俺は新島先輩へのDMについて、どのように書こうかを思案していた。
陽葵と付き合い始めて随分と経った頃に、今から書こうとしていることに関して、陽葵の微妙な心の移り変わりを含めて、あの時の状況を俺につぶさに語ったことがあった。
これは他人に向けて話すべきではない内容だ。
俺の気持ちだけなら、陽葵が大好きだからいまでも抱きしめたいとか、イチャラブをズッとしていたい、陽葵成分を吸収したい、いつもくっついてスリスリしながら寝たいとか、たまには一緒にお風呂に入りたいなどと、俺の心の叫びをSNSで全世界に向けても構わないが、 流石に大好きすぎる妻の心の中までを他人には明かせない。
『どこから書くべきなのか、少し思い出しながら探るか…。』
俺は彼女が話してくれた事を一通り思い出す時間を作るために、キーボードを叩くのを止めた。
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霧島陽葵は恭介の病室を出た後、好きな人にキスをしてしまった恥ずかしい感情を隠すかのように早歩きでエレベーターで向かった。
秋の夜は涼しいので、顔の火照りを抑えるのには丁度よかった。
『皆さんを待たせているわ。早く病院の入り口まで行かないと。』
ここは病院の8階なので、エレベーターが来るのに待たされる。この病院は大きいので救急車のサイレンの音もときどき聞こえる。
陽葵がみんなに「電話をかけるから」なんて言ったのは嘘だった。
棚倉が置いたバッグ見て、左手が不自由になった恭介が荷物を取り出すのは難しいと思ったので、後片付けをしてから帰るつもりでいた。
みんながいる時にバッグを広げてしまったら、時間を気にしている皆に迷惑をかけてしまう。
みんながいる手前では、彼から『護師さんに手伝って貰うから親に心配をかけないでくれ』などと言われるのが確実だったし、あそこで荷物を広げたら皆が手伝ったかも知れないが、今度は三鷹の話しが長くなることも予想された。
『できる限り自分の手で三上さんを助けてあげたい。』
霧島陽葵は、そういう気立ての良い子であると同時に、一本気な部分を持ち合わせている。
『あんなに頑張ってる三上さんをわたしが支えて守るのよ。』
彼女は帰り際に名残惜しさも手伝って、体が勝手に動いて彼の頬にキスをしていた。
それを誤魔化すために、2度も助けてくれたお礼と言い残して病室を去ったのが真相だった。
彼女は自分を1日に2度も守ってくれた彼に対して絶対的な恋心もあったが、女の直感的に、それ以上の関係になることを感じていた。
「わたし、三上さんと、このままズッといたかった…。」
陽葵はエレベーターで独り言を漏らした。
エレベーターで1階に降りる頃には火照りも冷めていた。
本来の彼女は切り替えが早いし真面目であるし、こういう場面で皆に配慮ができる子だ。
夜なので病院の入り口は閉まっている。
陽葵はエレベーターを降りた後に、緊急外来用の出入口に向かって廊下を小走りに駆け抜けて、3人を見つけた。
「遅くなってしまって、ごめんなさい。」
彼女は、病室を出る時に恭介にした事を誤魔化すかのように少し息を切らしながら詫びた。
「陽葵ちゃん、そんなに待ってないから大丈夫だわ。」
三鷹が彼女が息を切らしながら来たことをなだめた。
「2人とも、霧島さんを頼む。私も同行したいとろだが、今日の案件の処理もあるからすまない。」
荒巻さんが申し訳なさそうに声をかけた。
荒巻さんは病院の正門のほうまで歩くとタクシーを見つけて乗り込んで駅に向かってしまった。
陽葵は三鷹や棚倉と一緒に病院前のバス停でバスを待った。バス停は街頭で照らされているから時刻表を見るのに苦労しなかった。
陽葵はバスの行き先を間違えないように2人を案内する。
「この時間だけど、ここはバスの本数が、かなりあるな。」
棚倉がバスの時刻表を見てつぶやく。
「棚倉さん、こっちの行き先です…。」
陽葵は指を差しながらバスの時刻を指で追っていく。
「あと10分ぐらいですね。」
彼女は腕時計を見ながら2人に声をかける。
バス停で3人がボーッと待っていると棚倉が考えながら喋り始めた。
「そういえば、三上が俺と寮の風呂掃除をしながら言ってた事があってな…。あいつ、地元が相当な田舎でね…」
棚倉はバスを待っている間、時間つぶしに三上のことを語ろうと話題を探った。
「棚倉さん、その話は三上さんから聞きました。辺りは田圃と山しかなくて、バスが1日に数本しかない上に、車がないとスーパーにすら行けないし、高校卒業後は免許を取らないと生活に困るなんて、わたしは想像できませんでしたよ。」
陽葵は笑顔で棚倉に答えた。
「その話をあいつはしてたか。そうだよな、自己紹介としては当たり前か。」
棚倉は少し残念そうだったが、次のネタを探り出そうとした所で三鷹が言葉を出した。
「恭ちゃん実家が辺境の地なのね。そんなことなんて知らなかったわ。女子寮生で車の免許を持ってる子って少ないから、何かあったときには助かりそうよね。」
棚倉は三鷹の言葉を得て話題を変えようと試みる。
「三鷹、そうなんだよ。免許を持つ寮生は、男子であっても、思ったほどいないぞ。」
