ユウキはカーテンが閉められ、間接照明のみの部屋で、一人壁に指を這わせていた。
そこには、あらゆる事件に関するメモ、写真や証拠品が解決済みの物から未解決の区別無く雑然とびっしりと貼り付けられている。
彼が指を止めたのは、少女の写真の所だ。
表面が汚れて画質が悪いが、ニッコリと笑ったその表情は、いかにも可愛らしく、見る物を魅了する。
薄暗い中、ユウキは無表情で彼女を見つめて、ブツブツと言葉にならない呟きが心から漏れるままにしていた。
「君がキドウ・ユウキかね……」
区長は彼をつま先から頭の上まで眺めた。
どう見ても、噂の能力者とは思えない。
一応整えているがボサボサに近い髪、よれた上に着崩したスーツ姿で、表情には覇気もやる気も感じられない。しかも歳は二十歳とまだ若い。
ユウキは死んだような目で、相手をただ眺めていた。
「はぁ。そうですけど。何か問題でも?」
区長のニカイドウ・ウェウは、31年型。いかにも爽やか風な青年といった風情の外見だった。細身の身体にオーダーメイドのスーツを着て、艶やかな髪を整えている男性イマジロイドだ。
クローン技術と生態素子の改造型アンドロイドといって良い。
東京と埼玉の間にある特別自治区、
執務室で、書類を見つめながら明らかにニカイドウは失望していた。
東京から有能で敏腕な警官を派遣してくるのが習慣なのだが、今回はキドウ・ユウキという青年が選ばれたのだ。
ニカイドウの颯爽とした物腰、涼やかな弁舌に有権者達は魅了されて、直接選挙で自治区長となった。
早速、東京に要請したニカイドウは日本で最も治安の悪い臧目市も少しはマシになるかと期待していた。だが、目の前には見るからにゴミ溜の中から現れたような風貌をした、まだ若い人物があらわれたのだ。
考えを改めなければならないかもしれない。
ニカイドウは、露骨にため息をつく。
臧目市で数少ない特別広域警察官として、全市を取り締まるべく送られてきた人物が、これなのだ。
東京の警視庁にも失望した。いや、とっくに失望していた。やり方があからさまになって行くのが見え見えだ。
オウミ・オキタという男がいる。
臧目市では、この男を巡って騒ぎが起きていた。
彼は各地でコミューンを作りあげて、露骨に臧目自治区に反抗を叫んでいた。
趣旨は自治区の白紙撤回である。
噂では行政機関にもシンパが多数いるようで、警保局も下手に手が出せないでいる。
目下、特別広域警察官の目的は、オキタの逮捕だった。
今回の東京からの出向も、事件の解決要員として一応、希望はもっていたニカイドウだった。
だが、このザマだ。
変に期待した方が悪かった。
ニカイドウは苦々しく思った。
これはすぐに逃げ出すか、ソウジ・イトウの二の舞だなと、ニカイドウは思った。
「いや、別に問題は無い。良く来てくれたユウキ警部補。これから大変だとは思うが、よろしく頼む」
咳払いしてからニカイドウは形通りの言葉を吐いた。
「はぁ……。まぁ、それなりに頑張ります」
気力のない返事だった。やる気のやの字も見られない。
ニカイドウはすでに彼を見捨てていたために何も感じなかった。
ただ、戸口のそばに立つ少女の怒りが、ひしひしと伝わってくる。
「閣下、なに諦めてるんですか。そんなに気にいらないなら、箱につめて警視庁に送り返してやれば良いじゃないですか」
「リオ巡査長……」
不機嫌な声を上げたのは、ショートボブにした髪で、青いスカジャンに、黒いタンクトップ、サルエルパンツを履いた小柄で華奢な身体つき少女だ。十七年型イマジロイドである。
リオとだけ名前のある、特別広域警察官の巡査長だった。型は年齢と同じ数字をとるために外見は若いが、ニカイドウにも中身はいくつかわからない。当然のように、名前は偽名だ。
「やれないってなら、アタシがやりますよ?バラバラにして、箱詰めされたコイツを見れば、むこうも考えるでしょう」
「それでは、我々が犯罪者になるではないか」
ニカイドウは真面目に応じる。
「犯人なんか、幾らでもでっち上げられますよ。まかせてください」
リオは邪悪な笑みを見せる。
当のユウキは、チラリとリオを見ただけで、平和そうにぼんやりとしたままだった。
リオは舌打ちする。
「やってらんね。アタシは行くよ。あんたも勝手にしな」
