ?」
「先輩、その通りです。ここで予算を削ると、来年の予算に影響するので、無理矢理に予算を削ってコンパクトにしろとなんて言いませんよ。そのぶんを別の予算に回したいのです。」
経理委員長の松裡さんが、俺の言葉に心配そうな顔をした。
「三上さん。どうしましょう。配分を変えるとなると、相当に悩みそうです…」
松裡さんの言っていることは本当にそう思う。
予算配分をかえると、自分たちにに今まで通り、予算を寄越せとモメごとが起きることも考えられる。
「そうですねぇ…。松裡さん。喧嘩にならない程度に配分をかえるぐらいですかね。その匙加減は分からないので棚倉先輩にお願いします。私がやろうとしてるのは、この全体予算から見れば微々たるものです。例えば具合が悪くて倒れた人の救護班とか、ソフトボールやサッカーやバスケットボール、バレーボールなどの審判は有志を募ってボランティアがやることが書いてありましたよね?」
棚倉先輩が俺の問いにうなずく。
「三上、そうだ。救護班もボランティアが動くし、球技などの審判は部活やサークルなどをやってる人からボランティアで募ったりするぞ。」
『本来は、ボランティアなんかなくして競技の審判程度であっても企画委員に所属してるほうが楽だし、救護班などは委員会の中に入れてしまったほうが良い気もするが…。』
俺は、大きく組織を変えるような本音は吐かずに、方策だけを言うことにした。
「削った予算を利用して、ボランティアに参加した人に対して、外販委員が出す飲み物や食べ物を謝礼として配って下さい。次に頼みやすくなります。それを予算の中から経費として落として下さい。外販委員のほうは、売り上げ金額を気にする人もいるでしょうし。内部処理的な部分を不正疑惑と見られるのであれば、別に予算を取って飲み物や弁当を買って渡しても構わないでしょう。その場合は、この季節ですから腐らないようなものを選ぶ必要があります。」
それを聞いた牧埜さんが目を見張って、俺に率直な感想をぶつけた。
「三上さん。やっぱり視点が違う…。今年ばかりではなく次の年にも配慮する心遣いなんて、なかなかできません。」
俺は資料をめくりながら牧埜さんの感想に答えた。
「こういうボランティアの人は、頼まれて好き好んでやる人も多いですがね、やらないよりはやった方が、後腐れがありませんしね。」
資料をめくっているうちに会計報告書に目がとまって、後追いで修正報告が添えられている場所が幾つか目についた。
お金の数え間違いの部類ではなく、事後に必要経費を請求されるから、慌てて修正している感じだ。
「各委員が何か、物品を購入する際に、経理や総務が必ず同伴するようにしてください。去年も一昨年も事後に必要経費を請求されて、後で経理委員が泣いてる様子がうかがえます。購入後の領収書やレシートを忘れず貰ってすぐに提出するように指示をしてください。あと、外販委員の出店用のレジ係を経理委員から1人ずつ派遣しましょう。そうすると後の集計が楽になります。その委員の数を増やしても構いません。不正防止のためと言えば、すぐに通るでしょう。」
松裡さんは、それを聞いて安心した表情を見せた。
「三上さん…。それは経理委員の現場が手に取るように分かっているような指示で助かります…。」
そんな話をしていると、高木さんが学生課に戻ってきた。
「あら、三上くん。少し聞いていたけど、やっぱり流石だわ。それを寮長会議で発揮できないのは悲しいところだけどね。」
そう言うと、高木さんはお淑やかな振る舞いで棚倉先輩をじっと見ている。
三人は噂をしていた高木さんだと分かって顔を見合わせている。
「う゛っ…」
棚倉先輩が高木さんの視線を感じると瞬時に固まった。
怒ると怖すぎるのがトラウマになっているから、お淑やかな時の高木さんと視線を合わせただけで、恐怖感が芽生えてしまうのだろう。
俺は今の高木さんは全く平気なので、普通に話しかけた。
「高木さん、新島先輩は大丈夫でしたか?」
