薄く照らされたテーブルの上には、様々な薬物が置かれていた。
脇にはウェット・ブレインを横に、ヒデリトが車椅子をとめている。
手に持ったワイングラスに、指先から血の雫を一滴垂らした。
グラスの液体は自然に小さな潮流を作る。
やがて、水面から羽化するかのように、蝶のようなものが形作られていく。
「・・・・・・ミケレ」
だが、羽ばたこうとした瞬間に、羽根は崩れて、元の液体に戻った。
「やはり失敗か・・・・・・」
深い息を吐き、ヒデリトはテーブルに乗った薬物の瓶たちに目をやった。
車椅子の周りには、異形の小人が数人、うごめいている。
こいつらのようなのならば、簡単にできるというのに、属性が聖なるものと言われる純化作業は上手くいかない。
ウェット・ブレイン内で舞い踊る蝶の群れを眺める。
この中から出すことはできないのか。
やはり、グリスカ・データがないとダメか。
帝国を覆すには、聖化した皇帝をどうにかしなければならない。
今、帝国には皇帝に続き、主要な貴族や上級臣民などが聖化するという。
電子の海に存在を移した彼らに手を出そうとするには、同じ作業による世界を手にしなければならない。
『ヒデリト様、お客様がいらっしゃいました』
携帯通信機から声がした。
ヒデリトは、今行くと返事した。
ワイングラスを放り投げて、ゆっくりと車椅子を移動させる。
応接間には、高級なスーツを着て、髪を後ろになでつけた、やや大柄な男が座っていた。
ゆったりとコーヒーを飲のみつつ、気付いたように、ヒデリトのほうを向く。
「いやぁ、さすが。このコーヒーは豆も淹れ方も一流ですね。やはり、あなた方の世代は、我々とは違う」
にこやかに笑う容貌には愛嬌があった。
目は笑っていないと、ヒデリトは思ったが。
「わざわざお尋ねくださって恐縮です、イリィマさん」
「いえ。ソーカルさんには、こちらからいつかお近づきになりたいと思っていたところなので、お招きは望外の喜びですよ」
「噂はかねがね伺ってます」
ヒデリトはテーブルを挟んで彼の正面で車椅子を停める。
「お互い、色々とお話したいことがあるようですな」
「ええ。帝国の臨時顧問団に選ばれたそうで。おめでとうございます」
「いやあ、反帝国のあなた方から見たら、許せないのでは?」
ヒデリトは軽く微笑んだ。
「いえ。目指すところが一緒なら、そんなことには拘りませんよ」
「やはり、あなたも探究者なのですね」
イリィマは納得したようにうなづいた。
「わたしの目的は、いわゆる聖化とは若干違いますが、似たようなものです」
「それをうかがいに来たのですよ。噂に聞く、ウェット・フレインをぜひ一度拝見したいものです」
「あれはまだ完成品ではないのですが・・・・・・・よろしいでしょう」
ヒデリトは車椅子で先導するように部屋を出た。
斜め後ろにイリィマがゆっくりとついてくる。
だだっ広い薄暗いなか、厚い水槽のガラスが眼前に広がる。
中には、水のようなもので満たされ、何もしていないのに、いたるところで流れや渦ができていた。
一見したイリィマが眉をしかめたのが分かった。
ヒデリトは疑問に思うと同時に不満だった。
もっと驚くかとおもった。相手の反応は真逆で、呆れているというものに近い。
「なるほど・・・・・・わかりました」
力の入れていない声のイリィマだった。
「どうしました?」
ヒデリトは思い切って尋ねてみる。
「いえ。ところでお伺いしたいのですが、あなた方の反帝国は本気ですか?」
唐突に指摘されて、ヒデリトは軽く混乱する。
「もちろん」
「では、これを使ってどうしようと?」
イリィマの言いたいことがわからない。
「皇帝が聖化し、電子の海に移動したなら、そこと同じ空間を作ってしまおうかとおもいまして」
「なるほど。独自に造ったとお聞きしましたが?」
ヒデリトは何も言わず無表情でうなづいた。
イリィマは、ふむとひとつ間を置いた。
そして改めてヒデリトに顔をやった。
「実は、ルネスカ社に人間の純化を一般化しようという計画がありましてね」
聖化ではなく純化という言葉を使ったことに、ヒデリトは気付いた。
しかし、気が付かないふりをする。
「ルネスカ社といえば、バージーが顧問でいた会社ですね」
「そうです。今の反帝国の運動は、バージーが殺されたのがことの発端といっていいでしょう。まぁ、その話は置いておいて」
