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第2話

『作戦は失敗。貴様は以降、続けて第二区にて活動をせよ』

「了解」

 遼は通信に返事をして、シティ・ホテルのモーニングを食べにラウンジに降りて来た。

 すでに、羽香がテーブルについてコーヒーとサンドイッチを前に携帯端末を操作していた。

「あ、オハヨウ」

 淡々とした挨拶。

 遼は軽く手を上げただけで、別のテーブルについた。

 羽香は無表情で当たり前のようにそこに移動してくる。

 朝から鬱陶しい。

「調べたんだけど、ここは妙な事件が多すぎる。正に異界。大体、超常現象がおおすぎる。あと謎の殺人事件。区庁になんて、龍がでたとかあるし。信じたくないけど、異様なことばかり」

「そうだな」

「信じられる?」

「仕事柄」

 遼が平然と即答したため、羽香はしばらく言葉が出なかった。

「……どこから行く?」

 やっと声にして聞く。

「興味ない」

 断言された。

「は?」

 遼はコーヒーだけをウェイトレスに注文して、またどこかを見て黙った。

 羽香の目が座る。

「……じゃあ、どうするの?」

「ああ……しばらく待ち、かな」

「こんなに変事事件あるのに?」

「知らんもんは知らん」

「いや、大体事件調べなきゃ。こんなのおかしいし。大体、できるものもできないでしょ?」

「おまえ、何のためにここにいるんだ?」

「あんたを補佐する為だよ」

 羽香は名前を呼ぶのをもうやめた代わりに、はっきりと言った。

 大体、元々遼を好意的に見ていなかった羽香だった。

 特に反政府の手先になり、堕落を極めた彼を。

 横顔から目だけで一瞬睨んだ遼は、鼻を鳴らした。

「俺は聞いてないがな?」

「私は命令されて来ている。あんたの事情は知らない」

「俺もおまえの話は知らんで済ませて良いのか?」

「ダメだ」

 コーヒーが運ばれてきたが、遼はそのまま放って置いた。

「……お偉いことで」

 ようやく口に出すと、カップに手を伸ばす。

 羽香が羽香で意外だったのは、ここで遼が退いた点だった。

 だが顔には出さずに次の言葉を待つ。

 息をついた遼は、コーヒーカップを手にじっと見つめてくる羽香にもう一方の手を差し出した。

「……何?」

「お手」

 羽香はその手に残っていたサンドイッチを一つ置いた。  

 遼は無言でそのまま口をつける。

「……餌付け成功」

 淡々と得意げに言われたが、遼は無言で食べ続けた。

 二人を乗せた車はシティ・ホテルを出る。    

「で、どこ行くのさ?」

 羽香が急にフランクに聞くと、遼は軽く口を開いてきた。

「カリスマに会いに行く」

 第二区のカリスマと言えば、解放戦線が祭り上げてミームと化した都築戯晶だけだ。  

「どうして、今更?」

「今だからこそだよ」




 彩紗は区庁ビル地下の職員食堂で朝から酒を飲んでいた。

 周りでは、柄の悪い連中が大騒ぎして、庁職員たちも通勤ついでに安い食堂を利用する連中も近寄らない。

 祥は髪を短くしていた。

 それでも跳ねているのは変わらず、細い眉に鋭い眼で長身の上から椅子にもたれて見回している。

 第二区東部を束ねるストリート・ギャングのヘッドだ。

 彼等には親がいない、家がないなど、家族と縁が無い者ばかりだった。

 外見はそれぞれで、祥はジャージ姿だ。

 もう一人、土蜘蛛の等衣等の姿はない。

「何時、始める?」

 彼は彩紗に尋ねる。

「んー、もうしばらく」

 ビールを飲みながら、彼女は答える。

 その時、ジャケット姿の等衣が一人の少女を連れて現れた。

 ショートカットで均衡のとれた体躯。長袖のエスニック風シャツを来て、ミニスカートを履いている。

「彩紗ってどこ?」

 物怖じした様子無く、少女が食堂中に響く朗々とした美声を放った。

「よー、あんたが亜里ありか」

「そうだ。よろしく、彩紗らしい人」

「本人だよ」

 彩紗は苦笑する。

 この亜里は、第二区の南部で活動している青年ゲリラ部隊の部隊長をしていた。

 彼等は第二区で暴れている者たちと少し違う。

 他の解放区画での人物像に近い。

 つまり、異能持ってる者たち。通常の人間とは違う。

 確か、十六歳だ。

「ところで、ウチのボスは都築戯晶って奴だから。あたしじゃない」

「あー、あいつかー」

 亜里は名前は聞いたことがある風だった。

「ちょっと心配だったんだ。けど、あいつがボスなら安心した」

「顔見せついでに土産貰って、今回は終わりだよ?」

 彩紗が言う。

 亜里は頷く。

「そういう事なら問題ないのだが、せっかく来たんだ。ちょっと下見させてもらうよ」

「お好きにどうぞ」

 彩紗はあっさりと認めた。

 指を祥に向ける。

「そこの男が案内してくれるよ」

「おお、そうか。よろしく頼む」

 亜里は満面の笑みで手を上げる。

 祥は黙ってうなづいた。

 祥たちが仲間を連れて、食堂を出た。

「そんなに区庁が珍しいのか?」

「仮にも地元だからこそ、行ったことがないというやつかな」

「よくあるやつだな」

 彼等はエレベーターに乗らずにエスカレーターを使う。

 各フロアーを周り眺めて行って、次の階に昇る。

 いちいち感心したように亜里は光景を視界に記憶させているようだった。

「……ところで、都築戯晶はここに入らないのか?」

「あー、区庁落とすのは最後か最初かのどちらかにしたかったんだが、最初のやつが失敗したからなぁ。ここに戯晶据えるのは、最後かな?」

「例の朝が丘の事件か」

「余計なのがいたんだよ。ほら、ああいう」

 祥は視線で、猫耳尻尾のパーカー少女を差した。

 香澄は何気に所在無げで、区庁の中間フロアでしゃがんでいた。

「どうしているんだ、奴は?」

「どっかから情報が漏れてるんだろうな」

 言う割に気にしていないようである。

 亜里はかすかに眉を寄せる。

「良いのか、それで?」

「情報の完全統制なんて不可能だろ? あれがいた上で、どうするか考えるのが基本ってもんじゃね?」

「確かにそうだが」

 では考えているのかという質問を、亜里は飲み込んだ。

「そういや区庁は頭抱えてるらしいな。ガキどもが一斉してサポタージュしたせいで、教育機関とその周辺は回らない、家庭からの無責任で迷惑な連絡が絶えないとかで」

「しったことじゃないなぁ。そんなの結局、訴えてきた奴らの責任じゃないか」

「それがわからん連中が多いのよ」

 結局、自分はリクリエーションの為に呼ばれたのだろうか?

