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第4話

 亜里が仮面をつけた少女を連れて、区庁に立てこもっていた。

 同時に、また第二区各地で暴動が起こる。今度は区庁のある北部も蜂起した。

 興柳字の外れにあるホテルに泊まっている遼らはそれぞれの部屋で休息をとっていた。

 夕食も食べて椅子でゆっくりしていた羽香の携帯端末に、連絡が入る。

『記樹遼を殺害せよ』

 宛名が書いていなかった。

 発信源も不明である。

 ただ、この端末は官庁との連絡専用のものだ。

 多田津ではないのか?

 ここに来て遼を始末したとして、どこに何の得があるというのか。

 また着信があった。

 今度は明らかに多田津である。

『安全対策室が近衛第十部隊と連絡を取っている。警戒せよ』

 近衛騎士団の中でも特別の作戦を行うエリート中のエリート部隊の名前だった。

『目的は?』

 念のため、羽香は多田津に確認する。

『暴動鎮圧のためのもので、首謀者一派の掃討を狙っているものと思われる』

 確かに今、第二区には伊馬がいて亜里もいる様子である。

 一網打尽には丁度良いかもしれない。

 それにしても、あの彩紗という人物が羽香には気になる。

 香澄の生存も確認をしていない。

 彩紗と香澄のデータを集めるように、所轄各署に連絡を入れた。

 ガラスが割れるような音がしたと思うと、コーヒーカップが割れていた。

 中の液体がテーブルに広がり、羽香は慌ててタオルで拭いた。

「あーあ。気に入ってたのに」

 残念そうに十年来使っていた割れたカップを眺めて、備え付けのガラスのものに、ビールを注いだ。




「引き込んだと思ったらウチら結局、亜里に乗っ取られたわ」

 遼の部屋に彩紗と土蜘蛛の等衣が、それぞれ椅子に座っていた。

「丁度いいじゃねぇか。何不満ぶってんだ?」

 彼は彩紗に言い放ってみせる。

「どこが丁度いいのさ?」

「異能屋は裏で動いて、表立って目立つ役目は解放戦線に任せ解けば良いのさ」

「割に合わないー」

 嫌になるという風に、彩紗は両手を振り上げた。

 彼女はビルで蝙蝠にたかられただけだったため、身体に傷一つない。

「戯晶のカリスマ化は失敗するし、代わりに伊馬がなるし、祥の仇も打たなきゃならないし。大体、祥を動かしたのって例の殺人犯を疑ってるんだけど」

「それは俺も聞きました」

 脚と腕を組んでる等衣が、静かに同意する。

「例の殺人犯ねぇ。騒乱の中を利用している連続殺人鬼か」

「凄く用心深いのか、名前は出てないけどね。まぁ、あたしは香澄を疑ってたんだけど」

「俺もそうだと思ったんだがな。祥の異能はいつから?」

「ん、この前見たのが初めてだよ。以前は使えなかった」

 答えた彩紗に、等衣は黙ってマネキンのように微動だにしない。

 もともと端正な顔で均衡のとれた身体の等衣は、黙っていれば正に人形のようだった。

「ほぅ……」

 遼は軽く目を泳がせる。

 そして悪戯っぽい表情になる。

「どっちにしろ、香澄が死んだとは思えない。用心しとけ」

「そのほうが都合良いよ。祥の仇だからね」

 目に殺意を込め、這うような低い声で彩紗は言った。




 貴市は無意識に足先で床を叩いていた。

 決裁書を眺めつつ、無表情にぼんやりと目を泳がしている。

 部屋には彼一人だった。

 それにしても、なかなか尻尾を出さない。

 いずれ何か手がかりめいたものが得られるだろうが。

 いつまでも呑気にしていれば、相手の思うつぼである。

 自身、かなりの泥を被るだろうが。

 手は打っておくべきだ。

 貴市は内線の番号を指で押した。

 王立監察特捜部顧問官の連絡先だった。




 彩紗たちは遼の言葉に従い、朝から北部の病院や水道局、電送線などのライフラインを占領して行った。

 拍子抜けするほどにあっさりと手に入った。

 次に丹治興産の支店を襲うと、社員たちは意外に協力的で中には蜂起に傘下すると申し出る者もいたぐらいだった。

 ならば店長や支社長などを捕えて待機するよう、遼は指示した。

 テキパキと動く彼をまるで遠くで眺めているかのように我間せずといった据わった目の羽香がいる。

「……随分と活き活きしてるね」

「おまえは死んだ目してるな」

「あんたでもわかるんだ」

「いつもそんな目してるからな」

「最近組んだ相手がいつも呆れさせてくれるからね」

「へぇ、そんな奴がいるのか。大変だな」

 まるまる他人事である。