イリィマは語りだしそうになるのをやめて、元の話に戻す。
「このウェット・ブレインでは、皇帝の純化と同一のシステムを作るのは不可能でしょう」
ヒデリトは致命的な指摘に、言葉を失ったがなんとか冷静に受け止めた。
「ただ、ひとつ。改良を加えればできることがありますね。それが、我々の役に立つ」
「ほう、それは?」
「このウェット・ブレインで魂を生成するんですよ」
ヒデリトは我が意を得たりという気分で、思わず口角が吊り上がった。
「それは。いままでの聖化とは違うのですか?」
実はヒデリトはその辺をあまりよくわかっていなかった。
鷹揚にうなづいたイリィマは説明する。
「聖化、いわゆる純化ですが、これは帝国が昔に発明した、人間を電脳スペースに移すことを言います。そこで、無制限に電脳スペースを利用できるようになる。バージーが殺されて、身の危険を感じた皇帝が新たな統治スタイルとして採用したものです。一方、魂を作るというのは、本来人間には存在しない魂というものを造り上げることですね」
そこでイリィマは思いついたような顔をした。
「ルネスカ社と、このウェット・ブレインは双方合わせて利用価値があるかもしれません」
「どのような?」
「それは、極秘事項です。投資を受けたいのですよね、ヒデリトさん?」
「ええ、まぁ」
「水槽の中身は特殊炭素溶液ですね。巨大な脳といってもいい。これなら使えます。技術者も呼びましょう。もちろん、投資はさせていただきます。ご安心を」
「ありがとうございます。ところで、ルスカ社はグルスカ・データがなくても大丈夫なのですか?」
「意外な存在が懐にはいってきましてね。可能ですが、あれを拡散されると困ります。処理をお願いできますか?」
「その点ならお任せを」
改良の余地ありか。
グリスカはウェット・ブレインをちらりと見た。
渦巻く水槽の中身は見つめれば見つめるほど、思考が奪われていくような感覚を引き起こすのだった。
ロミィはエクゥル市の郊外にある広い森林公園にいた。
深夜なので、あたりの人々も不気味がって中に入ってこようとしない場所だ。
夜風が時折、木々の葉を揺らして不気味な音を鳴らせる。
ジュロとリリグが楽しそうに彼女の周りを駆け巡っている。
本人は無表情で枝葉の合間に見える空を見上げていた。
見つめているうちに、ロミィの視線の先に積雲が浮かび上がってきた。
所々にたててある街灯が、薄暗くあたりを照らしていた。
積雲は雷でも落とすかの勢いで、放電している。
楽し気なジュロとリリグが、薄暗い闇の中、不気味に嬌声を上げている。
積雲が唸りはじめた。
そして、一瞬の輝き。
人がいきなり頭上に飛び込んできた。
瞬間、落雷を刀で斬り弾いた。
彼は、受け身も取らずに地面に転がった。
「ディクショ!?」
我に返ったロミィは男に気づき、思わず駆け寄る。
「・・・・・・いまの本物の雷じゃないな・・・・・・どっちにしろ、酷でぇ」
それでも凄まじい電圧を喰らったので、しばらく身体が痙攣して動かなかった。
「こんなところでなにしてるの!?」
「こっちのセリフだ」
回らない舌で、必死に答える。
ロミィはヒップバックから圧縮注射器を取り出すと、彼の首筋に打った。
とたん、ディクショの体は軽くなり、ようやく、上体を上げる。
「きっついわー。 雷斬るとか、初めてだわー」
呑気に文句を垂れる。
「どうしてここにいるの?」
ロミィは改めて聞いた。
「さっきまでいた酒場でおまえの様子がおかしかったからな。何か吹っ切れたみたいで、こればヤバいやつだと思ってね。で、何しようとしてた?」
「・・・・・・電脳スペースに接触しようとしてただけだよ」
「あんな雷喰らわなくても、おまえ、
「雷になって入ったら、面白そうじゃない?」
ディクショは、呆れた様子だった。
そして、ふと自分の左手を見る。
電流の火花が時折走って光り弾けている。
「余計なことはするな。おまえは地上でやることがあるだろうが。電脳スペースになんて行かなくていい」
ロミィは軽くうなだれた。
少しの間をおいてから、小さくうなづく。
「・・・・・・ねぇ、ディクショ。初めて会ったときから、守ってくれてるけど、どうして?」
「あー? 性分だよ性分。おまえみたいなガキが、反帝国ごっこしてるのなんか、危なくてしょうがないだろうが」
「ガキじゃねぇ」
「ガキはそう言うんだよ」