 亜里はふと思った。

「あとでけっこう派手にやるから安心しな」

 考えを呼んでたかのような祥の言葉に、亜里は表面頷いた。

「サボタージュするガキの威力を社会に見せてやるよ」

 どっちにしろ、彼女は彩紗一派の実力を観る機会が欲しかったのだ。

「で、あんたの発動条件にみあってるか、ここ?」

 祥が聞いてくる。

「十分だけども……」

 つい、口が止まる。

 いくらなんでもいきなりの実戦参加はリスクが大きい。

「裏方で結構。暴れまわるのは、ウチ等でやるので」

「……そういうことなら、協力するが」

 亜里は十分だとでも言いたげだった。

 彼女が条件活動下で動いてくれるのなら、実力を観る絶好の機会でもある。

 ガラス張りの屋上までくると、第二区が展望できる。

 下見は終わった。

 細かいデータを同時に部下に送っていた亜里は、雲一つない空にガラス張りのビル群をみて、ほくそ笑んだ。




「まぁ、間に合うだろう」

 遼のアバウトなセリフが気になった。

 二人を乗せた車は午後前に、意外にも区内で最大の格式を持つホテルの前で止まった。

「え。区庁じゃないの?」

「区庁? 何のことだ?」

 堂々とフロントを通り過ぎ、エレベーターを二十三階で降りた。

 中抜け、外の風景はガラス張りで抵抗なく入ってくる。

 見晴らしのいい空間の一画にはラウンジがあった。

 サロン用の部屋もある。

 警備が厚い中、その大広間に当たり前のように入ってゆく。

 中には、着飾った人々がまばらに集まって歓談していた。

 一面ガラスを通した光りで、室内灯は必要がないぐらいに明るい。

 羽香は不思議に、部屋が輝いて見えた。

 遼は人々のうち、口ひげを生やした壮年の男と若いシックな服装をしている女性の二人の元に直行した。

「お久しぶりです」

 遼に振り向いた男の方はやや驚き、女性は興味深げに見つめてきた。

 羽香は二人の容貌を改めてみて思い出した。

 男は丹治にち興産の会長丹治緒済おずみと、現総務課課長の女性、嘉薇美か びびだった。 

 丹治興産は、第二区を拠点とした総合商社グループで区内の施設はほとんどこの会社の関連企業だった。

「最近会ってなかったわね。あんなに元気だったのに。最近どうなの?」

 薇美が楽し気に話しかけてきた。

 緒済のほうは胡散臭げだ。

 覚えているのだろう、遼は以前に緒済を襲ったことがあるのだ。その時に交渉してた相手が、薇美である。

 記録を拾ってきて、羽香は遼に冷たい視線を刺した。だが、鉄面皮の前に弾き返されてしまう。

 企業恐喝というやつだ。

「あんたのとこが元気になったみたいなんで、顔出しに来ましたよ」

「そう、丁度困ってたのよ」

 薇美がワザとらしい溜め息交じりに言う。

「会長、我々は運命共同体なんですよ? あまり怖がらないでくださいよ」

 遼が微笑を見せる。

 緒済は三代目の会長である。

 彼は疑惑と嫌悪の目をして無言だ。

「彼のいう事は、尤もだと思います」

 薇美が同調してきたので、緒済は眉をひそめる。

「君は一体、どっちの……」

 言いかけてやめた。

「今、この区画はテロが頻発しています。止められるのは、彼だけでしょう」

 遼は薇美に話が早いとばかりに、頬を釣り上げた。

「早速いい話を持ってきたのですが。丹治会長誘拐の計画を耳にしました」

「何だと!?」

 緒済は目を剥く。

 羽香も初耳である。

「説得工作が必要だと思いませんか?」

 薇美と遼のコンビネーションは絶妙だった。

 緒済はうなずくしかなかった。

「全ては君に任せるよ、嘉君」

 薇美は頭を下げた。

 緒済が離れて行き、薇美と三人だけになると彼女は微笑んだ。

「ホント、良いところに戻ってきてくれたわ」

「相も変わらず総務課長の席を独占してましたね。延々と何も変わらずに」

 遼は皮肉る。

 薇美と遼は一種の腐れ縁ともいえる。

「今の事態だもの」

 やってられないとでも言いたげの薇美だ。

 二区が反乱連中に。解放されたとき、丹治興産グループは終わる。

 以前の功績を買われ、彼女しかいないと緒済は薇美の給料を上げるだけで出世はさせていなかった。

「で、実質、反体制派は潰せるの?」

「無理ですね。というか、興味ありませんし」

 真向からの正直すぎる遼の態度に、薇美は吹きかける。

「どうにかしてもらわなきゃ困る」

「それはここの入地に言ってください」

 羽香は無表情の裏で緊張した。

 薇美が顔を向けてくる。

「今年の防大出に異色の人物がいると聞いたわ。あなただったのね」

「……どうも」

 つい身体が硬くなって不愛想丸出しになる。

「入地さん、こうして知り合えて実に光栄だわ」

「……どうも」

 思考停止状態である。

 貴士や多田津相手に物怖じもしなかった癖に、薇美相手になると不思議と蛇に睨まれたカエルのようになっていた。

 何故だかわからなかった事情に、頭だけが自動で勝手に動いていた為に合点がいった。

 マニュアルにないタイプなのだ。

 いわば、丸ごと現場の人間という印象。

 羽香はまだ防大を出たばかりで実質世間知らずな面があった。。

 それが、空気で関係を知らされて身体が反応してしまったのだ。

 彼女にはエリートであるというプライドが少ない。

 この美点は、過分に遼を意識しているが故だった。

 遼にプライドを一撃で瞬殺されたことなど、それこそ山とある。

 羽香の様子に、遼は満足げだ。

 こちらはこちらで、今までうるさかった相手に対してプライドを一気に回復した感がある。

 憎たらしいと羽香は遼に思った。

 遼に意識を戻せば、調子が戻る。

「被害の方はどうなっているのですか?」

 羽香は薇美に聞いた。

「そうね、収益が一割減よ。数字だけでも酷く聞こえるかもしれないけど、潰れた関連企業は十社以上あるわね」

「そのうち、被害を受けたのは?」

 遼が羽香にはよくわからないことを聞く。

 テロ被害ということだろうか?

