ユウキはヒップバッグをぶら下げて、再びマユミが泊まっているホテルにいた。
軟禁状態の環境に暇を持て余しすぎていたマユミは、ユウキを歓迎していた。
「ケーキ、クラッカー、シャンパン!」
何度も同じ言葉を繰り返し、マユミはルームサービスを頼もうとした。
「いらないいらない。何にもいらないから、大人しく座ってろ」
ユウキは面倒そうに、彼女を制した。
「なんだよ、つまんないなぁ」
ベッドにドカッと腰を下ろし、マユミは拗ねた真似をする。
面倒くさい。
ユウキは内心で思い、無視することにした。
「で、聞きたいことがある」
「なによー、素面で真面目な話するのー? つまんないなぁ」
「ああそうかい、大変だな。知ったことじゃないけどな」
「うわ、ヒド!」
「どうして、おまえはフール・レイの人質になってたんだ?」
ユウキは強引に聞き始めた。
「あー、それは……」
マユミの言葉が濁る。
「答えられないなら、保護対象から外すことになる。何しろ、人質じゃない、ただ単に巻き込まれただけってなら、問題ないからな」
ユウキは冷然と宣言した。
「ちょ、ちょっと待って、にぃやん」
「あー、まってやるから、話せ」
「少なくとも、あたしは西尾警備会社から狙われてるかもしれないし、アサトのコミューンの連中からも狙われてるかもしれないんだよ!?」
「かも、かも。可能性があるだけだな。むしろおまえを餌に釣るって方法もあるぞ?」
「そ、そんな酷いこと、にぃやんはしないよね?」
「どうかな? 大体な、マユミよ。俺たちはおまえが可哀想だから保護しているんじゃない。協力者としての可能性があるから保護しているんだ。そこらの慈善事業じゃない。この際、全部吐け」
ユウキは無表情のままだった。
マユミはそれでも、今度は沈黙で抵抗した。
「俺はある娘を捜してる。そいつは身体自体が変換機だそうだ。その結果どうなるか、わからんが。覚えはないか、マユミ?」
「……さぁ、わからないなぁ」
とぼける彼女に、ユウキは鋭い視線を向ける。
同時に、ヒップバッグから写真を一枚取り出す。
そこに写っているのは長い艶やかな髪で、ブラウスにベルトスカートを穿いた少女と、 その後ろにケルベロスのような多頭の巨犬と若い少年がハンチング帽にジャケットとスラックス姿で一人立っている。
「この写真、おまえだろう、マユミ?」
否定しようがなかった。セミロングという点以外では今と全く変わらないのだ。
「これが、どうかしたの?」
「後ろにいる少年は、名前をイサカ・キリトという。どういう訳か、この写真が撮られた時からの過去のデータがない。どこの集団にも電脳ネットワークにでもだ。そして、合成獣の死体は引き取ってすでに検査済みだ。それによると、記憶がごっそりと抜け落ちた、ただの野獣以下な存在となっていたよ。これは、どういうことだ?」
ちなみにキリトは死んでいる。
最後の言葉に、マユミは少なからず衝撃を受けたようだった。
「どうして死んだの?」
「オウミ・オキタの先兵となって警保隊と銃撃の戦の末に射殺された」
マユミは一瞬、言葉が無いかのように、黙った。
「殺ったのは、警保?」
「そうだな。だが、指示を出したのは、オウミ・オキタだ」
「……従ったのも、キリトだよ」
怒りの滲んだ声で即答する。
「よい子ちゃんな答えは気持ちが良いか?」
「サイテーだね」
「なら、おまえがキリトに何をしたかも教えてもらおうか」
「質問ばっか!」
「最初から話していれば、こんな面倒なことはしない」
マユミはベッドに座り直した。
「……お酒、新しいの注文させて」
ユウキは頷いた。
内線でペリエ・ジュエのブラン・ド・ブラン・ シャンパーニュを頼んだ。