ロミィは諦めたようだった。
「動ける? 帰ろ?」
「あー、なんとかな。脚もなんともない。一杯飲み直したいな」
ウィセートは気が付いた。
意識がもどると、白い天井が視界に広がる。
薄い独特の服に、ベットの上。
「ああ、お気づきですね」
声のほうに顔をやると、部下の一人が嬉しそうにしていた。
「今、先生と隊長を呼んできますので」
彼は病室からすぐに出て行った。
時計は、午後の十時四十九分だった。
ああ、生体改造を受けたのだ。
やっとまともに記憶が戻る。
ベットの上に座る恰好になって、自分の右腕を握ってみる。
感触は以前と何も変わらない。
そこに、主治医と呑気な表情のルイムが部屋に現れた。
「気が付きましたか。何か違和感のようなものはありますか?」
主治医は落ち着いた初老の男だった。
「上手くいったん?」
ルイムは棒付きの飴を舐めている。
「あー、変化に自覚はないですね」
ウィセートは自ら望んで、攻撃特化方の電脳に改造したのだった。
ロミィを襲った時、一瞬で部下の多くを失ったのが、彼から
イクルミで手術を受けたのは、彼を含めて自ら志願した二十名だった。
ウィセートはすぐに退院を希望した。
医者は苦い顔をしたが、文句は言わなかった。
イクルミの本部までルイムの四輪でそのまま戻る間、彼は無言だった。
本部ではちらほら隊員の姿を見かけた。
副隊長室の自分の席に着くと、さっそくデッキを操作し始める。
珍しそうにルイムが覗き込んできた。
「どうしました?」
無理するなとか、そういった類の言葉をかけてくるのかと、軽く面倒に思ったのだ。
「いや、楽しそうで何よりだとね」
「・・・・・・あ、はい。そうですね」
意外な方向からきた。しかし、ルイムという人間を考えれば、いつも通りだった。
手術の入院中に、把握忘れたか。
ウィセートは苦笑する。
「で、さっそく事件の調査なん?」
「ですね。あと、手術以前に面白い連絡が入ったもので」
当時は馬鹿らしくて、相手する気もなかった。
だが、今にしてみれば興味がでてきている。
「こんにちは」
突然の聞きなれない声。
反射的にルイムはホルスターに、ウィセートは机の引き出しの拳銃に手をやった。
相手は、スーツを着た清潔感のある細身の男だった。
髪を後ろになでつけて、歳は四十に近いだろう。
彼は軽い笑みを浮かべていた。
「どちら様?」
ルイムは拳銃を突きつけながら聞いた。
「アルーマ、といえばわかりますか?」
男はルイムを無視して、ウィセートに言っていた。
「へぇ、おまえが・・・・・・。直接来るとは思わなかったが」
「最近、調べさせてもらってるよ。主にウィセートが」
ルイムは拳銃を収めて、あくびをした。
「ああ、あなたがイクルミ隊長のルイムですね。以後、お見知りおきを」
「あー、うん」
彼女は適当に相槌を打った。
「アルーマよ、すげー勢いでエクゥルの不動産買いあさってるじゃねぇかよ。どういう魂胆だ?」
「おーや、お気づきで。ここの親帝国派と反帝国派から護られた区域を作りたくてやってるだけですよ」
「それはありがたいが、その区域での暴動が目立つ」
「わたしが治安を管理しているわけじゃありません」
ウィセートは鼻を鳴らした。
「別に非難しているわけじゃない。むしろそのことで話たいぐらいだ」
「なんでしょうか?」
「暴徒をまとめて、ウチに協力してもらえねぇもんかなと。あと、部隊の前哨基地にも利用したい」
「なるほど。それは面白いかもしれませんねぇ」
「もし、良ければ、買ってもらいたい土地や建物が結構ある」
「大丈夫です、お任せを。偽装も十分にしておきますよ」
快活にアルーマは請け負った。
「冗談にしては、毒が強すぎるな」
イマジロタは、キキミリのオフィスで、浮遊ディスプレイを数枚展開させていた。
キキミリが興味本位で脇から覗いてくる。
ディスプレイには、建物や区域に独特のマークがつけられた地図が映っていた。
それも、一個や二個ではなく、エクゥル市全土を圧倒するかのような量だった。
地上げをしたのは、リロドレ教会という名前のコミュニティだ。
「なんだこれ?」
さすがに、キキミリも驚く。
「ルイムから報告が入ってたんだよ。ちなみにウチの畑、荒らされた」
「畑? 民間の情報提供者な?」
イマジロタはうなづく。
地図を見てもよくわかっていないキキミリは、イマジロタに説明を促した。
