時は19年前に戻る。
そろそろ暑くなりそうな初夏の昼下がり。
この日は早めに講義が終わって、俺や良二、村上と宗崎は男子学生寮内の三上の部屋にいた。
4人は寮に行く途中にあるコンビニでおにぎりやパンを買って、俺の部屋でそれを食べながら課題やレポートをやるために三上の部屋に集まっていたのだ。
俺は部屋にある小さい冷蔵庫を開けて、みんなに飲み物を配った。
「宗崎。微積の課題は寮の先輩から教えてもらって終わってるから、電気・電子工学のレポートを先にやってくれ。俺は機械工学の課題をやるから、良二と村上は物理の課題を片付けてくれ。終わったら、みんなでレポートや課題を回して、ダメな場所があれば、みんなが指摘して直していこう。」
俺は自分の机に座って課題をやって、宗崎が俺の横に折りたたみ椅子を置いて座った。
そして、本橋と村上は部屋の床に小さいカーペットを敷いて、その上に座卓を置いて、あぐらをかきながら課題やレポートをやっている。
折りたたみ椅子や座卓、カーペットなどは俺の自宅から寮に持ち込んだものだ。
こういう時のために、みんなが部屋に集まって課題やレポートができる環境を整えている。
カーペットや座卓は課題ではなくても、俺の部屋に人が寄り集まったときに活かされていた。
工学部のレポートや課題は他の学部と比べて多いほうだ。
仲間と連携しながら課題やレポートを早々に片付けないと、自由な時間も作れずに身が持たない。
放っておくと溜まって徹夜なんてこともザラにあるし、未提出をしてしまうと単位に影響してくるから早々に片付けたいところだ。
「あと、1時間半ぐらいで終わるかなぁ。俺は、2時間後に寮監が戻ってきたら、寮幹部たちと学生課に行かなきゃ駄目だから辛い。」
俺は部屋にある時計を見ながら時間が足りないことを嘆いていた。
自分の課題は1時間程度で終わっても、最後に棚倉先輩から教わった微積を、ここにいる皆に教えるのは時間がかかる。
村上は俺の時間が足りないこと聞いて、とても悲しい顔をしながらボヤキはじめた。
「三上、マジに寮の仕事が大変そうだよな。新島さんや棚倉さんから相当に買われてるみたいだし。でもな、三上は俺らの単位の命綱なんだ。お前がいないと、崖から突き落とされてしまって落第してしまうからな。」
村上の言葉を聞いて宗崎がうなずいて口を開いた。
「ほんとだよ。三上は工業高校だったから、今から少しずつ始まっている専攻科へ向けてのカリキュラムも難なくこなせているから、俺らの先生みたいな存在だ。」
「俺もマジにそう思うぞ。俺らは恭介を三上様と崇めるしかない。」
良二が2人の言葉をまとめて所感を述べつつ、俺に向かって手を合わせているが、その姿に長い溜息をついた。
「…はぁ。良二、俺は神様仏様じゃねぇぞ。」
俺は溜息をついたが、課題を書く手は止めなかった。
みんなも会話をしながら手が動いている。
『ピン ・ ポン ・ パン ・ ポン~~』
みんなが課題やレポートを始めて、1時間ぐらい経ったときに、お約束の効果音と共に、寮内放送が流れた。
「201号室の三上大副寮長様ぁ~、至急、受付室までお越しください。寮長の新島よりお話があります。」
寮内放送は寮長の新島先輩の声だったが、今はそれに構っている余裕なんてない。
俺は、新島先輩への不満をぶつけて部屋の中で叫んだ。
「こっちは課題を4つ同時にやっているんだ。どっちみち面倒な頼み事か、報告書の件で、学生課まで怒られに行くかどっちかだろ?。今は行かれないし、このぶんだと課題が終わらねぇ!!!」
村上の顔が曇る。新島があのような放送をかけるときは、相当に深刻な事態になっていることを三上から聞かされているからだ。
「三上、大丈夫か?。今は寮監さんもいないし、新島さんは受付をやっているから、この部屋に来られないぞ。このまだと、ひたすら、お前に泣き付くような放送が止まらないよ?。この前、お前が用事でいないときに、新島さんが三上をひたすら呼びつけていて、棚倉さんが受付室で怒られていたよ。」
俺は、新島先輩が、さきほど泣きの放送を入れた理由に察しがついていた。