ルームサービスで係員が瓶を運んでくると、マユミはシャンペングラスに中身を注いだ。
一杯目をあおって一気のみすると、二杯目に軽く口をつけて、落ち着き、ソファに座る。
「……あたしはね、ユウキ、動く変換機なんだよ」
「……どういう意味だ?」
「そのまんまだよ」
「じゃあ、機能は?」
別段、驚く様子も見せずに、ユウキはシャンパンを一杯勝手に注ぐ。
少々、尖りかけていたマユミの気分は、 彼女は椅子に座り直し、挑発的と言っていい笑みをうかべる。
「奥の手をそう簡単に見せる分けないじゃない? それともにぃやんはどでかい説明書みたいな看板もって歩くのに抵抗無いかなぁ? もちろん変換機の」
今までの元気な少女のそれではなかった。 相手の内面まで見透かすような瞳で見つめてきたため、ユウキはたじろいだ。
その時、携帯通信機が雰囲気を割るように鳴った。
マユミのもので、ユウキがチェックすると、トオコからだった。
マユミは二三言葉を交わすと、厳しい表情で軽く自分の髪を撫でた。
「にぃやん、ちょっと出かけてくるから、またね」
「まてよ。俺も行く」
「えー?」
「なんだよ、駄目かよ?」
「んー……」
考えたマユミは、仕方がないとわざとらしく息を吐く。
「いいよ。じゃあ、トウコさんのところまで連れてってね」
「ああ、車ならある」
臧目緊急病院の隣にある臧目医療総合センターに着くと、マユミとユウキは、トウコのいる研究室に入った。
先にリオが到着しており、落ち着かなげに座った椅子で貧乏ゆすりをしていた。
本来の癖でもないのに、わざわざ脚を揺らしているのはかなり苛立っている証拠だった。
トウコは白衣姿で超然として、立ったまま二人を迎えた。
「トウコちゃん、どうしたのー?」
「……評議会の悪い癖がでました。私は命令通りにしましたが、一報を入れるのが礼儀かとね」
「だから、何事なんだよ!?」
リオが声を上げる。
「カリルを変換させました。彼女は生きています」
三人に衝撃が走った。
自由だ。
数日前、清々しい気分で目覚めた彼女は、まだ自分の名前もわからないままに、街をあるいていた。
秋らしく涼しい晴天だ。ニット帽にロングスカートパーカーを着て、両手を広げる。
身体も心も軽い。
街を行き交う人々の中に紛れていた彼女は、ふと、路地に入りたくなった。
大通りとは違う雰囲気を楽しみたくなったのだ。
しばらく、迷路のような道を歩いていると、突然に歩を止めた。
男が一人、立っていた。
その足元には、まだ若い少女が倒れている。
血だまりに沈んだ少女を見下ろしていた男は、振り返ると、目が合った。
男は笑った。
「運が悪いな」
不気味な響きの声を出した彼は、右手に巨大な鉈を握っている。
突然、男が襲い掛かってきた。
あっけなく肩から左腕が切断される。
「あ……?」
彼女は、やっと自分の身に何が起こったか気が付いた。
痛みはまったく無い。
驚きは有ったが、不思議と恐怖よりも怒りが湧いた。
彼女は男を睨みつけて、左腕を振るった。
拳がとてつもない力で男の頬を捉え、相手は吹き飛んだ。
「……なんだ、てめぇ……」
「え……あれ?」
言われて、やっと彼女は自分の名前が思い出せないことに気が付いた。
底のない恐怖。
彼女に唐突に襲い掛かってきたものだった。
「あたしは……」
全く、思い出せない。思い出す気配すらない。すっぽりと、記憶が消えている。
とてつもない恐怖と不安がパニックをお腰掛ける。
だが、すぐに気付いた。
目の前の男に。
ギブ・トウヤは、運転席に座りながら鼻歌を歌っていた。
助手席で眠っていたはずのミチタケ・フリカが、うるさそうに身じろぎする。
「おや、おこしてしまったかね?」
「……わかってるなら、騒ぐなよなぁ」
