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第2話

「あがががががががが……」

 天井からぶら下がった金属ネットで、ミィサが呻いていた。

 周辺には、使用済みの圧縮注射器や中身の残ったアンプルが散らばっていた。

 下方で、ジークスパが苦り切った様子で、貧乏ゆすりをしながら、ソファでウォッカを飲んでいた。

 頼まれた薬品を持ってきたのは彼だが、その危険性もわかっていた。

 ミィサは、金網の上でのたうち回っている。

「そらそうだわ……」

 ジークスパはつぶやいた。

「当たり前だ! そんなもんばっか体内に入れやがって! うるせぇよ、少しはおとなしくしてろ!」

 ついでにいっそのことくたばっちまえ、と怒鳴り、ウォッカを注いだグラスを一気飲みする。

「ぎひひ……やだぴょーん……あが……」

 頭上から蚊の鳴くような言葉が返ってきた。

「大体、なんなんだ、おまえ。何のために、ここまでする必要があるんだ?」

 グラスに新たに瓶から液体を注ぐ。

「うるさいよ……あんたはクスリ持ってくれば良いんだよ……よけになことに首突っ込むな」

 ミィサが悪びれずに言い放つ。

 暗い室内で、無駄にペーパーヴィジョンの映像が流れる。

 ニュースだが、芸能人がどうしたこうしたといった、普通の私生活に関係の無い事柄が特集されていた。        

 本人の身体はそのままなのに、ミィサの影が巨大になったり収縮して小さくなったりと、異常が見られた。

 時折影は、ジークスパにも被さって、彼の不快感を増強させていた。

 そのうちに、天井近くの騒ぎも一段落した。

 ジークスパが見上げると、眠ったらしい。

 よく、あんなに苦痛のさまを見せていたのに寝れるなと、呆れつつ、ジークスパは上着を着て部屋を出た。

 ミィサは眠っては居なかった。

 ただ、身体の苦痛が快楽に変わってきたので、それに身を委ねているだけだった。

 だが、時折激痛が身体を襲う。

 何が起こっているのか。

 ミィサは、寄生体で身体改造をしていた。

 何のために、とジークスパの問いが思い出されてくる。

 決まっている。

 数年前、彼女は家族を、兄を残した両親を殺した。

 両親は彼女を虐待していたわけではなかった。

 危ない仕事をしていたわけでもなかった。

 それでも、ミィサは殺した。

 兄だけは死なす訳にはいかない。

 殺される訳にもいかない。

 唯一の肉親。

 兄のためならば、今度は自分が死ねる。

 いや、死ななければならない。

 何の罪もない両親を殺したのだから。

 兄を助け、罪を背負った自分は死ぬのだ。

「……そそそろ、名前を付けてやろうか、おまえに……」

 ミィサは重い右手を上げて見つめた。

「……フーレルでいいね。うん……良い名前だ」

 ミィサはつぶやくと、力尽きたように意識を失った。




 ジークスパは増築住宅を出ても汚い、道路を三十分も歩き別の似た建物に入る。

 軒をくぐったのは、売春宿だった。

 だが、女性が入ってくるまでに服を脱いだが、彼は急な疲労感に眠ってしまっていた。

 何か、生ぬるい感触が心地悪く、目が覚める。

 軽い頭痛がする。

 吐き気が激しく、口の中が酷く生臭い。

 けだるく上半身を起こして、彼は固まった。

 ベッドの上が、真っ赤に染まっていた。

 倒れ込んでいた長髪の女性は胸から大量の血液を流していた。

 小さな肉片がジークスパの周りに散らばっていた。

「まさか……」

 つぶやくと、突然の胃が持ち上がり、その場で胃の中身を吐き出した。

 生の肉が大量に胃液に混ざって出てきた。

 ジークスパは、女性の死体を確認した。

 胸に大きな穴が開いてあり、その中が空洞なのが、見てすぐにわかった。

 心臓がないのだ。

 そして、吐瀉した肉片は、どうやらそれらしい。

 寝ている間に、自分が何をしたのかと、ジークスパは戦慄した。

 急いでトイレに向かい、残りの胃なの中のモノを無理矢理吐き出し、水で流すと、洗面台でやや力が入ったやり方で歯を磨き、口をよそいだ。

 最悪の気分だった。

 水のシャワーを浴びてもすっきりしない。

 何か、身体の中に存在するモノがいるかのような違和感がある。

「まさかな……」

 不安を払拭しつつ、彼は服を着て、何事もなかったかのように売春宿を出た。