もうオチが分かっているので、昨夜、夜なべをして予め対策をしておいたが、この課題とレポートを片付けないと中途半端になるし、ここでレポートや課題をやっている仲間も同じように進まなくなる。
「時間が勿体ない。寮のみんなには悪いが、新島先輩は無視するよ。あれは先輩の自業自得だから。」
宗崎が俺に心配そうに俺に声をかけた。
「いやぁ、副寮長となると、やっぱり大変だね…。」
続いて良二も同様の感想を述べる。
「先輩の寮長さんから三上様と崇められていては…。いやはや、それでは、辛いわなぁ…。」
その放送があって、15分程度が過ぎた時だった。
俺は自分が受け持った課題を終えて、みんなに課題を見せながら、同時に仲間がやった課題やレポートを見せてもらいながら、各々が答え合わせやレポートのチェックをしていた。
それを終えて、俺が棚倉先輩から教えてもらった、微積の課題に関して、みんなに解き方を教えようとしていた時だった。
『ピン ・ ポン ・ パン ・ ポン~』
「201号室の三上様ぁあああ~~~ぁ゛~~、大至急、だ す げ で ぐ だ さ い…。う゛わぁぁぁ~~~。」
新島先輩が半泣きになって、悲痛な叫びをあげながら、俺を放送で呼び出したのだ。
それを聞いた、みんなが心配そうに俺を見て、良二が心配そうに俺に問いただした。
「…恭介…。マズくねぇか?」
俺は、良二の心配をよそにして、完全に開き直って、テンションをマックスにして良二の心配を振り払おうとした。
「うんっ☆、これは俺もマズいと思う。ただ、みんなを教えてから行くよ。たぶん、遅れて行っても結果は同じだよ。このさい、やるべき事をやってから行かないと、みんなの単位が死ぬからね☆。」
俺はウィンクをして言葉をしめると、良二が近寄ってきて、俺の肩を叩きながら苦笑いをした。
「恭介や。その肝がすわったお前の精神が、どこから降って湧いてくるのかマジに分からない。開き直ったお前は強すぎるから恐いよ。」
その後、俺は、みんなに微積の課題を教え始めたが、10分程度が経ってから、再び、新島先輩が泣きの寮内放送を入れてきた。
『ピン ・ ポン ・ パン ・ ポン~~』
「み゛っ。み、三上ぃ…さっ、さ様ぁああ゛~~、こっ、このままでは殺されてしまうから、すぐに来てぇっ!!!!…。う゛わぁぁぁ~~~!!!。」
新島先輩が泣きじゃくりながら、俺を呼ぶ悲痛な放送が聞こえたが、あえて無視しようとしたその時だった、誰かが受付室を開ける、音がマイクを通じて聞こえた。
『新島ぁ~! 、うるせぇ~~!。バシッ!』
その声は棚倉先輩だから、新島先輩の頭をベシッと叩いたて情けない寮内放送をしていたのを叱ったのだろう。
そんな声が寮内のスピーカーから聞こえて、平和が戻ったが、それと同時に、みんなが、俺のことをチラッと見たが、あえて、今のことを言葉には出さなかった。
しばらくすると、こんどは、廊下から歩く音が聞こえて、俺の部屋のドアをノックする音が聞こえる。
「三上、悪い。入るぞ。」
棚倉先輩の声が聞こえて、俺の部屋のドアが開くと、先輩は、俺たちの様子を見て、俺らに詫びを入れてきた。
「おおっ、みんなで課題をやっていたのか。それは、新島の野暮用に三上が付き合えないのが良く分かる。本当に申し訳なかった。」
俺は、棚倉先輩のお詫びを聞いて長い溜息をつくと、本音を吐いた。
「先輩。こっちは単位がかかっているから必死ですよ。新島先輩が高木さんに怒られるのは当然ですからね。サークルのコンパや合コンで遊び歩いているのですから。そんな先輩の悲痛な叫びを聞いている余裕なんて1つもありませんよ。」
棚倉先輩は俺の言葉を聞くと、悲観的な顔をして声を震わせながら言ってきた。
「三上っ。それを言われると、俺も、新島への監督不行き届きがあるから、高木さんに怒られるのは必至だぞ…。ううっ…。」
先輩の顔を見ると、もう顔面が蒼白になっている。
高木さんに怒られると、俺以外の寮幹部はみんな、魂が抜けるように精神力が削られる。
だから棚倉先輩も、高木さんに怒られることが確実だから、今から震えあがっているのだ。
「先輩、今から怖がっても仕方ありませんよ。でも、今回は回避できますよ。密かに寮の新歓コンパの開催報告書と会計報告書を作っておきましたから。」
