俺は、陽葵と俺を強制的にくっつけようとする周りからの圧力に対抗したい気持ちが芽生えていて、それが、なんとも言えぬわだかまりになっていた。
周りの好意はありがたいし、本当に感謝している。
でも、この感情をどう説明して良いのか分からなかった。
「恭介さん、大丈夫ですか?」
俺の不甲斐なさから陽葵に心配されてしまった。
「ごめん、色々とストレスがたまっていてね…」
陽葵は、俺が心配になって、顔を近づけてきた。
彼女の可愛い顔がすぐ目の前にあるので、今度はドキッとしてしまう。
可愛い女の子が心配そうにアップで近づいてきたら、それは…、たまらない。
それを誤魔化すかのように俺は陽葵の頭を撫でた。今の俺であれは、そのまま抱き寄せてしまったのかも知れないが、この時の俺は健全な心の持ち主だった。
「恭介さん、ホントに大丈夫?頭を打った影響が出てないか心配だわ。」
俺に頭を撫でられながらも陽葵は相当に心配そうだ。
「いや、大丈夫だから。左腕が言うことをきかないから、少し悔しかっただけだよ。」
この気持ちに説明がつかないので、俺は陽葵に嘘をついて、その場から逃れた。
そして、次の言葉は本音を込めた。好きだからこそ本音をこめた。
「陽葵。俺に至れり尽くせりで面倒を見てもらえるのは本当に助かる。そういう気立ての良いところが好きだよ。正直、直感として陽葵とこのまま一緒に将来はそうなっても構わないぐらい好きだ。」
陽葵は恭介の言葉を聞いて、パッと顔を明るくした。
「でもね、1週間後に寮に帰れば、自力でやらなくては駄目なことが、たくさん出てくるよ。今は少しずつで良いから、自分がやれることを増やしていきたい。」
俺はそう言って、陽葵の目をじっと見て訴えかけた。
「恭介さんから、わたしの良いところを聞けてホントに嬉しいわ。わたしのことを見てくれて、好きになってくれていることが、好きでたまらないのよ。その…、言いたいこと分かったわ。考えてみればそうよね…。」
彼女は顔を赤らめて言葉を続けた。
「ご飯だけは譲れないわ。これは絶対にやるわ。」
これは俺の役得として素直に受け入れるべきなのだろうと諦めた。俺は、ほんのりと頬を赤らめつつもうなずいて、話題を変えようとした。
俺は、もう少し、彼女との距離感を詰めたいと考えていた。
「しばらく骨が折れているから駄目だと思うけどさ、落ち着いたら陽葵とデートに行きたいな。俺は服を選ぶのが全然…駄目なんだ。だから一緒に選んで欲しい。根っからのオタクだから、今までは服装なんてお構いなしだったから…。」
陽葵は恭介の言葉を聞いて、微笑んで彼に飛びつきたいのをこらえた。
「恭介さんに無理をさせては駄目だけど、ギブスがとれたら、思いっきりどこかに出掛けたいわっ!」
彼女は昨夜の棚倉や三鷹の話を思い出していた。
既に彼の行動や嗜好については大抵の事を聞いていたから、彼との会話にすんなりと入ることができた。
恭介は自分のことを喋る傾向にないから、彼から話を引き出すことも重要だと知った。
「陽葵にあらかじめ告げておきたくてね。俺は田舎暮らしだったから、映画館に行ったりとか、ショッピングをして楽しむとかは殆ど無くて。こんな性分だからテレビで流行りの芸能人とか、流行ってる歌なんかも疎い。だから逆に教えて欲しいし、その時は引っぱって欲しい。」
俺はカミングアウトしておいたほうが今後の付き合いが楽だと思った。
「実は、棚倉さんや三鷹さんから恭介さんのことを色々と聞きました。」
陽葵はニッコリと笑ったが、俺は戦々恐々としていた。
「先輩達は、どうせロクでもないコトを陽葵に吹き込んだんだろうが、あまり過剰評価はしないで欲しいなぁ。俺は何もできないズボラな人間だよ?」
「ふふっ。そんな恭介さんも大好きよ。」
陽葵は俺のそんな話を否定するかのように穏やかに笑っている。