 ただ、実質これで区庁にいる伊馬と亜里は彼らなしには孤立したことになる。

 夕刻になったので現場に等衣を残し、仲間たちとともに停まっていた車数台に乗り込んで、ホテルへと向かう。

 陽はあっという間に落ち、街灯が付いて夜の闇を照らす。

 交差点手前で先を行っていた車が止まった。

 中の者たちが車外にでて交差点付近に集まる。

「どうしたんだろう?」

 彩紗は後部座席から顔を前に出してきた。

 一人が駆けてこちらに来る。

「等衣さんが倒れてます!」

「なんだと!?」

 遼ら三人はすぐ車から降りて、現場に来た。

 スーツ姿の等衣は、気を失っているようだった。

 パッと見た限りでは外傷はない。

「丹治の店にいたんじゃなかったの? どうしてこんなところに」

 彩紗はしゃがみながら疑問を口にする。

 いきなり襟首を掴まれて、彩紗の身体は後ろに引かれた。

 眼前に空を切る焼けただれた腕が一瞬見えた。

 すぐにそれは消え、彩紗は尻もちをつく。

「あぶねぇな」

 見上げると遼が立っていた。

「なんかいたよ?」

「ああ。等衣をここまで運んできた奴らだろうよ」

 鬱陶し気に辺りを見回す。

 すっかり陽も落ちていた。

 マンションの多い住宅街だった。

 羽香は所轄署からの報告を確認していた。

 香澄に対する情報はなし。

 彩紗のほうは三年前に事件を起こし、保護観察対象となった経緯がある。

 その後、彼女は謎の死を遂げて届け出がだされている。

 軽いめまいがした。

 香澄については情報なし。

 追記も気になる。

 現在の貴官の位置は要注意地区であると書かれていたのだ。

「俺は見ていた……」

 その声は、羽香の耳にも届いてきた。

 車の外に出て、声の主を探す。

「祥を殺したのは、遼だ」

 闇の奥から街灯のしたに現れた等衣は、スーツ姿でマッシュだった神を後ろになでつけた首を傾げながらポケットに左手をいれていた。

 視線は遼を見詰めている。

「おまえだよ、遼」

「遼が? 何故?」

 彩紗は戸惑い、思わず聞いていた。

「思い至る節があるだろう、彩紗?」

 彼女は声を飲み込む。

 遼にちらりと目をやり、等衣に戻す。

「……だからってそんな。他に何かある。あるんでしょう?」

「余計なことは知らない」

 冷然と等衣は突き放した。

 ポケットに入れていない左の腕を軽く上げる。

 辺りに気配が突然にわいた。

 マンション群の窓の明かりに薄く照らされた周囲に、黒い影たちが蠢いていた。

 遼は自然な動きで一本の道の入口付近に立っていた。

 羽香が逆に不自然な場違いさ丸出しで超然と彼について行ったために目立ったが。

 同じく、彩紗もそこまで移動する。

「逃がしはしないがな」

 行った等衣の声がした途端、遼は気配に反射的にしゃがんだ。

 頭上で鉈を持ったただれた腕だけが空間に現れて、空を切っていた。

 腕はすぐに消える。

「……なんで? 空間封鎖は?」

 真横で鼻っ面数センチをかすめたというのに、平然とした羽香が疑問を口にする。

「ある意味、今の腕のやつが空間内にいるのかもな」

 つまらなそうに、遼が答える。

 再び鉈が中空から顔を出した。

 遼は舌打ちして、入口から外に飛んだ。

 残った二人も駆け足で続く。

 そこには、身体が半分腐ったような人々が周りに集まっていた。

「こいつら、死体……」

「多分、あの空間内で腐って焼かれた連中だ」

 羽香に、リボルヴァーを手にした遼は、遠慮なく手近な相手に銀弾を放っていた。

 弾丸を喰らった相手は肉片が吹き飛び、灰となって散ってゆく。

 ニ十体ほどはいそうだった。

「恨みは晴らさせてもらう」

 睨んだまま、等衣は静かな低い声で言った。

 暗く、陰惨なものだった。

「祥も良い姿になってくれたものだ。とうとう俺らと同じ。実に美しいもんだ」

 嬉し気に笑う。

「……あいつ、まさかと思ったが死体を使役できるのか」

 遼の言葉に、羽香は据わった目を冷たくし、逆に彩紗は激高しかけた。

「等衣、おまえそこまで落ちたのかよ!!」

 彼は鼻を鳴らす。

「何が? 俺は元々落ちてるどころか、地獄にいるんだよ」

 羽香は三人を調査したときの等衣の報文を思い出した。

 彼の母は中学一年の時に殺人鬼に殺されていた。例の連続殺人犯と関連がありそうとのことだった。

 直後、何故か等衣は父親を殺人未遂までして逮捕されている。

 親への加虐は日本では大罪である。少年院に実刑で入り、八年のところをなぜか二年で出てきている。