「ウチの市の人々は、親皇帝派、反皇帝派の争いに疲れてきているようだな。このリロドレ教会というところは中立で、そんな人々を集めている。といったところか」
「下手に弄れないところだな、そうなると」
「いや、ひとつ手がある」
イマジロタは、皮肉な笑みを浮かべる。
「教会の上層部にあたって、工作してみるぞ」
「んー、なんか知らんが、任せる」
キキミリは執務室にもどって、ソファに身体を倒した。
「それより、こいつらに対して、イクルミはどうしてる?」
「あー、何も聞いてない」
「確かめてくれ」
ソファのうえから、面倒くさそうに、執務机に戻る。
彼女は、イクルミのルイムを呼び出した。
不機嫌そうに、イクルミ隊長が現れる。
「なにかあったっすか?」
「面倒だから前置きとかしないよ。いきなりだけど、リロドレ教会をどう思ってる?」
本当にいきなりだったので、ルイムは答えるまで少しの間があった。
「あー、ウザったい奴らっすねぇ、あいつら」
ウィセートが結んだ密約を知りつつも、ルイムは素直な感想を口にした。
「けどまぁ、利用価値はあるっすよ」
一応のフォローはしておく。
「へぇ、利用価値?」
「リロドレ教会が力持つとなると、自動的に反帝国分子の勢力が弱くなるっす。これで裏からウチに協力してもらえば、反帝国分子壊滅は、ずいぶん楽にできるのっす」
「なるほど・・・・・・」
代わりに応じたのは、イマジロタだった。
「どうやらすでに手をまわしているようですね」
「まぁ、仕事っすしねぇ」
「じゃあ、ついでにもっと良い手段を教えましょう」
次の言葉にルイムは一瞬、唖然とした。
「しかしそれば・・・・・・」
「いつまでも、リカルド教会に頼るわけにはいかないでしょう?」
「ええ・・・・・・まあ、そうっすね」
ルイムは無理やり納得しようとした。
「では、そういう流れでお願いします」
イマジロタは言うだけ言うと、再びキキミリの後ろで超然と立っているだけになった。
情報提供者がいなくなっても、策はでてくるらしい。
いや、新しい者を獲得し始めたのか。
キキミリには判断がつかなかった。
ロミィは難しい顔をして、ディクショを手招きしていた。
いつもの酒場で、数人の男がロミィのテーブルの前に立っている。
ディクショは、ビアジョッキを持ったまま、タバコを咥えて近づいた。
「どうか、許可をください!」
男の一人が、テーブルに両手を着く。
「どーしたー?」
ディクショが彼らをかき分けながら、最も訴えかたが強い男の横に来る。
「聞いて。この人たち、ヒデリト暗殺したいそうだよ。で、あたしに許可を求めてる」
「そりゃ君たちなぁ、お門違いってやつじゃないか? パニソーに訴えろよ」
だが、若い連中の勢いは削がれなかった。
「バージーを暗殺したんですよね、ロミィさんは! いわば、反帝国運動の先駆といっていい。あなたの功績をみるなら、ウチのパニソーなんって小者のうちに入りますよ!」
ロミィが険のある目をディクショに向けた。
「おい、そんな目でみるなよ。俺じゃないぞ、おまえの話を流したのは」
「じゃー、誰だよ」
殺意がこもる声は、冷ややかだった。
「元はといえば、パニソーが怪しい」
「は? 何のために? 今のコレ、明らかに失敗してるじゃん」
コレとは、テーブルに張り付く数人の男たちとその主張のことだ。
「昨日なんて、ソカルの本拠に乗り込むから、一緒に来てくれとかいう奴らもいたぞ?」
聞いて、ディクショは軽く考えた風だった。
「いや、ひょっとしたら、思惑通りかもしれないねぇ」
「どんな!? むしろパニソーが困るだろう?」
「まぁ、困るわなぁ。ただな、バージー殺しがおまえだって話を流したのは、パニソーだろうな」
「どういう理由で!?」
ディクショは煙を吐きながら、これを見ろと言わんばかりに、酒場の中を顎で示した。
軽く電脳で探ると、ほぼ客がコーミルか関係者の店の中は、無関心を装いつつ、ロミィに意識を集中していた。
ロミィですら、やっと気付かされた。
畏怖と尊敬が混ざったものを彼らから感じる。
同時に憎悪も。
「そういうことか・・・・・・」
ロミィは嗤った。
改めて、ヒデリトを暗殺したいと訴えてきた男たちに向き直る。
頬肘をつき、グラスを上からつまむようにして、中の氷を鳴らす。
「ああ、おまえらの話ね。許可するから、好きにしておいで」
