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第2話

「ああ、グリスカが殺られたな」

 同じころ、エクゥル市長キキミリは小柄な体を面倒くさげに傾けた。

 そのまま、机に突っ伏す。

 大き目のTシャツを着て、旧式のジャックインフォンを首にかけ、ハーフパンツにサンダルという恰好で市長室にいる、十三歳の少女だった。

 父親が元市長だったが、反帝国分子に暗殺された。稀有な軍人だった彼の人望は帝国派に強い結束を作っていたが、急な事態に部下たちは慌てた。

 ここに妙な者が市長になっては、彼の意思も何もかも吹き飛ぶ。

 そこで、彼らは急遽、一人娘だったキキミリを強引にその座に据えたのだ。

 本人にとっては大迷惑である。

 政務は部下がすべて取り仕切っていた。とはいえ、生活が窮屈なうえに、歌手になりたかったという夢も奪われた。

 元々、口うるさい父親の下で、やる気の皆無な性格に育てられたのだが、今やそのままに役職の態度に丸々と隠されもせずに出ていたのだった。

 目の前に立つイクルミの副隊長、ウィセートが折り目正しく立っていた。

 報告を行ったのは、彼である。

「さすが、市長。すでにお知りになっておりましたか」

 彼はキキミリの後ろに立つ男に皮肉げな視線をちらりとやった。

 細い長身に涼しげな生地でゆったりとした裾と袖の長い上衣と、バギーパンツをはいている。

 顔色は悪いが、決して悪い容貌ではない。やや長めの髪を片方に集めて垂らしていた。

 イマジロタという、キキミリの代になってから私設秘書に任命された二十二歳の男だ。

 情報を入れたのは、この男だとウィセートにはわかっていた。

「申し訳ありません。阻止することができませんでした」

「あ、謝ってきた」

 ウィセートに、キキミリはくすくすと笑った。

「別に、しょうがないんじゃね? あんたらイクルミには引き続き、反帝国分子を狩ってもらえれば結構」

 激怒や叱責などとは無縁なキキミリだ。だが、こうも物分かりが良いと、逆に怪しく思えてくる。

「グリスカの件は、大丈夫なのでしょうか?」

 ウィセートは一歩踏み込んでみた。

「ああ、心配はないよ。聖化の手順についてのデータでしょう?」

 さらりと、キキミリは言う。

 ウィセートはうなづいた。

 キキミリはグリスカに命じて、皇帝が聖化したというその手段を探らせていたのだ。

 聖化とは、新種ニユーオーダーの人物から不純物を取り除き、純電脳となることを言った。

 皇帝がこれを成功させ、不老不死となったという話はすでに一年前からあった。

 結果、反帝国分子が増え、事件が続発する契機となったのだが。

「なにも心配はない」

 キキミリは断言した。

 机に突っ伏しながら。

「・・・・・・なら良いのですが・・・・・・・」

 ウィセートは少々疑問を感じながらも、それ以上に追及するのをやめた。

「まぁ、この件のすべてはイクルミに一任する。おまえらがどうにかしろ」

 放り投げるように命じたキキミリに、ウィセートは内心の笑みを隠して、敬礼した。

 そのまま彼が市長室を出ていった。

「あんまり信じてないんだな」

 イマジロタはキキミリと二人っきりになると言った。

「聖化の件? 信じてないってか、どうでもいいんだよ」

 口調もどうでも良さげだ。

 本当に関心がないのだ。

 イマジロタは、やれやれと内心思った。

「そんなことより、依頼は入ってないのか?」

 キキミリは未だに市長になる前のイマジロタの生業にかかわろうとしている。

 イマジロタも、拒絶できないまま、だらだらとここまで来ていた。

「来てるよ。まだ話も聞いてないけどね」

「ならここでいいから呼べよ」

「ここはまずい」

 イマジロタは息を吐きながら言った。

 キキミリがただの普通の少女なら、無理に首を突っ込ませることはなかったのだが。

 自分の甘さに嫌悪感を抱きつつ、キキミリを連れて建物から出た。

 四輪に乗り、イマジロタは無言で運転を始める。

 助手席では、キキミリがあっという間に寝息を立てていた。

 市の外れまで来ると、エクゥル内でもスラム感が漂ってくる。

 元々、エクゥル市は帝国から観れば、異界の区域だった。

 だからこそ、ある契機によって反帝国主義が燃え広がったのだが。

 四輪が止まったのは、小さな喫茶店の前だった。