 それからのストリート世界である。

「何が地獄だ。あんたはそこらにいる犯罪者と変わったところなんてない。ただ何もせず流されてきただけだ」

 羽香はが淡々と突き放した。

「そうかい。ならおまえも地獄を体験して流れてみるが良い」

 挑発的に等衣は言う。

 ただれた半身を現した祥が鉈を羽香の頭上で振り上げていた。

 金属的な響きが銃声に混じる。

 鉈を遼が撃ったのだ。

 祥は再び姿を消す。

 羽香は二重に驚いていた。

 祥の攻撃も突然だったが、鉈に弾丸を当てる遼の射撃能力はあまりにずば抜けている。

「おまえに地獄見せてやりたくなったところだけどな」

 助けてくれたはずの遼が感情のない声で羽香に言う。

 彼女が何か言う前に、死体となった人々が一気に襲い掛かってきた。

 遼はリボルヴァーから、銀に光る先のとがった太めの短い棒を両手それぞれ縦にと逆手に握っていた。

 地を蹴って、敢えて群れの中に飛び込むと四方に腕を振ってゾンビたちに銀の杭を突き刺して行く。

 崩れ落ちる空間はそのままに低い腰で近い相手に素早い攻撃を加え、向きを変えてはまるで舞うかのようにまた腕を振るう。

 彼の流れるような動きに散って行く灰のなかの姿に、羽香は見とれた。

 十分、自分に引き付けた遼は、次に一気に等衣のところに走りこむ。

 眉のない等衣が凄みのある笑みで左の腕をポケットから抜く。

 その手から黒い棒が瞬時に伸びる。

 特殊警棒だ。

 内側から遼の右手の杭を外に払い、返す動きで突き出された逆手の左腕の攻撃も打ち流す。

 払われた衝撃を肘と肩で吸収した遼はすぐにまた腰の横を狙う。

 後ろに跳んだ燈衣にもう一方の銀の棒を投げる。

 下に弾き返している時にはもう懐に入っていて、等衣は肩に腕を置かれていた。

 そのまま、数度転がって今度は太ももを刺されそうになるのを避けて距離を取ろうとする。

 遼は同時に迷わず追う。

 立ち上がり際、等衣は遼の靴を打とうとするが、ステップで避けられた。

 頭上からの逆手杭を身体をひねらせて反らせた勢いで警棒を肘に撃ち込もうと振るう。

 右手の杭が先にその腕にねじ込まれるように突き刺さった。

 等衣は絶叫を噛み砕く。

 彼の右腕が蝙蝠と化して散ってゆく。

「祥!」

 遼の背後の空間から鉈を持った死体の半身が現れる。

 両手の杭を放り、遼は等衣に組突いて一緒に道路に倒れこんだ。

 空中でそれを受け取ったのは羽香だった。

 彼女は駆けてきた勢いで祥の胸に一本突き刺し、そのまま遼の背に乗って等衣の右目にもう一本を叩きこんだ。

 暗闇の夜が引き裂かれるような金切り音に似た悲鳴が響く。

 祥と等衣は共にいきなり炎に包まれる。

 遼の身体を引っ張って距離を取った羽香の息は荒かった。

 頭の中にあった霞がはれかかっていたが、若干過呼吸気味になっている。

 二人は突然、夜空のみになった路上にぽつりと立っていた。

「遼君、高校の時に事件あったよね? 聞きたいことがある……」

 そう言うと、糸が切れたように羽香は気を失った。




 散ったストリート・ギャングたちが残した車を使って、遼は錆びれた繁華街の隅にあるバーで羽香とともにボックス席に座っていた。

 他には、客が三人ほどいるぐらいの小さな店だった。

 古いジャズが小さく流れる中、二人とも頼んだ酒には手を出さない。

「どうしても聞きたいのかよ」

 この店に連れてきたのは、羽香だった。

 車の中で意識を取り戻した彼女は、すぐに近くにあったこのバーに入るように指示したのだ。

「どう考えても必要。もう何人か死んでる」

 彼女は相変わらず淡々としていた。

 遼はテーブルに片手を置き、身体は椅子にもたれさせる。

「高校の二年の時、家に侵入者が来た時の話、で良いんだな?」

 頷いた羽香。

 一息いれた遼は口を開いた。

「……当時、政治活動を裏で支援していたおまえの父親に対し、左翼関係者と結託したストリート・チルドレンの一派が行動を起こしたんだ」

「何であんたが来たわけ?」

「あんたの父親が支援してる団体に俺はお世話になっていた」

「どこよ?」

「丹治興産。学業支援を受けていたが、別の行動もさせられていた」

「……へぇ。あんたそこに恐喝とかしてたじゃない?」

「あとの話だ。ちょっとした悪戯心と俺の存在をちゃんと認識してもらいたくてね。何せボンボンの三代目になった途端、学業支援費などを返せって行って来るわ、仲間は売るわとしたい放題だったからな。利用するだけして挙句にその対処かよとなったんだよ」

