「ほう、これがウェット・ブレインか」
突然、ソカルの本部に現れたのは、龍の仮面をかぶった男だった。
丁度、いつものようにヒデリトが己の血をワイングラスに一滴、垂らした時だった。
「いまさら、あなたが来る理由がわからないですね」
ワイングラスを光に掲げつつ、ヒデリトはその水面を見つめる。
「我々の主張を知らないわけではないだろう?」
「まさかトップのあなたまで信じての行動じゃないでしょうね?」
「だとしたらどうなんだ?」
「相当な低能ですね」
アルーマは大声で笑った。
「残念だったな。俺はその低能なんだよ」
「それは困りますねぇ。会話が成立するのなら良いのですが」
「がんばれや、インテリさん」
「そんな義務、ありませんよ」
グラスの水面から、ゆっくりと透明な蝶の翼が生えはじめる。
ヒデリトがそっと息を吹きかけると、蝶は羽ばたき、水槽の前にある薄暗い空間を舞いだした。
彼らの頭上高くまで来たとき、銃声がして、蝶は破裂した。
アルーマが片手に拳銃を持ち、蝶がいたところを眺めた。
「効くんだな、銃弾」
つまらなそうな声である。
「そりゃ、蝶だって生きてますからねぇ」
ヒデリトのほうは、相変わらず醒めたままだ。
いや、夢うつつか。
アルーマの観るヒデリトは、正体がつかめない曖昧な雰囲気を持っていた。
「何事だ!」
突然、拳銃を持ったパニソーが入口に現れた。
「・・・・・・アルーマ」
彼女は、すぐに彼に狙いをつける。
「まぁ、待てよ。今日は話をしに来たんだ。物騒なもんはしまってくれ」
アルーマは椅子を見つけると、適当な場所まで持ってきて腰を下ろした。
パニソーは、警戒しつつ、ヒデリトとの間に立った。
「話ね。ミーケレを引き入れただけじゃ、不満なの?」
「ああ、あの天使か。やはり、おまえらのところのか」
ヒデリトはうなづく。
「どうして、ウチにきたんだ、アレ? 俺はもっと巨大なものを信じている。そいつからの使者を待ってるんだが」
「あたしが送ったのよ」
パニソーは皮肉げな笑みを浮かべた。
「ここにしかいない、ミーケレなんていらないからね」
「やっぱり、あなただったのですね」
ヒデリトは無表情でパニソーに目をやった。
だからどうかしたかという、パニソーの態度である。
「おっと、痴話げんかはやめてもらおうか」
察したアルーマが、嗤いながら釘をさす。
「まぁ、ミーケレを送り込んだのは良いとして、あなたの元に居続けるというのには、理由があるんでしょうね」
ヒデリトはあくまで冷静だ。
「正直、本人に確かめてみないと、理由がわかりませんね」
「おまえらのお情けじゃなくて安心したよ」
「で、何の用できたんだよ、おまえ」
パニソーは敵意丸出しだった。
「いよいよ、イリィマとの約束を果たす時期に来てな。ひとつ働いてもらおうと思ったんだよ」
ヒデリトはワイングラスを脇のテーブルに置いた。
「そちらの準備ができたってことですね」
「そういうことだ」
「あんたら、なに企んでるの? 電脳信者の大量殺戮は聞いてるぞ?」
パニソーは明らかに不信そうな態度だ。
アルーマは、軽く首を傾げる。
「魂と電脳は相成れない存在なんだよ」
「魂?」
パニソーには初めて聞く話だ。
「パニソー、僕はイリィマたちと組んで、魂を造ろうとしているんだよ」
ヒデリトが説明する。
「魂、ねぇ」
怪しげだと言わんばかりの口調だ。
「皇帝は、電脳の純化で電子の海を泳いでいる。だが、魂のゆく世界は、そことは違う。別の空間だ」
「つまりは?」
龍の仮面の裏で、アルーマがニヤけているのが、不思議とわかる。
「つまり? つまりはなぁ、皇帝や純化した貴族どもを孤立させるんだよ。そして文字通りに世界から追放する」
「・・・・・・へぇ」
パニソーには実感が無いようだった。
「とにかく、こちらは作業をはじめましょう。できた魂は、リロドレ教会に送ります」
「そうしてもらうと嬉しいね」
教会本部に戻ると、予想もしてなかった場面に遭遇した。
ホールに山と死体が積まれていたのだ。
文字通りに。
老若男女問わないその光景に、アルーマの身体は一瞬硬直した。
「・・・・・・どういうことだ?」
小さい声は地の底から響くかのように低い。
ロミィらは撤収したはずだ。