「別に騒いでないじゃないか」
「頭ん中で、全裸のあんたが駆けずり回って喜んでる姿が見え見えなんだよ」
「それは、粗末なものを見せてしまったね。謝ろうか」
「うるさい、黙れ」
「はいはい」
それでもトウヤは歌い続けた。
フリカはため息をついて、座り直した。
テスタロッサは国道を過ぎ去り、臧目緊急病院に向かっている。
フリカには相棒の気持ちがわからくもない。
というよりは、実際に喜んで着るのは、彼女のほうだった。
西尾警備会社に勤めて、ようやく、やりがいのある、面白そうな仕事を割り振られたからだった。
今回の仕事を成功させれば、彼女の飢えて飽きない気分を満足させられるだろうし、今後も似た仕事を楽しめるだろう。
いつの間にか、フリカはトウヤの鼻歌に合わせて歌い始めていた。
「何をした? カリルに何をした!?」
リオは激高して、トウコに詰め寄った。
片腕で腰を抱えるようにして、ユウキは彼女が飛びかかりそうになるのを止めていた。「評議会からの命令よ。彼女を生き返らせろと」
「出来るわけ無い! 訳わからないこというな!」
「できるんだよ……」
マユミが嫌悪感を丸出しにして、つぶやいた。
全員の視線が彼女に集まる。
「肉体改造……ってやつだよ」
リオの短い髪がわずかに逆立った気がした。
ユウキは引きづられて、もう一方の手で押さえなければ、リオは拳銃を抜くところだった。
「肉体改造!? おまえ、トウコの身体をつかったっていうのかよ!? ふざけんじゃねぇぞコラ!!」
「リオ、ここらにしておけ。今更責めても始まらない」
「うっせぇ、畜生、離しやがれ!!」
リオは暴れた。
ユウキは、トウコに目配らばせをした。
うなづいたトウコは、引き出しから取り出した圧縮注射器をリオの首筋に押し当てて、打った。
途端、ヒザから崩れ落ちるように、リオは倒れ込む。
「で、評議会がなんだって、カリルを?」
「理由は聞いてません。一方的な命令で、彼女を処置するようにいわれただけです」
評議会は新型のイマジロイドの独自自治集団だ。考え無しにこのような命令をするはずがない。
第一、いま新型イマジロイドが半ばクーデターのようなことを行っている最中である。
オウミ・オキタ達だ。
ならば一体、何のために?
「どんな改造をしたんだ?」
ユウキは一から聞き出し始める。
トウコは一枚、ガムを口に入れて噛みだした。
「戦闘用処理を施したわ。あと、感情に相手の苦痛を楽しむ嗜虐性を普通よりも多めに」
「……随分、趣味が悪いな」
「わたしは、命令に従っただけだもの」
トウコは冷然としていた。
「で、逃亡したんだな?」
「そうよ。だから、あなた方にどうにかして欲しくて呼んだのよ」
「知合いに、死体を弄びましたと報告するとは、あんたも相当なものだ」
ユウキの皮肉も、トウコの被った表情の仮面を破ることはできなかった。
リオは、個室のベッドに運ばれて、寝かされた。
ユウキは、冷たい目でトウコを見る。
「あんた、改造手術なんてして、無事でいられると思っているのか?」
トウコは諦めきった目で、口元には笑みを浮かべた。
「命令ですもの。しかたないじゃないですか」
ユウキはつい、黙ってしまった。
命令で仕方がない。
気持ちはわからなくもなかったのだ。
彼の袖がツンツンと引っ張られて、ユウキは振り返った。
マユミが研究室のドアを見つめていたのだ。
「どうした?」
「にぃやん、嫌な予感がする」
ユウキは怪訝な表情をした。念のために頭の中で研究所の映像を構築して現実の建物とリンクさせる。
明らかに場違いな二人の男女が、廊下をこちらに向かって歩いてきていた。
研究所は、医師や助手が主に活動しているが、二人はそのどちらにも見えない。
