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閉じた野獣の叫び
谷樹理
現代ファンタジー都市ファンタジー
2024年08月21日
公開日
47,533文字
完結
連続殺人鬼を捕まるため、帝都に騒乱をこした遼、高校の時に因縁のある羽香は対策室で彼を使って騒乱鎮圧せよと命じられる。
 だが、室長付きの男が犯人であり遼の目的は高校の頃に異能で過去を閉ざした羽香の空間を開くことだった。

第1話

 これは私の記憶の一部。

 一時の夢。

 それは突然現れ、私は導かれた。

 先に何があるかも知らされず。

 現れたものが何であるかもわからないままに過ぎ去ったもの。




 フィリア帝都二十三区、第二区は第四・第十二区に続き蜂起した。

 プラカードを持ってデモを行うのまだいい。

 第十区から派遣されてきた義勇隊が、火炎瓶、パイプ爆弾などを後方から建物や通行人に投げつけて、地区は封鎖。混乱の渦中にあった。

 夜空に一人の青年の顔が浮かび上がっている。

 青白く、どこか腺が細そうだが目は怒りに燃え、口は堅く結んでいる。

 都築戯晶とつぎ ぎしようのものだ。

 第二区蜂起の象徴だった。

 そんな夜中に一人、まるで何ごともないかのように行く青年がいた。

 二十前後。

 長身で体重を掛けないしなやかな物腰。髪は黒に白のメッシュを入れて、やや長い。サイズオーバーのコートの下にパーカー、ストーン・ウォッシュのジーンズに革靴という姿だ。