「それと、仕送りがなくて相当に苦労してることも聞いたのよ。退院して大学に行くようになったら恭介さんにお弁当を作るわ。講義の都合とかキャンパスも違うから携帯で連絡をしながら、お昼を一緒に食べましょうね。」
陽葵はとっても嬉しそうに俺を誘った。
「陽葵、ホントに良いのか?。俺は陽葵の作った弁当が食べられるし、貧乏学生にとってそれは夢のようだ。これはマジに嬉しい。」
俺は素直に喜びを露わにした。仕送りが途絶えても飢え死にを避けられる。
その時だった。廊下から複数の足音が聞こえてきた。
ほどなくして松尾さんと、後輩の諸岡が病室にやってきた。
「三上君、具合はどうだい?。少しは落ち着いたか?」
松尾さんがベッドの上にいる俺に声を掛けた。
「熱は下がりました。ちょっと腕は痛いですが、食事も取れてますし、霧島さんが熱心に看病してくれているので助かっています。」
俺は陽葵のほうをチラッと見ると、松尾さんとの会話を続けた。
「気を失った時はどうなるかと思ったけど無事で良かった。君は温厚そうに見えて顔に似合わず苦茶なことをする。それだけ若い証拠なのだろうが…。霧島さんとも上手くやっているようでホッとしてるよ。」
松尾さんは笑いながら、俺の肩をポンと叩いたが、それが腕に痛みが響いた。
でも、これは仕方ない。
「松尾さん、ごめんなさい。もう少し冷静な判断ができれば良かったのですが、皆さんを心配させてしまいました。昨夜も私の携帯のメールに寮生から沢山のメッセージがあって返信に困るぐらい心配をかけてしまいました。」
俺は会話に夢中で分からなかったが、このとき、入り口から足音が聞こえたのを陽葵は聞き逃さなかった。そして、病室の中を伺おうとしている彼女の母親の顔がチラッと見えた時に、陽葵はある種の緊張感を覚えた。
陽葵の両親と弟は、病室から聞こえた会話の内容から、このタイミングで入るのは悪いと考えて病室の前で待機していた。陽葵の弟も雰囲気を察して両親の行動に従った。
松尾さんは穏やかな顔をして俺に諭すように言った。
「三上君、自分を悪く言わないでくれ。携帯のメッセージは、三上君が寮のために頑張ったことをみんなが見ていた証拠だよ。」
側にいた諸岡が心配そうな表情で俺に声を掛ける。
「三上寮長、意識を失ったと聞いたときには本当に心配しましたよ。ご無事で良かったです。酔っ払いに絡まれた私を救ってくれたように、体を張って女子学生を救ったと聞いて、流石は三上寮長だと思いました。凄いです。」
苦笑いしながら諸岡の褒めちぎったことを真っ向から否定した。
「諸岡、俺は大したことはしてない。もう少し冷静な判断をしていれば、そこにいる霧島さんを危険な目に遭わせず、俺も怪我をせずに上手くやれたかも知れない。まだまだ、未熟だ。」
俺は、寮の事が少し心配になっていた。
諸岡は頭が少し固いので、周りを苛つかせることがあるから棚倉先輩などの言うことを聞いてくれるかが心配だったのだ。
「それよりも、諸岡。ちゃんと棚倉先輩や松尾さん達のことを聞いて上手くやってるか?。寮長補佐は今年度まで続ける事になると思う。今から言っておくが、来年はお前は副寮長だから、そのための勉強だと思ってやってくれ。」
諸岡は恭介の言葉をきいてシッカリとうなずいた。
「三上寮長、私は寮長に救われたご恩があるので、それは当然です。全力を尽くさせて下さい。…ところで、私は寮長補佐になったので、寮長会議にも出るのでしょうか?」
「いや、それはない。寮長や副寮長は自動的に会議に出られるが、寮長補佐は役職を1年以上経験しないと出席できない。本当は特別職を学生課に理由書を書いて申請すれば、4名まで出席は可能だが、特別な理由がない限りは認められない。」
これは、大学のサークルやイベント等の実行委員でありがちな、大勢がゾロゾロと役職になって訳が分からなくなる状態への防止策だった。俺はこのシステムをとても気に入っている。
