しばらく本を読んでいたら、陽葵が談話ルームにやってきた。
彼女は昨日の午前中ようなカジュアルな服に着替えていた。
「あっ、あ、あの…、恭介さん…。」
陽葵は俺の隣に座って消え入るような声で俺に声をかけた。
顔が相当にこわばっている。
「わたしが寝ぼけて、恭介さんと一緒に寝てしまったことに怒っていませんか?。」
彼女は赤らめながら申し訳なさそうに聞いてくる。
「大丈夫。怒ってないから大丈夫。ちょっと吃驚したけど気にしなくていいよ。そんなことで陽葵を嫌ったりしないし、俺は可愛い陽葵の寝顔が間近で見られたから、こっちは得をした気分だよ。」
俺は陽葵の頭をポンとなでて平静を装った。
内心はギリギリのところで理性が勝った事を思い出していたが、表に出さないようにしていた。
「恭介さんは優しいわ。寝顔を間近で見られたのは恥ずかしいけど、嫌われなくて良かったわ…。」
陽葵はホッとした表情になった。少し緊張も解けたようだ。
「ところで…さ。今日の午前中、俺の親父とお袋がくるから、あの朝食の光景を親に見せるのは流石にキツいから、アーンは控えたほうが…。」
俺は困惑の表情をうかべながら陽葵の目をじっと見て言った。
「それは大丈夫なの。恭介さんのご両親に、今日は朝食後に来てもらうように話をしておいたの♡」
陽葵はとても嬉しそうにして、俺の頬を人差し指でツンと軽くつついた。彼女の語尾にハートマークがあるから、俺に飯を食べさせることへの愛の気迫を痛いほど感じる。
『はぁ…。これが今日の夜まで続くのか…。』
昨夜は陽葵に夕食を少し分け合ったこともあって、お腹が空くのが早い。
「陽葵。明日は講義があるから夕方からだよね?」
俺は、陽葵の明日の予定も聞いておくことにした。
飯を食うたびに陽葵が顔を赤らめつつ、
「恭介さん、振替休日もあるから明後日まで休みよ。病院にいると曜日感覚が狂うのは分かるわ。休みは沢山あるし、たっぷり2人っきりになれますから♡。」
陽葵は俺の勘違いに同情した上で、俺と長い間、2人きりになれる事を楽しんでいるようだ。
「しまった。スッカリ忘れていた。なんか食べて寝てばかりだし、祭日なんて頭から飛んでいたよ。」
俺はあえて「やっぱりアーンはされるのか?」を省略した。もう聞くまでもないと思ったからだ。
「水曜日からの恭介さんが心配だけど、講義が終わったらすぐに駆けつけるわ。わたしがいなくて凄く心配だけど、それまでは絶対に生き延びて。恭介さん、絶対に死んじゃ駄目だからねっ!!」
陽葵の目が潤んでいる。
俺は徴兵されて戦地に行く兵士ではない。無論、死亡フラグも発生してない。
「おいおい、オーバー過ぎるよ。こんなことで死ぬわけないだろ?。」
みんなが相当にオーバーに考えるので俺は困り果てていた。
「みんな恭介さんの事が心配なのよ。あの時に気を失って倒れてしまったから、何かあったら困ると思っているの。」
俺がこんなことで死ぬわけがない。それはうちの先輩たちも同様だ。
俺は深い溜息の後に、面倒くさい用事を思い出していた。
あの時に携帯を持ってきたが、動揺していたせいで頭から抜けてしまっていた。
「陽葵、今から俺の携帯のメールをチェックさせて。入院した夜に、寮や学部の人間から凄い数のメールがきてたから、まだ、余波があるかも知れない。五月蠅いから電源を切りっぱなしにしていたから、溜まっている筈だし。」
俺は携帯の電源を入れてみた…。
受信メールは48件。思わずため息がでる。
留守電は全くない。入院中に用もないのに電話をかけてくる奴がいなくて内心、ホッとしていた。
メールの4割程度は学部の仲間で『お前の彼女が見て見たい』などと書かれたような、俺に対する冷やかしのメールである。
