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第5話

 車は南に向かっていた。

 運転するのは詩緒である。

 助手席に遼、そして後部座席に羽香である。

 羽香は隠すことなく、詩緒へ複雑なまなざしを向けていた。

 警戒と言うべきか疑惑の感と言うべきか。好奇心も混ざっている。

 通る街並みは街道を使っているため見慣れたものである。

 気付いた。

「もしかして、朝が丘に行く気?」

 羽香は険しい声で二人に聞いた。

「らしいな」

「そうだよ」

 遼に続いて詩緒が楽し気に応える。

 急に風香の携帯端末に着信が入った。

『接触した相手を報告せよ』

 多田津だ。

 一瞬迷いつつ、返信を打つ。

『遼は朝が丘方面に移動中』

『報告せよ。室長が詳細を知りたがっている』

 風香は眉を寄せる。

『詩緒という解放戦線の幹部と激戦になり、相手から区長を護ったばかりです』

 敢えて、ぼかす。

『何故、相手が詩緒という名前かわかった?』  

 少し間が空いてからまた入電があった。

『殴り拘束しかけたところで尋問しました』

『逃がしたか?』

 多田津はしつこい。

 内通者としての詩緒のことを想っているのだろう。

『今、トランクの中です』

 羽香はあくまでとぼけた。

 今までの彼女からは考えられない態度だ。

『遼の逮捕はどうなった?』

 またしばらく経ってからの質問だった。

『彼は独自に行動中。追跡中です』

『詩緒と共に遼を確保。出来なければ殺害も許す』

『何故です?』

『リリスの正体が彼の可能性がある』

 羽香は思わず顔を上げてバックミラー越しに遼を見た。

「遼君、リリス知ってるよね?」

「もちろんだが? 何を今更」

「多田津が疑ってる」

 正直に言っていた。

 遼は下らなさそうに鼻を鳴らす。         

「俺と一緒にいる間も犯行続けてるじゃねぇかよ?」

「……それはそう」

『検証します』

 多田津にはこの調子で返事をしておく。

 どうして今更、遼を疑い出したのか?

 唯一の理由があるとしたら、「用済みは消す」必要からとしか考えられない。

 しかし、解放戦線同盟はまだ壊滅していない。

 それとも、近衛第十部隊の作戦が行わられのであろうか?