 炭燈楼たんとうろうという名前の店のオーナーは、イマジロタだった。

 ここを事務所兼用につかっているのだ。

 いつの間にか起きていたキキミリが先に四輪を降りる。

 張り切ってるなぁ、とイマジロタは内心で苦笑した。

「おい、誰もいないぞ?」

 店内に入ったキキミリが、肩透かしをくらったような声を上げる。

「依頼者には、依頼内容をすでに受け取っているので、質問だけを送ってその解答を待ってるところだったんだよ。もちろん、本人は来ない」

「なんだよそれ」

 不満そうだ。

「情報収集は大事だけど、それは後でもいい。とにかく足掛かりとなるものが得られれば、いつでもどうにかなるもんだよ」

 イマジロタには妙な趣味がある。         

 好奇心が強いと言えば良い意味になるが、彼の場合、それ以上にとにかく情報を集めたがるのだ。

 それは、妄執に近く、一種変態じみている域まで達している。

 個人で探偵業をしているのも、人や物事、時世への興味からだった。最も多い浮気調査などには関心はなく、もっぱら、珍しいほうへ珍しいほうへと仕事は選ぶのだが。

 彼は奥にある専用の席に座り、小さなデッキの電源をつけた。その真上に、文字やアイコンが浮かびあがる。浮遊ディスプレイだ。

 横に座ったキキミリが、顔を寄せてのぞいてくる。

 メールが大量にたまっているのが気になる。

 仕事用のフォルダーとは別のものだ。

 キキミリは険のある目でイマジロタを見つめた。

「なんだ?」

「・・・・・・また女追っかけてるだろう、あんた?」

「・・・・・・なんのこと?」

 イマジロタの目が泳ぐ。

 彼は自他ともに認める、無類の女好きだった。

「別に。あたしの知ったことじゃない」

 いう前に舌打ちをしていた。

 イマジロタはすぐに依頼用の文章を浮かべて、指を差し、キキミリに読ませる。

「これは、ただ家族の失踪事件じゃないのか?」

 軽く依頼書の内容を途中まで読んだ彼女は、奇異に感じてつい言っていた。

「そんなことなら、つまらないので相手しない」

 傲慢ともいえる言葉を吐くイマジロタだった。 

 依頼者は一家の父親で、仕事から帰ってくると、子供の兄妹と妻の姿が見えなくなったという。名前はカーロヴ。二十九歳。

 イマジロタに促されて文章に続けて目を這わせてゆく。

 高級マンションの室内では、確かに家族の気配と物音がする。近所の住人も怪しい様子はなく、むしろ父親を不思議に眺めるときが時折あったという。

 それから二週間もたつと、彼はマンションの住民すべてが消えていた。

 ただ、人の気配とささやき声は家族と同じく存在している。

 会社を休むわけにはいかず、だが、事実を呑み込めない彼は、家には帰らずにホテル暮らしをしつつ、イマジロタの事務所に依頼してきたのだった。

「周りから人が消えてゆく?」

 キキミリが読み終えて、眉を寄せた。

「ふむ・・・・・・」

 何か考えている様子のイマジロタを、キキミリは横目でみた。

「またどうせ、現場にはいかないんだろう?」

「必要ないからね」

 あっさりと同意する。

「まず、このマンションから調べようか」

 新種ニユーオーダーの二人だが、わざわざイマジロタがデッキを使うのは、保安上のためだ。

 この仕事と趣味を電脳スペースに放り投げておくなど、論外だからだ。どんな鍵や防壁を造っても。

 いつどこの誰が、拾ったり特定したりハッキングを行うとも限らないのだ。

 マンションの管理会社からオーナーの情報を探す。

 隠されているわけではないので、すぐに出てくる。

 次に、オーナーの身の上を調べる。

 イリィマ゚という三十九歳の男で、独身。新種ニユーオーダーだ。

 職業、投資家。

 イマジロタが面倒だとおもいながらも、思わず笑みを浮かべる。

 投資家という業種の人間は面白いことが多いのだ。

 だた、足跡を追うには、厄介だが。

 銀行口座から主な取引先の店舗を割り出す。           

 証券会社のデータベースに侵入すると、投資先の一覧を画面に映した。

 見ると、どうやら投資をするだけではなく、投資もされていた。

 投資先はエクゥル市よりも、隣のバーヤム市の電子機器の製造業が多い。

 逆に彼に投資しているのは、エクゥル市最大の電子会社であるルネスカ株式会社である。

 ルネスカ社は、反帝国主義的な社風で有名だった。

 だがつい数日前、イリィマは失踪している。