「四社ね。危害を被ったのは十八人。六人は死んでるわ」

 羽香は腰の裏に隠した手で携帯端末を操作し、すぐに照会させる。

 同調イヤフォンを片耳に入れて、報告を聞く。

 未解決事件で届け出されていないものだった。ただ、六人の不審死が発見されたという話しかない。

「遼、赤録あろくさんが探してたわよ」

 いきなり話題を変える。

「ここに来てる?」

「ほら、あそこ」

 顎で、着物と洋装を織り交ぜたような服装をしている壮年の男が、別のテーブルで多数の人と歓談していた。

 いかにも好々爺といった印象だ。

「ちょっと行ってくる」

 遼が離れると、薇美は羽香に微笑みを向けた。

「忠告しておくけど、アレと一緒に行動しない方が将来の為よ?」

 羽香がどう答えていいか迷っていると、薇美は軽くドレスの皺を整えた。

「……えっと」

「まぁいいわ。好きにすればいい」

 遼は赤録あろく真平まひらのところにくると、深々と頭を下げた。

「おお、元気してたか? 丁度探してたんだよ」

 初老の割りに背筋が良く、着物姿で白い髪は後ろに撫でつけている。

「事情は大体察してます」

「おまえに預けたいものがある」

 そういうと、脇に控えていた若い男が足早にホールを出て行った。

 すぐにでも戻ってきた彼は、手に一メートルと少しぐらいの長さの細いカバーに入っているモノを赤録に差し出した。

 彼は堪能するかのように眺めてから遼に渡す。

 布から伝わる感触で、中身が何かわかる。

「京鹿香澄という子がいてね」

 赤録は言った後、遼を見つめた。

「……わかりました」

「次会う時はサシで飲みたいな」

「楽しみにしてますよ」

 遼はもう一度頭を下げると、その場からゆったりと出口に向かう。

 様子を眺めていた羽香は、あとを追った。

 彼女は、赤録のことも細かく調べていた。

 元自称・探偵。だが、右翼貴族や左翼労働者と交流が深く、フィクサーとも呼ばれたことのある投資家。

 何だこの人物は。

「今の人、何者?」

「ああ、俺の先代」

「は? あんたあんな政治色ドロドロなことしてたの?」

「そっちじゃない。多田津の恩人で、昔今の俺みたいなことをしていた」

「……なるほど?」

 つまり裏で国と繋がって異界処理をしていたということか。

「しかし、耄碌したなあのじいさんも」

 嘲笑するように遼はつぶやいた。




 香澄は堂々と区庁の廊下に座って文庫本を読んでいた。

 その脚やうなじに視線を送ってくる男たちを相手にしないかわり、殺意のこもった雰囲気をまとってい、発している。

 本の内容が頭に入って来ない。

 一々気に食わない。

 毎日思っているが、この建物に入ったときから強くなっている。

 ここを通る連中には家があり、ここにいるという時点ですでに労働という賃金が発生しているのだ。

 家があるということは帰るところがあり、人として認めてくれる人が傍にいるということだ。

 何もかも、めちゃくちゃにしてやりたい。

 殺意と破壊衝動は時間とともに膨れ上がり、時折息が荒くなるほどだった。

 多田津に会ってから、彼女は変わった。

 今までただ、はいというだけだった自動人形だったが、やっと想ったことを外に出せるようになった。

 今までの惨めさ、悔しさ、自己殺害といった思いや行為の総決算として、彼女は目覚めた。

 全てが反動として現れた。

「……君、そこで何しているの?」

 恐らく新人の世話役を買って出るタイプであろう青年が、立ち止まって微笑みながら声を掛けてきた。

 スーツ姿はパリッと整っており、靴も綺麗に磨かれている。後ろには妙に陽気な雰囲気を持った彼より五歳ぐらい下の男女が一人ずつ控えていた。

 香澄は笑顔を作った。

「下で騒いでる人たちが怖くて、ここまで来ちゃったんだけど。降りられなくなっちゃった」

 いかにもドジな様子を装う。だが、言っていることは半ば脅しだ。

「あー、あの連中かぁ。警備にも頼んだはずだけどなかなかなぁ」

「ところで、ちょっと来てもらっていい?」

 香澄は立ち上がり、尻尾を手首に当てて揺らした。

「ん?」

 振り上げた手の甲で男の顎先を掠るように殴る。

 ついでにもう一方の腕で頬を思い切り張る。

 男は、膝から崩れるようにしてあっけなく廊下に倒れた。

 驚いて固まっている後ろの男女に、蠱惑的で残忍な笑みで手招きする。

 来ないので、舌打ちした香澄は足元にあったゴルフボール程の鉄の塊を一人づつ、顔面目掛けて投げつけた。

