俺の予感は当たった。見慣れた人達が病室に入ってきた。
霧島さんはベッドの脇に置かれた椅子に座ったままだ。
「あれぇぇ?、お邪魔だったかなぁ~?。」
「三鷹先輩、ここは病院なので、大きな声でのお喋りは自粛しましょうね。ガチで看護師さんに怒られますから。」
俺はその声を聞いて最初に釘を刺した。
三鷹先輩が不満げに次の言葉を発しようとしたが、荒巻さんが、すかさず俺に声をかけた。
「三上くん。大学側としては、学生の安全管理を怠り、貴方に怪我を負わせてしまって申し訳なかった。」
「荒巻さん、私の怪我は自分の判断ミスで引き起こされた事です。みんなに怪我がなくて良かったです。」
俺は荒巻さんの言いたいことは分かるが、自分の判断ミスを責めていた。
「三上くんはそういう事を言わないでくれ。ご家族には、この状況をかいつまんで電話でお話をしておいたよ。ご両親は仕事の都合もあって明日は無理だが、明後日には車で病院に来るそうだよ。」
荒巻さんは真剣な表情から一変してニコニコしながら言葉を続けた。
「電話に出たお母さんは、高校の時にもこんなコトあってね、大したことないから気にしないで下さい…。なんて言っていたぞ。」
俺は、その話を聞いて苦笑いをしていた。
そこにいた棚倉先輩がニヤッとしてるが、三鷹先輩と霧島さんは何も知らないので不思議そうにしてる。荒巻さんは俺に私信として話をしているから、周りはそれについて何も言えないしツッコミを入れられない。
「三上くんは個室を気にして、親御さんに迷惑が掛からないようにしていたようだが、この案件は学生の保険で入院費や治療費はもちろん、お見舞い金も下りるはずだ。私が何とか上手く処理をするよ。これはうちの責任だから。」
「ありがとうございます。」
今のウチの工場の経営状況を見ると俺の入院費や治療費が飛んで行くのは少し痛いだろう。今後の仕送りにも影響がある。だから少しホッとした。
すると、荒巻さんは渋い顔をしながら霧島さんのほうを見た。霧島さんは椅子から立ち上がった。
「霧島さんは、この後、暫くして帰るように。これは大学側からのお願いだ。高木さんから聞いたが、電話に出たお母さんに事情を話したら、かなり驚いてたみたいでね。でも、うちから病院までは近いし、娘の好きにさせてやって下さい。なんて言っていたようだけどね…。」
荒巻さんは霧島さんの顔を見て静かに首を横に振った。
「でも、大学側としては安全確保の問題があって…。」
霧島さんは荒巻さんの話を聞いて、悔しそうな顔をしている。
このとき霧島陽葵は自分の母親が高木さんとの電話で、そのように言った理由を察していた。
そして、彼女のなかで、その言葉を聞いて強い安堵感が生まれていた。
荒巻は彼女の微妙な表情の変化を見つけて言葉を続けた。
「私達は、このまま三上くんと少し話をして大学に戻るけど、その後、そこの2人が霧島さんの家まであなたを送ってもらう事になってる。明日以降はしばらく休みだし、三上くんと自由に会うことで良いかな?」
俺は霧島さんと荒巻さんの様子を、黙ってベッドの上から見ていた。
荒巻さんは霧島さんが素直に帰ってくれるか少し不安な様子だ。
俺から見ても、彼女の強い責任感から、夜通しの看病を覚悟してるのが荒巻さんとの電話のやり取りを耳にして相当に伝わってきていた。
霧島さんは何か決意をしたかのような表情をして、荒巻さんに言葉をかけた。
「荒巻さん。大学側の要請もあるし、わたしも両親と話をしたいので、皆さんと一緒に帰ります。ご心配をかけて申し訳ないです。」
荒巻さんは彼女の答えに、かなりの安堵を覚えたのが分かった。
俺も内心はホッとした。彼女にいて欲しい気持ちもある。でも、彼女の家族を含めて迷惑を掛けられない。
