俺は陽葵を見つめながら顔を真っ赤にしていた。
「とても可愛くて綺麗で悶えてしまうぐらい愛おしい陽葵さま。私は今からシャワーに行きますが、陽葵さまも一緒についてくるのでしょうか?」
この後に起こりうる陽葵の行動が安易に予想できて、その緊張から奇妙な敬語になっていた。
陽葵は俺の言葉に頬を赤らめながらも相当に積極的だった。
「かっこいい恭介さん。そんな当たり前なことを聞かないで♡。」
陽葵よ。その語尾のハートマークは絶対にいらない。
病棟のシャワールームは、狭くて陽葵が入り込んで俺の背中を流せるスペースがないことが唯一の救いだった。
恐らく病人のことを考えて、倒れてもすぐに分かるように、配慮をしている部分もあるのだろう。
『俺は着替えだけを我慢すればいい。』
俺は、そう心に念じて覚悟を決めるとシャワーを浴びることにした。
シャワールームの脱衣所で一通りの準備が終わると陽葵が患部をビニール袋で覆ってくれる。
「あなた、行ってらっしゃいませ♡」
なんだか恋人を通り越して、こんなに可愛い子と新婚夫婦のような気がしてきたが、付き合って数日しか経ってない彼女から言われる台詞ではない気がする。
シャワーが終わると、陽葵は平然として俺の体を拭く。そして、なすがままに着替えさせられる。
『このまま俺は、陽葵に何もかも駄目にされてしまうのだろうか…。』
そんなことを思いながら、俺はこんなに可愛いすぎる女の子の距離感に試行錯誤をしていた。
こういう時の陽葵は無我夢中になって暴走してしまう。
その暴走が積極性を生んで、最後はこんな感じになってしまう事が分かってきた。
それを正常軌道に戻してあげることが彼氏としての役目だと気づき始めていた。
『陽葵は想いを寄せたら一直線だから、その暴走を止めるのが俺の役目だよな。』
その事が分からずに陽葵と一緒に積極的になってしまうと、最後は「あーん♡」を先輩たちに見られたように人目も気にせず暴走してしまい、核爆弾級の威力で周りを当ててしまって大変な事態になる。
そんなことを考えながらシャワールームから出て病室に戻ると、看護師が夕食を持ってきた。
だが、この時の俺の精神は、ほとんど陽葵によって支配されている。
「悶えそうなぐらい、とても、とても可愛い陽葵さま。私は自分でご飯を食べたいのですが…。」
「もぉ~。恭介さんったらぁ~♡。お世辞がうまいわ。そんなに褒められると恥ずかしいの♡。いまは恭介さんの手が不自由だから無理をせずに、しっかりと食べてくださいね♡」
陽葵は俺の褒め言葉を受け止めつつ、1人で食事をすることを許してもえなかった。
そして、いつもの如く最後はお互いに匙を出し合ってご飯を終える。
食事が終わると、今度は談話ルームで陽葵が食事をしている間に、看護師さんが付き添い用のベッドを持ってくる。
「三上さん。今日も彼女さんと一緒に寝るのですね。お幸せにしてくださいねっ☆。」
看護師さんの後押しが、なんとなく俺の心に微妙なトゲが刺さったように痛い気がした。
寝る前に俺と陽葵は面と向かってようやくお互いの語らいができた。
それは他愛もない話だった。
明日の夜は、陽葵は家に帰って、この時間が貴重だった。
陽葵はエレクトーンが弾けることが分かったし、テーマパークによく行ったり、少女系のラノベなどもよく読むらしい。
オタクに関しては、高校時代に同人をやってる友人がいて、俺に対する抵抗感は全くないなんて、笑いながら言っていたので、内心はホッとしていた。
あとはお母さんと一緒に家事を手伝って料理も一緒にしたりするらしい。
大学がある日は自分で作ったお弁当を食べているから、1人増えるだけだから心配しないでと言われた。
陽葵からそう言われても、今まで看病してくれたことも含めて感謝の気持ちを表に出したかった。
「陽葵。こんな俺を世話してくれてありがとう。気立てがよくて可愛すぎる彼女がいて俺は幸せすぎるよ。」
俺は陽葵の頭をなでながら感謝の気持ちを口にした。
陽葵は頭をなでられて嬉しそうだった。
「恭介さん。わたしはあなたに2度も助けられて感謝の気持ちでいっぱいなの。こんなに優しい人に出会えてわたしは嬉しいのよ。恭介さん、ありがとう。」
そうすると陽葵も俺の頭をなでた。
そうやって頭をなであうと、2人は満足したように眠りについた。恭介の入院生活の中で、誰にも邪魔されることなく穏やかに過ごせたのはこの日だけだった。
その後は、教育学部の関連の人達や、荒巻さんや学部の教授、学部の仲間や、寮の先輩たちのお見舞いなどが続いて日中は気が休まらなかったのだ。