「諸岡は1年生だし経験が浅い理由で特別職にはなれない。寮長会議は寮長・副寮長・寮長補佐の3名が出席するのが慣例だ。それなので諸岡は寮内で経験を積む事になる。たぶん、来年度までは棚倉先輩と俺だけが会議に出席して無駄な役職を作らない方向で行く。無駄な選出をすると、その後の混乱が大きくなる。」
陽葵はこの様子を入り口のいる家族の影を気にしながら聞いていた。
恭介が寮の後輩に話している内容を聞いていると『恭介さんはホントに寮長さんなのね』と、少し嬉しさを込めながら彼の言葉を噛みしめていた。
諸岡は俺の話を真剣に聞いていた。
「三上寮長、分かりました。あと、寮長が帰ってきたら大変でしょうから身の回りの世話をさせて下さい。遠慮しないで下さいね。」
そう言い終わると彼は陽葵の方を向いて挨拶をした。
「私は社会学部1年の諸岡政志と言います。お話は棚倉さんから聞いています。三上寮長のことを今後共にお願いします。」
「経済学部1年の霧島陽葵です。三上さんに助けて頂いて本当に感謝でいっぱいです。三上さんが退院後に寮内の生活で困る事が起きるでしょうから、その時は諸岡さん、よろしくお願いします。」
陽葵はそう言うと、諸岡に深々とお辞儀をした。
「おいおい、諸岡。それに陽葵。お前らは俺の親類か保護者なのか?。参ったなぁ…。」
松尾さんが声を出して笑い始めた。
そうすると諸岡は小さいバッグからお見舞いの袋を取りだした。
「三上寮長。うちの寮生が出し合った気持ちです。」
俺は寮生達に気を遣わせた事にしかめ面をした。
自分のように仕送りが途絶えてお金がない寮生が、なんとか工面して出してくれた事もあるだろう。
「諸岡、みんなの気持ちは分かる。ただなぁ…、ちょっと…。」
俺は少し思案をした。みんなの気持ちは受け取りたい、でも…。
「分かった。受け取ろう。みんなに俺が感謝をしていたと伝えておいてくれ。お前は恐らく、俺とは違って几帳面だろうから、みんなからお金を集めたときに、誰が持ってきたのかメモしてるよな。」
諸岡は即答してうなずいた。
彼を見込んでいるのは、こういう細かさがあるからだ。俺は大雑把なので、こういうことは苦手なので、俺が寮長でいる間は彼のこういう性格が俺を助けてくれる事は間違いなかった。
「分かった。退院したら、その人達にお礼をするから、その時は付いてきてくれ。」
諸岡はうなずいて、俺にお見舞いの袋を渡した。
俺は諸岡から貰ったお見舞いを右手で持って松尾さんのほうに体を向けた。
「松尾さん。このお見舞いは有り難く受け取ります。ただ、寮生の中には俺のように苦しい仕送りから出してくれた人もいると思います。その好意を無駄にしたくないので、このお金は次の寮のイベントの時に飲み物やメニューを増やす為のお金に使って下さい。それを私のお返しとして下さい。」
それは彼の性格そのものが出ている行動だった。
陽葵はそれを聞いて自分が恭介に惚れた理由の一つが分かった気がして、嬉しさを表に出すのを我慢した。
同じく、病室の入り口で話を聞いていた陽葵達の両親もお互いが目を合わせた。
この時点で彼は『合格』だった。
「三上君、分かった。そういう事なら、三上君の気持ちを受け取って、次のイベントで使おう。」
俺がお見舞いを松尾さんに差し出すと松尾さんはジャケットの裏ポケットに入れた。
松尾さんは陽葵に視線を向けると、彼女がソワソワしていることに気付いた。
そして、後ろを振り向くと人影をみて感じ取った。
「諸岡君。次のお見舞いの人を待たせているし、帰ろうか。三上君、また来るからその時にゆっくりと話そう。霧島さん、三上君を頼みましたよ。」
そう言うと、2人で急いで出て行ってしまった。
『お見舞いに来た人って誰だろう?』
俺が振り返ると見知らぬ中年の夫婦と小さい子供が入ってきた。
「恭介さん。私の両親と弟です。」
俺は慌ててベッドから降りようとしたが、陽葵の両親に止められた。