 骨が砕ける音がして、二人は身体をくねらせて悲鳴を上げて床に転がる。

「ったく、ちゃんと教育しとけよなぁ。警備なり武術なりのよ」

 せせら笑うように香澄は言うと、荷物をまとめてその場から離れた。




 机の前で貴市はいつもの通り不機嫌だった。

 多田津は知らない顔である。

「……色々言いたいことはあるが。今は入って来た話をする」

「はい」

「第二区の区庁が不穏だ」

「はい」

「君ははいしか言えんのか?」

「いいえ」

「日本語喋れるか?」

「はい」

 貴市は目を据えた。

 多田津は相変らずとぼけている。

 貴市は机に肘をついて息を吐いた。

「わかった。君の言い分もある。朝が丘の件で怒っているのだろう?」

「そうですよ」

 多田津はようやく首を軽く傾げた不満そうな態度を露骨に見せた。

「まぁ、あれは私の勇み足ではあった。申し訳なく思う」

「なら良いんですけどね」

 口にしつつ、これ以上の文句は吐けない状況になった多田津は内心で舌打ちした。

 面倒くさげに椅子を持ってきて、そこに座る。

「……区庁での話は私も聞いています」

「ふむ。都築戯晶はどうなった?」

「行方不明です。恐らく、次出てくるとしたら一変しているでしょうな」

 貴市は意味が解らなかったが聞き流した。

「第二区の今後の見解は?」

「多分、三日以内に異界化します」

「退避勧告はすべきかね?」

「いえ、しない方が都合良いでしょう」

「……なるほど?」

 多田津はうっかり口を滑らせたが、気にしなかった。

「赤録という男に連絡を入れました」

「あー、あいつか。動くのか?」

「彼自身はもう直接動くことはないでしょうね」

「しかし、対策は講じたと?」

「はい」

「わかった」

 貴市は何度かどこかを見ながらうなづいた。




 第二区北部にある興柳字こうりゆうじ

 区庁ビルは、高い建物に囲まれた中で一段と伸びていた。

 その日は午前中、曇りである。

 予報では昼頃から晴れると報じていた。

 遼が羽香とともに、道路からビルの近くに車を止める。

 他の地域では騒乱状態だというのに、興柳字だけは別世界のような静かな日常風景だった。

 むしろ、異様なほどに。

 路肩に、エンジンを止めないまま降りたことに、羽香は気付く。

「忘れてない?」

 区庁に向かおうとする遼に、声を掛ける。

「逃げるとき、一々エンジン掛けるの面倒」

 その言葉自体が面倒という振り返りもしないでの返事だった。

「新しく反乱分子に加わった勢力があるらしい」

 悔しまぎれに、即、話題を変える羽香。

「……へぇ。それは知らなかった」

「細かいことはわからないけど、南部の人間とのことだ」

 遼に反応はなかった。

「夜になる前に片付けたいなぁ」

 ぼやきに似た声をだす。

「呑気すぎる」

 無視される。

 区庁に反乱勢力がいるのだ。

 乗り込むというのに、この反応。

 しかも、手ぶらである。

 羽香自身は、リボルヴァーを所轄署から送ってもらっていた。

 シリンダーの弾を確認してると、ちらりと遼が目をやった気がした。

 それにしても、赤録とか言う人が遼に渡したものは、外から見てどう考えても日本刀だろうと思っていた。

 こんな時に役に立つはずだというのに手ぶらとか、何を考えているのか。

 一応カランビットや特殊警棒などの近接用武器も羽香は準備していた。

 区庁の大きな入口にから、当然のようにラウンジに入っている喫茶店に入る遼。

 そういえば朝食がまだだったなと、羽香は気付いた。 

 また、コーヒーだけ頼んだ遼はまともな食べ物を注文しなかった。

 羽香はボイルドエッグを二つとダージリンティーを注文する。

 いったん緊張をほぐすように、羽香は椅子にもたれた。

「呑気だな」

「は!?」

 遼に言われ、羽香は反射的に正面に座っている彼を睨んだ。

「俺に文句垂れてないで、周り見ろよ」

 ラウンジ内を目だけで見回す。

 区庁職員らしき人物も、通勤途中で寄ってくるような区民もいない。

 他には窓が無いことぐらいか。

 派手な恰好をした、若い者たちが客のほぼ全員を占めていた。

 羽香は、気付かない振りをしてティーカップを手にした。

「そういえば、おまえ連中が何で蜂起したか知ってるか?」

「そんなの犯罪心理学や事情聴取の話で知ってる。甘やかされて育って、気に食わないと思ったものを八つ当たりで石ころ蹴るように社会をぶっ壊そうとしてるんでしょ。大体、容疑者や被疑者に同情したらこの職はやってられない」