残りは、うちの寮生が、入院した話を聞きつけて、メールを送っているようだ。
「48件か。もう、なんか嫌になってきたなぁ。」
陽葵は俺のメールの件数を聞いて自慢げになっている。
「フフッ♡。みなさんが恭介さんを心配してるのよ。」
「陽葵。うちの寮生からのメールが多いのは納得の結果だけどね。このメールの4割は、うちの学部の人間でね。その大半は陽葵が可愛すぎるから、それを一目見ようという愚か者が多い。それは流石に疲れるからスルーしてる。」
俺は困惑した顔で陽葵に助けてくれと訴えるような目で見てしまった。
「失礼しちゃうわ!!。恭介さんは頑張ってわたしを守ったのに。わたしは下心をもった人は嫌いよ。」
陽葵は物見遊山の学部の連中に対して怒っているようだ。
彼女の怒った顔も可愛いけど、これは本当に怒ってるから、ちょっと怖い。
「陽葵、少し違うかなぁ。工学部は女子が皆無に等しい男所帯だ。だから学部で彼女がいる学生なんて希なんだよ。それで周りから羨ましがられてしまうから、それが俺への冷やかしに繋がっている。この感覚は、他の学部だと分からないから、仕方ないかも知れない。」
しかし、陽葵はその説明に納得したかのような表情をした。
「わたし、高校が女子校だったから、なんとなく分かるわ。彼氏持ちの子が女子トークで色々と聞かれて困っているのに似てるわ。私もそういうのは無縁だったから、聞き流していることも多かったけど…。」
陽葵の怒った顔は可愛いけど、少し恐いから納得してもらえて良かったからホッとしていた。
「それと同じ感覚だと思ってくれ。でも、うちの学部でお見舞にくるのは、俺の信頼できる仲間だから心配しないで安心してね。」
とりあえず、学部の連中の冷やかしメールは完全にスルーして、寮生に軽く返信をつけていく。
そんなことをしているうちに、朝食の準備をしてる音がする。
最後の受信メールを見ると、思わぬ人からのメールに驚く。
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三上くん、お久しぶりです。
実行副委員長の牧埜です。
新島さんが休学で三上くんが寮長になって
忙しい日々が続いていると聞きました。
寮生の友人から聞いたよ。キミは凄いよ。
暴漢から骨を折ってまで彼女を守ったなんて。
三上くんの働きぶりを見ると納得です。
実質は委員長だし、大切な仲間だから心配です。
今は入院をしているようで、お体が心配です。
大勢で行っても迷惑でしょうから、実行委員を
代表して2~3人程度で御見舞に行きます。
詳しい話は棚倉さんを通じて聞いています。
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「うわぁ。そこまで俺の噂が回ってるの?。マジか!!!。」
このメールを見て焦った。
俺が副寮長の時に、新島先輩が学部の体育祭実行委員長を任されたが、その実行委員に外部委員という謎の役職があって、それを俺に押しつけてきた事があった。
最初は即座に断った。面倒だし、絶対に課題やレポートが溜まって死ぬ。
うちの工学部も昔は体育祭があったらしいが、委員会のなり手もいないくて、いつしか無くなったと聞く。
最後には新島先輩に土下座されて、棚倉先輩にも説得されたあげく、休日中に豪華な夕飯を奢って貰う約束で渋々と引き受けたのだ。
この件に関しては『教育学部だけの体育祭なのに、なんで余所の学部の委員をつけるの?』なんてツッコミしか浮かばない。
聞くところによると、随分と前に委員会ぐるみの不正があった。
この体育祭は数は少ないが屋台も出る。規模的に文化祭ほどではないが、不正に関してはお金が絡む案件で何かあったのだろう。それの監視の目ということで、学部外から招聘する形で外部委員が1~2名程度、置かれるのが慣例となったらしい。
