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~エピソード4~ ⑭ 三上さんに休息を与えてください。~1~

 人生が終わった食事で地獄を味わった後、俺は放心状態のまま横たわって動けなかった。


 3人に「あ~ん♡」を見られたが、そこから逃げる事が許されず、真っ向正面から陽葵の求めに従って使命を果たした影響で、俺の頭の中から『羞恥』という言葉が削り取られて、あらゆる思考が途絶していた。


 陽葵が求める愛情に羞恥を捨てて果敢に立ち向かって戦ったが、心に負った傷が深くて起き上がれない。


 これが俺と陽葵の2人きりなら、陽葵ちゃん大好きモード全開で、彼女が恥じらいながら「恭介さん、たべて~~♡」と、語尾にハートマークをつけながら匙を差し出されたとしても、俺は感涙しながら食事を残さず食べただろう。


 しかし、今は、俺の精神の全てを陽葵に捧げてしまっているから、玉砕してしまっていた。


 陽葵は顔を真っ赤にしつつも、俺の頭を黙って撫で続けている。そこに看護師さんがきて、微笑みながら昼食のトレイを片付けた。


「もう~、彼女さんったらぁ~。三上さんは幸せ者ですよぉ~。三上さん、ここに薬を置いときますから飲んで下さい。処方が変わって今朝とは違う薬ですからね。飲みかたは今朝と一緒ですけど、そこの紙をよく読んでおいてくださいね。」


 看護師さんは、鼻歌を歌いながら先生から処方された薬をテーブルに置いて病室から出た。


 病室前にいた3人は、看護師さんが病室に入った事によって、2人の愛が満たされていた病室に一筋の正常な空気が流れ込んで、ようやく病室内に入ってこられた。


 しかし、棚倉・三鷹・橘の3人は、病室に足を踏み入れたものの、あまりにもインパクトが強すぎて何と声をかけて良いのか分からずに沈黙が続いた。俺はベッドに横たわり、陽葵に頭を撫でられたままだ。


 その沈黙を棚倉先輩が、ついにこじ開けた。

「…おっ、お、お前っ。これって…、まさか…毎日か???」


 俺は精神が死んでいたので棚倉先輩の問いに間髪を入れず答える。


「はい。かわいい陽葵さまの絶大なる愛情を、たっぷりと受けるために、陽葵さまからご飯を食べさせられる義務を背負っています。」


 今の俺の言葉には抑揚がない。それに『羞恥』という文字がどこにもなかった。


 棚倉先輩はため息をついた。

 そして腕を組んで、俺の様子をじっと見て慈悲の目を向けた。


 そして、次の言葉が出ない棚倉先輩のかわりに橘先輩が3人の気持ちを代弁した。


「お2人さん。私はもっとやれと言いたいわよ。もう行けるところまで行って欲しいの。ここまできたら突き進んで欲しい。この規模で当てられると怖いものなんて何もないわ。」


