棚倉先輩が俺の愚痴に対して、額に脂汗をかきながら、その真意を問いただした。
「三上。そんな言い方をするからには、引き受けたことで良いのだな?」
俺は棚倉先輩の問いに、肯定の意味を込めながら猛抗議をした。
「先輩、…あのねぇ。荒巻さんや高木さんまで、そっちの味方になった挙げ句、俺は担当委員の教授にまで声を掛けられて推されたのですよ!。もう逃げ場なんて、あるわけないでしょ!。」
先輩は俺の言葉でタジタジになった。3人は申し訳なさそうに下を向いている。
「みっ、三上…、お前がそれだけ怒るのは相当だな。悪かった。悪かったから。」
俺はこのさいだから畳みかける。
それを見ていた泰田さんや松裡さん、牧埜さんは少しだけポカンと口をあけていた。
棚倉先輩は学部内では切れ者で通っているから、ここまでガツンと言える人間を見た事がないのは明らかだろうし、なかなか不満があっても口に出せないことは容易に分かる。
普通の人が、棚倉先輩にあのような言葉をかけたとしたら、壮絶な言い争いになるが、俺や新島先輩、それに棚倉先輩の彼女などは、全面的に信頼を寄せているから、こういうケースでは何も言えないのだ。
そこに、可憐で可愛すぎる一本気な女の子が加わってくるが、それは、数ヶ月先の話だ。
「先輩。新島先輩が無理矢理に推されたとか、彼が自らの意思で、実行委員をやろうとしたなら、こんなに俺は怒りませんよ。それなら俺もなんとか都合をつけて、この役職を受けようと思ったかも知れないですし。」
俺かぶちまけた棚倉先輩の愚痴に、3人から拍手が起こっていた。
3人は先輩だから言えずにいたことを、俺が全部、吐き出したからだろう…。
その拍手を見た棚倉先輩が、額から脂汗をさらに流して追い込まれた形になった。
「…新島の後輩として、この場で新島に代わって謝罪する。馬鹿な後輩の面倒を皆が見ることになって本当に申し訳ない。同郷の後輩なので、私に免じて、ここは一つ許して欲しい。」
先輩はみんなの目の前で頭を下げた。
「すみません、私も熱くなりすぎました。これ以上、愚痴っても仕方ないので、ここにいる5人で新島先輩は除外して前を向かないと…。」
俺は棚倉先輩からの謝罪をうけて、これ以上の追求を避けた。
「三上よ、そう言って貰えると助かる。お前は、こういう事になると妙に熱くなるから恐いぞ…。」
俺は長い溜息をついて、こんどは交換条件を引き出そうと考えた。
これ以上の争いは無意味に等しいし、この仕事は俺にとってスケジュールの問題で非常に厳しい。
「はぁ…。あとで相当な交換条件を出しますよ。十中八九、開催1週間前は、レポートや課題が滞るでしょうね。先輩も知ってるでしょうけど、工学部の課題やレポートは下手したら1週間で20程度になることもありますからね。気合いで5~7は減らしたとしても、終わってから徹夜ですよ。」
それを聞いて、泰田さんや松裡さん、牧埜さんは、お互いに顔を見合わせると、松裡さんが俺の言葉に驚いて様子で問いかけた。
「三上さん、理系って本当に大変だって聞いていたけど…。そこまでなんですか??」
俺は苦笑いしながら松裡さんの答えた。
「そうなんですよ。だから、工学部の連中は、課題やレポートを一緒にやる仲間を作って、自分が休んだり、講義が分からなかった時などの協力体制を作るのです。ある意味でコミュニケーション能力がないと生き残れませんよ。」
棚倉先輩は俺の言葉を受けて、俺の自慢話を始めた。
「こいつは自分の寮の部屋に仲間を何人か呼んで、レポートや課題をこなしてるからな。他の寮生とは違って感心して見ているのだよ。この前も、新島の下らない呼び出しを徹底的に無視して仲間と課題をやり続けたからな。」
俺自身は、正直、話が長くなるので勘弁して欲しいし、自分はそこまで優秀な人間じゃないから、内心は凄く嫌だった。
それを聞いた3人は、新島先輩を無視した件を聞いて一斉に笑い出した。
だが、今は雑談をしている時間が勿体ない。
みんなが笑ったところで、俺は棚倉先輩に事前に懸念を伝えて本題に入ろうとした。
「先輩。開催1週間前だと、手があいた人から設営準備になるのでしょうが、せめて講義だけは出させてくださいね。三上の付き合いが悪いとか言い出したら、新島先輩と一緒に封じてください。レポートや課題遅れは覚悟ですが、赤点や補講は避けたいのです。工学部の体育祭なんて、とっくの昔に消えたのは、これが理由だからです。」