 羽香はすぐに同じアカデミー出身の近衛隊にいる同期と連絡をつけた。

『動いてはいるが、暴徒鎮圧に出されたとは聞いていない』

 相手が詳しくない訳はない。

 何しろ、近衛隊総司令部総務課付きだ。

 区庁をチェックしてみるが、まだ解放戦線に占拠されたままである。

「何か調べてるようだけど。俺が疑われたってことは、おまえは大丈夫か?」

 遼の言葉は羽香にとって想像外だった。

「あたし?」

「正直言うが、俺の狙いは解放戦線じゃなくリリスだ。俺らが疑われたのはどうしてだと思う?」

 意味ありげだった。

 だが羽香には理解できない。

 解放戦線壊滅のために遼が選ばれて、自分が起用されたのではないか。

「多田津を利用した?」

「リリスには個人的に恨みがあってな」

 面白くもなさそうに遼が応える。

「解放戦線はどうするのさ?」

「知ったことじゃない」

 羽香は岐路に立たされていることを自覚した。

 遼を逮捕するなら、今しかないだろう。

「……どうにかしなさいよ。どうしてあたしがここにいると思ってるの?」

「あー?」

 やっと言っていた目の据わっている羽香に、顎を上げて横顔をよこす遼。

 お互いの鋭い視線が絡んだ。

 ここで負けるわけにいかない羽香は、思い切り睨んでいた。

 しばらくそのままだった二人だが、遼の方が先に目を逸らした。

「……おまえ、どうでも良いことにこだわるねぇ、相変らず」

「あたしがこだわっていることは、基本的なことばかりだよ」

 一笑された。

 いや、自嘲らしい。

「まぁ、ありがち間違ってない。ただな、次は戯晶を潰すのが目的だぞ?」

「彩紗は?」

「一緒だ」

 それから車内は外の風景とともに沈黙が流れ続けた。




 まだ陽の明けない中に朝が丘の三丁目交差点に着くと、車は停まった。

「寒いなぁ。しかし懐かしい風景だねぇ」

 詩緒が呑気に言う。

 口元しか見えないが、この少女の冷笑とおもっていたのは、自嘲だと気付いた。

「あんた関係あったっけ?」

 羽香が聞く。

 戯晶とともに戦い、戯晶と戦い、井藤覚一族の場所。     

「ここは戯晶の本拠地だからね」

 わからなくもない。

 羽香はまだ迷っていた。

 どうしてしても捨てられないのは戯晶への憧れだ。

 おかげで遠慮がないというのに詩緒を笑っていられない。

 なにしろ彼女は完全に割り切っているからだ。

 遼もだ。

 どうやらお互い知り合いといった風である。

「ホント、嫌になるな」

 遼が呟くようにぼやく。

 じゃあ帰れと羽香は思わなくもない。

 多分、言ってしまったら本当に帰るだろうから口にしないが。

「何時になったら帰れるやら」

「じゃあ帰れ」

「そういう訳にいかないから文句も言いたくなるんだろう?」

 意外な答えだった。

 バリケードの残骸が残る辺りに雪が降り出した。

 空間封鎖もしてないのに。

 風香の視界に人影が通る。 

 まだ少年のようだ。

 井藤覚の家の裏に入ってゆく。

 風香は思わず後を付けていた

 彼は窓ガラスを音もなく割って鍵を外すと中に入っていった。

 風香も続く。

 暗い廊下には、少年がひとり倒れていた。

「戯晶?」

 頭から血を出していて、反応が無い。

 二階の階段を登ると、ぬいぐるみだらけで白を基調とした色合いの部屋に入っていた。

 ベッドの上に、猫耳をつけ、Tシャツのしたから尻尾をぶら下げた少女が座っていた。

 天井から蝙蝠が多数、狭い部屋内で飛び回っている。

 京鹿香澄だ。

「やぁ、久しぶり」

 彼女は楽しそうに羽香に微笑みかけた。

「貴様、何をした?」

 苛立ちを隠しもしないで羽香は戸口に立っていた。

 カランビットを手に。

  ベッドに置いてあったバールを握る香澄。

その目が光った気がした。

 眩暈とともに、羽香はベッドで寝ている自分を発見した。

 物音が下からなった。

 彼女はバールをてにして起き上がる。

 夜中だ。

 パジャマ姿のまま部屋から出て階段を覗くと、数名の人の気配がする。

「お姉ちゃん?」

 戯晶が不安げに彼女のところまで来た。

 顔を階段下に出し、止める間もなくそのまま降りて行った。

 羽香は恐怖で身体が動かない。

 鈍い音とともに誰かが倒れた。

 リビングから声がする。

 羽香は静かに足音を忍ばして、階段を下ってリビングを隅から覗き見た。

 遼がいた。

 足元の後ろには血を流している緒済がいた。

 彼の目の前に、三人の男女がいた。

 彩紗、祥、等衣だ。

 待て。

 どうして丹治緒済が?