 途端に騒がしくなったが、その頃にはさっさと下の階で多数あるウチの出口から太陽の下にでていた。

 彼は、ゴミだらけの公園に向かい、汚いベンチを軽く手で払ってから座った。

 内ポケットから、採血用の小さい針を出して指先に刺し、血の粒を検査機ににじませる。

 結果を見て呆然としたあと、彼は感情の伴っていない笑い声をだした。

 血液は、純粋なイマジロイドのものではなかった。

 確実に、別物が混ざっている。

 何かに寄生されているのだ。

 これが、ミィサのところから持ってきたかはわからない。

 だが、可能性は大きい。

 一瞬、ミィサに殺意が湧いたが、彼女を殺したところで状態は変わらないだろう。

 すでに遺伝子レベルで、彼の身体は書き換えられているのだ。

「やれやれ。つまらん人生だと思ったら、最後にとんでもなく派手になりやがった」

 ジークスパは自嘲して、公園から離れた。




『我々は、イマジロイドに誘拐され、外国に売られるところだったのです』

 ペーパーヴィジョンに流されているニュースでは、下層民の格好をした電脳イマジロイドが、アナウンサーの質問に答えていた。

 その背後には、似たような格好をしたイマジロイド達が集まり、銀色の丸に輝きを伸ばした、黒地の旗が所々にみえた。

『それだけじゃありません。警察は取り合ってくれませんが、明らかに同一犯とみられる殺人鬼が、我々だけを狙って居るのです』

 質問は二三で終わったが、キャスターが「スター・ユニオン」の名前を初めて口にした。

 トロェアの店で、だべりながら眺めていたヘッディリには、何の印象も与えなかったようだが、 ユージエとロィープは違った。

「ユージエ、これ知ってた?」

「ただの、噂だと思ってって、見落としてた。何しろ、あたしはスムービのことに専念していたから……」

 弁解するように、ユージエが声を落とす。

「あ? これがどうかしたのか?」

 ヘッディリは、あくまで呑気だ。出されていた、アブソルートペッパーのウォッカをちびりちびりしていた。

 ロィープは、こいつは駄目だなと首を軽く振ってため息を吐いた。目の前には飲みかけのビールジョッキが置いてある。

『ヴィバロ・ファミリーは声明で、電脳イマジロイドが社会に受け入れられ、共に社会生活を営めるのは、すばらしいことだ、と述べています』

「ユージエ、この殺人鬼って奴は?」

 ロィープが訊く。

「ああ、それならデータにはいってるよ。見たいなら、帰ればにでも……」 

 そこに、入り口あたりが、騒がしくなった。

 ファミリーの構成員の一人で青年が現れとカウンターまでやってきて、ヘッディリさん達にお客さんです、と伝えてきた。

「ん? 誰だ?」

「コミータといえば、わかると……」

「わからん、帰せ」

「まてまて!」

 ロィープは慌てて止める。

「すぐに通せ」

 彼が警戒芯もなく気安い態度なのを訝しながら、ヘッディリは黙った。

 青年は一礼して、戻っていった。

 酔っ払い達がひしめく中を進んできたのは、ベレー帽を被り、白いブラウスに紺色のサスペンダースカートをはいた、十代半ばの少女だった。

「お揃いですね、皆様」

 コミータは、微笑んで一礼した。

 無言で、傍のテーブル席から椅子を持ってきて、自分の背後に置いたが、そのまま立ったままだった。

「どうしたのさ、座ってよ。何飲む?」

 ロィープは促しながら、マスターを呼んだ。

「では、紅茶で」

 マスターは、何か言いたげだったが、注文の品を作りに、移動した。

「誰だ? この子は?」

 ヘッディリは皆が彼女を囲むように椅子をずらすなか、一人カウンター席のままで、グラスを脇にしていた。

「ああ、俺の仲間の電脳イマジロイドだよ」

 聴いたヘッディリは、露骨に怪しげな目を向ける。

 コミータは、堂々とその視線を笑顔で返した。

 鼻を鳴らして嗤ったヘッディリは、好きにしろとでも言いたげに、グラスを仰いだ。

 ロィープやユージエがどうしたか聴く前に、コミータが口を開く。

「ニュースは見ましたか? スター・ユニオンのことですが」

「あー、調度さっき眺めてたよ。ユージエと、どう扱おうか話そうとしてた」

 コミータはうなづいた。

「以前、差し出がましいことをしてしまいましたが、スター・ユニオンには手を出さないで頂きたいのです。彼等は、電脳イマジロイドといっても、皆、下層の存在でしかありません。むしろ、スムービ達とマフィア達から自衛のために組織作られた、烏合の集なのです」