 上がる火の手の影となり、大きく姿が浮かびあがる様子は楽し気である。

 周囲を五メートルほど離れた位置には、それぞれゲリラに扮した公安警察師が警戒に当たっていた。

 そこにぶらりとスーツ姿の中年が近づいてくる。

「やたらと機嫌が良さそうだな、遼」

「この人のツラを被った獣どもを眺めてたらね。そら、良い気分にもなりますよ」

 多田津ただつは遼の言葉に、相変らずだと苦笑した。

「おまえ、人のこと言えるのかよ?」

「あなたほどじゃありません。密会を騒乱の中央でやろうとか、頭どうかしてますよ」

「合理的じゃないか」

 豪快にいう多田津に、遼はネコのように横を向いた。

 横顔に、明らかに目立つことをさせるなという不満が現れていた。

「おまえを引っ張り出すなら、お祭りが一番良いだろう?」

「祭りには準備が必要ですが?」

「万全」

 多田津は片頬を釣り上げた。

 一人の公安が近づいてきて、リュックを渡してまた去ってゆく。

 その場で中身を覗いた。

 本物のリボルヴァー拳銃だった。

 警察師の正式銃ではない。タイコール社製リボルヴァーだ。

 遼は思わず多田津の顔を見上げる。

「どうした、準備だぞ?」

 面白そうに言われる。

「……この使用済み拳銃が?」

 下らないとでも言いたげに、遼は吐き捨てる。

「ほう、わかったか」

「臭いでね。証拠品の課から持ってきた物でもない。今さっきの臭いがプンプン」

「さすがだねぇ」

 言われて、遼は偽悪的な笑みを見せる。

「ここら辺に?」

「なら良かったんだけどな。第四区だ。俺たちじゃ入れない」

「ああ……」

 それで遼は把握した。

 離れようとする彼を、多田津はとめた。

「おまえ一人で行かすわけにはいかないんだわー。ウチの俊英いるから、そいつと一緒な」

「食っていいんだな? 邪魔になるだけだし」

「警師殺しがどんな目に会うか、知らないわけじゃないだろう? 解放戦線四番隊補佐、忍目遼君?」

 真向から言われた。

「……ハイハイ」

 上の空な返事だった。

「じゃあ、よろしく」

 言って、多田津は背を向けた。

 遼はタイコールを手にして、撃鉄を起こした。

 狙いを多田津の後頭部につける。

 カチリ。

 舌打ちする。

 シリンダーを確かめると、全弾撃ち尽くしたあとの物だった。

 戯晶が謎の笑みを浮かべていた。




 安全対策室で、多田津を待っていた貴市きしは報告に胡散臭さを隠しもしなかった。

 聞いて行くうちに、段々と機嫌が悪くなる。

 だが、多田津は知らぬ様子である。

「おまえに任せるとはいったがな、多田津。ゲリラの人間を使うまでは聞いてないぞ。だいたい。Sじゃないだろう?」

「アレは金とかじゃSにならないタイプなので。なんというか、興味の為なら幾らでも動きますが、興味無いモノには、例え株でも将来の職でも見向きもしないでしょう」

 貴市は難しい顔をしている。

 忙しい男だ。

「なんとかSに仕立て上げられんのか?」

「無理です」

 多田津は一蹴する。

「では監視下に置くしかないな」

「現状維持ですな?」

 貴市はそうじゃないと言いたげに黙る。

 机の前に立ったままの多田津が、一つ咳払いをする。

「そこで、仰るように彼のそばに監視をつけることにしました」

「……ほう」

 丁度、ドアがノックされる。

「入り給え」

 貴市の代わりに多田津がいう。

 現れたのは、後頭部を刈り上げたセミロングでスーツ姿の、小柄な細い若い女性だった。

 その場だけという雰囲気の眼鏡をかけ、据わったような目でじっと貴市を見つめている。

入池羽香いりち うかと申します」

 多田津が続けた。

 羽香は気を付けをしている。

「やぁ、君が入池君かぁ」

 さっきまでの態度を一変させた貴市は、相好なり言った。

 羽香に緊張した様子はまったくない。眠そうな据わった目で、ぼんやりと立っているだけという風だ。

「主席で王立陸軍アカデミーを出たそうだね。ここを志望しているならどうして警察師学校に入らなかったんだね?」

「国家資格を取っていたからだけです。他になにか」

 淡々と表情も動かさずに言葉を吐く。

「そうか。では何故、官庁に行かずに五室の、しかも安全対策室になんか志願してきたのかね?」

 貴市はあくまで豪快なまでに上機嫌に続ける。

「薄給料、板挟み、部下無し。よくこんなところを選んだねぇ」

 多田津がしらじらしいという顔をして軽く目を背けていた。