 この男が高校時からどのような活動をしていたのがが改めて気になったが、羽香はそれはあとに譲ることにした。

「ウチを襲った奴らは誰? あの晩に侵入しようとしてた奴ら」

「祥、等衣、彩紗」

 羽香の目はさらに据わった。

 まったく記憶がない。

 遼も含め、全員それを知っての行動だったのだ。

 自己へも、また他者への怒りでぐちゃぐちゃになりそうになるのを抑える。

「あんたはその時、何したの?」

「おまえが事実に気づく前に三人を帰した」

「黙ってたら、どうなってた?」

「おまえら一家は殺されていたな」

 ふと、不思議な気分になる。

「……ねぇ、あたし本当に生きてるの? その話、成功した保障は? 失敗したんじゃないの?」

「どうしてそう思う?」

「だって、スティグマータだの空間封鎖だの……」

 遼はひとつ息を吐いた。

「うるさい、悪かったな」

「……いや、そういうつもりじゃ……」

 羽香は動揺を見せた。

「ことの発端なんてもんは知らん。あと、おまえが死んでるなら俺も死んでることになる。目の前の人間を殺すな」

 何か言いたげだったが、羽香は同意する。

「結果として、あたしは復讐したことになるのか……やり過ぎた気がするが」

「アレで言い。もう奴らは人間じゃない」

「そこが認めがたいんだよ」

「目の前で起きたことを信じろよ」

 ぐうの音もない。

「どうしてあの人たちはあの能力をもっているんだ?」

「わからん」

「あんた、八百屋やりなよ?」

「どういう意味だよ?」

「別に。じゃあ、あとは彩紗か」

「いや、まだ本体がいる。連続殺人犯だよ」

「へぇ。関連あると?」

「どころか、多分、元々の元凶だろうな」

 その説は初めて聞く。

「……実はあんたを逮捕しろという話もあったんだが」

 言ってしまった、という風な風香。

 だが遼は考慮してないどころか、関心もなさそうに反応が表情に一つも出なかった。

「むしろ、だろうよ。てか、強制なんかしないし勝手にしろよ。正しいと思うなら地獄へも行く。それこそ正しい人生の選択ってもんだ」

「……強いな」

 言われた遼は自嘲した。

「むしろ捨ててるだけだよ、自分を。偉そうなこと言ってるけどな。ていうべきか、そんなこと言ってる時点で俺は自分がガキだと思うよ」

「そんな事言い出したら、皆ガキだよ」

 羽香は軽く笑う。




 羽香がアカデミーを卒業するまでの生活は、決して高学歴家庭故の努力の結晶などでではなかった。

 むしろ、家は中小企業の経営者である。

 エンジニアであり、子会社を四つほど持っている。

 それだけでも恵まれているとはいえるだろう。

 むしろ家庭は両親の不仲に子供に対するモラハラ・パワハラでストレスの圧力鍋状態だった。

 羽香はそんな中から脱出する手段として勉強を選ぶ。

 心の奥底に、常に大人や他人への不審ややもすれば殺害願望と言って良いぐらいの暗く根付いたものを抱えつつ、できるだけ意識に乗せないようにしながら。

 醒めて辛辣なくせに不思議と敵を作らず、あえて群れもしないという特性は一件バラバラのようで整合性はとれていた。

 高校の遼の事件から彼女は変わった。

 わからないがどこか楽になった代わりに、何かを奪われたという印象が強烈に残り、遼に固執することになる。

 自分の家族は殺されかけていた。

 発見だった。

 今の自己の位置の確認のようなものだ。

 納得できるものでもある。

 一つ、風穴が開いた気がした。




「追うとしたら次は彩紗でいいのね?」

 バーを出て夜中、車を北上させていた遼に羽香は確認した。

「それもいいんだけどな。あいつら追うよりやらなきゃならないことがある」

「あんた、何のためにそんなに忙しそうにしてるの?」

 改めて冷静に尋ねてみる。

「そりゃ、仕事だからでしょ」

 当然だと言いたげに即答してきた。

 ちらりと目をくれる。

「それとも彩紗を殺りたいか?」

 羽香は黙った。