 ロィープは、ビールをもう一杯頼んだ。

「……手は出さないよ」

「何か干渉するつもりのようですね」

 コミータは、やはりといった表情で、大きく息を吐く。

「干渉というほどでもない。ちょっとだけ、上手い具合に扱ってみようかと思って」

 ロィープは悪びれない。

「彼等はなんの罪もない存在です。本来ならヴィバロ・ファミリーが外国に密輸してしまうぐらいの。無理はさせないでください。ただの一般市民なのですから」

 ロィープは、コミータをしばらく見つめた。

「……それだけじゃないでしょ、ここまできたのは。もっと重要な話があるはずだね」

「普段、電脳を切ってるロィープさんでも、わかりましたか」

 コミータは、うなづいた。

 やっと紅茶と追加のビールがやってくる。

 コミータは、上品に紅茶を一口飲むと、再び喋り出す。

「スター・ユニオンを狙った殺人鬼を消してほしいのです」

「捕まえるんじゃなくて、消すのかぁ……」

「元マーダー・インクのメンバーでである、ロィープさん達にはぴったりかと」

 コミータはロィープを真っ向から見つめていた。

「コミータは、スター・ユニオンだったのか」

 少女は強くうなづく。

 この場合に力が入ったのは、仲間を殺された者として、怒りが湧いているからにちがいなかった。

 加え、自分たちで処理できない非力さからくる悔しさ。

 それらがない交ぜになって、コミータに固い態度を取らせていた。 

「ああ、そういうことね」

 ロィープはチラリとヘッディリとユージエにに視線をやった。

 彼らは酒を飲みながら、まったく話しを聴いていない様子だった。

「わかった。何とかするよ」

「お礼は……」

「いらないよ。困ったときは、お互い様だし。ただし、確実に成功するとは限らないからね」

「はい。わかっています」

「とりあえず、スター・ユニオンに今の避難先はあるの?」

「いえ、まだ、組織としてまとまっていないのが現状なので……」         

 ロィープはヘッディリのグラスをジョッキで軽く叩いた。

「あ、何だよ?」

「スター・ユニオンを、ヴィバロ・ファミリーに預けられないかな?」

「は?」

 ヘッディリは一瞬、目が点になる。

 いくら父のものとはいえ、ヴィバロ・ファミリーは電脳イマジロイドを海外に奴隷として密輸していた組織だ。そこに、スター・ユニオンを送り込もうなどとは、飢えた狼に赤子を差し出すようなものではないかと思った。