「さすが…三上さん。生徒…いや、せっ、性格が新島さんとは違って真面目だし、よく分かっていらっしゃる…。」
『牧埜さん、危ねぇよ…』
思わず、牧埜さんと微笑みながら目線を合わせて、なんとかその場をやり過ごした。
俺は、棚倉先輩に無駄な詮索を挿せる前に、ネタにされている新島先輩のことで話題を誤魔化すことにした。
「ところで先輩、新島先輩はどうしたのですか?」
「ああ、新島は寮で受付の仕事をしている。しかも…隣には高木さんがいる状況だから、絶対に抜け出せない。アイツは日頃から寮の仕事をサボっていた罰だと思うし、俺はホッとしているところだよ。」
棚倉先輩は、両手を拝むように合わせながら新島先輩の今の状況を説明した。
「…そうですか…、この前の件を含めて、しばらく反省して欲しいですけどね…。」
「新島は受付室で完全に死んだ顔をしてたぞ。お前が寮の仕事を新島に真面目にやれなんて高木さんに訴えたから、新島を厳重に監視をしている状態だ。体育祭準備期間中は、コンパにもサークルにも行けないだろう。」
俺は、新島先輩がソンビのような表情をしながら、高木さんの隣にいる姿を想像して苦笑いしていた。
「やれやれ。高木さんが少し顔を出しただけでも、効果は絶大でしょうからね。」
「それで、お前がさっき言っていた件を含めて、あいつは条件を全て飲むだろう。お前の言うとおり、実行委員長を引き受けた経緯が情けなさすぎるから、あれだけお前が怒るのも無理はない…。新島がごねる事があれば、俺は力ずくでもやる。」
泰田さんが棚倉先輩の話を聞いて、笑いながら話の方向性を変えようと試みたようだ。
「棚倉さん。三上さんは新島くんが引き受けた経緯を、一字一句、間違わないで言い当てましたよ。それで、さっき爆笑しちゃったんですよ~。」
その話を聞いて俺らに責められていた棚倉先輩が途端に笑顔になった。
「泰田よ。三上は、そういう勘が相当に優れていて、時々、驚かされるのだよ。」
続いて牧埜さんもその話に続く。
「棚倉さん。その三上さんが、全体競技について、実行委員は参加するのか、なんて聞いてくるから、何事かと思ったのですが、そういう勘がサッと働くのは凄いですね…。」
棚倉先輩は、2人の話を聞いて深くうなずいた。
「その直感の鋭さが寮の運営で活かされていてね。俺がコイツを買ってるのは、そいういう部分も含めてだよ。」
俺は自分を褒められるのが好きじゃないので、本題に軌道修正することにした。
あまり時間をかけると、帰るのが遅くなってしまう。
「私の愚痴で時間が長くなってしまって申し訳ないのですが…。本題に移りましょうか。このブリーフィングで新島先輩を除外することは確実だろうと思いますが、表向きは、その会則に書かれていた、準備委員会の位置づけなのですよね?」
棚倉先輩が、俺の問いにうなずく。
「三上、その通りだ。去年は総務委員長をやっていたので流れは完全に把握している。三役の中に特別職があると思うが、慣例として実行委員で役職を持っていた4年生がやる形になっていて、右も左もわからぬ後輩達を助ける意味がある。今回は新島がバカをやったので、俺が尻拭い的に立候補をして3人に声をかけたのが経緯というわけだ。」
そうすると、総務委員長の泰田さんが議事録をつけはじめた。
もうすでに、ある程度の流れができているから、ここは機械的に話が進むことになる。
「まず、準備委員会を設立するにあたって、三上の役職の位置付けと、新島が欠席した理由の整合性が必要だ。三上よ、どうやったら、体育祭実行委員を管轄する教授を納得させられそうか?」
3人は顔を見合わせて俺を見た。
「棚倉さん。三上さんは軍師か参謀みたいですね…。」
牧埜さんが俺を興味深そうに見ながら率直な感想を言ってきた。
「寮内での三上はそんな位置づけだ。寮のイベントで出し物とか、色々なゲームに積極的に参加しない寮生をどうしたら良いかと新島と一緒に対策を練っていた時にな…。」
みんなが棚倉先輩の話を聞きながら俺をじっと見てる。
「こいつは…、どっちみちビンゴゲームをやるんでしょ、参加した人に参加賞としてカードを配って増やしてあげれば良いのですよ。1人が何枚も持ってても良いでしょう。景品の予算は増やしましょう。それぐらいは微々たるものです。目玉に最新ゲーム機を入れて、皆には当選確率が上がると煽れば何とかなります。なんてことをシレッと言う奴だ。」