 気持ちはある。だが、どうせなら大義名分が欲しいというのが本音だった。

 見透かしたように、遼は鼻で笑い正面を向く。

 遼は、興柳字から東北の方に進んだ、区の境い目近くまで来た。

 真夜中だというのに意外と比較的明るい。

 境い目と言っても何かあるわけでもなく、ただ、道などで区別されているだけである。

 この辺りは小さな繁華街と古い住宅地が混在して密集した地域である。

 ゆっくりと車を進めているが、ライトの先に明らかに段々と人の姿がちらほら増えてきている。

 彼等はこちらをはっきりと確認して、車を通している風だった。

 細い路地になり強制席にスピードが落ちた車のはるか前面に、わざわざゆっくりと椅子を持ち出してきて路上に置いて座り、煙草の火を付けた男がフロントガラスに浮かんだ。

「……りょうすけのー! ここまで来てまだ車の中ってのは、ちょっと無作法じゃねぇのかよ?」

 白い髪で七十絡み。タンクトップにぶら下げたネックレスにサングラスをぶら下げ、グッチのスーツを袖を入れずに方に掛けた、老人が勇ましく響く声を上げてきた。

 遼はエンジンをそのままにドアを開けて、路上にでた。

「赤録さん、お久しぶりです」

「おう、嬢ちゃんも元気そうだな」

 慌てて遼の後ろに来た羽香は礼をした。

 赤録はそれだけの良い意味の威圧感があった。

「気合はいってますねぇ。若返ったじゃないですか?」

 遼が茶化すように言う。

「おうよ、最後にデカく派手に行くんでなぁ。ちったぁ、派手に行きたいってもんよ」

 豪快に笑う。

「せっかくですが、協力はできませんよ」

 遼は言った。

 赤録は下らないとでも言いたげに、鼻を鳴らした。

「おまえなんかの手助けなんているか。むしろそんなことされたら、俺の名折れだよ。黙ってみてれば良いんだ」

 そして彼は二人を案内するために人を呼び、奥の小屋と子も言える家のベランダに座らせた。

 若い連中が遼の乗ってきた車を脇に回していく。

 彼等は、殺気立ち何かを待っているかのようだった。

 狭い路地のいたるところには、篝火が炊かれて、狭い地域はぼんやりと薄衣姿を現していた。「何が始まるわけ?」

「大攻勢の止め」

 羽香に、遼が簡潔に答える。

 澄んだ空気にエンジン音が鳴り響いてくるのがわかる。

 現れたのは、エスニック風のシャツとミニスカートを着た亜里と、仮面を被った少女が雑多な少年少女を引き連れて現れた。

「解放戦線!?」

 羽香はその姿をみて、驚きの声を出した。

 何故彼等がこの場所に侵出してきたのか。

 それにしても、仮面を被っている少女は何者だろうか。

 一人だけ違う、暗く陰湿な気配が漂ってくる。

「黙っては、いさせてくれないようだな」

 遼はやれやれと立ち上がっていた。

 観ておけと言っていた人々も警戒して戦闘態勢になっている。

 赤録が率いる右翼とチンピラらと、少年少女のゲリラ連中が狭い区域に混在した状態になり、殺意が沸騰して空気が熱を帯びる。

 遼たちの視界には仮面を被った少女が、無言で立っていた。

「……その前に聞いて良い?」

 羽香が目で睨みつつ、口だけで遼に聞く。

 まだ彼女は座ったままだ。

 何故か彼等のように構える気にならないのだ。

「良いけど、立てよ」

「ここにいる人たち、何してるの? 大体何してるかもわかんないのに、私は何をすればいいの?」

 すっとボケるかのような言い方だ。

 遼が舌打ちする。

「……区長がここに逃げ込んでるんだよ。赤録の爺さんが匿ってたんだ」

「え、ここ襲われたらヤバいんじゃん!?」

「だから立てっつってんだろう?」

 羽香は言った割には酷く億劫だった。

 ここが襲われた以上、区長に逃げ場はない。

 区庁のビルも落ち、追い詰められている政府側に勝ち目などあるのだろうか。

 気分がどんどん落ち込んで行く。

 遼の声が遠くに聞こえる。

 周りの騒ぎも、はるか向こう岸の騒ぎのようだ。

 自分はここで何をしているのだろうか?