「無理かい?」

 ロィープはニヤニヤとして、彼の顔を覗き見る。

「いや、出来ないことも無いがな……」 

「なら、よろしく頼むよ」

 ヘッディリは訳がわからなかったが、一応請けおった。

「よし、これで準備は完了だ。明日から、殺人鬼狩りをはじめようか」

 ユージエはいつの間にか、ジョニー・ウォーカーを入れたグラスの氷を目線の前で鳴らすと、一口つけた。

「……まぁ、ロィープが言うならね」




 事務所に戻ったユージエとロィープは、デッキを使って殺人鬼のデータを集めて回った。 犯行時間は、夕方から深夜。

 殺害手段は、心臓そのものをえぐり抜いて良いる。

 犠牲者の特徴は、まだ確立できるほど、多くはない。

 目撃者はなく、死体は路上に放置されたまま、スター・ユニオンが埋葬していた。

 ユージエが並べた絞った条件の結果は、ロィープを呆れさせた。

「せめて、武警の科研が調べて欲しかったなぁ」

「死体写真なら、幾らでも観れるよ」

「誰が撮ったかしらないけど、わかるの? それで」

「撮ったのは大体、素人の野次馬だね」

 ロィープは、ため息をついた。

「俺が調べるしかないか……」

「そうね。まったく手がかりらしきものが、ないものね。唯一の特徴といえば、殺人鬼が現れたのは、最近だってことぐらいね」

 ユージエはやれやれと、ため息をついた。

 ロィープは隠す必要もないので、その場の椅子に座りながら、電脳ネットワークにアクセスした。

 視界が一気にぼやけて、光の点々とした淡い明かりの幽玄な空間が広がった。

 彼は一般フォーラムから、特別フォーラムに進む。

『おや、今頃めずらしいな、ロィープ』

 声がスムービと意識が認識する。

『久しぶりだね、スヌービ』   

『俺たちロホープ・ロータに協力してくれに来てくれたのかな?』 『頼みがあってきた』

『おまえの頼みには、期待させてもらっていいな?』

 スムービは意味深に返してきた。

『ああ、そうしてくれ』

『じゃあ、本題に入ろうか。君の頼みというのは、スター・ユニオンと関係がある、殺人鬼の話かな?』

 意識の境界があいまいになっているとはいえ、ロィープはかなり上級者の壁を張っていた。破られた反応がないので、スムービの推察によるものだとわかった。

『それがわかっているのなら、早いかな』

『アレは、放っておいたら我々の邪魔にもなるやもしれない。おまえが興味持ってくれたのなら、歓迎するよ』

 スムービは言って、光の球が一瞬現れた手の形から離れて、ロィープの精神光に溶け込んでいった。

 一気に記憶野に情報が広がる。

 新たな情報がどんどん入ってくる。

 そのうちの一つに、犯人はスムービが充臥に張った電子の網、電磁ネットを利用しているのがわかった。

 ロィープはさらに加えられる諸条件で犯人を確信した。

『ありがとう。処理はこちらに任せておいてくれ』

『ああ、頼んだ』

 ロィープはフォーラムから意識を戻すと、首の裏に手をやりながら、身体をほぐした。

「どうだったの?」

 ユージエがいつの間にか持ってきた水の入ったペットボトルを、彼に渡してきた。

「上手くいきそうだよ」

 キャップを取って喉を潤したロィープは、多少、乗り気の無さを表に出していた。

 察したユージエが、無言で彼の次の言葉を促す。

「匂いのタイプが、ちょっと似てるんだよなぁ。まさかとは思うけど」

「まさか、ミィサ?」

 ロィープは黙った。

 幼少期のあの事件のあと、マフィアの世界に飛び込んだ彼は、ミィサと距離を取っていたのだ。

 話もろくにしていないので、彼女になにがあったのか未だにわからない。

 究明しようとも思うが、ミィサに対して罪悪感しか持っていない彼は、踏ん切りがつかないままだった。

 一気に不機嫌になった、彼にユージエはデッキの操作をはじめた。

 そしてペーパーヴィジョンに映ったのは、ドレッドヘアを解いたような長髪の青年のものだった。

「……ジークスパ。ミィサと時々連んでる調剤師だよ。こいつが怪しいんじゃないかな?」

 ユージエはロィープからろくな話も聞かずに、独自に目標を突き止める。

「なるほど……そいつを狙うとしようか」

 ロィープは生真面目な表情で言うと、酒を飲むために事務所のキッチンに向かった。




 快楽。

 この上もない、どんなクスリよりも昇天するような、感覚。

 ジークスパは、飢えていた。

 もう、何体の電脳イマジロイドの心臓を食べたかわからない。

 初めは、意識も身体も拒絶していた。

 だがもう、残った理性が危険信号を叫び上げているが、身体が慣れきって止めどない欲求が出てくるだけだった。

 充臥には、様々な電脳イマジロイドが往来している。

 ジークスパが狙うのは、その辺の酔客ではなかった。

 彼等は高等過ぎた。

 もっと、電脳イマジロイドといっても、軽くネットワークに繋げられる程度の、下層の電脳イマジロイドを探していた。

 高等種、ロホープ・ロータを襲えば、いつフォーラムに証拠が残るかわからない。