 遼は鼻で笑った。

「おまえは一生、官庁の人間でいるんだな。二度と社会に出ようと思うんじゃねぇぞ」

「どういう意味?」

 遼は黙った。

「とりあえず、相手が何考えてるかわかった。急ぐわ。まぁ、まずここからの脱出からだけど」

 遼が面倒そうにまた別のことを言う。

 辺りの気配が違ってきていた。

 入店時から比べ、今はその雰囲気に白々しさがともなう。

 店内の照明がいきなり消えた。

 人々がそれぞれのんびりとも思える動きで立ち上がる。

「空間封鎖が始まった。また密室だぜ?」

 遼が呟く

 羽香はとっさにリボルヴァーを手にした。

 薄闇の中だ。

 視界はなんとか保たれている。

「異界って、スティグマータ?」

「そういうこった」

 ポケットから暗視装置を取りだして、顔に掛ける。

 いつのまに、こいつ。

 暗いなか、普段、据わった目で堂々としている割に、羽香は迷わずテーブルの下に移動していた。

 頭上から地を這うような呻き声が、漂ってくる。

 とても人の者とは思えない不気味さを感じさせ、羽香は鳥肌がたった。

「ちがう。この前と違う」

 淡々とした独白だが、声音には珍しく不条理感を丸出しにして隠しもしていなかった。

 相手はざっと二十体はいる。

 薄暗い中、人の形をとっているがとても人間に思えなかった。

「いよいよ、本番ってやつだよ。ところで羽香、武器もってきてるんだろう? 出せよ?」

 羽香は大人しくリボルヴァーを渡す。

 遼はシリンダーから弾丸をすべて足元に落として、新しくポケットからのモノを込めた。

 撃鉄を上げる。

「哀れだなぁ、祥。それで良かったのか?」

 奥の闇で、ワイン瓶を煽っていた赤い頭の青年が、軽く手を上げた。

「よぉ。おまえが記樹遼か。聞いてるよ。なんでも今回の暴動の主犯だそうじゃないか。仲良くしようか」

「乗っかっただけのお客さんが監督に向かって随分えらそうじゃねぇか。ほんと、おまえら醜いよ」

 ワイン瓶が飛んできたが、遼は軽く体を反らして避けた。

 顔を戻すと、祥の姿が消えていた。

 テーブルの下で、羽香は自身の手の甲を見て、驚愕した。

 黒い斑点がいくつかでき、血が流れる代わりに黄緑色した液体が滲み、ゆっくりと穴が開いて広がってくる。

 思わず顔を上げると、椅子もズタボロに崩壊していっていた。

 これは?