「やっと来たわね」

 後ろから薇美の声がした。

「お母さんとお父さんは?」

「残念ながら。弟さんも」

「どうして!?」

「緒済はお父さんと商用があったのよ」

 もう、羽香は走っていた。

 彩紗に飛びかかり、彼女が床に倒れたところに馬乗りになると、髪を掴んで何度も床に頭を叩きつける。

「止めろ、羽香!」

 遼は刀を持っていた。

 一刀で祥と等衣を斬り伏せると、そばに寄ってくる。

 羽香の身体がいつの間にか変化していた。

 猫耳に尻尾のアクセサリー。

「邪魔しないでくれる?」

 問答無用で彩紗の胸に刀を突きつけた。

 口から血を吐いて、彩紗は絶命した。

「邪魔するなと言ったろう!?」

 羽香から衝撃波のようなものが放たれて、遼は吹き飛ぶ。

 何とか身を起こし、袖の中から銀の球が両脇についている長いロープを手にした。。

「羽香の身体に乗るのはやめてもらおうか、香澄」       

「彼女が望んだことよ」

「断れよ」

「どうして?」

「おまえはここで死ななきゃならないからだよ」

「随分と生意気なこと言ってくれる」

「それとも、羽香を乗っ取ってないと俺に勝てないか?」

 しばらく無言だった香澄はニヤリとした。

「羽香は一緒にいるのがお望みのようだ」

「そうかい」

 あっさりと納得する風をみせる遼。 

蝙蝠が飛び交う中、遼は球を真っすぐ回転の遠心力を使って香澄の顔面に放った。

 真っすぐ、剛速球と言って良いスピードだ。

 首を傾けて反らした香澄の首に、ロープが巻き付く。

 引っ張って身体を崩したところで、遼は相手の懐に飛び込む。

 銀の杭を突き刺そうとするが、腕の内側を払い打ちにされる。

 遼は足払いを掛けた。

 その場に腰から床に落ちる香澄。

 もう一個の銀の球が頭上に振り落とさされる。

 ロープを掴まれて阻止されたが、相手の周りを回った遼に、ロープでがんじがらめにされる。

 蝙蝠が彼女から幾匹も飛び去ると、姿は羽香になっていた。

 蝙蝠がその背後に集まり、香澄の形をとる。

 遼は銀の杭を両手に持って跳び込む。

 一撃目はかわされて二撃目の左手は手首をつかまれた。

 そのまま身体を引っ張られて腹部に膝蹴りを喰らったかと思うと、くるりと上に伸ばしたその足のかかとで後頭部を撃ち抜かれる。

 遼の意識は一瞬、緩みかけてそのまま床に倒れた。

「情けない」

 喜々として嘲笑を浮かべる香澄は、バールで頭部をカチ割ろうと振り上げる。

 銃声がリビングを揺らした。

 弾丸は香澄の左胸に穴をあけていた。

 信じられないという香澄。

 傷口は焼けて、元に戻りそうにない。

「おまえ……私がいなければ……」

「必要ない」

 タイコール社製の銃を握った羽香は、はっきりと即答した。

「……そうか」

 どこか寂し気に香澄は倒れた。

 蝙蝠たちももう出ない。




 寒かった朝が丘がいきなり初夏の気温になっていた。

 仮面を脱いだ羽香は、両手を伸ばして気持ちよさそうにしている。

「ようやく、空間封鎖を解いたな」

 遼が言うと、彼女は照れたような顔になる。

「しがらみから解放されるというのは良いもんだねぇ」

「あらためて問題も残ってるがな」

「それはコレのことかな?」

 自分の額に当てられたレーザーサイトの光りを指差す。  

「そういうことだ」

 お互いニヤリとした次の瞬間、バリケードの影に飛び込んだ。

 鋭い空気を切る音が一斉に起こる。

 消音機で銃声を消しているのだ。

 古臭いレーザーサイトは彼等の挨拶代わりだろう。

 羽香はすぐに携帯端末で、貴市に連絡を付けた。

『こちら現在、近衛十部隊に襲撃を受けています』 

『星の確保は?』

『まだです』

『わかった』

 数十秒後、弾丸の音が止んだ。

 同じく、今度は多田津に文章を送る。

『遼を確保しました』

『場所は?』

『朝が丘三丁目』

『わかった。そのままでいろ。そいつは今回の騒乱の首謀者だ』




 羽香は呆れたように、遼を見る。

「なんてことしてるの、あんた?」

「何がだよ?」

「区民蜂起の首謀者でしょ?」

「都合が良かったんでな」

「社会大混乱に落とし込めて、勝手な言い草ね」

「乗かったおまえに言われたくない」

 羽香は言葉もない。

 やがて、なんてことない市販の車が一台、現れた。

 スーツを着た多田津が降りてきて、バリケードを目の前にする。

「さて、遼を出してもらおうか」

 羽香が立ち上がった。

「本当に遼がリリスなんでしょうね?」

「間違いない」

「確証の証拠は?」

「ようやく被害者とみられる都築戯晶の死体がでただろう?」

 羽香は思わず遼にちらりと目をやる。

 下らなさそうに、耳の裏を指で搔いている。

「戯晶を殺したのは、彩紗一派の解放戦線です」

「そうやって殺していったんだよ」

 羽香の目が据わる。

「遼と一緒にいる間、犯行を起こした様子はありませんでした」

「別の仲間が実行部隊になっていた」

「ソースは?」

「こちらの内偵部隊からの情報だ」

「連続殺人ではなかったのですか?」

「連続殺人を装った暗殺だよ」

 その時、羽香の携帯端末に反応があった。

『王立監察特捜部です。今、安全対策室を捜査中です。出頭してください』

 監察特捜が入った?