 コートを着て、フードを目深に被った見るからに怪しい格好のジークスパは、歓楽街で獲物を求めて、さまよっていた。

 それらしい女性の電脳イマジロイドを、彼はみつけた。

 安酒の老いてある店から千鳥足で出てきて、どこに行く風でもなく歓楽街をさまよっている。

 時々、金を持ってそうな男性に色目を使っているが、ことごとく無視されていた。

 ジークスパの口の中で唾液が垂れだした。

 フードを脱ぐ。

 彼は女性の近くまでいって、時折倒れそうになる身体の肘を手で取ってみせた。

「飲み足りないみたいですね。どうですか、おごりますよ?」

 まだ二十前半と見られる彼女は、酔った顔に笑みを浮かべた。

「あら、お兄さんの奢りなのね。喜んでついて行くよ。好きな店に連れて行って」

 女性は、遠慮もなくノッてきた。

「じゃあ、行きますか。店はすぐそこですよ」

 言って、先にある路地の奥にあると、手で示す。

 ジークスパは、人目につかない充臥の道を全て把握済みだった。

「なんか、通って感じね。あたしはどんなところでも構わないわ」

 自然に彼女の腕を取って、逃げられないようにしてから、ジークスパは歩み出した。

 路地に入ると、まぶしいネオンや看板などなくなり、代わりに、ぽつりぽつりとした街灯があるだけになった。

 しばらく進んでいくうちにさすがに女性は不安がよぎってきたらしい。

「ねぇ、本当にこっちでいいの?」

「本当の店ってのは、こういう人が来ないところに開いてるもんなんだよ」

「へぇ……」

 いまいち納得がいかない様子だったが、一応、彼女は黙った。

 街灯もなくなった頃、ジークスパは足を止めた。

 女性は辺りを見回した。

 月の光だけに照らされた、排気口が目立つだけの、店と店の間に挟まれた狭い空間でしかなかった。

「ちょっと、ここって……」

「なに、服を脱げとか、クリーム塗れとか言わないさ」

 ジークスパはニヤけた顔で、彼女の退路側に立っていた。

「下手過ぎて笑えないわよ、その冗談」

 女性はジークスパを押しのけて戻ろうとした。

 次の瞬間、すさまじい電流が彼女に襲い掛かり、身体が痙攣して動けなくなった。

 スムービ達が張った電磁ネットを利用したのだ。

 その時、ジークスパの足元に弾丸らしき者が弾いて、石畳が破裂した。

 彼は頭上を見た。

 建物の窓に座った少女が、足をぶらぶらさせながら、自動拳銃をもてあそんでいる。

 ボブカットの見知った顔だ。青と白のワンピーススカートに、白のプリーツスカート、中に青いスパッツを履いている。

「……よぉ、ミィサ。そんなところで何してるんだ?」

 見上げたジークスパは暗い笑みを浮かべていた。    

「こっちが聴きたいよ。どうしっちゃったん、ジークスパ?」

「ははは、どうしたもこうしたもあるかよ」

 ジークスパは、全て話してしまおうかと思ったが、やめた。

 今ある自分は、あくまで自分だ。

 というより、あの快楽を逃したくなかった。

 思いつく。

 ミィサの心臓はどんな味をしているのかと。

「話してやるから、こっちに来な」

「臭いから嫌だ。殺気がプンプンしてるんだもの」

 ジークスパは小さく舌打ちした。

「ひでぇな。それにしても、おまえ珍しく素面とはな。俺になにか用か? ”またたび”が切れたか?」

 ミィサは、黙って三階の窓から飛び下りた。

 廃材の山がクッションになり、衝撃は本来のものほどでもなかった。

「せっかくだけどさ、ジークスパ。電脳狩りは、ちょっと都合が悪いんだよ」

 電磁ネットをいつでも稼働させられる中で、ミィサは堂々と彼の傍に立つ。

「じゃあ、どうするんだ? 俺はやめるつもりはないぜ?」

「……なら仕方ないけど。嫌いじゃなかったよ、ジークスパ」

 本心から言うと、ミィサは拳銃を彼に向けたと同時に引き金を絞った。

 額に弾丸を喰らったジークスパは頭を弾くように、後ろに反らし、そのまま倒れる。

 立ち去ろうとしたミィサの背後から地面を引掻くような音が聞こえた。

 獲物になるところだった女性が目を覚ましたか。

 ミィサは気にせずにゆっくりと脱力した歩みを進める。

 次の瞬間、彼女は総毛だった。

 身体の中の”モノ”が、危険を知らせてくる。

 彼女の小さな身体は巨大な影に飲み込まれるところだった。

 とっさに振り向くと、ヘラヘラと笑ったジークスパが、リヴォルバーを持って立っていた。

「……どういう……」

 ミィサは戸惑ったが、相手は余裕でスミス&ウェッソンのシリンダーに一本一本、弾丸を込めていた。    

「……ミィサ、おまえはイマジロイドの心臓を食べたことがあるか?」 

「あるわけ無い……それより、確かにあんたを……」

 ジークスパの額には、すでに弾痕はなくなっていた。

「心臓は良いぞ。電脳イマジロイドもイマジロイドも分け隔てなく、狙えば死ぬ。差別も何も無く死ぬ。イマジロイドの、死をこの手で実感出来るのは、圧倒的な支配欲を満たされる」