 ニュースを漁ると、親帝国過激派分子に目をつけられたらしい。

 通常の逃亡なら、イマジロタも簡単に足跡を追えるが、まったく痕跡のない消滅といっていいものだった。

「なんか、マンションの住人みたいだな」

 キキミリが感想を述べる。

 イマジロタはしばらく画面をぼんやりと見つめ、考えているようだった。

 急に思考でデータを入力して、再びデッキを操作する。

 今度出してきたのはグリスカのデータだった。

 この間、キキミリの部下として中央から派遣されてきた男だ。

 市の仕事はすべて部下が行っているので、キキミリも出向してきたとしか知らない。

 グリスカは反帝国分子に殺されるほど、重要な何かを持っていたらしいと、イマジロタは聞いていた。

 だが、その内容まではわからない。

 同時にだした反帝国分子たちのデータベースもかたっぱしから覗く。

 すると、グリスカについてはすべてが書かれていた。

 彼は帝国を再編する目的をもって中央から各地に送られた技師の一人であり、持っているデータは、皇帝が聖化したシステムと同じものだという。

 ルネスカ社がそれを知らないわけはないだろう。

 イリィマは反帝国分子に目を付けられ、カーロヴはその犠牲になった。

「・・・・・・というのが、結論だな」

 イマジロタは簡単にキキミリに説明した。

「黙ってたら、ウチの役所はどうなってた?」

「市内の人々を電脳スペースに純化して、新帝国の一部になっていたんじゃないか?」

 キキミリはムスリと不機嫌になった。

「・・・・・・あたしは別に現皇帝に反対するわけじゃないが、この再編といっていい状況は納得いかないよ」

「聖化というのが、どこまでのものか、調べてみる価値はありそうだ」

「そだね。それで、カーロヴはどうやったら身の回りの事態を解決されたと受け入れられるんだ?」

「カーロヴも、そのうち電脳スペースに消えるはずだ。今は聖化、純化かな? どっちでもいいが、そのプロセスがわからないんじゃ、助けることもできない」

「放置か」

「それしかない」

 キキミリは怒りを押し殺しているかのようだった。

 まがいなりにも、彼女はエクゥル市の市長である。

 その住民が困り、助けることができないというのでは、無力すぎる。

 大体、彼女がいる必要すらない。存在意義というものがないのだ。

「グリスカを殺った奴を、ウィセートは逃したって言っていたな」

「ああ」

「会いたいと、伝えてくれ」

「どっちと?」

「暗殺者だよ」

「やめておいたほうが良いんじゃないか?」

「いや、やめない」

 駄々っ子のように拒否すると、席から立ち上がった。

 イマジロタは一仕事終えたといった風に、伸びをした。

「宿舎に送るよ」

「どこかに行くつもりか?」

 彼は答えをはぐらかすように、笑んだ。

「・・・・・・また女か」

 蔑むような目を向ける。

「まぁ、勝手にしなよ。知ったことじゃないし」

 プイと顔をそらして、先に店を出て行った。

 イマジロタはひとつ息を吐くと、彼女の後で四輪に向かった。




 パニソーが手配してくれた宿で一晩を明かすと、パジャマから着替えたロミィは食堂に降りてきた。     

 まだ眠そうな様子を隠しもしないで、ふらふらと席に着く。

 そこにはすでにベーコンに目玉焼きとトマトを乗せたパンに、野菜ジュースが置かれていた。

「シケた飯だなぁ」

 気が付くと、正面にディクショがスキットルをテーブルに置いて、タバコを咥えるところだった。

 雑用係がロミィのそばまで来て、手紙を渡してくる。

 一度、窓の外の光で透かして見てから、ロミィは中身を見た。

『あなたに用がある。できるなら、会いたい』

 短い一文に、担当楼という喫茶店の地図。そして、キキミリというサイン。

 ロミィは眉を寄せて、野菜ジュースに一口つける。

 キキミリといえば、このエクゥル市の市長だ。

 一瞬、意味が分からなかった。が、多分グリスカ・データの件だろうと思い、手の中でくしゃくしゃにすると、灰皿の上に置いた。

「・・・・・・ディクショ、それに火をつけて」

 ちょうどジッポライターを取り出したところだった彼は、片眉だけを上げて紙屑のようになった塊に目をやった。

「なんだこれ?」

 何の遠慮もなく灰皿から手にして、紙を広げる。

 彼の表情は、ゆっくりと怪しい笑みを浮かべた。

