-ここは現代-
俺は、みんなが思いっきり休んでいる5月の連休中に、馴染みのお客から無理難題な納期を吹っかけられた案件があって、休みを返上して仕事をしていた。
従業員を休日出勤されるのは、コスト的にも倫理的にも厳しいから、俺だけ仕事に出て、1人でこなしていく。
『親父が死ぬ前は2人で上手くやっていけたけどなぁ…』
もう、この世にいない人間に助けを求めても仕方ない。
そうして、ようやく仕事を終えると、残り2日の休みをどう過ごすかを考えていた。
俺は折角だから家族を何処かに連れて行こうかと考えていた。
今回の連休は諸岡が来る予定だったが、仕事を理由にして断って良かったと、もの凄く安堵していた。
諸岡夫婦がウチに来ると、酒を飲みまくってしまうので、彼らと何を話したか記憶が怪しくなってしまうことも多いのだ。
そして、俺が飲みまくって酔いが回ると、知らないうちに『アーン♡』を人前でやることになって、俺の人生が、何時しか終わっていることが多い。
諸岡の家族は俺の家に何回も来ているので、その惨状に慣れているが、その都度、酔いが覚めた翌朝になると、酔った時のことを思い出して、俺の精神が自動的に死んでいることが多かった。
可愛い陽葵曰く『凄く酔った恭介さんは、お義母さんや三鷹さんと同じ』だとよく言われている。
それで『酔っ払った恭介さんを救えるのは、わたしの愛しかないのよ♡』などと陽葵に言われるのが、何時ものお約束なのだ。
しかも、その陽葵の言葉の語尾には、必ずハートマークが付くから、俺の溜息が半端なく出る。
『…陽葵よ、あえて俺に酒を飲ませてアーン♡を狙ってないか?。』
そんな疑問を、とりあえず頭の片隅に追いやって、俺は、仕事が終わって疲れ果てた重い足を引きずるように家に帰った。
「あなた、やっと仕事が終わったのね、良かったわ。」
陽葵は俺の姿を見た瞬間に、素早くキスをした。
『おお、陽葵成分を吸収できた!!!』
俺は陽葵成分を吸収して、疲れていた事なんて忘れるように喜びを爆発させた。
陽葵は、キスをした後に、残り少ない連休の過ごしかたを俺に提案してきた。
「あなた、今回は諸岡夫婦が来ないから、葵ちゃんのために動物園とか、恭治が行きたがっていた、ネットで話題のアスレチック場に行って、そのあとは、どこかで食べに行かない?」
「おお、それで良いかも。明日はそうするか?。」
俺は自然と陽葵の頭をなでていいた。
これは若いときからの癖だから、生涯なおらないだろう。
作業着から普段着に着替えが終わると、PCの電源を入れてSNSのチェックしていると、俺の読み通り、棚倉先輩からDMが入っていた。
陽葵も俺の隣で、一緒に棚倉先輩のDMに目を通しはじめた…。
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新島の家で急ぎ書いているから乱文失礼する。
三上よ。お前にしてやられた。
新島に怪我のことを暴露すると思わなかった。
ただ、お前の言うとおり確かにもう時効だ。
お前を守れず病院に押しかけて済まなかった。
高木さんに大目玉を喰らったのも覚えてる。
昨日は新島と飲んでお前の話に花が咲いた。
2年の時の体育祭実行委員の事を覚えてるか?
新島があのとき少しモテたと言っていたぞ。
お前は鈍いし陽葵ちゃんがいるからな…。
家族でお前の事で盛り上がってな、新島と一緒にあの時のようにお前の家に行きたい。
次の長期休みになったらお前に声を掛ける。
忙しいと思うが時間を作ってくれないか?。
陽葵ちゃんに迷惑をかけるのは承知している。
うちの加奈子や新島の奥さんにも手伝わせる。
お前がいるところは俺らにとってオアシスだ。
諸岡は家族で結構な頻度で行ってると聞く。
お前は大変だろうが諸岡の気持ちが分かる。
うちの加奈子は軽い結石だから心配ない。
そのうち連絡するから。
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「あ~、流石に両家族が子持ちだと俺の家には泊まれねぇなぁ。」
俺は棚倉先輩からのDMを見て大きい独り言を放った。
「あなた、ホントにどうしましょ、棚倉さんのお願いだから断るなんて、できないわよね…。」
陽葵も一緒に棚倉先輩のDMを読んで大ごとになると察して、俺と一緒に頭をかかえた。
でも、こんな表情をした陽葵が、もの凄く可愛く見えるのは俺だけだろうか。
「どうしましょ、ホントに困ったわ。2家族でお子さんまでいると、うちの広さでも泊めるのに無理があるわよ?。泊まらずに家でお話するなら大丈夫だけど、どちらも遠方だから困ったわ…。」
俺は少し思考を巡らせると、これを解決できそうな案が浮かんだ。
「あっ、そうだ。そういえば恭治の同級生で、温泉旅館をやってる子がいなかったっけ?。陽葵は知ってないか?」
陽葵は俺が何をやりたいのかを、すぐに察したようだ。
「その子、恭治と小学校の時からの友達だし、そのお母さんはPTAなどで会うと、よく話すのよ。いっそのこと、ウチも棚倉さんや新島さんの家族と、一緒に泊まってしまえば楽だわ。」