「いらないよ、そんなもの」

 即答したが、ジークスパの様子がおかしいことに気づいた。

 口調も普段より低く、軽く強弱の付け方に混乱がある。

 ミィサには、彼の身体に何が起こっているか、気づいていた。

 だが、認めたくはないという意識が、思考を止らせている。

 彼女は面倒になって、一気に決着を付けることにした。

 日本刀の柄に手を添えて、間合いに入る。

 抜き際、ジークスパの右手が拳銃を向けてきた。

 瞬速の早さで刀をその腕に振るう。

 リヴォルバーを握ったままの腕が、宙に舞った。

 ジークスパは、同時に飛びのいていた。

 痛みも驚きの反応を見せずに。

「……以前より動きのキレがよくなってるな。やっぱり」

 彼は切断された腕を他人事のようにひと目やっただけで、ミィサの動きを評した。

「ホラ、出てこいよ、おまえの出番だぞ!?」

 腕の切断面に呼びかける。

 すると、傷口は急に泡だったかのように肉塊があふれ出して、急激な早さで細長く伸び出した。

 その先端部分は乱杭歯が敷き詰められた小さな竜のような顎に変化し、ミィサをめがけて大きく口を開けていた。

 後ろに跳びながら、首を一刀で落とすが、そのあとからまた同じ顎が現れて、彼女に襲い掛かる。

 ミィサは、引くことをやめて、逆に斬りながらジークスパの本体に駆け込んでいく。

 ジークスパは、外科用のメスらしきモノをを左手に握った。

 ミィサが、袈裟斬りにしようと振り上げて下ろした刀は、握った左手の下から急に伸びた逆反りの刃に受け止められた。

 間髪を入れず強引に、ミィサは刃を交差させたまま滑られて、首を狙って突きを入れる。

 ジークスパは口を開けた。

 中から腕とおなような顎が現れて、刃に噛みつき、そのまま捻ると鋭い音が響いて、半ば付近から折った。

 ミィサはすぐに刀を棄てて、腰のパラペラム弾を装填させた自動拳銃両手に握る。

 左右に数発撃つと、肉塊の竜は、爆発したように身体を飛び散らせる。

 それでも、湧いて形を作り、尽きることは無かった。

 竜の身体から距離を取って、ジークスパの顔面を両手で狙った時だった。

 頭上から黒い影が飛び下りてきて、ジークスパの身体を頭から股まで、鉈のような長い刃物で、両断した。

 二つに裂かれたジークスパの身体は、そのまま路地に倒れ、肉塊の竜も同じように力なく路面に転がった。

「ミィサ! どうしておまえがここに!?」

 影が月に照らされて、黒いパーカーを着たロィープだとわかった。

「……にぃやん……」

 ミィサは明らかに自分の空気を張り詰めさせていた。

「こいつ、ジークスパとかいう殺人鬼でしょ? おまえが以前まで連んでいた」

「……別に。関係ないじゃん、にぃやんなんかに」

 返り血を浴びて身体を汚したミィサは彼と視線を合わせないようにしつつ、拳銃を腰にぶら下げたホルスターにしまった。

「ああ、にぃやん、そいつの血とかに触らない方が良いよ」

 聴いて、ロィープはジークスパの血だまりに浮かんだような死体から数歩離れた。

「おまえ、それにその右手は……?」

 電脳イマジロイドであるロィープは、ミィサの身体の変化に気づいていた。

 ミィサは素早く手を腰の裏に隠す。

「バイオ・パラノイドじゃないか! そんなモノを身体に入れたのか!?」

 ロィープの言うバイオ・パラノイドとは、イマジロイドの身体を乗っ取る寄生生命体で、中で体内で成長すれば、やがて成体として寄生主を破って羽化するものだった。

「大丈夫よ。ちゃんと、遺伝子から調合したから。下手にジークスパみたいにはならない」

「だからといって……」

「それよりも、にぃやんは電脳イマジロイドの殺人事件を追ってたんでしょ……解決したよ、よかったね……」

 何かの感情がない交ぜになった皮肉な響きを持つ言葉をミィサは放った。

「ミィサ、今はどこに住んでいるのさ? 戻って来いよ」

「何を今更!!」

 いきなりミィサの感情が爆発した。

「にぃやんは、あたしを棄てたじゃんか!」

「昔のことは謝る。けどアレは、電脳イマジロイドとして、おまえの安全を考えた末だったんだよ」

「うるさい! 棄てたんだ、にぃやんは!」

 ミィサは振り払うように叫ぶと、文字通り、路地を挟む壁を跳ねながら登りつつ、闇に消えた。

「……礼をいうよ、ジークスパ」        

 追うことも出来なかったロィープは、真っ二つになった死体につぶやいた。




 ミィサは集合増築住宅に遠回りで戻ると、お気に入りの金網の上に登り、置いてあったクッションをめがけ、そこで力を抜くと身体がうつ伏せに倒れるに任せた。

 意外と派手な衝撃にも耐えて、寝転がりながらガンベルトを外すと、適当に放り投げた。

 手探りで散らばった圧縮注射器を集めて、適当に手に取ると迷いなく首に打つ。

 しかし、何の実感も来ない。

 壁に投げつけて、次の注射器を再び打つ。

 すると今度は、確実に”またたび”の酔いが体中に浸透するように広がった。

 さらに、もう一本加えると、彼女は弛緩した笑いを上げた。

「にぃやん……なにが安全考えるだ! 勝手な……こといいやってー!」

 ゲラゲラ笑い転げている間に、叫ぶ。

 残されたものの気持ちも知らないで、安全とか笑わせる。

 ぶち込まれた遠い地区の孤児施設は決して悪いところではなかったが、敢えて彼女は孤立を貫き通した。指定の学校にも行かずに、刀の道場に通い詰めた。

 なにが安全か!