「・・・・・・良いんですね? はっきり許可してくれるって聞きましたよ?」
「うん。言った」
「よし!」
男たちは、溜まっていた者を吐き出すように叫ぶと、計画を建てようと別のテーブルに移動していった。
「あーあ。サービス過剰じゃないのか?」
ディクショは彼らの背を見送る。
「良いんだよ」
ロミィはテーブルに硬貨を数枚置くと、テーブルから立ち上がった。
ディクショを連れて、酒場から出る。
もう夕刻に近い。
強い太陽の光のもと、涼し気な風が吹いていた。
第六章
また、見つかった。
午前の深夜、ロミィとディクショは路地を走っていた。
銃声が背後から鳴り、彼女らのそばの塀に幾つも穴をあける。
「・・・・・・なんで四輪持ってないの!?」
「俺の脚があれば、四輪どころの出力じゃないからだよ! おまえこそ、電脳で索敵とかできないのかよ!!」
「そんな自分はここにいると絶叫するようなことできるか!」
二人は叫びあいながらも、脚を止めない。
ジュロとリリグもついてきていたが、こちらは呑気に嬌声を上げながら、空中で二人を中心に周っていた。
ヒデリトの暗殺計画がパニソーの耳に入ったとき、彼女は激怒したという。
「我々は、自主性を重んじている。だが、今、コーミルは誰かの許可なくして行えないよう、変化しつつある。とんでもない勘違いをした人物のためだ。ロミィは過去の偉業を自らの利益に還元しようとしている。挙句に同胞殺しまでそそのかして!」
そんな声明を出した直後、ロミィの処分をコミュニティに命じたのだ。
それが意外と早く出されたところに、ディクショは引っかかった。
ヒデリト暗殺計画は、ロミィというコミュニティに現れたライバルを蹴落とすための餌だったのではないか?
どっちにしろ二人は現在、どこのあたりにいても狙われるという、最悪の事態にあっていた。
コーミル・コミュニティの支配地域から出ていないので、仕方がない。
だが、ソカルのコミュニティ領土に逃げ込むことも無理だ。
当然、両勢力のメンバーを傷つけるなど論外の状態である。
ロミィとディクショは息を切らしながら、必死に中立地域に向かっていた。
リロドレ教会区。
突如、エクゥル市に現れた新興宗教の側面を持つ集団だ。
市の勢力は現在、三分割されているといっていい。
逃げ込むなら、リロドレ教会区しか選択肢はない。
空気すら違って感じるのは、安心したせいだろうか。
リロドレ教会区に入った二人は疲れ切り、とぼとぼとした足取りでとりあえず、近場の関係する建物をさがす。
市民ホールがどうやらそれらしいと雰囲気を感じた。
ジュロとリリグを連れた二人は、ホールが早朝近い時間だというのに開放されていたので入っていった。
だだっ広い内部は、まるで非難所だった。
段ボールで隔壁を造ったスペースで列ができている。
老若男女が生活しており、得に二人を気に留めるものはいなかった。
「あー、なんか似てるなぁ・・・・・・」
ディクショがぽつりと口にした。
ロミィはとりあえず、一晩ここで過ごすつもりで、場所の確保をしようとしていたところだ。
「なにが?」
「反帝国運動の初期の頃の雰囲気にさ」
ロミィは、あっそうと言うだけで、作業を進めた。
今は、反帝国とか親帝国とか考えたくはなかった。
雰囲気といえば、このホールの人々は大人しく静かだが、どこか血の匂いがした。
ディクショが言っているのは、それと似た意味なのかもしれない。
「おや? 新しいお客様ですね」
二人にいつの間にか男が一人近づいてきていた。
ニット棒をかぶり、まるでコートのような黒い服を細く背の高い身体に着ている。
「・・・・・・ああ。一晩、よろしいでしょうか?」
ロミィは申し訳なさそうに、彼に訴える。
「私はクフィッヂ。この管区の責任者です。どうか一晩と言わず、気が済むまでご滞在していてください。お二人はずいぶんとお疲れのご様子です。お子様連れには辛いでしょう」
爽やかな態度だ。
ジュロとリリグはホース隅に敷いた布団の上で、すでに寝息を立てていた。
「そういや、ここってアルーマが造ってトップに立ってるってホントかい?」
ディクショはスキットルを軽くあおる。
「ああ、アルーマ様ですか。もちろんその通りです」
クフィッヂがアルーマの名を口にした時、軽く夢見るかのようだった。
二人を相手にしていないかのように、ロミィは自分たちのスペースを作っていた。