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さて、時は現代に戻る。
『もう、この辺で切り上げよう。仕事に差し支えがある。』
俺は新島先輩に仕事があるので切り上げる事を伝えて、最後のDMを送信した。仕事場に行こうとしたら、新島先輩から今回の件で返信のDMがきていた。
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お前らのいちゃつきはお約束だからどうでもいい。
こっちは「ご ち そ う さ ま」の一言だわ。
もうこの時から、お前達は恋人を超えて夫婦化してたからなぁ。
問題は先輩や美緒が三上の怪我を俺に隠した事だよ!!。
お前が口止めされてたのは分かるが、牧埜たちもグルか?。
さらに酷かったのは、入院している病院に押しかけてお前が迷惑だった事だよ。
それを見かねた高木さんが怒るのも当然だし、あそこで怒って良かったんだよ。
棚倉先輩は、相当な失態をしてから、復学後に俺に突っ込まれるのが嫌だったか。
よし、分かった。
お前が、あの時に酷い目にあった仕返しも含めて、先輩に突っ込んでやるよ。
くくっ。今度の連休が今から楽しみだ。
なににしても、有益な情報をくれてありがとうよ。
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新島先輩への長文DMは、これで一区切りがついた。
その後は暇を見つけながら先輩に情報を垂れ流すだけの作業が待っている。
そこに陽葵がやってきた。
「あなた、やっと新島さんへのDMが終わったのね。」
俺は疲れた表情を浮かべながら陽葵の頭をなでた。
陽葵の頭をなでてしまうのは、あの時と変わらないし、もう、長年の癖になっているので無意識のうちになでてしまう。
「今回のDMは長すぎたよ。でもね。この文章を通じて、あの時に入院したのを切っ掛けにして、俺と陽葵の仲がすごく進んだことに気づいた。」
陽葵も長年にわたって頭を撫でられているから、あの頃の緊張もなく、なでられたまま自然に喋っている。陽葵も昔のことを思い出して楽しそうな顔をしている。
「そうよね。あの入院がなかったら、あなたが、どんな人なのか知るのに時間がかかったわよ。みんなが一気にあなたのことを語ってくれたから、わたしは楽だったのよ。」
俺は陽葵とは対照的に顔を曇らせて溜息をついた。
「俺は陽葵とは逆だ。あの当時、陽葵の事をあまり知らないから、性格や趣味・嗜好を探るのに苦労をしたから、最初はすごく、ぎこちなかったと思うよ。本音を言えば、退院後の文化祭でギプスが取れたあたりから、ようやく陽葵を分かってきた。」
陽葵は思い出したようにハッと目を開いた。
「あっ…。そうだったわ。だって、入院している時にね、あなたと話そうとすると、だいたい邪魔が入って会話が中途半端になっちゃうの。それだけあなたが周りから信頼されていた証拠だったけど、あれは可愛そうだと思ったの。」
「そうなんだよ。だから先輩たちが高木さんから大目玉を食らったんだ。」
俺は陽葵の髪の毛を右手で少し弄りながら苦笑いをする。
「あれは怖かったわ。あなたは平然としていたけどね。それに、高木さんに聞こえないよう棚倉さんが駄目とかボソッと言うから…。フフッ。いま、考えると笑っちゃうけどね。その当時から、あなたは度胸がある人だと思ったわ。」
彼女は俺を見て、あの頃を思い出して笑顔になっている。
高木さんは怒ると恐い人だったけど、陽葵の心の中では、良い思い出話になっているようだ。
「あれは、高校時代に不良がいたから慣れていた結果だよ。ただ、高木さんは筋金入りだったよ。俺も本気で高木さんから怒られたら、ちょっと怖い。」
陽葵は俺の言葉を聞いて何かを思い出したようで、少し悲しそうな顔になった。
「高木さん…。そういえば2年前に癌で亡くなってしまったよね。あの怒った姿を見たら、震えるほど恐かったど、根は優しい人だったわよね。それが分かったのは貴方と付き合いはじめて、しばらく経ってからのことよ。怒らせなければ、とても優しい人だったわ。」
俺は、悲しみにふけろうと思ったが、仕事がある事を同時に思い出してしまった。
「そうだねぇ…。あの時は俺も悲しかった…。あっ、そうだ。仕事をしないと。こんな話をしてたら仕事が遅れる!」
俺は急いで椅子から立ち上がると駆け足で仕事場へと向かった。
こんな感じで三上家の日常は過ぎていく…。