 俺に慈悲を向けていた棚倉先輩が後輩を守ろうと動いた。


「いや、橘。それでは三上が(精神的に)死んでしまう。こんな姿になった三上は見たこともない。」


 決死の覚悟で羞恥と戦った後輩の目はすでに死んでいる。


 俺は横になりながら、無気力な声で棚倉先輩に男としての弁解をした。

「棚倉先輩。男は好きな女の子から強く押されると、なすがままになりますね。俺は生まれて初めて彼女をもって先輩の気持ちが分かりました。」


 棚倉先輩は俺の勇姿を讃えた。

「三上、お前は男だ。愛する女の子の為に羞恥心を思いっきり捨てたのだから。」


 顔を真っ赤にして黙り込んでいた三鷹先輩がようやく重い口を開けた。彼女がこれだけ黙り込むのは天地がひっくり返るほどの非常事態としか考えられない。


「恭ちゃんが、ここまで優しいとは思わなかったわ。これは世の中の女の子が抱く願望の一つよ。」

 三鷹先輩はあの様子を再び思い出したのか、顔の赤みが少し増していた。


「でもね、陽葵ちゃん。それを私達が見ている前で堂々とやるなんて到底できないわ。普通なら恥ずかしすぎて慌てて食べるのを絶対にやめるもの。」


 珍しく彼女が常識論を語ってる時点で、さきほどの事案が非常事態であると俺は再認識した。


「女の子が好きな男の子に、そうしたい気持ちはよく分かるわ。これは見ていて恥ずかしいけど、うらやましすぎて、ズッと見てしまうわ。」


 陽葵は三鷹先輩のその言葉を聞いて、再び耳まで顔を真っ赤にして俺の頭を撫でるのを止めた。彼女は一直線すぎるので、こういう事になると夢中になりすぎて、周りが見えなくなる事がある。