 見上げると、仮面の少女が銃口を額に突きつけていた。

「つまんねぇよな、人生なんて」

 羽香はとっさに腕を取って引っ張り、持ち上げた脚で肩口を固めて地面に押し倒す。

 ポケットから抜いたカランビットを彼女の喉元に食い込ませたところで止めた。

 羽香の膝からおびただしい血が流れていた。

 自身を傷つけたのだ。

 たぶん、ダウナーの仲間づくりをする能力だ。

 閉鎖空間にあったと気付いた彼女は、自己を傷つけることで意識を覚醒させて条件をずらして、異能能力空間下から脱したのだった。

「つまんないのはあんたらの人生だろう、押し付けんな! こっちゃ家族ごとそんな下らない暇つぶしで殺されかけたんだ!!」

「死んじまいなよ、おまえら全員」

 仮面の少女はヘラヘラとした笑い声を上げた。

 羽香は自らの血に染まった手に力を入れてカランビットを握りしめつつ、腰の手錠を問って彼女の片足と反対側の腕に嵌めた。

 頭を蹴ると、空間が開いた。

 辺りの喧騒は酷かった。

 完全な乱戦である。

 中でも目立つのは、赤録だった。

 もういい歳だというのに、六十センチほどのこん棒を振るって掛かってくる相手を次々と打ち飛ばしてのけている。

 彼の周りだけ空間ができているほどだ。

 異臭がして、みると遼が邪悪な笑みをたたえていた。

 片手にポリエステルのボトルを幾つも持っている。

 羽香は唖然としかけた。

 こんなところで、火炎瓶の真似したものを使われては、真剣に死者が出る大事故になる。

「遼!」

 叫ぶと、彼はこちらに振り向いた。

「おお、見とけよ。こいつら一気に吹っ飛ばす」

「やめろ!! 冗談じゃない!!」

「あ?」

 不思議そうな顔をする。

「おまえ、もう二人殺してるじゃねぇかよ?」

 その言葉に一瞬、羽香は固まる。

 だが、すぐに口が開いた。

「だからと言ってあんたが人を殺していい理由にならない!」

 意外と言った様子が返ってきた。

「いや……割とな……」

「言うな!」

 思わず叫んでいた。

「おまえは誰も殺してない! まだ誰も殺してない!」

 絶叫する。

「あー……あぁ」

 遼は面倒臭さと鬱陶しさを混ぜて、モトロフ・カクテルのボトルを放り投げる。

「もういいか?」

 言って来たのは、ヘルメットを被って釘バットをもった亜里だった。

 遼の目が、地面のボトルに戻った。

 亜里に問答は無用なようだった。

 様子から言ってスティグマータは持っていないようだった。

 釘バットを両手で握り、振り被りながら遼への間合いに入る。

 遼はとっさに手にした拳銃の重みを入れて、亜里が腕を動かす前に素早く肘に銃床を叩きつけた。

 亜里は、軽く顔をゆがめて打たれた左腕を話して右手だけで釘バットを遼の胴体にたたきつけようとする。

 後ろに跳び退いて避けが、同じタイミングで飛び込まれる。

 コートで釘バットを巻き込んだ遼は、亜里の側頭部を拳銃を持った手で殴った。

 彼女がぐらつく時には、遼は完全に囲まれていた。

 抜け出そうとしても刃物や鉄パイプなどが撃ち込まれて、舌打ちしながらコートの影に隠れる。