 羽香は一瞬、茫然となった。




「多田津さん、特捜がウチに入りました。あなたも出頭願います」

 羽香の声に対して、動じた様子はない。

 何か変だ。

「どうして私が行かなきゃならない?」

「……あなたも対策室の方でしょう?」

「私はただのオブザーバーだ」

「ならなおさらです」

 多田津は鼻を鳴らす。

「下らんな。必要ない。それよりも遼がリリスであるという立件のほうが大事だ」

「これではっきりしただろう?」

 ようやく遼が口にした。

 顎で多田津を指す。

「コイツがリリス本人だ」

「おやおや。適当言わないでもらいたいな」

「俺が騒乱起こしたのは、あんたをおびき出すためだよ。この環境なら犯行を犯しやすくなるからな」

 羽香は内心で驚く。

 遼は初めから睨んで行動していたと言っていた。

 多田津が犯人と目星をつけて。

「あんたがリリスじゃないなら、羽香とともに行くはずだ。それをあくまでコソコソとしてる時点でお里が知れるぜ?」

「おまえがもっていたタイコール社製の拳銃はリリスのものだ。逃げ場はないんだよ、遼」

 遼の銃なら羽香が最後に使った。

 あれがリリスのものなら、羽香も怪しまれることになる。

 思わず目が据わる。

「なるほど。多田津さんはあくまで表に出ないと」

 羽香は確認するように言った。

「私は私のすることをするだけだが?」

「遼を連れて行かせるわけにはいかないですね」

「ほう。情でもわいたか?」

「古臭いセリフがお好きなようで。利害が一致したまでです」

「利害?」

 懐から、タイコール社製のリボルヴァーを出した。

「……君が持っている理由が知りたいな?」

「一緒にぶち込む気だからでしょうか?」

「そんなこと、するわけがない」

 当たり前化のように、多田津が言う。

「今ので確証が私の中でできました。ぶち込む気ですね。その気がないなら、説明を求めるはずですから」

 多田津は目を細めた。

「ほぉ。つまりは私を疑うと?」

 サイレンサーの点が一つ、羽香の身体を這った。       

「これではっきりしましたね。私はもう満足です」

 赤い点の跡に指を這わせてゆき、最後に眉間でとめた。

「今、私が死ねば手枷の無くなった遼があなたを殺すでしょう。全ては闇に。しかし、私には確かな真実があった」

 いきなり、彼女が横に吹き飛んだ。

「勝手に俺に押し付けてんじゃねぇよ」

 遼が羽香の腰の横を思い切り蹴ったのだ。

「さあ、出番だぞ伊馬!」

 叫ぶと、住宅街のいたるところから人々がわいて出た。

 多田津の目が冷たくなる。

 彼等はどう見ても解放戦線のゲリラたちだ。

 近衛十部隊が明らかに動揺しているのがわかる。   

彼等は囲まれていた。

 先頭に現れた青年は、伊馬志弦。解放戦線同盟の指導者だ。

「俺たちの足元で随分美味い汁吸ってくれてたようだなぁ、おっさんよ!」

 伊馬の眼光には殺気がありありと輝いていた。

 多田津は暗い眼で彼等を睨んだ。

 すぐに車に戻り、ドアを閉めるとエンジンを掛ける。

 そこに殺到する少年少女たち。

 遠慮なく、彼等を引き飛ばしつつ、車は急発進した。

 だが人の波に囲まれて、ついには動かなくなる。

 多田津はダッシュボードから拳銃を取り出す。

 車は片側から持ち上げられて、逆さまに倒れた。

 その上に火炎瓶が投げこまれて炎の塊と化す。

 何とか這いだした多田津だが立ち上がる間もなくすぐに群衆に埋もれて殴られ蹴られる。

「……痛いじゃないのさ!」

 擦りむいた肘をさすりつつ、羽香が立ち上がった。

「死んだ方が楽だもんな。そんな勝手は許さんよ」