 貴市は相手のことを知って多田津と羽香に対応しているのだ。

「貴族になるためです」

「ほう。これはまた」

 机に片肘をを付き、顔を乗せる。

「えーと。君の高校時代に、クラスメイトがいたなぁ。確か、記樹遼ききりよう

 羽香がさっと、眼鏡の位置を隠すように表情を手で隠した。 

「それが何か?」

「いや、特には。まぁ、君の初仕事が彼相手だよと」

「そうですか」

 羽香は手を顔から離さない。

「じゃあ、あとは多田津君に任せてあるから」

「はい」

 机に置いたもう片方の手の指を立てて、多田津に退室を命じる。

「……やれやれ」

 部屋からでた多田津は、息を吐いた。

 全てお見通しか。

「あの……記樹さんの話は……?」

 か細い、別人のような声で羽香が伺うように聞いてきた。

「ああ。あの人、そこまで調べてたんだなぁ。事実だよ」

「なら、問題ありません」

 いきなりまた元に戻った彼女だった。

 すぐに口を開く。

「リリスを名乗る謎の連続殺人が横行してますが、それは良いので?」

「別件だな。そして君の最終的な目的は、記樹遼を捕まえることだ」




 「異界」

 未成年の蜂起が相次ぐフィリアにはそんな区域が存在する。

 第二区。

 遼は電車を降りて駅に立ち、夜風を受けていた。

 異様な様はすぐにわかった。

 ポスター、看板といったものが全て同じ人物のものだった。

 青い髪、華奢な身体、どこを見ているかわからない表情に、独特なファッション。

 そこら中のグラフティに描かれた、都筑戯晶とつぎ ぎしようの文字。

 雑多な人間には気にした風はない。

 遼は、感覚で進みだす。

 初めて入るところだがウロウロしていれば何かに当たる。

 それを掴めば一気にやれると思っていた。

 ロングコート姿は、早春にはちらちらと見る程度なほどに風は暖かい。

 歩いて風景を眺めては、携帯端末で辺りの情報を確認する。

 最近の事件は三つ。

 まず、朝が丘通り付近の路上で不審な連続追突事故が頻発する事件。

 そこから二キロ離れた本町辺りで謎の爆発事件三件。

 さらには、十キロ離れた露珂市の住宅地の小路で惨殺通り魔事件三件。

 一見、共通項がない。

 ただ、「スティグマータ」が関係していることは、記事に書かれた不可解さを見れば読み取れた。

 大体、都築戯晶とつぎ ぎしようの文字が一つも出てない。

「遼、こんなところで」

 声を掛けてきたのは、男友達を二人連れた少女だった。

 ショートカットでやや釣り目。細い身体は男たちと同じぐらい。

 黒いTシャツにハーネスを付けて、黒いラバーのショートパンツにニーハイという姿だ。

 男友達らは髪が赤い跳ねたのとアサ色のマッシュ。それぞれ、パンク系、地雷スーツ系の恰好をしている。

 目立つ。

「ああ、彩紗あやさか」

 素っ気なく軽く手を上げて、また視線をもどして足を止めようともしない。

「ちょーとまってよー!」

 彩紗は駆けてくる。

「これからカラオケ! オッケー?」

「ノーだ」

 即答だった。   

「ノリが悪いなぁ」

 クスクスと悪戯っぽく笑う。

 いきなり近づいてき来た。

「あいつら、地元のストリート・ギャングのボス。赤い髪はメシアのしよう、マッシュで眉毛が無いのは土蜘蛛の等衣とうい。取り込んだよ?」

「そういう話は、本部に自慢してほしいところだけど。聞きたいことがあるなぁ」

 解放戦線を名乗る勢力はすでに第二区でも活動中なのだった。

 四人は近くのカラオケのビルに入った。

 彩紗が蠱惑的こわくてきな女性の洋楽を歌っているところ、遼は等衣に話かける。

「都筑戯晶って何者だい?」

「ああ、あいつはここの復興のためのシンボルですよ」

 鼻で笑うように答えてきた。

「どっかの引きこもりだったのを、いきなり引っ張り出してきたらしいですよ?」

「会えるか?」

「……無理じゃないですが」

 乗り気の無さを隠しもしない。

「頼むわ」

「……わかりました」

 連絡先を交換しいる間、祥は場を盛り上げるために声を上げていた。

 祥はラップを踊りながら歌い、さらに空気を陽気にさせた。

 等衣はV系の歌で、メロディアスに歌い上げる。

 遼は一曲もマイクを握らなかった。

「相変らずノリ悪いなぁ」

 四時間経っために部屋から出る時に、彩紗が苦笑しながら言う。

 知ったことじゃないという風な遼。

 彼女らと別れた遼は、しばらく背後を眺めていた。