松裡さんが棚倉先輩の話に驚いている。
「三上さん…。やっぱり凄そう…。」
「あんまり褒めないでください。期待が大きすぎて俺が死にそうです。」
俺は笑って松裡さんの期待を否定して回った。そして棚倉先輩の質問に即座に答えた。
「さて、新島先輩の件は、学生寮長を兼任をしていて、実行委員会の出席が難しいと片付けてしまうのが無難でしょう。それで私を実行委員長補佐、棚倉先輩を実行委員長代行にしては如何でしょうか?。要するに新島先輩の不在が多いので、代行を立てないと運営できないシナリオです。俺が副寮長であることは、担当教授に言わないでください。例え、バレたとしても副寮長だから、何とかなるぐらいの調子で。」
ここまで喋ると、俺は息を繋いで、思考時間を稼ぐのに僅かな間を取った。
「高木さんが新島先輩の監視で寮に来ているのであれば、寮内の役員が新島先輩しかいないので、うちの寮が学生課に人員不足で要員を要請しているなんて、言い訳をして少し肉付けをしてしまいましょう。このさい嘘も方便かと。」
「三上さん、説得力がある…。これなら教授に話せば了承が貰えそうだわ…。」
泰田さんは俺の意見にを聞いてもの凄くナットしていたが、棚倉先輩が不安な表情を浮かべる。
「うーん、三上。役職は俺とお前が逆になるぞ。4年生は実行委員長の代理になったケースも含めて、前例が見当たらないからな。そういうことから、俺は特別職のアドバイザーだから無理がある。俺がアドバイザー兼、実行委員長補佐、お前の肩書きは外部委員兼、実行委員長代行だろうな。」
「なるほど…、それなら仕方ないです。うーん、俺みたいな余所者が影の実行委員長ですか。さきほど資料がチラッとだけ見えましたが、不正があったのは10年ぐらい前でしょうか?。その時に外部委員に同じ肩書きが見えたので、前例としては有り得るのでしょう。深く考えると、まだ、説明が足らない感じですよ。」
俺は腕を組んで色々なことを考えていた。
まだ説得する材料が足らないし、それをやるには相当な理由がないと認めてくれないと考えたからだ。
「三上、何か引っかかる所がありそうな言い方だな?」
棚倉先輩は心配そうになっている。
「うーん。これでも説得不足ですよ。もっと相応な理由がないと駄目です。ところで先輩、実行委員を担当する教授って、新島先輩を知っているのですか?」
俺は何か引っかかる点があって、何でもいいから細かい情報を、できるかぎり入れたかったのだ。
「いや、新島はあの教授と接点がないから、新島の事が分からずに実行委員長に指名されて通ってしまったのだよ。新島のことを知ってる教授なら、絶対に止めたはずだ。あのバカは準備委員会開始の認可が下りてしまった後で、俺にその事を打ち明けたから大騒ぎになったのだよ。」
泰田さんが棚倉先輩の情報に補足を入れていく。
「三上さん。この実行3役を先に決めてしまえば、企画や外販などの委員は、後から希望者を募る形になります。私たちがある程度の骨子を決めないと、実行委員たちを募れないのです。」
松裡さんが泰田さんに同意しながら、その話に、再び補足を入れた。
「総務や経理も、私たちが3役になった時点で、総務委員や経理委員たちは必要最低人数以上、集まるわ。立ち上げが絡むブリーフィングは舵取りが難しいから誰もやりたがらないのよ。私達は三上さんがいて助かっているわ。過去の事例を見ながら外部委員が実行委員長代理になる奇策なんて、三上さんがいなければ出てこなかったもの。」
「ん???。奇策??。もしかしたら!!」
俺は彼女の言葉で、とんでもない説得方法を思いついた。
泰田さんが不思議そうに俺を見ている。
「三上さん、どうしたの?」
俺は笑いをこらえながらみんなに尋ねた。
「皆さんに、とても基本的なコトを聞きます。教育学部だと、将来は先生になる人が多いと思いますが、体育の授業もあるので、体育祭は重要なワケですよね?。」
「三上。確かにそれはそうだ。」
棚倉先輩が、とても困惑しながら俺の単純な質問に答えた。
「実行委員会の担当教授は、学生時代にうちの大学にいて、運動部に入ってましたか?。年齢は高木さんより若いですか?」