 遼は二三、人影に拳銃を発射した。

 身体の一部分が飛び散るように派手に爆発した。

 こいつ、余計な弾頭持ってやがった。

 羽香はそう憎々し気に思った。

 肩口や脇腹を吹きとばされた人影は、多少、揺らめいたが倒れることはなかった。

「……ゾンビ?」

 羽香ははっきりしてきた目で相手を見て、つい口から言葉が漏れた。

「能力者は条件での発動も必要ないらしい」

 遼が呑気に言う。

 彼のコートも、穴が開き色がくすんで来ている。

 ラウンジ全てが、腐食しているのだ。

 人々も物も店内という存在内が腐ってゆく。

 それでも人間は生きている。

「遼君、このままじゃ!?」

「能力者が空間内にいるので助かった。我慢大会するぞ」

「え?」

 遼はソファにライターの火を付けた。

 手ぶらにみせて、小物は次々でてくるものである。

 小さな火は段々と大きくなり、店内を炎の渦にした。

 椅子を遠のけた遼が、羽香のいるテーブルの下に潜り込んできた。

 耳の中の轟音が凄まじい。

 皮膚が痛い。

 口があっという間に乾き、息が苦しくてたまらない。

 しかし、煙を吸うわけには行かない。

 半ば腐った人々が炎に巻かれて呻きながら崩れてゆく。

 遼と羽香はただひたすら、耐えた。

 突如、炎の勢いに風が吹き込んできて熱が一気に下がる。

 封鎖空間が解放されたのだ。

 区庁の人々は、突然の出火に驚くが、慌てたところはなかった。

 一気に逃げるように、羽香はエレベーター横の広場の隅まで走ってきた。

 腐りつつあった身体は、何事もなかったかのように回復していた。

 羽香が見ると、赤い髪の少年に遼が拳銃を突き付けているところだった。

 少年の顔は半分解け、左腕の下腕が筋を繋げたまま少し離れたところに転がっていた。

 銃声が鳴った。

 赤い髪の少年は頭を弾かれて、そのまま後ろに倒れた。




「おい!?」

 流石に羽香は激高して、遼に詰め寄った。

 遼は据わった相手の目を真向から見つめ、リボルヴァーの撃鉄を上げる。

「なにがどうした?」

 冷たく、遼は言い放った。

「どうして殺した!? 病院に運ぶとかある!」

「こいつらに関しては、知ったことじゃないな」

 羽香は思わず腰の裏から手錠を取り出した。

 だが、遼に腹部を踵で蹴られて後ろに吹き飛んでしまった。

「おまえ、ちゃんと見ろよ。さっきの祥、人間だったか? あれが人間か?」

「……どういうこと?」

 睨みつつ、片手で支えて身体を起こす羽香。

「あいつ自身が、化け物だったってことだよ」

「あのひと、あんたの仲間じゃなかったの?」

「知らんな」

 即、断言する。

 羽香は状況を掴めずにいた。

 何がどうなっている!?