「2人が霧島さんの家まで送ることを、高木さんから伝えてあるので安心してください。」
彼女は大きくうなずいた。
この時、彼女は母親の電話の件を聞いて『親に話したい』ことを重要視していた。そして、彼をよく知る寮生の仲間が来てくれることで、両親の安心感を後押しするのでは…と、考えていた。
彼女の本音は三上の事で頭がいっぱいで、このまま帰るのは後ろ髪を引かれる想いだった。
大学側の要請もあるし両親との話もあるが、そのかわり、明日は朝から1日中、三上のそばにいるつもりでいた。
俺はその話を聞いて安堵した。
そして三鷹先輩を見ると、彼女は空気を察して、不満げな表情だが黙っていた。
今度は棚倉先輩が、三鷹先輩の喋る隙を与えないように俺に話しかけた。
「三上、俺がお前を守ってあげられなくてすまん。お前が生きてて良かった。しばらくギブスだろうから帰ってきたら俺も手伝うし、諸岡も黙ってはいないだろう。いま、諸岡は、松尾さんの奥さんと一緒に、寮の仕事を教えられながら受付室にいるよ。」
俺は棚倉先輩の言葉を聞いてホッとした。
「安心しろ。諸岡はお前のことを良く見てたから素直にやっている。お前の睨んだ通り、頭は固いが、仕事はそつなくできそうだ。」
棚倉先輩は安心させるように俺の頭を軽くポンと叩く。
「先輩、それを聞いて少し安心しました。俺が帰ってから後処理が出てくるでしょうが、何とか2人で1週間、耐えて下さい。」
今は混乱状態に陥っていることが容易に想像できた。
俺がそういうと、先輩はポンとバッグをベッドの横にある台に置いた。
「お前の部屋は女子寮生よりも綺麗だから直ぐにわかった。着替えとか、お前が受付室で暇つぶしに読んでる小難しい本を持ってきた。俺が眠れないときに、お前の部屋から勝手に借りて読むことがあるが、難しくてまず読めない。幾つかのタイトルを全巻持ってきてある。暇だろうしな。理系のお前がよくこんなモンを読めると感心するぞ。」
「さすが先輩です。ありがとうございます。助かりました。」
俺は素直にお礼を言った。
今度はようやく俺と話しができると悟った三鷹先輩が申し訳なさそうに詫びる。
「恭ちゃん、本当に今日はごめん。色々な事があったけど、今は自分の体と霧島さんを大切にね。もう霧島さんを送る時間もあるし、話をしたいのを我慢しているのよ。また、お見舞いに来るからその時にじっくりと話しをするから。…恭ちゃん、覚悟してね。」
ショートヘアで、小さくぽつっと左目に涙ほくろがある三鷹先輩は絶世の美女ではないし、霧島さんのような可憐さはないが、その容姿を見て男心が揺さぶられる人は多いだろう。
…そう、黙っていればね…。
「三鷹先輩が大人しいので何か悪いモノでも食べたかと思いましたよ。」
俺はそんな事を頭の片隅におきながら、タップリと皮肉を込めた。
三鷹先輩はその皮肉を俺が少し怒っているのと勘違いしたのか、申し訳なさそうな顔をしている。
「恭ちゃんらしくて良いわ。時間があればツッコミたいのを我慢してる私を許して。」
「いえいえ。先輩、そんなに自分を悪く思わないで下さい。あの時、駆けつけたい気持ちがよく分かりましたから。」
俺は慌てて先輩の気持ちを察して庇う。
「恭ちゃん、自覚はないと思うけどね。そういう優しさに周りがノックアウトされるのよ。」
三鷹先輩は霧島さんの方を向いて同意を求めている。彼女も激しくうなずいている。
『まずい、話が長くなる』
咄嗟に察した俺は帰るように促すように切り出した。
「あの…先輩達。霧島さんを本当にお願いします。」
俺はベッドの上でお辞儀をすると、荒巻さんも帰るように3人をうながした。
俺だって本音は彼女にズッといて欲しいが…そこはグッとこらえた。