「三上さん。この度は娘を助けて頂いてありがとうございました。怪我を負わせてしまって何とお詫びしたら良いのか…。」
陽葵のお父さんが俺にお詫びをしていて、後ろのお母さんまで頭を下げている。
「私は工学部2年の一般男子寮の寮長の三上恭介です。いえいえ、頭を上げて下さい。私こそ、霧島さんにご迷惑を、そしてご両親にご心配をお掛けし申し訳ありません。霧島さんを危険に晒さないような上手い判断ができず、私の方こそ申し訳ないです。」
私は冷や汗をかきながら、陽葵のご両親にどういう風に言葉をかけるか悩みながら言葉を絞り出した。
「昨夜、棚倉さんと三鷹さんが陽葵と一緒に帰ってきた時に、三上さんのお話を聞かせて頂きました。それと、先ほどの寮の方々とのお話も偶然にも聞いてしまって…。世間知らずな娘をどうか、今後ともよろしくお願いします。」
『う゛を゛???、今後とも??? 陽葵の両親は俺たちが付き合ってる事を知ってるのか???』
俺はかなり動揺していた。。でも、まぁ…いいか…。
今後のことを考えると親公認で付き合うのは、随分と気が楽だろうと気持ちを切り替えた。
「いえいえ、まだまだ私は未熟です。昨夜も陽葵さんに身の回りの世話をして頂いて、本当に有り難く思います。私の方こそよろしくお願いします。」
俺は『もしかしたら先輩方が話をしたかも知れませんが…』と、前置きをした上で陽葵を守って怪我をしてしまった経緯を自分を飾ることなく控えめにして話した。
その後は「寮生だからお腹も減ってるだろう」と、退院したら陽葵の家で食事に誘われたり、もしも辛くなったら寮を出てウチを頼れと陽葵のお父さんに言われた。
でも、寮を出ることは自分自身が許さなかった。
「いや、私と同じように寮で頑張っている仲間がいます。みんなから頼られている寮長を捨てて寮を出ることは私にはできません。あと、この辛い事が後に社会に出たとき自分に返ってきて活かされると思うので、その時の修行だと思っています。」と、答えた。
その後、俺は親が小さい町工場をやってて工学部は跡継ぎの為に入ったこと、今は世界的な不況で会社が苦しくて仕送りも途絶えがちである事や、そういう寮生活やリーダーシップを通じて親父の仕事を継ぐための訓練をしてると話した。そして、私はまだ未熟すぎると言った。
陽葵は恭介の話を『わたし、恭介さんのような言葉は絶対に出ないわ』と、思いながら聞いていた。
陽葵の父親は恭介の話を聞いて『今の若者には絶対にあり得ない面構えをしている』と直感的に思った。陽葵の父は中堅企業の役員で大学生の面接も幾つかやっているが、恭介は普通の子とは違う。大人でもこの覚悟を持つ事は難しい。
陽葵の両親は恭介の人柄に惚れ込んでいた。
陽葵の父は彼の父親の事業が失敗しても彼を匿って自分の会社に入れることまで考えていた。
その後、陽葵の父親や母親と色々な雑談をしていて、最後に陽葵の父からこう切り出された。
「恭介さん、陽葵をどうか末永く頼みます。娘はうちの女房と性格が瓜二つです。私が女房と結婚した切っ掛けは、学生時代に女房が学生運動に強引に誘われている所を私が助けたからです。」
俺は目を見開いた。
でも、半分ぐらいは「陽葵と将来はそうなる」と、覚悟ができていた。
「女房も陽葵も、そう思ったら一直線です。だから、結果的には陽葵もそうなると思います。」
俺は心に何故か少しだけモヤッとしたものがあったが、覚悟を決めた。
陽葵が俺を看病してくれた姿を見て直感的に将来はそうなると思っていたからだ。
俺は言葉を絞り出した。
「分かりました。私の道は茨の道かもしれません。でも、陽葵に全力で尽くしたいと思います。」
陽葵は恭介からその覚悟がひしひしと伝わってくるのが分かった。
母親と同じ性格をしている陽葵にとっては、恭介の話は願ってもいなかった。
そうして、恭介と陽葵の関係は今後を見据えた形で、2日目にして親公認になったのである。