 だが、遼は何も言わない。

 羽香は端末で所轄署と連絡を取った。




 等衣は隣のビルで、報告を聞いた。

 祥が死んだ。

 元々、祥は彩紗に近づきすぎたと思っていた。

 自分たちあぶれ者は、社会が安定してこそ、分け前を強奪できる。。

 その、供給源である社会を破壊してどうするというのか。

 彼の心情が、彩紗に対しての者だということにも気づいていた。

 亜里を連れてきたのが、密かに彩紗を全面から降ろして、祥と一緒になるためという思惑があったことにも。

 亜里は第四区を追放された部隊だ。

 使うものの選び方が低脳すぎる。

 等衣はせせら笑う。

 せいぜい、死後も苦しんでおけば良い。

 反乱を謳っておきながら、自己の欲求にすり替えて甘い汁を吸おうとした罰だ。

 腐ったまま、地上をはいずり回ってもらおう。




 所轄からの情報は何も上がってこなかった。

 不満下に不機嫌な羽香だったが何も言わず、階段を使った遼のあとをついてゆく。

 足元に、何かが高速で走っていき、彼女は思わず踊り場で止まった。

 ネズミだ。

 いきなり、頭上をはためく一群があった。

 蝙蝠がの階から降りてきていたのだ。

 やっと十二階にでる。

 空気が淀んでいた。

 だというのに、一面ガラス張りの壁からの光りがまぶしい。

 第十四管理室という扉の前、太陽の明かりが集まったところにソファがあり、女性が一人、座っていた。

 猫耳を付け、白いパーカーを着て組んだ脚のわきから尻尾が伸びた、挑発的に見上げつつ笑んできている。

「あんた、確か京鹿香澄」

 羽香が睨んだ。

「あーん? 政府の犬連れてるの、遼? 落ちぶれたねぇ」

「廊下にソファ持ち出して女王気取ってる妙な奴に言われたくない」

 遼は半眼で顎を上げて見下ろしていた。

「都築戯晶はどこ?」

 羽香が聞くと、二人から何だコイツという顔を向けられた。

 彼女は無表情なまま、戸惑いを隠しつつ反応を待つ。

「戯晶なぁ。いるぞ、ここに」

 香澄が意地悪く微笑む。

 遼は舌打ちした。

 空間が封鎖される。

 濁った塵まみれの空気と、廊下に散乱した倒木と止められた車でできたバリケード。

「馬鹿野郎が。引き金ひきやがって」

 遼が吐き捨てるが、羽香は何が何だかわからない。

 バリケードの向こうに無数の人影。

「どういうこと?」

 首だけ回して、動じていない羽香が遼に聞く。

「記憶だ。あいつの記憶を共有させられた。戯晶は死んだが、あいつの作る封鎖空間内では生きてる」

「わからん!」

「条件下で異能が発動するって説明しただろうが、嬢ちゃんよ!」

 遼は完全に小馬鹿にした声で、羽香に怒鳴る。

 羽香は、段々とわかってきたような気がした。

「……なら会いに来たカリスマって?」

 まだ疑問に残っていたところを聞く。

「香澄のことだよ」

 火炎瓶が投擲されて来て、二人の周りで炎が上がる。

 それを避けるように動きながら、香澄のどこがカリスマなのか尋ねたくなった。戯晶が第二区の象徴なのだ。

 なのに、遼は彼が死んだという。

 戯晶が死ぬわけがない。

 あの存在は、永遠なのだ。

 そう、目の前のバリケードの奥でこちらを見ているように。

「まぁ、それは悪かった。で、どうするの?」

「てめぇ一ナノも反省してないだろう?」