俺はそんな奇妙な質問を投げかけると、学生課のデスクで仕事をしている荒巻さんと目を合わせた。
荒巻さんは、もう笑いかけている。
『これはビンゴだ。たぶん荒巻さんは、それを知ってる。』
「なんでそんなことを聞く?」
棚倉先輩は凄く不思議そうだ。
「三上さん。新島さんの動機を言い当てたように、凄いことを考えていそうな言い方ですよね。さっきも、とんでもない質問から、とんでもない発想をして、それを言い当てたから期待してますよ。ちなみに、私は担当教授のことは知らないです。」
牧埜さんの答えに、俺は残念そうにしたが、やっぱり荒巻さんが笑顔になっているのを見ると、俺はこれが大正解だと察して、笑いをこらえるのが精一杯だった。
「牧埜さん。一か八かですから、当たるかどうかは、完全に賭けですからね。駄目なら仕方ないです。」
時間が勿体ないので、隣で怪訝そうな顔をしてる棚倉先輩に、俺が質問をした答えを促した。
「先輩。答え合わせは後で、ゆっくりとしますから、とりあえず情報を。」
「担当の浜井教授は、たしか、うちの大学の陸上部で寮に入っていたはずだ。年齢は高木さんよりは若いはずだぞ。教授は陸上部の寮幹部補佐をやっていたことを、講義中の雑談で話していたのが印象的だったがな…。ところで、三上、お前は何を考えている?。」
俺は、棚倉先輩の問いに答える前に、荒巻さんのほうを向いて、俺が考えている作戦が成功するのか、荒巻さんに問いただしてみた。
「荒巻さん!!、その戦法でどうでしょう!?」
荒巻さんは、俺の問いに笑い転げて答えた。
「みっ、み、三上くん、それは凄い禁じ手だ!!!!!。だっ、駄目だよっ!!!。次回からそれは絶対に使っちゃ駄目だからね!!!!」
俺は笑っている荒巻さんに追い打ちをかけた。
「荒巻さん。私の担当委員の教授は有坂教授ですからね。先ほどここに来るように言われたのは、有坂教授からでした。それは…もうね…、戦地に教え子を送るような目でしたよ!!!」
荒巻さんは、追い打ちをかけるような言葉にを聞いて、さらに笑い転げてしまった。
「みっ、み、みっ、三上くんっ、それはだめだ…。これ以上、なにも言わないで!!。お腹が痛い!!!」
そうすると、荒巻さんよりも熟年の学生課の人たちも笑い始めた。
「松裡さん、本当にありがとう!!!」
俺は思わず松裡さんと握手をしたが、彼女は訳が分からぬまま不思議そうにしている。
泰田さんも狐につままれたようにポカンとしていた。
「三上さん??どういうこと??」
棚倉先輩も訳が分からなくて困ってる様子だ。
「俺にちゃんと説明しろ。なんで学生課の人たちは、お前の考えが分かったように笑っているのだ?」
「皆さん、落ち着いてください。これは姑息だから、荒巻さんの言うとおり、かなりの禁じ手ですよ。」
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-時は現代に戻る-
俺がここまで語ると、陽葵は呆れたような顔をして俺をみた。
「新島さんが、あんなに酷かったなんて知らなかったわよ。あなたが怒るのも無理はないし、たしかにあの状態なら、わたしも怒って断るわ…。」
「そうなんだよ。新島先輩がやる気さえあれば、俺の態度は全く違ってたけどね…。」
陽葵は俺の頭をポンと軽く叩いた。
「ん???。陽葵どうした?」
「それと、あなた。高木さんを上手く利用しすぎよっ!!」
俺はニッコリと笑った。
「そういうことだ。だって、屁理屈を述べて浜井教授を説得したとしても、絶対に不発に終わると思ったからさ。あれこれ考えたけど、これが一番、説得をするのに確実で早いと確信したんだよ。」
陽葵は俺の言い訳に、少しだけ笑った。
「わたしは、あなたが話す前から、オチが見えて笑っているけどね、あなたが、こういう手を、突然に思いつくのが、あなたらしいわよ。…思いついた奇策が、とても、おかしいくて笑ってしまうわ…。」
俺は、陽葵の率直な感想に、笑いながら陽葵に先にオチだけを伝えた。
「これなら理不尽な組織編成でも、担当の浜井教授から自動的にOKを貰えるからなぁ…」
「棚倉さんたちは、荒巻さん達が笑った理由すら分からなくて、不思議がるのは当たり前よね…。」
陽葵もクスクスと笑っている。
俺はさらに、次に起こったことを語り始めた。