高木さんはニコッと笑いながら穏やかに俺の問いに答えた。
「ふふっ☆、寮から一歩も出られないようにしたわ。大丈夫よ。三上くんは心置きなく、この仕事に専念してね。あなたを応援しているし、有坂教授や浜井教授もきっと協力してくれるわ。」
「高木さん、ありがとうございます。その応援に応えられるように微力を尽くします。それと、今日は浜井教授も会ってきました。高木さんのことをよく覚えていましたよ。」
俺が高木さんに浜井教授に会った話をすると嬉しそうにしている。
「2人とも陸上部員だったし、私にとって思い出が深い学生だわ。あの時は少しキツく叱った時もあったけど、彼らは真面目に頑張っていたのよ。」
高木さんは分かっている。
ただ、怒った時がメチャメチャに怖いだけで、普段は普通に真っ直ぐで優しい人なのだ。
だからこそ、俺のために新島先輩を寮の仕事をやるように差し向けてくれ事がありがたい。
まぁ…、怒り方とやり方はともかく…だけど。
俺との会話が終わると、高木さんは学生課のデスクへ戻っていった。
ふと、横にいる棚倉先輩を見るとソワソワしている。
この前、怒られた件もあるし、高木さんから逃げたい気持ちに襲われているのだろう。
先輩は腕時計を見ると、俺に声を掛けた。
「今日はこの辺で切り上げよう。それと、三上。今日は何も用事はないか?」
『そうか、この流れだと結成コンパか…』
俺は疲れていたが、これも仕事だと思って我慢した。
今は仕送りがきた直後だから、コンパはOKできるけど、こんなコンパが続くと、仕送りが途絶えたときに、何日間も飢える可能性があるので少し怖かった。
「あれから、ちょうど1時間ぐらいですからね。今日は大丈夫ですよ。課題も仲間と全て終わらせたし、明日は昼から、例のお好み焼き屋で、仲間と一緒に食べに行く約束があるぐらいですから。」
「そうしたら、小さい規模だけど結成コンパで飯でも食いに行くか?。無論、お前の持ち合わせがなければ俺がとりあえず出すし、後で新島に請求するから安心しろ。ついでに、そのお好み焼き屋も仲間の分と一緒に新島に請求しろ。アイツはそのぐらいやっても良い。さっきの奇策を考えた迷惑料だと思ってくれ。」
俺は先輩の話を聞いて、内心は胸をなで下ろした。
「先輩、それを聞いてホッとしました。仕送りが振り込まれたばかりですが、いつ飢え死にするか分かりませんでしたから。」
「三上さん。棚倉さんも知っている理学部の寮生の友人がいるのですが、寮内のバイトをしたりして大変そうですものね…。」
俺は何人かの寮のバイト仲間のうちの一人を思い浮かべていた。
『もしかして大宮かな?』
「仕送りが途絶えるとね、昼飯を抜いたり、休日中の飯を抜いたりして、飢えに耐えるから大変なんですよ。だから今回の新島先輩の件は非常に助かっていますよ…」
牧埜さんに、牧埜さんが知っている寮生が誰なのかを聞きたかったけど、棚倉先輩がみんなに声を掛けたから余談が中断されてしまった。
先輩が早々に学生課を出たいのが明らかに分かった。
「どうだ、今日の結成コンパはみんな来られるか?」
牧埜さんが真っ先に答える。
「私は、もちろん出ますよ。このまま帰るのは、なんとなく寂しいし、三上さんの話を聞いていたいですよ。」
松裡さんも牧埜さんに同意する。
「私も行きますよ。今日の教授の件をゆっくり聞きたいわ。三上さんが相当に凄い人だと、ひしひしと感じたわ…」
「無論、私も行くわ。三上さんっ、お酒は飲めますか~?」
泰田さんは今から楽しそうにしているが、俺は未成年なので、正直にお酒が飲めないことを話した。
「いや、残念ながら、二十歳になってないので…。」
牧埜さんが、俺に追従するように話しかけた。
「三上さん。大丈夫ですよ、私も松裡さんも、まだ同じ未成年なので安心してください。」
現役で合格した大学2年生だと、ちょうど誕生日を境にして微妙なラインになる人も多いだろう。
「あらっ、残念。しばらくして誘えばもっと面白かったのに~。」
