俺が救急車で運ばれて病院に着いてから、まず検査に追われた。
霧島さんは実の妹のように動いてくれた。
検査も幾つか入っていたので、検査室の入口付近の椅子に座って、俺の検査が終わるまで待っていてくれた。
左腕は骨にプレートを入れる手術になって1時間半程度かかったようだ。
俺が男にタックルした時に、男の全体重が俺の腕に乗りかかって、噴水の
あの時は無我夢中だったから、何が起こったのか分からない。
全治は早くて3ヶ月程度だし、来年になってようやくプレートが取れる感じのようだ。
『ブラインドタッチもできないから、しばらくはパソコンも片手か…。』
日常生活的な部分で、しばらくの間は凄く面倒な事になりそうだったので、今から憂鬱なっている自分がいた。
入院期間は普通なら2~3日程度だが、明日から日祭日を挟むので1週間程度の入院になった。ついでに脳の状態を確認することを含めての入院期間でもあるらしい。
病室も決まったので、俺は病院からパジャマや下着などもレンタルして典型的な入院患者の装いになっている。
霧島さんはその時に着替えを手伝うと頑なに聞かなくて、俺は羞恥心から拒否をしたのだが、彼女に気圧されてしまった。
…もう…、なすがままだった。
看護師さんが俺の着替えを助けようとしたが、それを見ると、微笑ましく笑っていた。
あれは、かなり恥ずかしかった。
霧島さんは夢中になっているから俺の裸なんて全く意識してない。彼女の凄いところは、これだと決めたら無我夢中になって一直線なんだと気付いた。
まぁ、そんな事もあったが、今はとりあえず落ち着いた。
『今日は本当に長かった。』
ベッドから上半身を起こして、食事をとる為の小さいテーブルに右手を置いた。
テーブルには霧島さんが気を利かせて買ってくれたスポーツドリンクが置かれている。
俺は骨が折れた影響で少し熱もあったし、今は点滴が繋がれていた。
俺は病室の窓から見える少し高いビルの航空誘導灯の赤い明かりや建物の光をみて少し浸りたい気持ちになった。
ボーとしていると、フロアの談話ルームで、荒巻さんから掛かってきた電話に応対している霧島さんの声がかすかに聞こえた。俺がいる病室や今の現状を詳細に話しているようだ。
ちなみに、この病室は大部屋が空いてなくて個室になったが「その場合は大部屋料金ですよね?」と、看護師に念を押した。過去に入院した事があった時の経験が活きていた。
看護師さんは、都合で他の部屋が空かないから退院まで部屋の移動はないことを伝えられた。入院中に部屋の移動があると凄く面倒なので安心した。
病棟のフロアにある談話ルームで荒巻さんから掛かってきた電話に応答していた霧島さんが帰ってきた。
「三上さん。荒巻さんや三鷹寮長と棚倉さんが病院に向かっているそうです。」
病室に入るまでは、検査や手術に追われて霧島さんとあまり会話できていない。
「検査室はここかな?」とか、術後に「痛くないですか?」など、必要性のある会話だけに留まっていた。
入院となると色々とあるから、時間があっという間に流れる。
それに、霧島さんは救急車で酔ってしまって、手術前までは少し顔が青白かったが、今は落ち着いて血色が良くなっている印象だ。
病室の時計を見ると、夜の8時を過ぎていた。
霧島さんが、俺に対して家族のように看病してくれるのが心苦しくて、家に帰るように話を切り出した。
「霧島さん、本当にありがとう。ご両親も心配してると思う。荒巻さんが来たら家に戻って…」
霧島さんは少し怒った表情で頬を膨らませて俺の言葉を遮った。
「高木さんが家に電話をかけてくれて両親に事情を話してくれました。私も家に連絡して両親に承諾を得ています。三上さん!…三上さんは…凄く頑張りました!!。だから、だから…私に甘えてください!!。」
…怒られてしまった…。
俺は「ありがとう」と、素直に返したが心苦しかった。
『このまま夜通しで看病して貰っても流石に…。』
不安げな表情をしている霧島さんを説得させる言葉を探していると、霧島さんは毅然とした態度で俺を見た。
「わたし、この病院から家までバスで10分ぐらいです。いつでも家に帰ることができますからね。」
霧島さんはそう言うと、むくれてベッドの横にある椅子に座ってしまっている。
俺は彼ベッドから上半身を起こした状態で、むくれた霧島さんを見た。
『ちょっと怒ってる姿も可愛いなぁ…』