「招待状とは良いもんもらったもんだなぁ、ロミィ。これはチャンスだぜ?」

「いかないよ」

「あー、そうかい。なら俺が行くわ」

 ロミィは渋い顔になる。

 これはまがいなりにもキキミリとロミィ個人でのやり取りである。

 敵の総本山とはいえ、信頼の上に成り立った、お互いを尊重したものだ。

 脇から余計なモノが割り込んできては、それが汚される。

 ロミィには、こういう潔癖なところがあった。

「勝手に行くんじゃない! へんなことしたら、殺すぞ!?」

 ロミィは手紙を奪い取って、ポケットにしまった。

「うわ、こっわ!」

 ディクショは震えるふりをして、茶化してきた。 

 無視するロミィ。

「おはようございます。きちんと朝は起きれるようですね」

 パニソーが少年少女を引き連れて、彼女らの元にやってきた。

「あれ? あんたもここにいたんだ?」

 ディクショは普通に驚いたようである。

「いえ。様子を見に来ただけです」

 にっこりと微笑む。

「・・・・・・ああ、なるほどね。逃げ出してないか、確認に来たわけだ?」

「一応、夜に逃げられる場合も考えて、周りも警備させてましたけどね」

 悪びれもせず、日常会話のようにパニソーは言う。

 ロミィは、彼女に底知れない恐ろしさを感じてしまった。

 急に彼女の真意が知りたくなる。   

 言ったことが本当なら、軟禁といっても良い状況かもしれないのだ。

「嘘です。あなた方の護衛ですよ」

 ロミィの心を読んだかのように、また笑顔を見せる。。

 モノは言いようだ。両方だろうと、ロミィは内心で鼻を鳴らした。

「あなた方も、せっかく我々、コーミル・コミュニティに入っていただいたので、良い計画を思い浮かんだのですよ」

 宿の食堂には他に人はいない。

 パニソーも遠慮はいらないと思ったのだろう。

「なんだよ、おもしろそうじゃねぇか。言ってみろよ」

 ディクショが促す。

 うなづいたパニソーはそのままの位置で口を開いた。

「ソカル・コミュニティをこの際、徹底的に叩き、事実上エクゥル市を我々のものにする」

 ソカル・コミュニティとはウィセートに殺されたヒデリトをリーダーにする、ロミィとディクショがこの市に来た時にいたコミュニティである。

 同士討ちする気か、とロミィは半ば呆れて聞いていた。

 両コミュニティは対立も争いも表面上なかったが、方針の違いで冷戦状態にあり、並立し続けていたという。

 ソカル・コミュニティは帝国に対して支配を覆そうというアグレッシブな組織だが、コーミル・コミュニティーは土着の勢力で独自の地域を造ろうという保守的なものだ。

 この二つの組織の微妙な関係は、ヒデリトとパニソーの関係と直接関係あると言われていた。

 だた、だれも詳細はわからないので、憶測にすぎないが。

「食べたら、ちょっと歩きませんか?」

 パニソーの誘いに、二人は同意した。

 繁華街を行くと、店の人々や往来の人物たちが、次々とパニソーに挨拶してくる。

 彼女は鷹揚にいちいち相手に答え、時には話かけたりもする。

 人望の高さが良くわかった。

 一方で、同士打ちをためらわないという面もあるんだ。

「・・・・・・理由はあります」

 やや静かになったところで、パニソーは言った。

「ソールカルトの残党が、イクルミに身を売ったのですよ」

「ほう。早いなぁ」

 ディクショは正直な感想を述べた。

「ええ。そこはウィセートの力でしょうね」

 このエクゥル市で真向から反帝国分子と争っていた男だ。

 無能であるわけはなく、武力はもちろん、政治力にも長けているのだろう。

「なら、ウィセートかエクゥル市になにかアクションは取らないの?」

 ロミィは素朴な疑問を吐いた。

 パニソーはいつもの笑みを浮かべる。

「関係ありません。裏切ったのは、ソールカルトの面々ですから」

 かすかに怒りが混ざった口調なのを、ロミィは感じとった。

「まぁ、選択として間違ってないんじゃねぇの?」

 気楽そうに、ディクショは同意する。

 パニソーは前を向いたまま、うなづいた。

「で、手はどうするの?」

 ロミィが聞く。

「こちらから、イクルミに敵を討つために共闘しようという提案を出します。目標はエクゥルにあるテレビ会社兼報道会社のホロムTVです。そこで、彼らを一網打尽にします」

「そりゃ、イクルミも出てくるだろう?」

 ディクショが危惧の念を伝えるが、パニソーは軽く鼻で笑った。