 彩紗はあんな性格ではなかった。

 もっと生真面目で感情を表に出さず、解放戦線の鑑と言われたほどだ。

 この地区が影響している以外にない。




 第四区、維伊達ビル。

 全区解放戦線同盟司令部は四階にあっった。

 伊馬志弦いま しずるは椅子の背もたれに体重をかけて、各地から入る実況の報告を聞きつつ、満足していた。

 漆黒で目元に赤く光る横線の入った仮面をかぶっっている人物が後ろに控えていた。

 細いパーカーの上にジーンズのジャケットを着て、厚底のブーツを履いている。

「第二区からの要請、どうしたものかねぇ」

 侘於はテーブルの上がディスプレイになっていて、浮かぶかのように移されている地図を眺めていた。

 垂れ目で歪んだ小馬鹿にするかのような口元。

 長目の髪に、鋲の打たれた特に袖の長いロングTシャツにハーフパンツ、サンダルという恰好だ。

「……しばらくは様子見で」

 電子音が仮面から発せられる。

「あー、それもそうだなあ。一々助けるよりも、一区一区、自力で解放されていってもらいたいものだ」

 都合の良いことを言う。

 もっとも、そんなことを思えるぐらいの準備はしてあるのだが。

「まぁ、区庁が解放されたら考えんでもない」

「そうですな」

 仮面がうなづく。




 レンタカーを借りて安物のホームセンターに入ってから、遼はまず朝が丘に向かった。

 十五分ほど歩いて到着したところで立ち止まって、辺りを見回す。

 これと言って特徴のない裏通りに見える。

 視線を感じる。

 遼は待った。

 すると、一見、堂々とした歩き方で、こちらにパーカー姿の少女が近づいてきた。

 見覚えがあった。

 しょっちゅう、彼の前に現れる人物。

 最近はどこで調べたか、自宅近くに引っ越してきたらしい。

 迷惑極まりない。

「遼君、久しぶり」

 相変らず、動作がぎこちない。

 笑顔も硬い。

 軽く手を上げる動作も、小さく震えている。

「入池だっけか?」

 遼は敢えて、今気づいた風に言った。

「久しぶりだね、こんなところで」

「うん。不自然なところしかない」

「……だよねぇ」

 羽香はそれはそうだと、自嘲する。

 悪意も気色悪さにも自覚が全く無いモノだった。

「早速だけどねぇ、一緒に仕事してもらうよ?」

 彼女は唐突に言った。

 遼が何の話だと思っていると、続けた。

「多田津さんから言われて来たの」

 遼は視線を顔ごと反らした。

 あのおっさんか。

 また、自分に何も知らせずに勝手やりやがってきた。

 しかし、考え方によれば、面倒くさいストーカー女を直接管理できるということでもある。

 しかも仕事となればいつでも処理できる。

 問題は無いか。

 良いだろう。

 利用しつくして最後には食い散らかして逃げてやるか。

 遼はぼんやりと赤い月が浮かんだ夜空を眺めつつ思った。




 第二区、朝が丘には雲が集まっていた。

 急速に。

 自然の動きとは思えないほど。

 「スティグマータ」

 遼は辺りを見渡していた。

 羽香の観るところ、この男に変わったところはない。

 相変らず、山猫のような雰囲気だ。

 そして、冷静沈着を装っているが裏で何かを考えているという面がありありと現れていて面白い。

 彼は明らかに焦っていた。

 待っていれば何が起こるかわかるだろう。

 羽香は呑気にそう思った。

「羽香、雨が降る」

「あ、そう」

 そりゃ、この雲の集まりだ。

 ゲリラ豪雨が来るかもしれない。

 だからどうしたというのか。

 思わず、高校時代の呼び方をしていた遼は気付かずに、携帯端末を必死にいじくっていた。

 これから起こることに、羽香は胸躍る気分でいた。

 彼の言う通り、始めぽつりぽつりと水滴が降りて来たかと思うと、突然の集中豪雨となった。

 二人ともずぶぬれだ。

 遼はフードを被ったが、羽香はそのまま棒のように立っていた。

 たかだか雨だ。

 パンツまでぬれているが、ゲリラ豪雨ならばすぐに終わる。

「……おまえ、死ぬぞ?」

「は?」

 遼の言葉に、羽香は変わらない態度で言った。

 やがて雨は上がったとたん、身体が急速に冷えてきた。

 尋常ではない速さで。

 羽香の皮膚は痺れで感覚がなくなってゆく。

「え?」

 流石に羽香は疑問に思った。

 疑問に思っただけで、思考は働かない。

 何が起こっているというのだろうか?