彼女は乱暴に扉を閉めて、執務室から出て行った。
ニカイドウはため息を付く。
「まぁ、彼女が直接の部下だが、仲良くやってほしい」
全てを諦めきった様子のニカイドウだった。
池野区にあるアメリカ西部開拓時代のパブを思わせる店、トゥーム・ストーンでのカウンター席で、リオはマッカランの十二年物スコッチをグラスにロックで飲んでいた。
飲まずにいられるかという心境だ。
「やぁ、特警リオ助。聞いたよ? 新しい保安官の噂」
隣に座ってきて、特別広域警察の民間での呼び方をしてきたのは、不遜な笑みを浮かべたミキ・カリルという女性だった。
長い髪をポニーテールにして、アルビゾートのルビーレッド・ウォッカをグラスに持った、十八年型だ。
細い身体にタンクトップで、腰にホルスターをぶら下げて、ハーフパンツを履いている。
臧目市でも有名な賞金稼ぎだ。
「何だよ、あんなぼけーとした駄目人間が、何の噂があるって言うんだ?」
ムッとした様子でリオは返した。
「まだ、二十歳なのに警部補とか言ってるじゃないか。まぁ、こっち来るのにノンキャリを特別に昇進させたらしいけどな。ああ、今後一切特進はなくて、死んでも警部補のままだそうだ」
「へぇ。まぁ、一週間後が楽しみだな」
「おまえは、一週間とみたのね。じゃあ、アタシは十日に五万で成立な」
ヒッヒッヒと、下卑な笑いを立てる。
「五万ねぇ。あいつ、早速賞金首になったじゃねぇかよ。たしか、五百万」
「ああ、速攻でイザマと同じ楽園行きだよ、多分な」
横目でカリルをみながら、リオは眉間に皺を寄せてスコッチに口を付けた。
イザマ・イタバシは、ユウキの前任者だった。
リオは鼻で嗤うが、目が真剣だった。
「カリル、ユウキに手を出すなよ? もしおまえが殺ったら、整形技師のところに送り付けて、ブルドックみたいな顔に作り直してもらうからな」
立場上の台詞だった。
本当はユウキなど、どうでもいい。
「冗談。アタシがやるわけないだろう? それより、面白い話があるぜ?」
「あん?」
目線をグラスに戻し、リオは面倒くさげな声をだす。
それを無視して、カリルは喋りだす。
「テトリアブがユウキってのが、もっぱらの噂だ。そしてリラーラヴィル・ギグがユウキを警戒し出した」
テトリアブというのは、ここ二年ほどでイマジロイドを十二体殺した異常な連続殺人鬼である。
テトリアブは臧目市を震撼させる恐怖の対象となっていた。
今は人間嫌いのイマジロイドが特別広域警察官にすら、逮捕を期待されている面がある。
よって、ユウキのような正体不明の若造が来た時点で、期待が憎悪に変わるのだ。
イマジロイドはその性質上、自己の保護には異様にこだわる。
ロボット三原則『命令への服従』『人間への安全』『自己防衛』は最後が最重要視されるという、意外な結果になっていた。
臧目市が特別自治区になったのも、それが原因だった。人間が最もイマジロイドを危険な扱いをするためだ。
リラーラヴィル・ギグは、そんな臧目市各地に存在するギャング組織の一つだった。
同じように点在するコミューンの一部を取り仕切っているため、彼等流の治安に対しては、彼等流の一家言があるほどだ。
「あの、死んだ魚みたいな奴がか」
リオは一笑したところに、本音が漏れた。
だが、カリルは意外にも真剣だ。
「変だと思わないか? 幾らイザマの件が会ったからと言って、あんなの送ってくるなんて。しかも二十で警部補とか、常識無ねぇよ? 警察学校はどうなってるんだよ。ノンキャリだからとか特進だとかいっても、怪しすぎる。警視庁のやり方を知らないおまえでもないじゃないか」
「それだけで結び付けるのは、早計だとおもうけどね。あとな……」
やっとリオはカリルの顔を正面から見据えた。
「イザマの話は今後一切、無しだ。よく覚えておけよ、腕利きの賞金稼ぎ」
カリルは一瞬、リオの鬼気迫る雰囲気に飲み込まれた。
ごまかすために、軽く鼻で笑う。
「OKボス。イザマのことは無しにしよう」
言って、彼女はテーブル席のほうに移動した。
「みんな幾ら賭ける? 早いもの勝ちだぜ。なんせ、もうユウキは殺られてるかもしれないんだからな」
リオはつまらなそうな顔で、グラスに残ったスコッチを一気に飲み干すと、カウンターから離れた。