「な!? 何様!?」

「うるさい黙ってろ、犬」

「ワンワン!」

「躾けられたいのか?」

 羽香が身体を反らして、文字通り引いた。

 大人しくなったというように、遼は騒乱を眺めた。

「収集つかんな。これはダメだ」

「……自分で火を付けて置いて、無責任な」

「死んで全ての責任を俺になすりつけようとした奴がどの口で言うか」

「恨み節だよ」

「じゃあ、勝手に負け犬みたいにほざいてろ」

 ところどころでいきなり倒れる姿を見る。

 近衛十部隊の生き残りがいる。

「伊馬」

「わかってる。十五分くれ」

「因みに多田津は殺すな」

「ああ」

 遼は大人しく待った。

 十五分後。

 歓声と怒号は相変わらずだが、段々と静かになっていった。

 伊馬は携帯端末を見て、遼に向けた。

 そこには、『近衛十部隊六十名、全員捕縛』と書かれていた。

「よし、多田津をよこせ」

「聞け! 道を開けろ!」

 朗々とした伊馬の声に、群衆が割れるように、左右に別れた。

 顔中が腫れあがり、服はズタボロになった多田津の姿が路上に倒れていた。

「羽香、行けよ」

「え?」

「おまえの役割だ。多田津を処理して貴市を護れ」

 羽香は頷いた。

 ゆっくりと、人々が作った道を進んで多田津のところに来る。

 その力ない腕に手錠を掛けた。

「五時十九分、連続殺人の疑いで逮捕!」




 貴市はホテルの一室で、羽香の報告を聞いていた。

「なるほど、騒乱の首謀者は遼で、リリスは多田津だったか。我々は二人に踊らされたというわけだな」

「室長の監察特捜の件はよい炙り出しになりました」

「おかげでその職を追われることになりそうだがな」

「リリスを挙げた以上、大丈夫なのではと?」

 貴市は面白そうに笑った。

「リリスを挙げたのは君で、私は安全対策という点からすれば帝都の騒乱の原因を作った本人だ。そんな美味い話にはなるまい」

「では……」

 羽香は言葉に詰まった。

「この役職が存在するかどうかもわからん。君もいきなり職から放り出されることになるな。非常に面目ないと思っているよ、上司として」

「室長はできることを立派になされました」

「ありがたい。胸に刻んでおくよ」

 貴市はすでに覚悟を決めている様子だった。

 羽香にはどうすることもできない。

 まどろっこしいにもほどがある。

 その時、羽香の携帯端末に連絡が入った。

「少々、失礼します」

 入力された文字を読む。

 呆れた。

 これが厚顔無恥というものか。

 羽香は顔を上げて、貴市に改まった態度をみせた。

「伊馬志弦が室長に面会したいと申しています」

「……なんだ、と?」

 さすがに貴市も唖然とした。




 彼は遼を伴って、そのホテルに現れた。

 護衛などの人員の様子もなく、身なりをきちんとしている以外は完全にふらりと寄ったといった感だ。

「はじめまして、室長」

 微笑んで右手を差し出す。

 ソファに座っていた貴市は立ち上がってからその手を握った。

「一度は個人的に会ってみたいと思ったのですが、残念ながら今回は人民の代表として来ました」

「それはご足労願い、実にありがたい」

 貴市は仕事モードの態度で対応していた。

 彼は伊馬に椅子を勧める。

 遼はその後ろに立った。      

 貴市の後ろには羽香がいる。

 お互い、関心がなさそうな態度だ。

「我々は、第二区を放棄しようと思います。リリスのような犯罪者が跋扈している治安の悪い場での活動は差し控えさせていただく。その代わり、他区では我々の主張を皇帝に届かせるために全力を尽くします」