 彼女が欲しかったモノはそんなモノとはちがうのだ。

 何のために両親を手に掛けたかわからないではないか!

 いや、兄は彼女が両親を殺したからこそ、住んでいたところも変えて名前も変えて、自ら電脳処理を施し、罪を一人自分のせいに仕立て上げたのだろう。

 まったく、望みと違うのに!

 ロィープは考え違いをしている。

 ミィサは歯がゆかった。

 ヘラヘラと弛緩した表情のまま、金網を拳で叩く。

 痛みがまったく無い。

 フレールが麻痺させているらしい。

「こんな時によけなことしないでよ、フレール!」

 彼女は、何度も手を打ち付け続けた。

 やっと、床に立ってこちらを見つめている人物に気がついた。

 ベレー帽を被り、白いブラウスにサスペンダースカートをはいた、同年代ほどの小柄な少女だ。

「……お気づきですか? はじめまして。コミータと申します」

「ああー、お客さんかぁー。いらっしゃい、その辺にあるものは何でも勝手に使って良いよ。飲み物ならー、キッチンにあるし」

 以外としっかりした口調だった。ヨダレは垂らしたままだが。

「お構いなく」

 コミータは背筋を伸ばしてソファに座り、黙った。

 ミィサも、相手を興味深げに眺める。

 三重のロックを外してきたのは、ジークスパ以来だ。

「君、電脳?」

 ミィサは、無警戒に金網から突き出した両手の指を握って、短く訊いた。

「はい、スター・ユニオンからきました。今回は、我々を狙う犯罪者を処理してくれたということで、お礼に来ました」

「……さすがー、そこまでわかるんだね」

「サーチをかければ、ほぼわからないことはありません。心の中以外は」

 最後だけ、苦笑するような口調になった。

「でー、お礼は、別にいらないよ。アタシがやりたいことやっただけのことだし。本来のご用件の方はなんでしょうかー? 感覚能力拡張剤の話かな?」

「それは合法なので、別に構いません」

 チラリと、散乱した圧縮注射器に目をやってから、ミィサに戻す。

「しかし、使いすぎですね。ですが、仕方がないというところですか」

「なんで?」

「バイオ・パラノイドを飼っらっしゃるなら、平素の時はそれが一番の抜け道だとおもいます。寄生しているものにも効果はあるので」

「じゃあ、なにかなー?」   

「そのパイオ・パラノイドの件です。確実に、違法なうえに医者に見せた方がよろしいかと思いまして」

「べっつに、問題ないよー。言われたとおり、”またたび”で麻痺させてるし」

「可能性として、あなたが処理した殺人鬼にならないとも限らないのです。いわば、犯罪者予備軍。暴発手前のね」

「そうなったら、よろしくね? 出来れば、ヘッディリの部下でロィープって人が居るから、その人に頼んで」

「今はまだ大丈夫かもしれませんが、これ以上放っておくと、薬物の過剰摂取による意識混濁から、寄生体が乗っ取り出すでしょう。その前に、止めて起きたいのです」

 ミィサはゲラゲラ笑った。

「だかーら、ロィープに処理してもらって」

「その前に何とかしたいのです」

 コミータの口調はやや強くなった。

 鼻で嗤うミィサに、コミータは淡々と口を開く。

「あまり言いたくはないのですが、あなたがこのままでいるつもりでしたら、我々もそれなりの手段を執らざるを得ません」

 反応は、腹を抱えて足をばたつかせての爆笑だった。

「そう、やってみればー?」

 コミータは冷静な顔で彼女を眺め続け、深く息を吐いた。

「今日のところは、帰ります。考えておいてください。あなたは自分を大事にしなさすぎです」

「へーい」

 ニタニタとしつつ、ミィサはコミータの背を見送った。  




 ニュースでは、スター・ユニオンをヴィバロ・ファミリーが承認し、保護下に置いたことを伝えていた。

「……こんな時だけか」

 ヘッディリは醒めた表情でペーパー・ヴィジョンを眺めていた。

 父からの直接の連絡はない。

 というべきか、ファミリーを立ち上げると宣言した時以来、ない。

 ヘッディリの屈折した父への感情は、煽られれば煽られるほどに、ねじ曲がって行く。

 ロィープとユージエがやっとビアホールのトロェアに戻ってきた。

 二人は浮かない顔をしている。

「おいおい、どうした若者たちよ。未来を照らす光とは、君たちのことをいうんだぜ? そんな表情は似合わない。好きなモノ飲んでくれや」

 一変して陽気にヘッディリが顔を向けた。

 いつものカウンター席に腰掛けて、キューバ・リブレを飲んでいる。

「いや、コミータにミィサの状態に探りをいれてもらたんだけども」