俺はそう言うと、机の隅に置いてあるプリンターで印刷した何枚かの報告書を、棚倉先輩の目の前に差し出した。
この手の報告書は、寮内の不正防止の意味も含めて、寮幹部が大学に対して開催後の経緯を報告する義務があるので、必ず作成しなければいけない。
開催報告書は以前から書き続けている書式があるので、あっという間にできたのだが、収支報告書は、夜なべをして作ったので、金額の打ち込み間違いがあって数字を合わせるのに苦労をした。
会計報告に関しては一昨日のうちに松尾さんに話をして、飲み物やお菓子、酒のつまみやビンゴゲームなどの景品を買った際に、松尾さんや奥さんが書き記した帳簿を預かって、パソコンに打ち込んだが、新島先輩が、それを今から手書きで書いたとしても、提出期限まで、到底、間に合わないだろう。
棚倉先輩は、その報告書を見ると、涙ぐみながら俺を抱きしめてきた。
「おおっ!!!。三上っ!!…助かった!!!。今日が提出期限だから、お前らの課題が終わったら、3人で学生課に行くぞ!。」
先輩は報告書を見て、不具合がないかチェックしながら、まだ、喜びを露わにしていたが、俺は眉間に皺を寄せて、一つの懸念を先輩に話した。
「ただ、先輩、新島先輩は高木さんから目を付けられっぱなしなので、テメーは後輩に仕事をぶん投げたら承知しねぇからな!!!。なんて言われていましたから、怒られるのは確定ですよ?。この報告書を提出したところで、新島先輩のお説教コースは間違いないと思われますが…。」
先輩は俺の懸念を聞いて、報告書を机の上に置くと、両肩にポンと手を置いて、しっかりと目線を合わせた。
「三上よ。このさい、新島の命なんか関係ないぞ。俺とお前が高木さんに怒られなければ、それでいい。新島は寮の仕事をお前に任せっぱなしだから、高木さんから怒られて当然だ。あんなに遊びまくってるアイツには、高木さんの説教が必要だからな。」
俺は『棚倉先輩。あの説教は死にますよ。』なんてコトはあえて言わずに、新島先輩の自業自得と納得しながら、仲間達が苦労している目下の微積の課題を教えることを、お願いしようと思った。
「高木さんに処刑されることが確実な新島先輩は、とりあえず放置するにしても、先輩にお願いがあります。この前、俺が先輩から教わった微積の課題ですが、こいつらにも教えてあげてください。そうすれば早く学生課に行けますから。」
「なんだ、そんな願いなんてすぐに聞いてやる。お前は俺にとって命の恩人だ。その報告書がなければ、俺の命はなかったからな。」
棚倉先輩は嬉しそうに、俺のお願いを聞き入れて、宗崎の微積の課題を教えはじめた。
「おおっ、ありがとうございます。三上よりも分かりやすい!!。」
宗崎は棚倉先輩に教えられて、みるみるうちに微積の課題を解いていった。
俺が報告書を再チェックしている間に、棚倉先輩は、3人に手際よく微積の課題で分からないところ教えていった。
やっぱり教育学部だから、頭の悪い俺とは違って、教えかたが全く違うのには、恐れ入った。
良二や村上も、次々と課題を終えて、棚倉先輩に頭を下げながらお礼を言った。
「本当に助かりました。これでなんとか単位が確保できそうです。」
「棚倉さん、マジに助かりました。」
みんなが課題やレポートを全て終えると、俺の顔を見て良二が本音を吐いた。
「恭介なぁ。仕送りが途絶えてお前が飢え死にするのはともかく、寮内の人間的環境が良すぎるし、良い先輩達に囲まれているから、うらやましいぞ。恭介がなんでも知ってるのは、そういう先輩のおかげだよな?。でも、それをなんでも吸収する、お前も凄いけどね…。」
続いて、宗崎が良二の言葉に同意しながら俺に向かって心配の言葉をかけた。
「しっかし…、お前、マジに苦労してるよな。今から怖い人に怒られに行くのだろ?。学生課の女職員さんは、怒らせたら怖いって有坂教授が聞いたことあって、それを思い出したよ。お前は、根性がありすぎるから吃驚するよ。」
俺は、宗崎が心配する言葉を聞きながら、冷蔵庫からお茶を取りだして、みんなに課題を教えてくれた礼も兼ねて、棚倉先輩に渡した。
先輩はペットボトルのキャップを開けて、一口お茶を飲むと、宗崎が俺に向かって心配をしている言葉に反応をして、俺が言いたくもないことを語り始めた。