「……相変らずだな」

 遼はあきれ顔だった。

 羽香には何のことかわからない。

「とりあえず、ここから出れるか調べてくれ」

 彼は言う。

 羽香は辺りを伺って、凍える身体を動かした。

 ある地点まで来ると、激しい眩暈がしてしゃがみこんでしまった。

「やっぱり……」

 その様子を眺めて、遼は呟いた。

「……どういうこと?」

 恨みがましさを隠しもしない声音を吐く羽香。

「この空間は封鎖されてる。異界化現象だよ」

「あんた、あの頃と同じことをまだ……」

 それは、高校時代のことだ。

 羽香の実家に強盗が侵入してきた。

 その夜、羽香は勉強に疲れて一息いれ、そろそろ寝ようかと思って蛍光灯を消した時だった。

 間接照明にして着替えを探していると、下の階から物音がした。

 手を留め、母に呼びかけたのを止める。

 明らかにガラスの割れる音で、場所は風呂の窓辺りだと気づいたからだった。

 両親はとっくに寝ているはずだ。

 羽香は護身用兼オモチャだったカランビットを手に、二階の部屋で静かに様子を伺った。

 柔術と合気道を習っていた彼女は、その頃、多少慢心していたのだろう。

 やがて、廊下を忍ぶような足音が感じられた。

 暗闇の中、羽香は階段を下までおりると、そこで息を低くした。

 いきなり、インターフォンが鳴った。

 羽香と同様、気配も戸惑う。

「お邪魔します」

 堂々と、少年が玄関に現れた。

 鍵は閉めていたはずである。

 声は聴いたことがあった。

 クラスメイトの、記樹遼だ。

 皆が勉強に励む中で、一人いきなり授業中に教室を出ていくとか、オカルトめいた本を読んでいるところも観たことがある。

 話せば、どこかワザとらしいぼんやりところがあり、面白い。

 成績はというと、ふざけているとしか思えない態度のくせに、常にトップレベルだった。

 すっとぼけてこんな時に「お邪魔します」じゃないだろう。

 羽香は思わず声にしそうになった。

「まぁまぁ、全員動くな。この空間は封鎖した。逃げられないから安心しろ」

 どう安心すればいい?

 そう、どう安心すればいい?

 羽香の記憶はここで途切れているのだ。

 気付くと、ベッドで寝ていた。

 風呂場のガラスは割れたまま。

 日にちは一日飛んでいた。

 空白の一日は、未だに呪いとなっている。

「ほっとくと皮膚が壊死するぞ。こっち来たらどうだ?」

 声を掛けられた方をみると、遼が一斗缶に火をくべて、キャンプ用のリクライニングチェアに身を横たえていた。

 背後にはテントも建てている。

 冷静すぎる。

 いや、優雅すぎる。

 色々言いたいことがあった羽香だが、とりあえず火まで小走りにして近づき、急いで身体を温める。

「……ホントに封鎖されてるのね」

「どうして嘘をつく必要がある?」

 遼は、マグカップを手にしていた。

 香りからホットワインだとわかる。

 キャンプしに来たのか、この男は。

 羽香は無言でマグカップを奪って中身を飲み干し、熱い息を吐いた。

 そして、そのままテントに入ろうとする。

「何してる……?」

「寝る」

「どうして?」

「あとは任せた」

「待て」

 羽香は入口のジッパーを閉める。

 いきなり、目の前に刃物の先が現れて、思わず声を出しかけた。

 コンバットナイフがナイロン製のテントを引き裂き、炎を背にした遼が現れた。

「待てといっただろうが」      

「犬扱いするな」

「ハウス」

「うるさい」

 羽香は仕方なく、中の毛布を引きずりだしつつ、外に出る。

 身体に巻いた中で半分凍ったパーカーと中のシャツとスカートも脱ぐ。

「誰の毛布使ってるんだ?」

「ぶっ殺されてぇか?」

「何でもないです……」

 遼を即答させるほどの怒気だった。

 ホットワインのアルコールが多少、まだ飛んでいなかったのだろう。 

 遼にとって気まずい雰囲気がしばらく続くが、羽香が一斗缶の焚火に身を寄せて落ち着いたときにやっと口を開いた。

「どういうこと? 説明して」

 遼は息を付き、軽く顔をそむけた。

「……理解できないのに知りたいのか?」

「あなたに理解できることなら理解できる」

 当然のように言うので、遼は無言でしばらく相手を睨みつけた。

「良いだろう……。これは空間封鎖による異常現象の発動だ。この状態は条件次第で起こる。人が起こすものもあれば、自然に勝手になる奴もある。どうやらここのは、自然条件発動によるものだ。俺たちは『スティグマータ』現象と呼んでいる。神が造った痕跡だよ」