 ユージエが答える。

 ロィープは無言で、カウンターに寄りかかると、タリスカーの十年ものウィスキーを、瓶でマスターに注文し、グラスと一緒に出てくる。

 乱暴に満杯まで注ぎ、半分ほど喉を焼けさながら飲み込んだ。

「バイオ・パラノイドの話をしたんだけど、病院とかは一蹴に近い態度で拒絶したらしいね」

 トロェアの店は、ヘッディリの部下達以外で、それなりに客が入って、賑わっていた。

 ロィープはそれらに物理的に背を向けていた。

「あー、なるほどねぇ」

 ヘッディリはチラリと横目でロィープを探り、うなづいた。

「スター・ユニオンには、こっちで処理するからって頼んできたけど、だからといって、放っておくのは、全てが問題なのよね」

「だろうな。どうするかは考えてないのか?」

「見たでしょ、考えなんてないよ」

 ユージエは顎でロィープをさす。

 ヘッディリは、バカルディを軽く一口飲んだ。

「……ロィープよぉ、ちょっと、向こうの個室にいかないか?」

「ああ……」

 二人は酒瓶とグラスをもって、トロェアの店にある、防音の他の客から隔離されるようになっている部屋に入った。

 ソファが向かい合って二つとテーブルしかない、狭い空間だった。

 それぞれに、反対方向に座ると、ヘッディリからグラスを掲げて乾杯してきた。

 喉を潤すように飲み、だんっ、とテーブルに置く。

 足を組んでソファにもたれる。

 ロィープは股を開いた足の間に、両手をぶら下げていた。

「俺もよぉ、親父に色々あるんだわぁ」

 ヘッディリは、ヴィバロ・ファミリーへの不満を口にする。

 幼少期、マフィアとは関係の無い環境に置かれ、一目置かれるどころか、いじめにあい、マフィア嫌いになったこと。

 やや成長してくると、父親がマフィアから関わりの無い待遇を彼に与えたことに、不満を持ち始めたこと。

 兎瞬では、マフィアではければ、上流階級に食い込めないこと。

 確実に父親は、自分の存在を敵視しないまでも、否定したいというのがわかったこと。

 等など、つらつらと語った。

「それでな俺は、将来、自力でマフィアのボスになってやると思ってたんだが、その時に現れたのが、おまえらさ」

「ボスになるって……?」

 ロィープは確認したくて訊いた。

「もちろん、ヴィバロに変わる組織のことだ」

 ロィープはうなづいた。

「タイミングが良かったんだね」

「ああ、ベストタイミングさ。こうして、おまえらに担がれた神輿のような存在も悪くない」

 皮肉にロィープは失笑した。

「ロィープよぉ、おまえは何でも自分で抱え込みすぎだ。自分だけで考え行動してしまう。

悪いとは言わんよ、おまえの性分だ。だがな、ここに拝んでもいい相手が居ることを忘れるな」

 意外に年上らしさを見せたヘッディリは、そう言うと、部屋から出て行った。

 一人残されたロィープは今度は苦笑しつつ、グラスの中身に一口つけた。

 ミィサを遠ざけた部分がどこか、ヘッディリの父親に被る。

 もっとも、事情は大きくことなるが。

 彼は家族で唯一、電脳イマジロイドだった。

 理由は、買われたからに過ぎない。

 まだ、下層民の電脳イマジロイドが市場で売られている時期だった。

 養父母は、ロィープを使って生活を上流イマジロイド民の生活になろうとしていたのだ。

 自然、本来の子供だったミィサへの関心が薄らいでいって、彼女は心を閉ざした。

 ロィープはやっと普通な? 家庭で生活出来たからか、年下のミィサを大事にして、積極的に遊び相手になって、家庭に溶け込もうとした。

 だが、そうすることによって、親がミィサに嫉妬に近い感情を抱き始める。

 察したロィープは、養父母よりもミィサを優先させた。

 養父母の怒りに、火がついた瞬間である。

 心を閉じていた分、周囲の雰囲気にミィサは敏感だった。

 父母がロィープの廃棄を計画していると感づいた彼女は、とうとう行動にでたのであった。

 思い出して、ロィープはやるせない気分になった。

 グラスに残ったウィスキーを一気飲みして、鼻を鳴らすと、部屋をでた。

 カウンター席では、ヘッディリがユージエに下ネタの話を続けて、彼女をうんざりさせているところだった。

「ヘッディリ、俺はおまえをヴィバロの代わりに兎瞬のトップに添えるつもりだよ」

 割り込むようにして、いきなりロィープが口をだした。

 ヘッディリは、微笑んだ。

「何を今更。会ったときからそうだと、思ってたよ」


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