「三上は副寮長就任以前から、その学生課の女性職員の高木さんに気に入られているのだよ。だから、問題があったときに。三上を意地でも引きずり込まないと俺らが死ぬんだ。高木さんから怒られたら、怖さから、俺らの魂が抜けてしまうから、最後は三上に引きずられながら、寮に戻ることになるぐらいキツイのだ。」
棚倉先輩の説明を聞いて、その事態の全容がわかり始めた良二の顔が青ざめていのが分かった。
「それで、あの情けない寮内放送は…もしかして…。」
「うん、良二。そういうことだ。」
俺はにっこり笑って、良二の言葉に答えてウインクをした。
村上が真顔で良二に、寮内における俺の細かい立ち位置をサラッと、語り始めた。
「本橋。三上は寮幹部の救世主として、新島さんや棚倉さんから重宝されているから。ただね、寮幹部や学生課の人たちや、三上が接した寮生とか後輩達にしか、三上の良さが伝わっていないから、立場はイマイチかなぁ。そこを新島さんや棚倉さんがカバーしてる感じだよ。でもね、寮長の新島さんは寮にいないことが度々あって、実質は三上が寮長と同じ感じになっているよ。」
「村上。それは言い過ぎだ。新島先輩と棚倉先輩がなかったら俺はダメダメな副寮長だぞ。」
俺は村上の過剰評価を即座に否定したが、棚倉先輩は俺を褒めちぎるような言葉を投げかけてきた。
「いや、三上よ、それは違うぞ。お前がいなかったら新島のせいで、高木さんの激怒が止まらずに、俺は毎日、地獄を見たぞ。お前の高木さんキラーな才能を見つけて良かったと俺は思っている。それは偶然の産物だが、怒った高木さんを説得して納得させるなんて、歴代の男女寮幹部を見てもお前しかできないし、それをやった奴なんて、今まで聞いた事もないからな。」
そんな話を俺たちがしていたら、寮内放送が再び流れた。
『ピン ・ ポン ・ パン ・ ポン~~』
『ぐあぁ~~う゛わぁぁぁ~~~。たっ棚倉ぜんぱい゛~~。 み゛っ。み、三上ぃ…さっ、さ様ぁああ゛~~、すっ、すぐに来てぇっ…。』
新島先輩は、高木さんに怒られる前から、完全に精神崩壊をおこしていた。
そこにいた全員が顔を見合わせると、良二や宗崎、村上は、俺の部屋から撤収を始めて、隣の村上の部屋でゲームをして夕方まで過ごす態勢に入った。
『これは新島先輩が重症だよなぁ。寮に帰る頃には、精神が灰になってるだろうなぁ…。』
俺は、報告書をクリアファイルに入れると、棚倉先輩と共に、精神が崩壊しつつある新島先輩がいる受付室へ向かった。
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-そして、時は現代。
俺はここまでの経緯を語ると、陽葵は、お腹を抱えて笑い出した。
「うはっ、ははぁっ!!!。あ~、もぉ、おかしいっわ!!!!。」
しばらくして息を整えるた陽葵は、そばにあったティッシュで涙を拭きながら俺に感想をもらした。
「新島さんや棚倉さんの慌てた様子が目に浮かぶわっ。わたしも高木さんに怒られることが分かったら絶対にあなたに頼るもの。今だから大笑いできるけど、あの当時、その場にいたら、わたしも青ざめていたわよ。」
俺は苦笑いしながら、まだ、笑いの余波が残っている陽葵の頭をなでた。
陽葵は、まだ言葉を続けた。
「それにあなたが、新島さんを見放した時点で、新島さんが、とても酷かったのは、今の話を聞いて分かるわよ。」
その陽葵の話に大きくうなずくいて、経緯を説明した。
「あの当時はね、高木さんにお説教をされることで、新島先輩が少しでも改心してくれないかと、心の中では思っていたんだ。あの説教を聞けば、誰もが震え上がるのは間違いないからさ。ただ、新島先輩は怒られる頻度が多くて、俺の時間がもったいないし、ある程度のところで、怒られるのを切り上げる必要もあったし。」
「でも、あなた。この話は、とtめお面白すぎるけど、どうやって、あの体育祭に繋がるの?」
陽葵は、今までの俺の話を聞いて、不思議そうにしていた。
「まだ時間があるし、今からゆっくり話すから大丈夫だよ。」
俺は、まだ笑っている陽葵の頭をなでながら、この話の続きを始めた。