 隙間から、亜里が立ち上がってくるのが見えた。

「……悪いな、コレお遊びじゃないんだわ」

 遼は拳銃を彼女に向けると、引き金を引いた。

 辺りが凍り付く銃声がして、亜里は弾かれたように再び倒れる。

 その隙に、遼は周りの連中を次々と殴り飛ばしていった。

 無表情で見詰めていた羽香に、目をやる。

「わかってんだろ? 本気で生きるか死ぬかなんだよ、みんな」

 口元は笑みに歪んでいた。

 羽香は何も答えず、きつめに目を据わらせただけだった。

 すでに襲撃者たちはバラバラに散っていった。

 もう夜も明ける。

 道路のその一角は死者や怪我人が横たわりる中に半ば茫然とした人々が多数立ち続けていた。

 羽香は疲れ果てて、路面に座り込んでいる。

「ご苦労だったな、お嬢さん。お茶でも一杯のんで行きな」

 かくしゃくとした赤録が寄って来て、元気のあり余った豪快な声をかけた。

 一人ではなく、遼も連れていた。

「あの女を殺らなかったのは大正解だ。おまえにしてはやるじゃねぇか」

 転がったまま動かない仮面の少女に顎をやる。

「……何を偉そうに。ホント、荒事が好きね」

 赤録が差し出した手を取って身体を上げてもらっいつつ、悪態をつく。

 彼の身体は歳の割にしっかりしたものだ。

「嫌いだよ。いちいち神経が磨り減る。ってわけで、行くか」

 遼の言葉に、羽香は眉をひそめる。

「区長は? ここまで来たのに」

「何か用があったか?」

 言われてみれば、確かに特に何もない。納得だが、どこか情が無いようにも思える。

 しかし、今の事態にある区長に会ってどうするかといえば、羽香は正直、軽蔑しか抱かな衣で終わるだろう。

 多数の死傷者が転がっている路上を眺めてそう思った。

「彩紗はどこ?」

 彼女はあっさりと赤録に背を向ける。

「そいつが知ってる」

 遼は、仮面の少女を軽く上げた手で示した。

 彼女の傍まで来た羽香は遠慮なしに見下ろしながら腹部に踵から脚を落とした。

 呻いて一瞬身体をかがめて、少女は羽香の足首を両手で掴んだ。

「止めてくれないんないかな? あたしは敵じゃない」

 彼女は言う。

「へぇ。どの口が?」

 腕の力に対して、脚に思い切り体重をかける。

「羽香。言ってることは本当だぞ。そいつ解放戦線同盟に潜り込んだSだ」

「……おとり捜査のスパイ?」

 仮面がうなづく。

 風香は汚いものでも見るかのような偏見丸出しの顔をしつつ、脚をどけた。      

 おとり捜査スパイになる者は前歴がロクなモノではないことが多い。警察師なら出世を認められない事確実で、引き抜いたのなら欲の塊と言って良い。

 そのせいか、国を裏切る連中がごまんといるのも特徴だ。

「名前は確か詩緒しおといったか。連れて行ってもらおうか?」 

 羽香は不思議な感覚に襲われた。

 今の状態を既視感と似たもので覚えている気がする。

「……わかった」

 詩緒が疲れたといった様子で首を振った。

 その癖に、意味ありげに笑んでいた。


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