 三鷹先輩の目が真剣になった。これは緊急非常事態宣言である。


「陽葵ちゃんの気持ちは、ものすご~~~く、分かるけどね。彼氏さんに助けてもらったから、何かしてあげたいもんね。」

 彼女はここまで言うと息を整えた。


「でもね…。恭ちゃんに少し手加減をして欲しいの。恭ちゃんは陽葵ちゃんのとの愛情に向き合って、頑張りすぎて(精神的に)死んじゃっているのよ。」


 三鷹先輩は俺の(精神的な)死亡を確認するために頬をツンツンしている。もう抵抗する力がないので、ツンツンされながら素直にうなずいた。


 ベッドの横にある椅子に座っている陽葵はバツが悪そうにうなずいた。彼女は首まで真っ赤なので、今になって事態の深刻さが分かったようだ。


「それに、私たちが、このまま貴方たちに全力で当てられると、気になって夜も眠れないから、ズッとここに居座ることになるわ。」


 三鷹先輩の言葉がいつもの軌道に戻ってきたが、俺は三鷹先輩を一般常識的な言動に関して、軌道修正をする気力なんて、とうの昔に尽きている。


 そして、三鷹先輩の言葉に棚倉先輩と橘先輩が凄い勢いで、うなずいている。

 …どうあがいても手遅れになっていた。


 そのときだった。俺の左腕に術後の痛みが襲ってきた。

「痛っ。そろそろ薬が切れて痛んできたか…。」


 俺は、いつまでも(精神的に)死んでられないし、そろそろ薬が切れて腕の痛みが増してきたので、とりあえず薬を飲むことにした。


 俺が起き上がって薬の注意事項などの紙を読み始めたら、陽葵が椅子からサッと立ち上がって病室の冷蔵庫からペットボトルを取りだしてコップに水を注いだ。


 それを3人が見て、陽葵の気立ての良さに恭介が惚れたのが明らかに分かった。


「恭ちゃん。ほんと~~~に、よい奥さんを貰ったわよね。」

 三鷹先輩が納得したと言わんばかりに俺の肩をチョンと叩く。


「先輩、付き合って2日目で俺たちを結婚させないで下さい。この薬で痛みはとれても、可愛すぎる陽葵のために俺が羞恥を捨てて、人生が終わった痛みは癒やされません。」


 俺は『羞恥』を何処かに置き去りにしているような気がした。薬を口に頬張って、陽葵が注いでくれたコップに口をつけて一気に飲んだ。


 ちなみに、俺の親父やお袋がきたときに、水や飲み物を箱ごと持ち込んでいた。それを見た陽葵が病室の備え付けの冷蔵庫に気を利かせて入れてくれた。


 この量なら自動販売機で飲み物を買う必要もないだろう。誰かお見舞いに来た時に飲み物を渡せるぐらいあるから、退院して持ち帰る前に消費しないと荷物が大変な事になる。


 田舎暮らしだと、つい大量に買ってしまう悪い親の例が如実に出ている。


「陽葵も飲んで良いけど、みんなにお茶を渡してあげて。あの量のお茶は入院中に消費できないと思うから。」


 陽葵が顔を赤らめながら、ぎこちない足取りでみんなにお茶を渡していく。


 俺の思考が正常値に戻ってきたところで、普通の質問を三鷹先輩に投げかけた。


「三鷹先輩。木下は受付ですかね?。あと、みんなでご飯を食べに行こうという声が、ここまで聞こえた気もしましたが…。」


「恭ちゃん、立ち直りが早いのね?。寮役員が誰もいないと問題があるから、理恵ちゃんはお留守番よ。たぶん、私達が帰って夕方頃に高木さんと一緒に来るかしら。」


 三鷹先輩はそこまで喋ると、少し思考を巡らせていた。


「思い出したわ。しばらくしたら、陽葵ちゃんのご両親と恭ちゃんのご両親と一緒に私達もご飯を食べることになったの。陽葵ちゃんも一緒においで。」


「恭介さんが心配ですから、私はこのままでも…。」

 陽葵は、まだ顔を赤らめていたが平常心が戻ってきたようだ。


「俺は行けないけど、みんな行っておいで。陽葵も行っておいでよ。俺と陽葵はいくらでも会えるし、また戻ってくれば良いから。」


 陽葵は少し後ろ髪をひかれつつも、恭介の勧めに従うことにした。彼女はお腹も空いていたし、将来を考えると恭介の親にも顔を覚えられたいという感情もあった。


「凄く恭介さんが心配ですが、みんなのところへ行ってきます。絶対に死なないでください。」


 陽葵は目がうるうるしている。 


「陽葵、大丈夫だから。こんなことで死なないから。昨日からみんなオーバーすぎる…。」

 俺はため息をして疲れた表情をした。


「お前ら、本当に仲が良すぎるぞ。見てるこっちがヒヤヒヤするから気をつけろ。」


 棚倉先輩が苦笑いしながら俺と陽葵に勘弁してくれと言わんばかりの言葉を投げかける。


 俺は咄嗟に話題を変えた。

「まぁ、それはともかく、皆んなで食べに行った事を知らない木下が、ちょっと可哀想だな。これを知ったら少しむくれそうだし。」


 そうすると、みんなが笑い出した。

『よし、これでいい』


 正直、俺は疲れていた。陽葵がそばにいるのは凄く嬉しい。でも、午前中の陽葵の家族や、俺の両親がきたこと、お昼の激アツあ~ん♡事件で、俺の精神力は削られすぎていた。


 昨日の痛みで眠れなくて寝不足だったし、しばらく一人になって寝たい欲求もあった。


 俺には休息が必要だった。


「陽葵、みんなと一緒に食事に行くわよ。」

 陽葵の母が病室に入ってきて娘を促す。それを合図に一斉に病室を出て行く。


「三上。食事が終わったら、ここに戻ってくる。これでは帰るに帰れないしな。」

 棚倉先輩が病室を出る前に頭をぽんと軽く撫でて出て行った。


「ふう…」


 俺は誰もいなくなった病室で一人になって心が落ち着き始めた。少しテーブルの上を片付けて、ベッドの中に潜り込んだ。


 それでも俺の頭の中には可愛い女の子の存在が大きく浮かんでいる。


 俺の日常は寮生の取り巻きを含めて人と接する時間が長い。寮長の仕事や、工学部特有の膨大な課題やレポートが積み重なって自分の時間がとれない事も多い。


 まして、俺の部屋は寮生のたまり場になってて、仲間がゲームに熱中すると深夜まで居座る寮生も多かった。


 それを脇で見ながらレポートや課題を終わらせたり、一緒にゲームをしたり、パソコンで寮の掲示物を作ったり、寮内のモノが壊れた際の修理や交換の申請書、棚倉先輩に頼まれた寮長会議の議事録を作り直したりしていた。


 寮長会議の議事録は三鷹先輩が書くと少女漫画のように余白などに余談が書いてあって見にくい。おいしい店がここにあるとか、ここに行きつけのパン屋があるなどと余計なことが沢山書いてある。