「しかし、ちょうど良いときにここを訪れましたね。もしお疲れじゃなければ、日の出の時間に約束が果たされるので、その時にいれば幸運があるかもしれません」
「約束?」
「ええ」
にっこりと笑顔になり、クフィッヂは離れて行った。
「なんだよ、今度はどういうことだ?」
「あたしに聞かれてもなぁ」
ロミィは布団の上にゴロリと横たわって、思い切り伸びをした。
ジュロとリリグの隣だが、完全にそこだけで敷居を作っていた。
ディクショと同じ空間になるのを拒絶している風だ。
「あー、なんか寂しいねぇ」
「おっさんが何言ってるのさ。さっさと自分ところの作ったら?」
気だるそうな小さい声だった。
ディクショはスキットルにもう一度口をつけ、あたりを見渡す。
彼らに注意を向けてくる者はいない。
「まぁ、一休みするか」
敷居で囲みもせずに、床に布団のマットを広げると、枕だけ持ってきてそのまま横になった。刀は脇に置いておく。鞘には鎖が腰のベルトに繋げてある。
日の出までまだ一時間近くある。
何が起こるのか知らないが、ひと眠りすることにする。
時間十分前に、ディクショは目を覚ました。
上体を起こすと、ロミィらはすでに起きていたようだった。
もちろん、ホールにいる人々もだ。
「なんだよ、結局興味あったんじゃねぇかよ?」
「ここはまだ完全に安心できるところじゃないからね」
ふふんと鼻を鳴らし、ロミィはどこか得意げだった。
ホールの個人スペースを作っていた段ボールの敷居は、すべて取り払われていた。
人々は、期待に目を輝かせる者、必死に祈る者、不安でしょうがないといった者などさまざまだ。
そこに、クフィッヂが高い足音をたててホールの一番奥までくると、止まった。
「・・・・・・それではみなさん、我らが天使が降臨なさいます。みなさんは、審判を受けるでしょう。しかし、それもまた救いのひとつなのです。早いか遅いか、ただそれだけのちがいしかありません。ご安心を」
ロミィもディクショも、彼が何を言っているのかわからなかった。
次の瞬間、ロミィは見たのだ。
ホールの天井から降りてくる、長髪で幾つもの羽根を持った、女性の姿を。
まさか、天使!?
しかも、見えたというのは、正確ではない。同時に電脳の内部に侵入してきた映像だからだ。
ヤバい!!
ロミィはとっさに造れるだけの分厚い防壁を張った。ついでに、ホールの電脳保持者にも同じく壁を造る。
「すげーな。マジだ、コレ・・・・・・皇帝は神になるわ、アルーマのところは天使呼ぶわ、どうなってるんだよ・・・・・・」
呑気に口にしたディクショは、振り返ったときに人々の異常に気付いた。
「あいつ、電脳を焼くよ!」
ロミィの叫びに、ディクショは即、跳んでいた。
天使の前にではなく、クフィッヂにである。
抜きざまの一刀が、とっさによけたつもりの彼の左腕を綺麗に斬り飛ばす。
「ぐぁあああぁぁぁぁああぁぁぁ・・・・・・」
クフィッヂが肘から先がなくなった腕をかばいながら走りだす。
同時に、見えていた天使の姿が薄れてゆく。
だが、電脳に侵入した天使の本体は弱まったとはいえ防壁を刻々と防壁を崩して言っていた。
「ジュロ、リリグ!」
ロミィに呼ばれた二人の精霊は、舞うようにホールの上に浮かびあがり、袖から大量のコードを出して、電脳を持つ人々の身体に物理的なジャックインをした。
二人は、天使の背後から脱構築構造を打ち込んだ。
天使が奇声を上げる。
完全な奇襲だったようだ。
クフィッヂがいたから力を発揮できたのであろう天使は、有線の硬い干渉に耐えきれなかった。
鬼のような顔になった天使は、全員の電脳から脱出して姿を消した。
クフィッヂを追いかけて行ったディクショは、のんびりといった風で戻ってきた。
顔は悔し気である。
「何が、起こったんだ?」
ホールに集まった誰かひとりが、つぶやく声が鮮明に聞こえた。
電脳を持った人々は、皆、疲労で床に転がっていた。
ジュロとリリグが有線を外し、ロミィのところにもどってくる。
「いまの侵入者、電脳を持った人だけを殺す気だったんだ」
珍しく、ジュロがしゃべった。
「なんだって・・・・・・?!」
ホールの
「一体、何のために!?」
彼らは戸惑った。
ロミィはヒップバックから拳銃を抜いた。
「
いきなりの怒声に、いや何よりも二丁構えられた拳銃をみて、彼らはゆっくりとしたがった。