「そこはどうにかします。まぁ、逃げるとか」

 危なっかしい計画だと、ロミィは思ったが黙っていた。

「いつ決行するの?」

 代わりに違う質問をする。

「二三日中には」

 なるほどと、二人はうなづいた。




 カーロヴは、ウィスキーの瓶を片手に暗い部屋のなかをうろうろとしていた。

 荒れた彼のマンションには、誰の影も存在しない。

 鏡の前に立つ。

 口元は切れて、目元が腫れている上半身裸の自分が映る。身体にも痣が数か所ついていた。

 街中をぼんやりと歩いているときに、若い男たちに絡まれたのだ。

 最近、過激派分子の真似事をしている者たちに、良く目を付けられる。

 瓶の口から直接、ウィスキーを喉に流し込む。

 会社は彼を解雇した。

 理由は新種ニユーオーダーとしての、適正といわれた。

 適正とは?

 尋ねたが、上司からの返答はなかった。

 彼は会社で、様々な新種ニユーオーダー用の被検体となってはデータを収めていた。

 少々無理がたたり、最近はまともな反応がおこらず、少なからず混乱したものになっていた。

 使い捨てか。

 彼は腹いせに会社から今までの自分が受けた実験のデータと、数億をいくつものルートをつぎ足しながら自分の口座に移動させておいた。

 だが、そんなものでは心は晴れず、鬱積するばかりの日々が続いていた。

 カーロヴは新種ニユーオーダーとはいえ、生まれからの純正ではなく、医者による改造によってのものだった。    

 時代は旧種ローテツクのものではないと、さんざん差別されてきた結果の処置だったが、彼のような半端な電脳処理者は、会社でもろくな役割を与えられるわけではない。

 それでも家族を作り、なんとか中の上流まで昇りつめてはいた。

 依頼した、失踪事件への調査結果が送られてきて、彼は一読していた。

 上手くいかなくなると、何もかもダメになるものだ。

 もっとも、今まで上手くいかせようと、必死の努力を重ねてきたのだが。

 昨日まではひどい疲れで、動けなかった。

 鏡に映る自分の手に細かい傷がある。

 今日、絡んできた者の一人を袋叩きにして、もう一人をナイフで刺したのだ。

 いままで味わったことのない高揚感が沸いた。

 異様なほどの、解放感でもあった。

 カーロヴは再びウィスキーをあおると、自室に戻る。

 酩酊した彼は、部屋に何かの気配があるのが分かった。

 だが、新種ニユーオーダーの解析能力を使っても、姿すらつかめない。

「どこの誰だよ? 出てこい」

 どすの効いた声をだす。

 とたん、彼の右腕から激しい電流が流れて、一瞬、身体が硬直した。

『哀れな男よ。わたしを侮辱することはゆるさない』 

 脳内に、むしろ気持ち良くその声は響いた。

『我はリカドレの使い。選ばれし人よ。我の声を聴け』

 カーロヴは軽く混乱して様子を窺うようにおとなしくなった。

 どこかのハッカーの悪戯か? 

 だが、彼の防壁は国家機密並みの硬さを持っている。早々に破られるはずがない。

 それ以前にリロドレとは、帝国皇帝が祭っている神の名前だ。

 一般に邪神といわれている。

 それが、一介のサラリーマンに接触してくるなど、わけがわからなかった。

『今、貴様に啓示を与えた。エクゥル市を神を信じぬ者たちから守るのだ』

 気配は突然、消えた。

 代わりに、部屋に人の十人分はあろうかという巨大な龍がとぐろを巻いていた。

『主よ、ご命令ください』

『貴様はこれより、アルーマと名乗るが良い。名前を与えた以上、貴様は私のものだ』

 カーロブは思わず笑った。

 ヒステリックな響きだ。

 傑作だ。自分は神に選ばれた。

 発作のような笑いが収まると、苦しそうに息を整えた。

 面白いじゃないか。

 彼は椅子に座って電脳スペースの、反帝国分子と親帝国分子のフォーラムを同時に覗く。

 声や文字をしばらく眺めていて、鼻で笑う。

 どっちもどっちだ。

 部屋の隅に、東洋の龍をかたどった小さな置物があった。

 しばらく眺めて、椅子から立ち上がらる。

 息子の部屋に入ると、大人でもかぶれる龍の頭部があった。

「へぇ・・・・・・」

 彼はニヤける。

 カーロヴの頭の中で、さまざまな考えが浮かんだ。

 思考はまるで龍が泳ぐごとく、様々な場面を彼に見せた。

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