そんな感情は置いといて、むくれている霧島さんを慰めるべく、俺は彼女の頭をなでてみた。霧島さんは頬が赤くなった。しばらく撫でていると、むくれた顔から徐々に表情を変えて嬉しそうな顔をした。
俺は頭を撫でながら病室の窓から見える夜景に視線を移して、今の素直な感想を彼女にぶつけた。
「いいよなぁ、ここは。俺の地元は田舎だからさ、見渡す限りの田圃と少し大きな山が点々とあるだけなんだ。だからバスや電車なんて、無きに等しいよ。」
俺は一通り景色を見渡して、少し疲れた表情をしてる霧島さんに向かって言葉を続ける。
「それから比べると、ここは本当にうらやましい。」
彼女にそこまで喋ると、俺は頭をなでるのを止めて笑みを浮かべた。
その言葉に霧島さんが思考を巡らせて、今度はびっくりした顔をしている。
「三上さん?それって…、どうやって生活してたのですか?」
俺は苦笑いしながら霧島さんを見る。
次の言葉を話そうと思って、喉が渇いたからスポーツドリンクを口に含もうとしたが、キャップを片手で開けなくてはいけない事に気付いて、それを見た霧島さんが開けてくれて差し出してくれた。
「ありがとう。助かる。」
スポーツドリンクを少し飲んで言葉を続ける。
「うちは不便だから車がないと何処にも行けない。スーパーへ買い物にすら行けない。」
もう一口、スポーツドリンクを飲む。俺は喉が渇いていた。
「大抵は高校を卒業する頃に車の免許を取りに行く。家族が多いと家に何台も車があるんだ。最寄りの駅はバスに乗って50分ぐらいかかる。学生は免許もないから仕方なく使うけど、バスは1日に多くて7本ぐらいかなぁ。バス料金もメチャメチャに高い。」
霧島さんは相当に不思議そうな顔をしてる。相当に興味があるようだ。
「三上さん、想像できません。こんな場所でも東京と比べれば不便だと思っていたのに。」
「俺から見れば、ここは天国みたいな場所だ。俺の地元はバスや電車を乗り継いで3時間以上かかるから寮生活になった。通うのはちょっと無理だ。」
霧島さんはもの凄く驚いている。
「わたし、ここで産まれて育ってるから、他所の事なんて良く分かりません。三上さんのお話はとても新鮮です。」
それから、俺は親父が小さな町工場をしていて跡継ぎで工学部に入ったこと、今は不景気で仕送りも途絶えがちな事や、飯を抜いたりしてお腹が空いて大変だった事、寮生活での苦しさや寮長の仕事などを話した。
それを霧島さんは時には笑ったり、驚いたり、首を傾げたり、不安な表情を見せたりしながら興味深く聞いている。
彼女は色々な表情を見せてくれし、まだあどけなさが残ってる愛くるしさが、たまらなく可愛い。笑う度にセミロングの綺麗な髪が揺れてフワッとして、女性らしい香りがする。
「三上さんって、わたしの知らない事をたくさん知ってるわ。色々な事を経験してるのがうましいのよ。」
『よし。霧島さんの口調も彼女なりにくだけてきた。』
俺はその言葉を聞いて喜びながら、次に彼女に何を語ろうか頭の中で思考を巡らす。
「いやいや、そうでもない。単に田舎育ちの貧乏人なだけだよ。」
もう少し距離を近づけてお互いに名前で呼びたい。そんな事を俺は頭の中で描いてしまっていた。
霧島さんは目を輝かしながら俺に言う。
「わたしの友人の白井さんも寮生だけど三上さんとは全く違うわ。彼女は遠方の出身だけど、ここと同じような感じで開けたところに住んでるらしいし、ご両親が世間を知ってもらう為なんて言っていたのよ。三上さんのような苦労はないわ。」
「その女子寮生は羨ましいなぁ。そんな楽をしたかった。俺は明確な目的があって此処にきてるし。」
再び俺は無意識のうちに彼女の頭に触れる。
彼女はそれを気にも止めない様子で言葉を続ける。
「白井さんは講義中にコッソリと携帯でメールしてるし、講義を真面目にきいてないから補講続きだわ。私もこの大学に入ったのは、電車で行けるほど近かったことと偏差値を見比べた結果だわ。三上さんみたいに、家族を助けるためとか明確な目的があって入る人が周りにはいなかったから憧れちゃうわ。」
もっと話をしたかったが、夜になって少し静かになった病室から複数の足音が聞こえてきた。
恐らく荒巻さんや棚倉先輩と三鷹先輩だろう。
『ああ…このまま、もう少し話していたかったなぁ。』
無意識のうちに霧島さんの頭を触れていた手をソッと退けた。
俺は彼女を撫でた右手を眺めて、自分の所作を振り返る。
『やっぱり俺は霧島さんのことを好きになってる。』