暫くして、フィッシュがいつものにやけ面をしながら荒れた神社の境内の中へと入ってきた。
それを感知すると同時、巫女さんが霧へと溶けていくのが見えたがまぁ仕方ないだろう。
ボスに畏れられるプレイヤー、というのも中々なものだが。
「来たよーアリアドネちゃん」
「いやぁ、わざわざすいません」
「私達の仲じゃあないか。気にしなくていい……よ……?」
「?どうしました?」
そうしてこちらへと近づいてくると共に、彼女の顔がどんどん深刻に、真顔へと変わっていく。
何がどうしたんだろう、と質問するために口を開こうとした瞬間。
私はフィッシュに肩を思い切り掴まれた。
「アリアドネちゃん、この鎖は一体どうしたんだい?」
「え?あ、いえ、その……『奏上』のデメリットで」
「……また神絡みか……」
溜息を吐いた彼女は、とりあえず私の身体をぺたぺたと触り始める。
他に変な所がないかを確かめるかのように。
……んー、なんかこのゲームで神関係で嫌な事でもあったのかな。
まだそういった情報はないが、掲示板には精霊と邂逅したとの情報自体は存在している。
その為、彼女が何処かで何か神と接触、事件に関わっている可能性はないとは言えなかった。
「まぁコレ時間さえ経てば消えるらしいんですけど、少し上の方の神社でやり残してきた事がありまして」
「成程、だから呼ばれたってわけか。了解了解。どれくらい動ける?」
「これくらいですね」
私は今できる全力の動きをフィッシュの前で行う。
飛び跳ね、『面狐』をまるで剣舞するように振るってみたりと様々だ。
しかしながら、彼女は私の動きを見れば見るほどに私から目をどんどん逸らしていった。
「……そんな酷いです?私の感覚的に割といつも通りなんですけど」
「あー……主観もダメになってるのか。私から見ると全部の動作が大体いつもの半分くらいの速度になってるぜ?」
「マジかぁ……」
どうやら『奏上』のデメリットというのは中々に酷いものらしい。
動作が遅くなるのならまだしも、自身の異常が鎖以外に認識出来ていないのが一番酷い。
私のように誰かを呼んで見てもらう等して確認しなかった場合、敵性モブと戦うまできちんと把握出来ないのもまた嫌らしい。
「どうします?」
「……まぁしょうがないか。本当は隠し札の1つなんだけど……ちょっとした魔術使ってアリアドネちゃんを一気に運ぶことにするよ」
「え、良いんです?隠しておきたかったら全然良いんですよ?PvPとかやるでしょうし、このダンジョンも人の目が無いわけじゃないですし」
「いや良いよ。普段からこのダンジョンで狩りさせてもらってるからねぇ」
そう言って、彼女は魔術を発動させようとしたのか一度立ち止まりそして再度浮かべた苦笑いでこちらを見つめた。
一応最深層……ボスエリアであるこの荒れた神社は私の権限で魔術の行使が現在出来ないようになっている。
だからだろうか。言った手前、何故か発動出来ないという状況に陥り少し混乱しているのかもしれない。
そんな彼女の肩をポンと叩き、私達は境内の外へと向かって歩き出した。
否、途中で歩行スピードすらも落ちている私を気遣って、フィッシュがお姫様だっこのような形で抱え上げて移動させてくれた。
「よし、ここなら大丈夫かな?ごほん。……『我、回帰する者』。『地を這いずる人と狼の祖先也』」
周囲から敵性モブ達が寄ってこないかだけを警戒しながら。
彼女は私にしか聴こえないような声量で詠唱を始める。
しかしながら、『奏上』のように
これはどちらかと言えば、灰被りの【灰の女王】のような魔術の発動に必要な詠唱だ。
「『目を閉じればそこは
恐らく、この詠唱を読み解けば彼女が今発動させようとしている魔術の詳細がある程度察する事が出来るのだろうが……そんな野暮な事はしない。
相手が善意で使ってくれているのだから。
「『捧げるは我の血肉』、『求めるは不知の風也』。『これは我が祖』、『我が回帰すべき祖の具現也』……【根源回帰】
彼女は言い終わると共に、自らの左腕を切り落とした。
瞬間、彼女の身体が黒い突風に包み込まれ姿が見えなくなってしまう。
風のドームのようになっているそれがどんどん圧縮されていき、そしてパァンと小気味いい音と共にそれが弾ける。
そこに居たのは、
「……えぇ、マジもんの狼じゃないですか」
『あはっ、カッコいいだろう?コレ。腕一本じゃ少し持続時間少ないから急ぎで行くよ』
そこに居たのは、先ほどこちらをお姫様だっこで運んでくれた狼の獣人族ではない。
私よりも一回りも二回りも大きい、漆黒の毛を持った狼がそこには居た。
獰猛な、狼の笑みを浮かべつつ。器用に私の首根っこをその大きな口で噛み、放り投げる事で背中に乗せながら彼女?は言う。
『これならアリアドネちゃんの普段の速度の数倍は出るから、舌噛まないようにね』
「へっ?」
『――行くぜ』
「――アッ」
そこからの記憶はあまり、覚えていない。
覚えているのは、私がフィッシュの背中の毛に掴まって振り落とされないように頑張るのに必死だった、という事だけだ。