一体、どこのどいつどもが。
「生きてる者は!?」
アルーマは叫んだ。
だが、反応がない。
ざっと、五十人は超えているだろう。
「このままにしておきなさい。救いはあります」
急に背後から声がした。
ミーケレという天使だった。
「・・・・・・こいつらを、このままにしとけだと!?」
激高寸前のアルーマに、天使はうなづいた。
有無を言わせない、力強いものだった。
アルーマはしばらく沈黙して悔し気に舌打ちすると、乱暴な足取りで奥の部屋に向かった。
執務室にもどったアルーマは仮面をとって投げ捨て、椅子に座った。
天使の名前はミーケレというらしい。
今も彼のそばに少女はたたずんでいた。
アルーマはビール缶を取ってきて、プルをあけると、一口喉を鳴らして飲む。
「で、おまえはどうして俺のところにいるんだ?」
唐突に、ミーケレに聞いてみた。
今までは当然と思っていた。
なぜなら、自分は選ばれたのだ。
その点に疑問すら覚えていなかった。
「・・・・・・主よりのご命令です」
やがて、高い声をミーケレが発した。
「主? 皇帝か?」
ミーケレは首を振った。
「・・・・・・なら、やはりいるのか、大神は?」
語尾が軽く震えた。
「いままで電脳を使った人々から忘れられていた、太古の存在です。神は常に一柱で、今も一柱です」
「何故、俺は選ばれた?」
「気付いてませんでしたが?」
ミーケレに言われたとたん、正体不明の恐怖に襲われた。
脂汗が吹き出て、一気に心臓が爆発するかのように激しく鳴る。
「あのマンションで住民が消えて行ったとあなたは思ってますよね?」
「・・・・・・あ、ああ」
「それは勘違いです。本当に消えたのは、あなたのほうです」
驚きにめまいがしてきた。
どうして自分が?
その疑問は口にだせなかった。
上手く舌が回らないのだ。
「つまりは・・・・・・死んだ?」
ミーケレはうなづいた。
「たまたま何億分下の一で、あなたは魂を持てた。理由はそれです」
ミーケレは、椅子に座る身体から力が抜けていくのを感じた。
同時に、理由がわからないが笑えて来る。
なんという人生だろうか。
みじめにも程がある。
だんだんと、笑いは怒りに変わっていった。
この世の中はくそだ!
そう思えば思うほどに、神の世界への憧れが増した。
「・・・・・・ヒデリトよ、早くしてくれよなぁ」
暗い目で、彼は独りつぶやいた。
それはそれとしてだ。
アルーマは頭を切り替えた。
意外と簡単だった。
「それはそれとしてだ。ホールでのことはどういうことだ?」
「犯人はイクルミです」
「奴らか・・・・・・」
静かに考えたアルーマは、今度の事件を全てロミィの仕業とすることにした。
イクルミの情報は伏せておくのだ。
龍の仮面を拾うと、かぶり直す。
アルーマは、それだけにとどまらなかった。
暗号化されていない公共通信機を使って、イクルミの本部に連絡を入れる。
『この回線はまずいんだけどね?』
ルイムが苦い顔をして出た。
「ロミィが我々を狙って虐殺を働いている。どうにかしてくれないだろうか? 本部には死体の山がある」
構わずに、アルーマはいきなり要件を切り出した。
ルイムはしばらく、無言だった。
『わかった。考えておこう。我々はエクゥル市の治安を守るのが仕事だからね』
こんなところで良いか。
アルーマはうなづいた。
「協力してくれることを感謝する」
返事が来る前に通信を切った。
本部に使っているアパートがある地区にロミィたちが戻ると、派手に燃える一帯が目に入った。
「これは・・・・・・」
ロミィは絶句する。
逃げ惑う者に消火活動に必死な者と、あたりは騒然として混乱に満ちていた。
「ダメだな、一時、撤収場所を決めて、余計なやつを集めたほうがいい。うちらの場所の確保もだ」
ディクショが提案した。
ロミィはうなづいて、さっそく手配させる。
トラックの襲撃部隊を、逃げまどって混乱する住人の誘導に狩りだす。
同時に何があったかの話も聞き出してまとめさせる。
どうやら、イクルミが襲ってきたらしい。
挙句に火までつけて。
とはいえ、さすが彼らである。火は適切で計画的につけられて、地区を業火の元に叩きこんでいた。
聞いたディクショは舌打ちする。