「前に寮監室の書類棚が重みで壊れてしまって、大学が何処かの配置替えで余った棚をくれるから、寮まで持っていく時に、大学から小さめのトラックを借りたのだよ。もちろん、学生課や寮監を通じて細かい処理をやった上でな。」
陽葵と三鷹は興味深そうに棚倉の話しを聞いている。
「俺は免許を持ってないし、トラックはマニュアル車だから同期に声をかけても運転を嫌がる奴ばっかりでね。途方に暮れて三上の顔が浮かんで、事情を話して、お前、マニュアル車の免許を持ってるよな、なんて聞いたら、アイツはシレッとした表情で、こう答えたよ。」
棚倉は、三上が言った言葉をたぐり寄せた。
「親父の手伝いでトラックで納品に行かされるから無事ですよ。でも、土地勘がないので道が分かりませんから、なぜかこの周辺をよく知ってる先輩が道案内をして下さい…、とな。」
彼は微笑みながら話を続ける。
「運転させたら上手かったな。俺は田舎だから都会の道は恐いと言いながら、狭くて一方通行が多いような道は慎重に走って、マニュアル車だと特にペーパードライバーは交差点でエンストをする奴もいるのだが、それも全くないし、助手席に乗っていても恐くない。」
陽葵は棚倉の話を聞いて笑顔になっていた。
「三上さんって、頼めば何でもできちゃいそうですよね?」
「あいつはそういう所がある。去年だったかな。受付室のストーブは未だにヤカンが乗るような古いストーブでね、壊れて火がつかなくて寒くて新島と一緒に途方にくれていたんだ。そこに三上がやってきて、それって芯が駄目っぽいですねぇ。なんて、シレッと言ってきて何時もの調子だ。こっちは寒いのを我慢してるのに簡単に言いやがって、と、思っていたらな…。」
棚倉が話している途中でバスが来た。
3人はバスの後ろの座席に並んで座ると、棚倉は先ほどの話を続けた。
「何処まで話したか…。あ、そうそう。そうしたら倉庫から筒状の布みたいなものを持って来て、ゴム手袋と新聞紙と倉庫にある汚れたプラスチック箱とドライバーを持って、あいつは寮の玄関の外で寒さに耐えながらストーブを分解しだしたのだよ。」
2人は棚倉の話を聞いて驚きはじめた。
「何か独り言を言いつつ、寒いと叫びながら、ストーブの大部分を分解してね。それで、鉄の筒に覆われていた布みたいなのを取り替えてた。それで手際よく組み立ててストーブを直してしまったんだ。」
二人はその話を聞いて驚いていた。三鷹が声をあげた。
「恭ちゃんて…マジになにもの????」
「俺にも分からない。三上は工業高校出身だし、帰郷すると父の工場を手伝ってるし、機械とか電気・電子関係は詳しそうだ。」
さらに棚倉は記憶をたぐり寄せる。
「寮にバイク乗りが数人いるけど、この前だったかな。三上の同期が、エンジンがかからないから手伝ってと、助けを求められて、あいつは寮の玄関の外でバイクのエンジンを二人で直していたよ。よく分からないけど、三上がキャブでも詰まってるのか?なんて言っていた。それでよく分からない部品を手に取ってスプレーをかけてたのが見えた。」
「三上さんって…本当に凄い。」
棚倉が霧島を見ると、目を大きく見開いて興味津々で聞いているのが分かった。
「恭ちゃんは、さすが工学部って感じよね…」
三鷹は棚倉の話を期待して待っているようだった。
「あと、あいつはパソコンも凄いぞ。寮内の殆どの資料や配布物は全部、あいつがパソコンで作ってる。それにキーボードで文字を打つスピードが速すぎる。ああ、骨折したから暫くは駄目か…。」
棚倉は三上に申し訳なく思いつつも言葉を続けた。
「それは置いといて、この前、俺があいつの部屋にいて、三上がレポートをやりながら俺と駄弁っていたら、あいつの後輩が部屋に入ってきて、三上寮長、パソコンが動かないから見て下さい。と、三上の部屋に壊れたパソコンを持ってきたんだ。」
二人は棚倉の話を聞いてポカンと口を開けている。
「あいつはパソコンの外蓋を手際よく外して、自分の部屋にあるモニターに接続して、画面を見ながら、ぶつくさと何か言いながら腕を組んで考え込んでた。それであいつは後輩に、俺が見て直らなかったら情報工学専攻の先輩に見て貰え。みたいな事を言いつつも、パソコンの中の電子部品をジッと見つめていたのだが…。」
陽葵は棚倉の話に完全に聞き入っている。惚れた男の話だから余計だろう。期待に胸を膨らませているのが棚倉にも分かった。
「暫くしたら、ふと閃いたように、自分のパソコンの外蓋もあけて、小さい電子部品を後輩の壊れたパソコンに付け替えて、電源を入れて何やら画面を見たり、よく分からない設定をいじったりしてた。そのうちに後輩のパソコンは動いてね。三上はその後輩に、今はメモリーが1枚だから、秋葉原辺りで探して買ってくれ。みたいな事を言っていたな。」
「恭ちゃん、マジにすごっ。」
三鷹は余計な事を喋らずに驚いているから、相当に驚いたのだろう。
「三上さんってホントになんでも屋さんですね。」
陽葵は三上の色々な一面が見えて楽しい話しだったので棚倉の話しに夢中になっていた。
しかし、バスの窓から景色を見渡すと彼女は慌てだした。
「あっ、ごめんなさい、次で降りますね!。」
陽葵は降りるバス停が近いことに気付いて慌ててボタンを押す。
『三上さんって本当に凄い人だわ。』
閑静な住宅街でバスが停まって、3人は歩いて彼女の家へ向かった。