客にしては、殺気を放ちすぎだ。
男はコートの下に三つ揃いのスーツを着た、二十九年型で、長身瘦軀、鋭い切れ長の目をして、眺めの髪を後ろで縛っている。
女の方は、十八歳型。セミロングの髪にハット帽を被り、ワンピースを着て、腰にガンベルトをだらりと下げ、拳銃を収めているのがわかった。
西尾警備会社のものだと、受付カウンターで名乗っているデータが送られてきた。
「来か……とりあえず、先生は逃げてくれ。俺たちは、中庭に行く」
ユウキはマユミを連れて、部屋をでた。
中庭は、四方を研究所の壁に囲まれているが、樹木が植えられて、やや広めの林のようになっていた。
ユウキらが待っていると、しばらくして二人の警備会社員が現れる。
「昼ご飯の最中か何かかね?」
男が口をあけた。
「どちらさん?」
「とぼけてもらっちゃ困るな、警部補殿。こんな所までやって来て、何をしているんだい?」
「おまえらこそ、俺が特警と知って来たのか?」
「特警? 関係無いなぁ。大体、あんたらはフール・ギグ虐殺の容疑者をかくまってるじゃないか。それだけじゃないしな。正直、特警失格だよ」
「だから、直接来たとでもいいたいか」
「わかってるじゃないか、警部補殿」
トウヤはニヤリと嗤った。
ポケットから、細い鎖の先に付けられたビー玉大の変換機をだらりと左手でぶら下げる。
ユウキはアサト相手の時とは違い、すぐに頭の電脳部で解析した。
男の持つ変換機は、一人の相手の足を地面に固定し、雨後かなくさせる物らしい。
捕まったら、終わりだ。
有効距離は五メートル。
今はお互い、十メートルほど離れて立っているところだった。
ユウキはマユミに得た情報を耳打ちする。
「俺が囮になる。その隙を狙え」
マユミはうなづいた。
このとき知ったが、マユミの刀も変換のひとつのようだった。
ユウキは突然に、トウヤ目指して駆けだした。
トウヤはしてやったりな笑みで、変換機投げ伸ばしてくる。
いきなり、ユウキの張り付いた足が、進もうとする身体を強引に止める。
だが、すでに抜いたS&WのM19を構えて、トウヤに狙いを付けた。
ユウキにはすでに、フリカがベレッタPX4ストームを構えていた。
引き金を絞ろうとしたフリカに、一気に間合いを詰めたマユミが鞘から抜刀しざまの横薙ぎで斬撃を喰らわそうとする。
フリカは、大きく後ろに跳びのいた。
同時に、ユウキに向かって発砲する。
だが、弾はそれてただの威嚇に終わる。
脚を曲げて腰をそのままにマユミはフリカを追って、袈裟斬りを見舞う。
だが、刀は拳銃で受け払われる。
そのまま、マユミの顔面に銃口を突きつける。マユミは瞬間に首をそらして、銃撃をよけた。
突きは半身になったフリカによけられた。
今度はフリカが胸に銃口を押しつけるが、マユミは開けた左手で打ち払う。
フリカは、マユミに前蹴りを喰らわせて、距離を取った。
「……楽しいなぁ」
フリカはニヤリとした。
ユウキは、何発もトウヤを狙って撃ち、マユミまで変換機の影響を与えないように、誘導していた。
彼等が再び動こうとした時、研究所の建物全体から警報が鳴った。
トウヤとフリカは同時に舌打ちした。
「またの機会だ」
言い残し、トウヤはフリカを連れて中庭から走って建物に入り、姿を消した。
「……あーくそッ! 西尾警備は伊達じゃないかぁ。手強いわー」
悔しそうにしつつ、マユミは刀を鞘に収めた。
トウコの部屋に戻ってみると、どうやら逃げるのが一歩遅かったのか、彼女は血だまりの中、うつ伏せで倒れていた。
二人はそれぞれ不機嫌になり、急いでリオが寝かされた部屋に移動する。
リオは無事だった。
この騒ぎの中、静かな寝息を立てており、ユウキは安心した。