 俺が1年の頃から、棚倉先輩や新島先輩がそれに困ってて、寮長会議の議事録を俺がパソコンで作り直す仕事をさせられていた。報酬は休日の夕飯を奢ってもらえる約束だった。


 新島先輩が美味しいカレー屋とか格安の食べ放題の店をたくさん知っていて、そこで美味いモノをひたすら食わせて貰った。


 だから不満なんて一つもなかった。


 俺が作った議事録は誰が作ったのかは関係者に言わずに渡していた。これは「三上は秘密兵器だから」という訳が分からない理由だった。


 …最近は木下が議事録を書くことが多くなって、その手間は激減したのだが…。


 話しはそれたが、俺は忙しさのあまり、一人になりたいときがある。最近は新島先輩が休学したおかげで、そんな暇すらなかった。


 俺は、一人になりたいとき、仕送りが入ってきた直後の休日になると、誰からの誘いも断って、ぶらっと秋葉原まで電車で行く。


 パソコンのパーツや、ジャンク品、電子部品などを見て、色々な情報を仕入れた後に、なじみのラーメン屋入るのがお約束になっていた。

 (*当時の秋葉原はオタクの町ではなく、パソコンや電気、電子などの店が建ち並ぶガチの電気街でした)


 そして駅の電気街口と反対側にある大きな本屋まで歩いて、学業に必要な専門書などを買った後に、神田の古書店まで足を運んで、好きな古代中国の歴史小説やその文献などを読み漁って、気に入った本を買うのだ。たまに漫画も全巻、買ったりするが古本なので仕送りが途絶えがちな学生には有り難かった。


 そういうモノを買い終えて一通り満足すると、電車に乗って夕刻に寮に帰るような渋すぎる休日の過ごし方をしていた。


 ちなみに、棚倉先輩が読めないと降参した本は、その一部だった。


 俺は中国の春秋戦国時代の小説などを好んで読む。ネットで、古代中国の歴史を趣味とする人と掲示板などで交流があった。皆が知っている三国志以前時代の歴史なので、一般論からすればマイナーな部類だ。


 そして、その趣味を持つ大抵の人は腐女子が多い。女性向けの過激な裏サイトは見ないようにして、表サイトで同人系の小説を少し読んだり、その人が興味を持って調べた考察や、古文や漢文、そういう人が整理してくれた年表や人物像や細かい分析なども読みまくった。


 慣れてくると、その手の人が書いた漫画もタイトルを見なくても内容だけで「これは宋襄そうじょうじんか」などと一発で分かってしまうぐらいの知識を持ち合わせるようになっていた。


 そういう人たちの中には助教授や准教授格の人も紛れ込んでいた。俺が男だということで、男性視点が知りたいという理由から、色々と読ませられて感想を求められたり、分からないことがあると掲示板で質問した事に答えてくれたりして相当に鍛えられた。


 俺はそういう背景から、漢文も少しだけマトモに読めるようになった。


 更にチャットで晏子ごっこといって、晏嬰あんえいやその取り巻きの人物になりきってチャットを演じるとか訳の分からん事をやってるうちに知識が無尽蔵に入り込んだ。


 崔杼弑君『崔杼その君をしいす 』と、書いてあるだけで、恭介はニヤリとする。


 大抵の人はニヤリとする理由など分からない。


 余談はさておき、俺が一人で何処かに行って寮に帰ってくると彼は本を持っているので「どこに行っていたのか?」なんて聞かれても、手に持っているものを見れば「お前は専門書でも買ってきたのか」ぐらいにしか言われない。


 今は寮長になったばかりで激務も続いていて、休む時間も一人になる時間も削られていた。


「そろそろ、あのラーメン屋の全部入りが食べたい」

 俺は独り言をつぶやいた。体が休むことを求めていた。


 骨が治って、誰とも邪魔をされずに陽葵とデートをしたい願望も強かったが、一人になってゆっくりしたい欲望も同時にあった。


 独りを満喫すべく本を手に取って読もうと思ったが眠気のほうが勝ってしまった。


 『俺は本当に頑張った』


 俺は自分で自分を褒めて眠りに入った。

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