「わたし、そこの談話ルームで電話をしたいので、皆さんは先に病院の入り口で待ってください。すぐに電話が終わったら行きますから。」
霧島さんはみんなに声をかけた。親に今のことを含めて連絡するのだろう。
「霧島さん、下で待っているから」と、荒巻さんが先に病室を出る。
棚倉先輩は俺の目をシッカリと見て頭をポンと軽く叩いた。
「三上、大丈夫だから気にするな。霧島さんは二人で責任を持って送り届けるからな。」
先輩はそう言い残して病室を後にした。
そして、今度は三鷹先輩が俺に声をかけた。
「恭ちゃん、大丈夫だよ。霧島さんをわたしも家まで送るわ。そしたら棚倉さんに寮まで送って貰うから心配しないで。」
それを聞いて俺は安心しきっていた。
「先輩、霧島さんを頼みます」
三鷹先輩は笑顔で手を振って病室を後にした。
霧島さんはみんなが出て行ったあとに少し涙ぐんだ。
「三上さん、これでは少し不便でしょうから、バッグの中身を急いで出しますね。明日は朝からきますから。絶対に死なないでくださいね。」
『…霧島さん…。棚倉先輩みたいに大げさだよ…。』
みんなが大げさに心配をするから俺は正直、困り果てていた。
「あ、ありがとう。死にはしないから大丈夫だから…ね。」
俺は、どのようにリアクションを取ってよいのか分からなくなっていた。
霧島さんは、急いで棚倉先輩が持って来たバッグの中身を出して、下着を作り付けの棚にしまった。今度は本を取り出すと俺が体を起こして取り出しやすい台の上にタイトル毎に並べて置いていく。
霧島さんは棚倉先輩の話を聞いて、本の中身を確認したいのを我慢しているのが分かるぐらい名残惜しそうだ。
そして、俺の服や下着などをビニール袋に入れて棚倉先輩が持って来たバッグに入れた。そのバッグを持ち帰るようだ。もの凄く手際が良い。
霧島さんを俺はをポカンと見ていると涙ぐんでるが…、何故か顔は赤い。
「霧島さん?」
俺が不思議そうに霧島さんに問いかけると次の瞬間…、彼女が俺に近づいてきた。
段々と霧島さんとの距離が縮まって、そのまま彼女の顔が迫ってくる。
彼女のフワッと良い香りがして、サラッとした前髪が俺の額に触れる。
そして…頬にキスをされた。
霧島さんの顔は耳まで真っ赤だった。
「三上さんが、わたしを2回も守ってくれたお礼よ。」
そう言うとバッグを持って早足で部屋を出て行った…。
「… … … … … …」
俺は彼女にキスをされた右頬を確かめるように右手で触れて、暫くその余韻に浸った。
夢でも見てるようだった。
こうして三上恭介の長い1日が終わろうとしていた。
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俺は、新島先輩にここまでの話を書いていたが、そろそろ仕事をやらなければいけない。
もう少し書いたら、また後日、暇を見つけて書くようにしよう。
新島先輩は1年間もいなかったので、彼にとっては相当な空白の期間になってる。ところどころで、話は聞いているだろうが、復学直後に大きな案件があって大忙しだった。
なにせ、この件は棚倉先輩や三鷹先輩が反省しきりだった。
「新島には言うな」と、言われていた。
もう時効だろうと思って書いている。棚倉先輩から怒られる覚悟で書いてる部分もある。
『俺らも歳を取っているし、新島先輩にネタばらしをしても良いだろう。』
ちなみに陽葵は葵が夜遅く寝ていて、まだ起きてきていないので洗濯をしている。
後から陽葵はこのDMを見るだろうけど…。
そう思いながら、新島先輩へのDMを書く事を続けた。
『また陽葵成分を補給できるだろうか。』
そんなことを思いながら、DMの区切りをどこにしようか思案をしていた。