「俺たち?」

 気になった言葉を羽香は繰り返す。

 再び顔を背けて目だけ向けてくる遼。

「ああ……。解放戦線内にある、事件処理班のことだよ」

「名前は?」

「そこまで言う必要はない」

「名前は?」

「必要ない」

「名前は?」

 遼は黙ってそっぽを向いた。

 無駄かと悟った羽香は、温まってきた身体にほっとしつつ、疑問を再びぶつける。

「なら、ここのその条件ってやつは?」

「関心ない」

「は?」

 遼は再び、口をつぐんだ。

 何か隠している。

 羽香は彼の様子から感じた。

 問い詰めても無駄だろう。

 だが、視線は離れない。

 その間、遼はずっとどこかを見て、片足をぶらぶらとさせている。

 羽香は携帯端末機で、この場所を調べた。

 朝が丘通り三丁目。

 書き込みには、都市伝説めいたものが並ぶ。

 主な内容は、昔、この地で事故にあった井藤覚いとう まなぶという小学生が珍しく雪の降る日に交通事故にあったというものだった。

 所轄警察署の総務に連絡を入れてみると、通信は繋がっていた。

 すぐに、井藤覚と交通事故の有無について調べるように要請する。

 文字での対応は、実に素っ気ない返事で嫌々の反発完丸出しなのがよくわかった。

「……で、遼君はここで呑気になにしてるの?」

 報告を待ってる間、辺りの異常を探る作業だと思った羽香だが、リクライニングチェアでのんびりしている遼に冷たい視線を向けざるを得ない。

「何もしてないが?」

「どっからその自慢げな怠け発言をする自信がでてくるわけ?」

 先の隠している点だろうかと、羽香は邪推する。

 なら待つべきか。

 一瞬迷ったが、次の遼の発言で思いは打ち砕かれる。

「何時かこの封鎖空間も解放されるだろう。ただその時がわからないから、時間を潰している」

 ふざけるな。

「……備蓄は?」

 羽香は怒気を何とか押さえていた。

「三日分」

「そのあとは?」

「死ぬな」

 言葉もない。

 遼が何を考えているのか、まったく理解できない。

 羽香は、無視することに決めて服を再び身に着けた。

 樹の燃えた匂いのする生乾きの物は不快だったが、仕方がない。

 携帯端末機で気温を確認すると、意外な数値が出てきた。

 プラス十八度。

 現に服まで凍っている。

 ありえない数字である。

 辺りを伺う。

 何の変哲もない、民家が並ぶ交差点である。

 通りを一つ行けば、いきなり高層ビルが建って囲まれている気分だ。

 羽香は午前二時だというのに、構わずとりあえず目の前の一軒家のインターフォンを鳴らした。

 思った通り、しばらく反応はない。

 時間も時間だし、いきなりである。寝ているか警戒されるか両方だろう。

 構わず、羽香はボタンを連打した。

 だが、家のなかに変化の気配はない。

 相変らず沈黙を続けている。

 表札を見る。

 井藤忠司。

 羽香は軽く背に冷たいものが走った。

 他の家の表札も確認する。

 井藤清。

 井藤隆。

 空間内の家は、全て井藤家だった。

 頭の隅にある連続殺人の件を思い出した。

 突然、クラスのチャイムが聞こえてきた。

 はっとして、遼を見るが反応はない。

 嫌に鮮明すぎる音で逆に不自然だった。

 まさか、自分だけ。幻聴?