「俺も三上の飲んでる姿を見たいが、こればかりは公序良俗があるからな。コンパで無理矢理に後輩に飲ませる行為が社会問題になっているし、ここは教育学部としては規範を守りたいぞ。それに、今日は新島がいないからタバコ臭くないし、ここのみんながタバコはやらないから安心してるのだよ。あれは息苦しくてね。」
棚倉先輩らしい言葉が出て俺は少しホッとした。
新島先輩はヘビースモーカーなので、かなりタバコ臭い、脇で一緒に飯を食ってると、ちょっと辛いときもあるぐらいだ。
実は、棚倉先輩が新島先輩に内緒で、俺をご飯に誘うケースが多いのは、同じようにタバコを吸わない仲間である本音も垣間見えていた。
「さて、行くか」
早々に学生課を出たい棚倉先輩は、みんなに促すように声をかけた。
「荒巻さん、高木さん。今日はありがとうございました」
俺達は本館のキャンパスを出ると、もう夕方を過ぎて、あたりは暗くなっていた。
「俺についてきてくれ。歩くのも面倒だから、バスに乗っていこう。女性もいるから長居はしないからな。家族に怒られない程度の時間で帰ろう。まだ日が暮れ始めたばかりだから、色々と話すのには、たっぷり時間もあるしな。」
3人は相次いで携帯で家に連絡をしていたので、それを見て、棚倉先輩に率直な感想をつぶやいた。
「先輩、寮生だと、そういう連絡ないから気楽でいいですよ。」
「そうだな、親や家族に気兼ねなく行けるからな。しかし、お前は、あの3人から初対面でかなりの信頼を得たな。お前は魔法のような力を持ってるのが、うらやましいよ。」
俺は棚倉先輩の言葉を聞いて即座に否定をした。
「私を過剰評価しないでくださいよ。参ったなぁ…、私はつまらない人間ですよ…」
棚倉先輩は首を横にふって俺の言葉を否定してきた。
「お前は、見てて面白すぎる。さっきのような説得はお前にしか出来ないぞ。ホントに。」
3人の電話が終わって俺たちはバスに乗り込んだ。
「お前ら、中華料理は平気だよな?」
全員が肯定の返事をした。
「それって、もしかして三鷹先輩が寮長会議の時に、あの長いお喋りの中で言っていたお店ですか?」
「おお、三上、よく覚えていたな。かなり量が多いから、みんなで食べるのにはちょうど良いらしい。」
バスの中で、そんな話をしながら、少しばかり、ゆっくりとした時間を俺は過ごした。
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-時は現代に戻る-
すでに夕方で日が暮れそうだし、陽葵も夕飯の準備があるので、あまり話していると厄介なことになりかねない。
「陽葵。そろそろ恭治も帰ってくるし、続きは夜にでも話そう。」
陽葵は、まだ俺と付き合っていない頃の話を聞いて、嬉しそうに感想を言ってきた。
「ふふっ。結成コンパの時に、あなたが飲めなくて良かったわよ。もしも飲んでいたら、あなたは、お義母さんや三鷹さんのように、お喋りが止まらなかったから大変だったもの。」
俺があの時、成人だったら…と、思うとゾッとしていた。
「あの時は未成年だったからなぁ…。」
「それで良かったのよ。そしてあなたが成人になったときに、わたしがいて良かったの♡。あなたが酔って喋りまくれば、わたしは、あなたにアーン♡が…できるのよ♡」
「はぁ…。陽葵よ…お前はなぁ…。そういう陽葵も、酔っ払うと俺にくっついて離れないだろ。それで、トイレにまで一緒についてくるよな?。俺は、あの時の陽葵が可愛くて仕方ないからな!!」
その言葉を聞いて、陽葵の顔は真っ赤になって、少し顔を膨らませて反論をした。
怒った陽葵の顔が可愛くてしかたないので、俺は可愛くて抱きしめるのを我慢していた。
「あっ…あなた…それはやめてっ!。めったにお酒は飲まないけど、あれは…その…。もうっ~~!」
陽葵は恥ずかしくて、それ以上、なにも言えなくなっていた。
「そういう恥ずかしがる陽葵も、可愛いくてしかたがないよ…。」
俺は、顔が真っ赤になった陽葵の頭をしばらくなで続けていた。