禍羅魔は私が乗り込んだ事を確認すると、自身も搭乗し、
「行くぞ」
短く言った瞬間、車輪が回り出す。
火炎は発生せず、ただただ目の前の空間に、空中を削るかの様な動きに一瞬疑問を覚えたものの、すぐにそれは氷解した。
……へぇ、移動系の能力か。
車輪が回る度に、目の前の空間に
そしてその隙間からは、遠目に見えているはずの触腕の塊……中央区の景色が見え隠れしていた。
充分に亀裂が入った後、彼は車輪を霧散させ新たに1本の紫煙の櫂……オールのような物を自身の手の内に出現させ、
「捕まッてろ」
「へっ――!?」
力強く漕ぎ始める。
その瞬間、紫煙の小舟は予想だにしない速度をもって前進し始め……亀裂を完全に破壊する様に突入した。
硝子の割れる様な音と共に、私達を乗せた小舟は極彩色の謎空間を通り過ぎ……そして止まる。
気が付けば、周囲の景色は元に戻り。
中央区一歩手前の場所まで辿り着いていた。
「到着。振り落とされては……ねェな?」
「あ、あはは。これまた無茶な移動方法だよ本当」
「俺にも原理自体はわかッてねェんだ。説明のしようがない。こういうもんだッて考えろ」
小舟が消えていくと共に、私はルプスを降ろしすぐさま戦闘体勢を整える。
目の前に見えているのは、祭壇が在った筈の石造りの都市の中央区。
遠目に見た時には分からなかったが、そこは記憶にあるそれよりも大きく変わっていた。
数多くの、大小様々な触腕によって侵された地面や周囲の建物。
それに加え、空気中にはこれまで駆けてきた道よりも濃い怨念が漂い、少しずつではあるが私の耳飾りに吸収されていくのが分かった。
そんな中央区の中心には、何かを天に祈るようにして跪いている1人の神父の姿があった。
しかし、人間では無い。
頭は紅く、蛸のような造形のそれへと変わっており、彼が一瞬身じろぎする度に周囲の触腕が動いているのが分かる。
「行く?」
「決まッてんだろ」
言葉は短く、しかしながら私と禍羅魔はお互いの事を見ずに駆け出した。
少し遅れて、ルプスが私達を追いかけてくるのが分かる。
その足音に気が付いたのか、異形の神父が祈るのを止めこちらへと向き直る。
『汝、悔い改めよ』
低い男の声で言われると同時、周囲の触腕が私達へと殺到した。
四方八方、地面以外の全ての方向からこちらへと凄まじい速度で迫って来る触腕に対し、私と禍羅魔は一度立ち止まり、
「うぜェ」
「遅いなぁ」
互いに自らの得物を振るう事で薙ぎ払う。
火炎を纏った2つの車輪が三次元的に動く事で、上空などから迫って来る触腕を轢き焼いて。
無数の紫煙、酒気の刀、そして『想真刀』によって、前後左右から来る触腕は斬り刻まれていく。
そうして出来た一瞬の隙間。
そこを抜けていくのは、
「――ッ!」
群青の紫煙を纏った、『酒呑帯』を酒気の鞘に納めたルプスだ。
私と同じスキルを用いている為に、通常よりも速く、そして鋭く神父の背後へと回り込んで【居合】を乗せた大太刀の抜刀を放つ。
しかしながら、それは徹らない。
金属同士が激しくぶつかり合ったような音を立てながら、硬質化しているであろう触腕がその一撃を防いだのだ。
……ちょっと面倒だな。
観れば、大太刀と触れている部分の触腕が結晶化しているのが分かる。
恐らくは神父の能力なのだろうが……如何せん情報が全くない。
少しは事前に調べたりするべきだったのだろうが来てしまったものは仕方がないだろう。
「……試すか」
ルプスが大太刀を振るい、神父の操る触腕と打ち合っている所に、禍羅魔が車輪を使って突っ込んで行く。
次第に他のプレイヤー達も集まってきて戦いへと加わろうとしているものの。
禍羅魔が放出する火炎や、そもそもとして周囲の触腕が神父への道を閉ざしているのだ。
それこそルプスの様に機動力によって一気に入り込むか、禍羅魔の様に高火力によって無理矢理に進んでいかねば辿り着くのは難しい。
だがそれは私にも言える事ではあるのだ。
……【葡萄胚】自体は貯められる。今の状態ならすぐにでも満タンにはなる。なら……。
私は『想真刀』を左手に、紫煙外装の手斧を右手に持ち、構える。
プレイヤーが増えてきた為に周囲に満ちた紫煙を、目を付けられない程度に拝借しつつ。
「分裂能力起動……残り全ての【葡萄胚】をダメージ増加へ変換。……『
視界が白黒に染まり、神父や周囲の触腕だけが色付いた世界へと変わっていく。
手斧からは濃い酒の匂いが漂い始めると共に、紫煙が漏れ、巨大な紫煙の斧が作り出された。
私の右腕全体に群青の紫煙が纏わりついたのを確認した上で。
一息。
「【Give Up One】」
私の身体から濃い酒気が蒸気のように立ち昇り始める。
『酒呑者』の昇華によって使えるようになっているステータス強化スキルを起動させ、投擲の構えを取っていく。
……狙うは神父だけ。名前が分かってないし、そもそもボスなのか分からないけど……流石に禍羅魔くんやルプスを捌けてる時点で異常だしね。
視界が狭まり、私の視界には色付いた神父の身が見えている。
軸足を決め、身体を開き、手首を傾け。
視線を向け、一気に、伸びたゴムが戻るように。
私は力強く、全力で手斧を投擲した。