 羽香は眉を寄せる。

 携帯通信機が振るえた。

 文書が着信した合図だ。

 チャイムが止み、耳が正常にもどると平静を装って彼女は携帯通信機を操作した。

 今見た四人の井藤家の人物は、全て行方不明。

 現在捜査中と書かれていた。

 だが消えたのは十年以上前だ。

 未だに継続捜査されているとは思えない。

 忠司の家のドアを開けようとする。

 当然、鍵が掛かっていた。

「遼君」

 つまらなそうな顔がこちらを向く。

「あんた開錠できたよね? ちょっとやって」

 なんで俺がという様子で、しかし意外にも重い足取りでだがこちらに来た。

 遼はピッキングの道具を持っていて、その場で鍵穴に棒を二本差し込む。

 五分と掛からなかった。

「開いた」

 感心もせず、羽香はうなづいて中に入る。

 遼は不満気だが褒められたことではないのだ。やらせておいてなんだが。

 家の中は暗い。

 キャンプ用品のランプで照らし中に入る。

 埃まみれだが、崩れているとかの古さはない。単に昔のままに保存されているという感じだ。

 家の中に入ってゆく羽香の背後で、遼は玄関口に立ったままだった。

 しばらくして、羽香がいつもの態度で戻ってくる。

「無かった……」

「何が?」

「覚君の部屋のもの。携帯端末やカバン。あとここに靴もない」

「ほう。行方不明という奴か」

 羽香は頷いた。

「あと、覚君の部屋は壁が穴だらけだった」

「なるほど」

 遼はそれだけ聞くと外に出た。

 羽香も続く。

 みていると彼はキャンプ用品をかたずけ始めた。

「封鎖は?」

「解けた」

 あっさり言われた。

「理由は?」 

「わからんな」

 やがて車の運転席に乗ろうとした時、すでに助手席に羽香がいることに気づいた。

「降りろ」

「ヤダ」

「ふざけんな。ヤダじゃない」

「はやく暖房付けて」

「聴いてるのか?」

「寒いと言ってる」

 遼は舌打ちして、エンジンをかけた。

 ナビに従って、シティ・ホテルの駐車場に入る。

 二人は別の部屋で一泊することにした。




 風呂から上がった羽香は、バスタオル姿で報告用文章を書き終わった。

 多田津宛に送信する。

 缶ビールを手に、つまみの裂きイカをくちにしつつ個別チャンネルを眺めていると、返信が来た。

 確認し携帯端末を机に放り缶ビールを一口飲んだ。




 第二区駅はその日の朝、珍しいほどの混みようだった。

 駅に降り立った少女の一人に、皆が近づいてくる。

 猫耳のヘッドドレスを付け、ハーフツインの髪はダークブルー。チョーカーに白いサイズ上のパーカーは白に黒のライン。 裾から尻尾が垂れて白い脚が伸び、独自デザインをほどこした安全靴を履いている。