「反省するぐらいなら前を向けと教えられた」

「そいつ絶対に反省したほうが良いぞ。てか反省させた方が良い」 

 まだ手にしていたリボルヴァーに弾を込めて、遼が言う。

 彼は、車の一つに狙いを付けて二発弾丸を撃ち込んだ。

 ガソリンタンクに命中し、爆発とともに車が浮き上がる。

 遼は同時に駆けていた。

 羽香も特殊警棒を握って従う。

 こん棒をもって襲い掛かってくる、二人の少年たちをそれぞれすれ違いざまに、握った銃床で頭側面を殴り、もう一人はその勢いを利用した蹴りを踵から下腹部に入れる遼。

 二人を据え置いて先に進む彼に。羽香はそれぞれ特殊警棒の一撃で止めをさしつつ追いていく。

 遼は車を爆発させながら相手をひるませて、突き進んでいく。バリケード内の相手は爆発と炎が連続して、二人に近づく余裕が無かった。

 バリケードは区画を一つ一つ作るように、巧妙に組み立てられていた。

 鉄筋や廃材で作られた櫓の上に、青白い少年が立っている。

 遼は転がっている火炎瓶を幾つかそこにめがけて投げつける。

 トタンの板に阻まれたが炎は上がった。

 立ち止まったため、他の場所から二人に、十数人の男女が殺到する。

 遼は舌打ちした。

 キリがない。

 いきなり羽香に振り向くと、無言で容赦なく顔面を殴った。

 羽香は倒れて意識が飛んだ。

 辺りを見回すが、何も変わらない。

 遼はイライラした様子を隠しもしないで、殺到してくる連中をバリケードの迷路内を走り回って避ける。

 突然、いたるところで小爆発が起こった。

 戯晶の勢力は混乱してそれぞれの持ち場に素早く戻ったが、各区画の広さはまばらとなる。

「苦労してるみたいねぇ?」

 黒いパーカーに、黒いショートパンツ、黒いニーハイ姿の少女が、白銀のタイコールを両手にもち、遼にむしろ恐ろし気な微笑みを浮かべていた。

 彩紗だった。  

「一人、百円で手を打たない、遼?」

 楽しそうにバリケードの向こうを眺める。

「随分破格だな」

「雑魚なんざそんなもんでしょ? むしろ高いぐらいだ」

「その銃の弾より安いぞ?」

「そんな程度のがわいてるのが問題なんだよね」

 遼はつい吹いてしまった。

 彩紗の部下たちが周りに現れる。

「待ってたんだよねー、実は」

 彩紗は言って、突入の銃弾を真上に放つ。

 怒涛のように、彼等はバリケードに向かっていった。

 戯晶の仲間たちは次々と地面に叩き伏せられてゆく。

 あちらこちらで盛大に炎が上がる。

 空間は怒号と悲鳴、叫びなど言葉にならない騒音に満ちる。 

 戯晶が籠る櫓に火が付く。

 一気に炎として巻き上がり、それそのものが一つの塔のようになった。

 黒い小柄な影がそこから一人、落下していった。

 生々しい、肉が激突する音が空間内に響く。

 空間が解放された。

「おや、この前ぶりじゃねぇかよ、カワイ子ちゃん」

 ソファの香澄はいままでのんびりと眺めていたかのように、余裕そのものの態度だった。

「流石。仲良くなれそうだね、私たち」

 彩紗はにっこりとする。 

 そこに羽香が顔をしかめながら、ふらふらと立ち上がる。

「……ん、なにがあった?」

 遼は、軽く首を回して香澄を睨んだ。


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