避難所の建物をいくつか用意し、住民たちを誘導させる。
ロミィら指導層が一時使う場所は、まだ燃えていない、一般民家だった。
彼女がやってくると、まだ小さい男の子は逃げるように階段を駆け上っていった。
母親は嫌悪を隠しもしないで事務的に挨拶すると、奥の部屋に引っ込み二度と顔を見せない。
「まったく。迷惑な話だ! よりによってあんたみたいなのが来るとはな!」
父親は、はっきりとロミィに言葉を出して妻と同じ部屋に籠った。
ロミィはぽつりと独り、立ったまま軽くうなだれる。
「・・・・・・どうした? 早く入れよ。問題は山積みだぞ」
ディクショが先にリビングに行って声をかけてくる。
「・・・・・・うん」
普通にリビングのソファに腰かけたロミィに、ディクショは片頬だけ釣り上げた。
「どーしたよ。これから忙しんだぜ?」
「わかってる」
見透かされたのが悔しくて、ぶらっきぼうな返事になった。
「酒くれ」
言ったロミィにディクショはスキットルを投げてよこす。
中の液体は苦く、喉を焼き、ロミィはせき込んだ。
「まずい」
ディクショは軽く笑った。」
その時、家に数人の男たちが現れて、ロミィに向かった。
「ロミィさまにお話があってきました」
ロミィはディンクショに一瞬目をやるが、知らん顔をしている。
「なんだろう?」
「こんな時でふさわしくない時期かもしれませんが、我らロミィ・コミュニティは、ロミィ様にエクゥル市の護民官になっていただくよう、要請します」
ロミィの目が丸くなった。
突然の話過ぎた。
護民官といえば民衆の代表で、市長にもモノ申せる力を持っている。
自分はバージーを殺したのだ。
帝国の混乱はそこから始まった。
一時の正義感もあっただろう。だが、感情にあったのは、家族を殺された当てつけのようなものだ。
おかげで国は乱れ、何人もの人間が死んだ。
なのに今更、自分が護民官?
ロミィは呆れて、ものも言えなかった。
彼女の様子をみて、男たちの代表は優しく微笑んで口を開いた。
「あなたこそがふさわしいのですよ。あなたが我々を皇帝から救い出してくれたのですから」
「・・・・・・そんな」
「皆、感謝しています。あなたのおかげだと。あなたがいなければ、我々はとっくに皇帝に呑み込まれていたでしょう。それを救ったのは、あなたなのです。どうか、護民官の位に就いてください」
「救われた・・・・・・?」
「はい」
満面の笑みで男はうなづいた。
ロミィは涙を流すところだった。
「一杯飲めよ?」
ディクショが背後から声を投げる。
ロミィは震える小さな手で、スキットルの中身を一口呑み込んだ。
熱い息を吐く。
「・・・・・・わかりました」
答えたロミィよりも、男たちのほうが喜んでいた。
消火活動には一日中かかった。
ロミィらが本拠とした場所は、文字通りに廃塵と化していた。
それでも彼女の護民官就任の報に、人々は沸き立った。
人々はここにだけ住んでいるわけではない。
本拠とされていなかった地域に全員が移り、ロミィ・コミュニティは機能した。
護民官就任には、コーサル・コミュニティ、ソカル・コミュニティ、リロドレ教団、そしてルネスカ社に、市長のキキミリから祝電が届いた。
皆、通り一辺倒の祝福の文章で、あくまで表面上だとでも言わんばかりなモノばかりだった。
『これを機に、グリスカ・データを公開しませんか?』
ルネスカ社からのものには、はっきりとそう書かれていた。
「で、いい加減どうにかしたいね、グリスカ・データ」
ディクショは民家のリビングでペーパーヴィジョンのつまらないニュースを眺めていた。
「どうにかって、これがあるからあたしたちが優位になれるんじゃないか」
ロミィはソファにうつ伏せになって雑誌を読んでいた。
「だれが放棄を宣言しろって言ったよ? おまえのそれ、グリスカ・データの影響だろう?」
ディクショが、薄くなったロミィの右足指を顎で示した。
ロミィは一瞬、隠そうとしたが、やめた。
逆に右足を左右に振って見せる。
「あー、これねぇ」
どうでもよさそうな態度だ。
「本物だったのか、データは?」
「・・・・・・偽物だった。というか、聖化する技術としてのものじゃなかった」
「じゃあ、何だったんだ」