 バッグをもって堂々と立っていた。

 あごをくいっと出口にやると、周囲の男女が各駅の出口から降りて行った。

「第二区で一番でかい本屋と有名な古本屋はどこかな……ああ、壊れてねぇよなぁ?」

 彼女は独白して、ゆっくり歩きつつ、携帯端末を触る。

 駅員が見た時、思わず目を張り付けた。

 すぐに、事務室に連絡を付けて、報告する。

「おい、京鹿香澄きようか かすみの手配ポスター、送ってくれ」

 送られた写真を見た彼は確信した。

 解放戦線の活動家で手配犯が、駅から出て行った。

 早速彼は鉄道警察に報告し、情報は第二区の各所轄と区警に入る。

 現場に多田津が来ていた。

 緊急警備本部の本部長の伊津知警視は、この男を胡散臭げに眺めた。

 区警本部から派遣されてきたが、所属が陸上自衛隊の三佐となっている。

 他に履歴がない。

 本部に問い合わせても、任せているの一点張りだった。

 確かにキャリア官僚ではあるのだろう。

 ただし、現場から上がってきた声では、評判が悪い。

 彼が集めてきた連中が、どう見ても街のあぶれ者ばかりといった様子だったのだ。

 一人で来れば良いものを。

「相手の拠点は朝が丘交差点三丁目。丁度、区庁と南部を繋げる地点です。ここを死守されると、南が我々の統制下から離れます」

「そうか。じゃあ、せっかくだから御宅の意見を聞こうか?」

「拠点を落とす。それだけですね」

「じゃあ、君にはそれを任せた。我々は通常警備を敷く」

 多田津はニヤリとした。

「良いでしょう。任せたのお言葉、確かに受け取りましたよ?」

 伊津知は嫌な予感がしたが、敢えて無視することにした。




 トラックと倒木のバリケードで要塞化した朝が丘。

 黒いTシャツにハーネスを付けて黒いショートパンツの彩紗が二人の男を引きつれて、少年の前に出てきた。

 柔らかそうな髪を目元までのばした白皙、大き目の目は虚無と言って良いぐらいに漆黒だ。

 だが口元に無邪気な微笑みがあり、愛嬌がある。

 タンクトップにハーフズボンから出ている身体は細い。

 十四歳程。

「警備の対応、早くない?」 

 都築戯晶は彩紗に聞いた。

「あー、どうせ来るのは、連中じゃないねぇ」

「じゃあ、誰?」

「ウチらの仲間」

 彩紗は意味ありげに言ってみせた。

 戯晶はそれが援軍と思えるほど単純ではなかった。

 彼等は解放戦線に呼応して、約五百人を集めて蜂起したのだった。

 東部ではメシア、西部では土蜘蛛の連中が暴れ回っている。

 官庁街の北部を孤立させて、自治独立政府を樹立するのだ。

 解放するのだ。

 昼間、大人たちは仕事をしている時間。

 彼等の前に、ぞろぞろと人が集まってくる。

 朝が丘の交差点は、人々に囲まれていた。

 先頭に、猫耳のヘッドドレスをつけ、尻尾を垂らした少女が立っていた。

「よぉー、クソガキども! お仕置きの時間だ!」

 大した年齢も違わないのに、香澄は陽性の声で朗々と宣言した。

 バリケードに隠れていた少年少女たちが、火炎瓶を彼女らに向かって投擲してくる。

 道路のそこらで炎が上がる。

「京鹿香澄か」

 彩紗が舌打ちしたげに言った。

「知り合い?」

 戯晶は尋ねる。

「ウチ等の仲間一号」

 すでに、舌舐めずりする口元になっていた。

 手にはバールを一本握っていた。

「やらせてもらうよ」

 彼女は、バリケードの奥から外に出て行った。

 走りこんで来た彩紗に、香澄は顎を上げて待ち構えた。

 空間が封鎖される感覚があった。

 足元が凍る。

 安全靴の香澄は滑りかける。

 頭上から、彩紗がバールを叩きつけよとしてきた。

 尻尾が舞い上がる。

 香澄はバッグから釘打ち機を取り出して、一気に距離を詰めた。

 バールを持つ手を肘で払い、彩紗の平坦な胸部に釘打ち機を押し付ける。

 彩紗はすぐに横に身体を反らす。

 下から身体をガードするかのようにバールを振り上げた。

 香澄は後ろに跳んだが、滑って踏ん張りがきかずに背中から倒れた。

 スパイク付きの靴を履いている彩紗は、香澄の右足首にバールを叩きつけた。

 弾かれたように足が舞う。

 そのまま頭上に上がった脚の踵は、彩紗の脇腹に食い込んだ。

 立ち上がろうとした香澄だったが、一瞬溶けて再び凍った氷で服が道路に張り付りつき動けなかった。

 彩紗のバールが頭を狙ってくる。

 香澄はとっさにパーカーを脱いでタンクトップ姿になると、彩紗に起きざまのタックルした。

 意外な相手の行動に、油断していた彩紗は道路に後頭部をぶつけて動かなくなった。

 封鎖空間が解けて、氷が消滅する。

 香澄率いる少年少女たちは、バリケード半ばまで乱入していた。

「おらぁ!」

 釘打ち機を手に、片手にパーカーを巻いた香澄は駆けだした。




「分が悪い」

 戯晶は櫓からバリケードの城を眺めて呟いた。

 そして、周りに中心部の撤収を指示した。

 今、前線で乱戦中の仲間相手に退けと命じれば、場は確実に持たずに散乱する。

 その前に自分だけの逃走経路を確保するのだ。




 警備本部で伊津知は都築戯晶行方不明の報を受け取った。

「待機していた予備の機動隊を一気に投入。戯晶の勢力を全力で潰し、確保せよ」

 多田津は黙って聞いている。

 目は光化学ディスプレイの地図内の変化をずっと追っていた。

『香澄、戯晶が逃げた』

 多田津はディスプレイに文字を打ち込む。

 香澄の脳内に直で地図が映し出される。      

「戯晶が逃げた! ルート遮断隊、とっ捕まえろ!」

彼女は大声で叫んだ。

 声が瞬時に伝わって行く。

 蜂起側は聞いて一気に戦意を消失した。

 香澄らは勢い付き、バリケードに火を放つ者もいた。

 だが、背後から機動隊が到着し、彼等は蜂起側とともに一目散に散っていった。

 香澄は改めて遮断しつつルート確保しておいた。地上と地下、屋根伝いを使い姿を消していった。

 残った蜂起側は、半壊したバリケードに突入した機動隊に次々と取り押さえられていった。

「馬鹿野郎!」

 ドローン映像を見た多田津は思わず怒鳴った。

 伊津知が何のことかと、目を丸くした。

「戯晶は捕まえたのかよ!」

「当然、捕まる」

「どんな根拠だ!?」

「この状況だ。逃げれるはずがない」

「だから、根拠もってこい! 逃走ルートが解放されたんだぞ!?」

「なんのことだ?」

 多田津は舌打ちした。

「任せたの言葉はどこ行った!」

「ここの責任者は私だ」

 無能のクズが。

 蜂起を潰そうとした自分が間違っていたと、多田津はすぐに悟る。

 このような男に得点をやって椅子を確保させるために来たわけじゃない。

 彼は黙って机から立ち上がった。

 方向を転換させるか。

「どこへ?」

 呑気に聞いてくる伊津知に、多田津は横顔をやった。

「帰るんだよ。俺の仕事は終わった」

 言い残して、姿を消した。

 結局、伊津知は戯晶の確保に失敗し、彼は行方をくらませた。



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