倒れていた人々も、ようやく気が付いて、一人また一人と、身体を起こし始めた。
「待って、あなたたち何なの!?」
皆が見えていた天使のいた場所にかたまった人々の中から、年配の女性が声を上げた。
「クフィッヂ師に酷いことしたり、天使様を追い払ったり、悪魔じゃないの、あなたたち!?」
「そのクフィッヂと天使が、あんたらの仲間を殺そうとしたんだよ」
ディクショの態度は、呆れているものだった。
「きっと何かお考えがあってのことに決まってるわ! だって天使様よ!?」
舌打ちしたディクショは、冷たい目を女性に向けただけだった。
彼女らは、間一髪、ロミィが
いや、理解できない。
「なにかお考えがあれば、人を殺していいってのかい? りっぱなもんだなぁ」
ディクショはせせら笑う。
「・・・・・・私は、いえ、私たちはクフィッヂ師と天使様を信じます」
女性はそれ以上聞き耳を持たないとでも言いたげに宣言した。
起き上がり、事態に戸惑っていた
「とにかく、我々はここから出てゆく。動かないでよ? この子らが見てるからね」
彼らから少し離れたところには、ジュロとリリグが獲物を見る目で床から少し上に浮いていた。
ロミィは
「さて、どうするかねぇ」
ディクショが市民ホールを一瞥する。
「あの・・・・・・今の出来事を、他の仲間たちに知らせたいんですが」
一緒に出てきた者たちの一人が許可を取るかのように、ロミィに向いた。
「うん、そうしてくれたら、助かるね」
「あとよー、新しい俺たちのねぐらなー」
ディクショはタバコに火をつける。
「それなら良いところがあります」
「ああ、じゃあ任す」
適当なのか鷹揚なのか、ディクショはうなづいた。
しばらく大所帯で移動して行っていると、ジュロとリリグが戻ってきた。
「おつかれさま」
ロミィが労わると、二人は満面の笑みを浮かべた。
「朝だけど、今日も暑いな」
ディクショは鬱陶しそうに太陽をみあげて、スキットルの蓋をあけた。
ふと見ると、大地からの熱気のせいか、ロミィの姿が一瞬、薄くなっていた。
「どした?」
振り返ったロミィはすでに元の姿に戻っていて、ディクショに不思議そうな顔をする。
「いや、別に」
見間違いか。
ディクショはスキットルに口をつけた。
キキミリは朝からゲームに忙しかったが、やけにイマジロタが静かなのが気になった。
市長室は広いので、彼用の机がある。
ほぼ、キキミリの仕事を処理するためにあるが、同時に自分の仕事もこなす。
たまにこの男は化け物かと思うほどの仕事量だ。
それでも黙々と作業をこなす。
特にその日は仕事に没頭して、いつも出るキキミリへの皮肉もまったくない。
「・・・・・・あー、暇だ。暇だなぁ」
キキミリがわざと声を大きくするが、反応もなかった。
しかたないので、席からはなれてスリッパの足音を立てると、彼の机の脇に来る。
「今日も頑張ってるねぇ。いやぁ、助かるわー」
呑気で無責任な上司といった風そのままだが、普段の態度と変わりない。ただ、ちょっとそばに来て言葉にしただけである。
ようやくにして、イマジロタは気難し気な息を吐いて、唸った。
あらゆるニュースの中で、ちょうどコーミル・コミュニティの件を調べようとしたところだった。
「キキミリ、これどう思います?」
空中に浮かぶ文字列の一部を、彼女の目の前に移動させる。
そこには、パニソーの署名で、グリスカ・データが信憑性に欠け、現在保持しているロミィという少女は詐欺師だと主張していた。
「ロミィ? あー、バージーとグリスカを暗殺した奴か」
「ええ。まぁ、おかげで中央からの圧が掛からなくなって助かったのですが。今、パニソーのコーミルは後ろ盾をソカルやリロドレ教会に奪われて、弱体化しているんですよね」
「おまえの諜報網は復活したみたいだな」
「ボケたくはありませんでしたしね」
「で、パニソーの言ってることはどれぐらい本当なんだ?」
「そこまではさすがに。ただ、中央からわざわざ聖化の手段を持ってきた割に、グリスカ暗殺について中央は無言です。また同じデータを持ってこさせようともしません」
「確かに、そこは変だと思っていた」
「どっちにしろ、今の弱体化したコーミル・コミュニティを潰すか救うかの判断が必要です、キキミリ」
キキミリは少し考えた風になった。
「今まで、反帝国派が二分しているから、御しやすかったんだよねぇ。もうちょっと、様子みない?」