俺は外部委員だったが、さらに大役を任されていたので、あの時は大変だったのだ。
その時の実行副委員長だった牧埜からのメールだった。
「恭介さん、どうしたの?」
陽葵はなんだか興味津々だ。
「ざっくりと話すと、前の寮長がね、俺に面倒ごとを押しつけたことが切っ掛けで教育学部の人と少し交流がある。その人からメールがきていてね。そこまで俺の噂が広まっていることに驚いている。」
この話を始めると相当に長くなる。
「恭介さんは寮長さんだから顔が広いのね。」
やっぱり陽葵は興味津々だ。
「いや、俺の交友関係は少ないよ。顔が広すぎる前寮長が相当に厄介な仕事を持ってきて、俺がとばっちりを受けたんだ。明後日まで休みだし、ゆっくりと話す時間がありそうだから、そのときに時間をかけて経緯を説明するよ。」
俺は牧埜に返信メールを打ちながら陽葵に言葉を掛ける。
三鷹先輩のように速攻でメールを打てればいいが、携帯でメールを打つ速度は普通以下だ。
俺は話ながら牧埜に『お見舞いの件、ありがとうございます。皆さんにご心配をお掛けしています。多数のメールがきているので簡単なメールで申し訳ないです。』そんな内容のメールを返信すると立ち上がった。
「陽葵。そろそろ朝食だから戻るか。」
陽葵も一緒に立ち上がる。
談話ルームから病室に戻る廊下で陽葵の目がハートマークになっているのを確認すると、陽葵が少し顔を赤らめて俺を見た。
「ふふっ♡、こんどは照れないで食べて下さいね♡」
陽葵は俺に飯を食べさせる、愛の気力が満ちあふれている。
『陽葵よ。これ以上やる気が満ちあふれると俺が困るのだ。陽葵のことで頭がいっぱいになって飯を食った気にならんのだ。』
俺はその気持ちを本人の目の前で言わないことにした。
自分も陽葵の虜になっているので、可愛い姿をずっと見ていたい本音もある。
病室に戻ると看護師さんが来て、すぐに朝食のトレイが置かれた。
その後はお約束である。
今日はいつになく陽葵の気合いが入りすぎている。
「恭介さん♡、照れないでね♡。わたしまで照れてちゃうから恥ずかしいの♡」
陽葵の語尾はハートマークだらけである。
お約束の如く俺はご飯が残り少なくなると、陽葵に匙を差し出した。
「恭介さんったら~~~♡。駄目だわ。お腹が空いちゃうから駄目なのっ♡」
そう言って恥じらいながら陽葵は俺が匙を差し出したご飯を食べる。
もう陽葵が食べてる姿が可愛すぎる。俺も陽葵に悶えてしまっている。
俺は生まれてこのかた飯を食うのに、こんなに悶えたのは初めてだ。
「恭介さん。こんな所にご飯をくっつけちゃってっ♡」
彼女はそう言うと、彼女の顔が段々と近づいてきた。
『え????』
俺は陽葵がやろうとしてる行動が分かってしまって、顔が真っ赤になって硬直してしまった。
いつもの甘い香りがして、彼女のサラッとした髪の毛が俺の額や頬に触れる。
陽葵も顔が朱色に染まり耳まで真っ赤だ。
それは俺の肩に陽葵の手が乗った瞬間だった。
陽葵は俺の頬についてるご飯粒を食べた…。
そのあと、お互いが見つめ合って、微笑むことが何回が続いた。
「陽葵。これはお返しだっ。」
俺も陽葵の頬に不意打ちでキスをした。
彼女の頬はなめらかで柔らかかった。
そのあと、数分間、俺と陽葵は微笑みあった。
「陽葵…どうしよ。俺、お前のことが好きすぎて、しかたがないよ。」
陽葵は顔を真っ赤にしながら微笑んでる。
「恭介さん、私も同じだわ。どうしよ…。ホントに恭介さんが好きだわ…」
…この2人、その場の空間が愛で満たされるので危険である…。
幸いにも誰もいなくて良かったことを明記しなければいけない。
そうして、2人の愛で満たされた食事は終わりを迎えたのである。