俺は陽葵の頭をなでながら、思考を巡らせた。
「今回は諸岡をNGにしたから、次のタイミングで泊まりたいと言い出すと思うよ。ついでに一緒に呼んでしまった方が楽だよ。みんなから宿泊費を募れば良いし、陽葵の負担も、諸岡の嫁の負担も減るから、俺の気が楽だよ。温泉だから、みんな喜ぶだろうし、バーベキューでもやれば時間が潰れるだろう。」
陽葵は、ホッとした表情を浮かべて、俺の頭をなで返してきた。
「なんだか楽しくなりそうね。久しぶりに棚倉さんや新島さんにも会えるから、ちょっと嬉しいわ。恭介さんが、お酒を飲まされたあとの、アーン♡のやり甲斐があるわよ。」
「…陽葵。お前は、いつも俺をワザと酔わせて、それを狙っていないか?」
やっぱり予想通りだった。
俺が酔って喋りまくるのがホントに嫌なら、気立てが良い陽葵のことだから、ある程度のところでお酒をストップさせるはずだ。
「ふふっ♡、あなたの酔っ払った姿も可愛いのよ。だから、つい食べさせたくなってしまうの♡。」
陽葵は悪戯っぽく笑って俺の頭をなでているが、人前でアーン♡をさせられる俺は、たまったモンじゃない。
「はぁ…。」
『陽葵よ、それに、その語尾のハートマークは絶対にいらない。』
俺が溜息をついていると、陽葵はもう一度、棚倉先輩のDMを読み返していた。
何か俺に言いたいことがあるようだ。
そして、少しのあいだ考え込んで、突然に何かを思い出したように俺に言葉を投げかけた。
「そうよ!。わたしとあなたが最初に出会って、あなたが病院に入院していた時にね、あなたが2年の時に体育祭の実行委員になったことを話そうと思って、ズッと忘れたままだったでしょ?。誰かがひっきりなしにお見舞いに来るから、しかたがなかったけど、今になって、あなたから話を聞きたいわ。」
俺はそれを聞いて、吃驚した。
だって、その面々には、陽葵だって俺と付き合い初めてから、相当に出会っているし、今でも深い付き合いがあるのだから…。
「おいおい、陽葵。牧埜や
俺の言葉を聞いて、陽葵はクスッと笑っている。
そして、あの当時のことを思い出しながら、あの時の状況を頭の中で整理した…。
「そうか、陽葵は俺が2年の時に、教育学部の体育祭実行委員に入った経緯や、その時の起こった細かいことなんて、全く分からないままだったか。これは完全に忘れていた…。」
陽葵は、俺の言葉を聞いて苦笑いをしたが、あの当時の恭介の交友関係を考えれば、仕方がない事だった。
彼は寮長の仕事が忙しい上に3年・4年になっても、色々な仕事を任されていたので、頭の中が混乱しているのであろう。
「あなた。そうなのよ。出会ってすぐの頃なんて、新島さんも謎の存在だったけど、牧埜さんや逢隈さんたちは、もっと謎だったわ。お見舞いに来ても、ザッとしか説明されなかったのよ。わたしは、あなたの交友関係が、もの凄く広すぎると思って吃驚していたのよ。」
俺は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
あの入院していた当時、色々とお見舞いに来る人が次々と訪れてしまって、陽葵とゆっくりと会話ができた時間が少なかった。
そのことを、ゆっくりと説明しようと思っても時間が足りなかったのだ。
「俺の交友関係なんて大して広くないよ。新島先輩のほうが凄かったけどね。ただね、先輩が結核になった後は、サークルを渡り歩くのと、合コンをキッパリとやめたし、肺の具合もあったからタバコもやめたんだ。先輩が気持ちを入れ替えた後は、凄くマトモになったんだよ。陽葵は改心した後の新島先輩しか知らないだろうからさ…。」
陽葵は新島先輩の話を聞いて、少し驚いたような顔をした。
「あなた、ホントに知らないことだらけだわ。新島さんの結婚式の時に、あなたのスピーチで、1人の後輩としてヒヤヒヤしたなんて語って、みんなを笑わせていたけど、そんなに酷かったの?。」
俺は、もの凄い勢いで陽葵の問いかけにうなずいた。
「あれは、新島先輩の同僚や上司が教師ばかりで挨拶が固くて長かったからなぁ。あそこで笑わせないと、周りが飽きると思ったんだ。まぁ…それは置いといて…だ。本題に戻ると、新島先輩は、休学中に棚倉先輩の奥さんの友達と知り合って付き合いはじめて、観念したように身を固めた感じだよ。それが新島先輩の奥さんというわけだ。」
「そうだったのね。あなた、今は恭治も友達の家に遊びに行っているから居ないし、葵も昼寝をしてしまってるから邪魔も入らないわ。話は相当に長そうよね?。」
陽葵は、恭介から自分が知らない昔話を聞き出す事に関して、これはチャンスだと思っていた。
最近は、棚倉や新島たちとも、昔話に花が咲いていて、その影響から、知らなかった事も含めて、色々と聞かされているから、陽葵は恭介が書くDMを読むのが、とても面白くなっていた。
これを逃すと、恭介から、あの当時の話をいつ聞けるか分からない。
「下手したら明後日ぐらいまで引っぱるかもしれないけど、日が暮れて恭治が帰ってくるまで、どこまで話ができるなぁ…。」
俺は、あの時の記憶をたぐり寄せた。