ロミィが悪い笑みを浮かべる。
「人間のデリート・システムだよ、これ」
「・・・・・・呆れたな」
さすがにディクショは二の句が継げずに黙った。
「皇帝は、本当に一人になりたかったんだろうね。境界線もない電子の海に身を投げこんだんだし。みんなは聖化とかいって神になったと言ってるけども」
「家臣や貴族共も一緒だぞ?」
「全員じゃないじゃん」
「そして、余計なやつらは、グリスカ・データで皆ごろしか」
「そうだね。これは一種の自殺だよ。まぁ宗教的になんていうかはわからないけど、はたからみたら、そう見える」
「絶対権力を持つ奴がねぇ」
ディクショは意味ありげにロミィに横目をやる。
「部下一人殺して、ここまで皇帝を追い詰めるとか、おまえ天才じゃん?」
「もう、その話はやめようよ?」
ロミィは苦笑いしていた。
ウィセートは報を受けて、机についたまま黙り込んだ。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「相手は?」
隊員は、彼が静かにはなっている怒気に怯え、つい生唾を飲んだ。
「・・・・・・逃しました。いえ、我々がことごとくやられ、逃亡を図りました。相手は、龍です。巨大な・・・・・・」
「龍、だと?」
「はい」
アルーマが飼っている奴か。
「で、おまえは逃げてきたわけか?」
「その・・・・・・ルイム隊長から撤収の命令がでましたので・・・・・・」
「我々に撤収などという、敵前からの逃亡する言葉はない!!」
ウィセートは爆発したかのように怒鳴った。
隊員は肩を震わせてる。
アルーマの教団本部を襲った時、イクルミ隊長のルイムが戦死したのだ。
ウィセートの怒りは何よりも深い。
「ルイムにしたがって撤収してきた連中を中庭に集めろ」
ウィセートは打って変わって静かな声を出す。
「はっ!!」
隊員は逃げるかのように副隊長室から出て行った。
ウィセートの心情は複雑だった。
隊規にあろうがなかろうが、彼自身も敵前撤収などいくらでもしている。
だが、今回はルイムが死んでいるのだ。
ウィセートはルイムとは必ずしも、個人的に仲が良かったわけではない。
彼は職務上の責任感を感じていたのだ。
イクルミ副隊長としての矜持が酷く傷つけられていた。
彼女が死んでイクルミの実権を手にでいるという考えも頭の片隅にちらりと見える。
だが、それらは怒りでひとつにまとめ抑えられていた。
彼はロミィ本部襲撃部隊と、リロドレ領下部を襲った隊員たちに全員再び武装させた。
中庭に集まった部隊の前方に、彼らを配置する。
ウィセートは、全員が集まって隊形を整える頃合いを見計らって、中庭に出た。
両部隊の開いた空間に彼はゆっくりと横切るように歩く。
顔はルイム直属部隊に向けられていた。
「・・・・・・貴様らはルイム直属の部隊でありながら、見事散った隊長を見捨て良き恥を晒している者たちである!!」
彼の第一声は強烈なものだった。
「隊規には敵前逃亡は死刑となっている。しかも貴様らは主を見捨てた。これは裏切りの項にも価するといって良い!!」
裏切りとまで言われた直属の部隊員は、必死にそれはないとそれぞれに抗弁した。
「黙れ、敗残者!! ここに集めたのは貴様らの名誉のためである!」
ウィセートの怒号に、彼らは思わず口を閉じる。
彼らに向かって立ち止まると、一人一人を見渡した。
睨むように。
「イクルミとして最後の命令を隊長に変わり、貴様らに下す。死ね!!」
彼の背後の部隊が一斉に銃を構える。
「ふざけるなぁ!!」
ルイムの部下の一人が叫んだ。
だが、彼は額を撃ち抜かれて倒れる。
彼らは武器を持たされていない。
そこからは数分間の地獄絵図だった。
一方的な虐殺が銃声の怒涛とともに行われた。
中庭に、百人近い隊員たちの死体が折り重なった。
ウィセートは部下に死体の処理を命じた。
彼らはきちんとイクルミ隊員として葬られた。
最後まで微動だにせずにせず見届けたウィセートは、ゆっくりと隊長室に入った。
「これから私、ウィセートが市長の承認が降りるまで臨時にイクルミを指揮する」
本部内にマイクで通達を送り、彼は革の椅子に身を沈めた。
椅子の座り心地は思ったよりもはるかによかった。