「どういう意味かね?」

「我々とリリスを刑に服させるために、有罪判決を下させるために共闘しようということです。証拠や被害者などの情報は積極的に提供させていただく」

「なるほど」

 貴市は思わずニヤリとした。

「ことはかなり重大です。皇帝陛下のお耳に入れておこう」

「よろしく願いたい」

 それだけで、伊馬は席を立った。

 まるで時間に追われているようだった。

 一歩だけ遅れて遼がそれについて行く。

「入池君、早速動いてくれないかな?」

 二人が出て行った直後、貴市は言った。




 ホテルのエントランスにぽつりと遼はいた。

「よう。手札はもうないぜ。ゲームは終了だ」

 近づいてきた羽香に下らなさそうな笑みを浮かべる。

「聞きたいことなら一杯ある」

「こちらも一つあるな。けどまず、どうぞ?」

「最後の朝が丘の、現実?」

「当然だろう。勝手に夢にするな」

「夢みたいだけど」

「残念ながらだなぁ」

「そんなことない!」

 思わず羽香は声を上げていた。

「……まぁ、あたしも夢であって欲しくない」

 おどおどとした口調がつづいた。

「身を削った方としても、気分が悪いなぁ」

「恩義せがましい」

 いきなり元に戻る羽香。

「失礼な。俺の標的は最初から多田津だったんだぜ?」

「それはそう」

 一息入れて、羽香はまた質問をする。

「で、アカデミー時代のことは?」

「思い出したんだろう?」

「誰かのせいでね」

「それこそ恩義せがましい。人の過去を閉じ込めて置いて、自分だけ美味い餌か?」

 羽香の目がさらに据わる。

「言い方ってないかな?」

「点Pにでも例えてほしいか? それとも豚の交尾が好みか?」

「是非、ご口授願いたい」

「勉強ぐらい自分でやれよ」

「論点ずらしだね」

「おまえもな」

 羽香は息を大きく吸って、一笑した。

「変わらないねぇ」

「お互い様だろう?」

「まぁねぇ」

「多田津はどうなる?」

「それ聞きたいことの一つ?」

「違うねぇ」

「安心してよ。終身刑確実だから」

 遼はようやく、昔にたまに見せていた警戒心のない素の表情で安心した様子を見せた。

 想えば長かった。

 六年も経ったのだ。

 全ての始まりから。

「で、質問というのは?」

 羽香は聞く。

「あー、なんで多田津を封じなかった? おまえの能力は空間封鎖だろう?」

「あー、それかぁ」

 最後の最後で自覚できた能力である。

「それも良かったんだけどねぇ、個人的には。ただ、あまりにエゴくない? どうせ復讐するならみんなも一緒にしてもらいたかっただけ」

「罪深けぇなぁ」

 言われて、羽香は偽悪的な表情を作ってみせた。

「コピーキャットも含めて皆、地獄送りよ」

「怖い怖い」

 遼はおどけてみせる。

「そういや室長就任おめでとう」

「は?」

「安全対策室から治安維持室ってのが新しくできるらしく、そこの室長におまえが内定してるんだよ」

「ええ!?」

 羽香は初めて目を丸くした。

「ちょっと、それじゃあ第一線に行けなくなるじゃん!?」

「行けば良いじゃねぇか。別に行っちゃいけないとかいう法令はない。ただ現場は嫌がるだろうけどな」

 遼は悪戯っぽく笑う。

「うわー、軋轢」

 羽香はげんなりする。

「何をウザがってるんだよ?」

「だってさあ……」

「権限が増えたんだ。思い切り振りかざせよ?」

「そして伊馬見たいの産むの?」

「それはやり方次第」

 言われてしばらく羽香は考える風になった。

「遼君はこれからどうするの?」

「さてねぇ。騒乱でしばらく食って行く気だが?」

「あたしが室長の内示受けたらすぐ呼ぶけど、来てくれる?」

「ああ?」

 今度は遼が面倒くさそうな顔になった。

「だってあんた、使いやすいったらないんだもの」

「言い方が気に食わない」

「来てください」

「考えとくよ」

 羽香は微笑んだ。

「じゃあな」

 遼はその場から一歩踏み出した。

 羽香も見て、反対方向に進んだ。


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