「そういうことでしたら、かまいませんが。ただ、イクルミを抑える必要があります」
「ああ、ルイムに命令しておくよ」
ほぼ、阿吽の呼吸で話を終える。
時間稼ぎの間、イクルミには新しい任務を与えておけばいいのだ。
今日も天気は良い。
有志たちに射撃を教える朝が終わる。
ひざしに腕を掲げてみると、薄ぼんやりぼんやりとしていた。
ロミィは独り、苦笑いする。
二人が連れていかれたのは、エクゥル市の郊外にある安いくて古いホテルだった。
「以前まで我々が時折、身を隠すのに利用していた場所です」
今はロミィらを連れてきた者たちだけではない。各、リロドレ教会から逃れてきた者たちは意外に多く、ホテルとその周辺は一気ににぎわっていた。
質素な昼食を食べて部屋に戻ると、ディクショが訪ねてきた。
まるで自分の部屋のように堂々と椅子に座って、タバコに火をつける。
「まったく、面倒だよ。ここに来る奴のウチ、何人かは必ず、おまえに伝えてくれって炭で来るんだよ。リロドレの教会で殺された人の仇を取るように言ってくれってさ」
「気持ちはわからなくもないけどねぇ」
「バージー、グリスカ、次はアルーマと行ってみるかい?」
ロミィは適当に軽く首を傾げた。
「暗殺はもうこりごりだねぇ。何も変わらないどころか、事態をさらに混乱させるだけだって、よくわかったし」
「おやおや、慧眼だなぁ。でも、そう思ってない奴らもいるらしいがけどな」
「へぇ、どういうこと?」
「ここに流入してきてるやつらが、リロドレの連中だけじゃないってことさ」
「なるほどね。で、先生、どこの人たちですか?」
「イクルミだ」
「・・・・・・うちら相手にするよりも、やることあるだろうに」
「そこなんだよなぁ。裏に何かあるぜ?」
「まぁ、裏に何があろうが、今、うちらは狙われていると」
「そういうこった。それと、代表団を自称する連中がおまえに会いたがってる」
「代表団?」
ディクショはうなづいた。
「いつの間にそんなもんができたんだ?」
「しらね」
「あー、まぁ会ってみるか」
「会うのか。無視してもいいとおもうがねぇ」
「いやぁ、ダメだね」
ロミィははっきりと断言した。
午後に、代表団を自称する三人の男女が、ロミィの部屋に現れた。
一様に、感情を表に出さないで、席を進めても拒否して立ったままだ。
ロミィは椅子に、ディクショはソファに腰かけている。
「で、話というのはなんです?」
ロミィが三人を促した。
年配のリーダー格らしい男が口を開く。
「申し上げたいのは、三つのことです。まず、昨日の夜、我々はこのホテル周辺に潜む五人を始末しました」
淡々とした口調である。
ロミィもディクショも、眉ひとつ動かさないで話を聞いている。
「彼らはイクルミからの潜入者でした。まだ、いるでしょう。彼らに対して、我々は容赦する気はありません」
「で、次は?」
「・・・・・・リロドル教会です。あそこでは、我々の仲間が一斉に殺されました。あなたがたは、立ち会った区域で仲間を助けてくれたとか。我々は復讐したい。黙って、今まで通りに陰に潜んで暮らすのはまっぴらなのです」
「それは、ここの人々の総意ですか?」
男は口だけで軽く笑った。
「もちろん、違います。しかし、同志の数は増えて行っています」
「最後は?」
三人は表情を引き締める。
そして半ば詰め寄るような態度で声を出した。
「あなたに、我々のリーダーになってもらいたいのです」
ディクショが冷やかすように口笛を吹く。誰もが無視したが。
「あたしが・・・・・・? それはつまり、あたしにリロドレへの復讐の指揮をとれということですか?」
三人はうなづいた。
「イクルミに狙われているというのに?」
「それも含めてです」
ロミィは不機嫌そうな様子になった。
実際、憤慨する寸前だった。
自分は、独りでやってきた。
必ずしも成功したとは言えないが、誰かを頼るということはしていないつもりだった。
だというのに、この連中は恥も外聞もなく、自分を頼り、自分の望みをかなえようとしている。
都合が良すぎるのではないか。
だが、彼女は自分が起こした事件がこの国に大乱をもたらせた点を痛感している。
責任という点では、彼らよりも自分が負うべきではないのだろうか。
「わかりましたよ。その代わり、あたしの命令は絶対ですので」
代表の三人はうなづいた。