彼は目を覚ました。
蒸気消毒された部屋。
そのベッドに彼は横たわっていた。
彼は思い出そうとする。
まずは名前を思い出そうとする。
「リタ…」
リタは名前を思い出した。
自分は今、タムではない。
錆色の町に突っ込んだとき、切り替わったのだ。
今はリタ。
そして、錆色の町には、今、雨恵の町からの意思が…
錆色の町の住人が戻ってきているはずだ。
リタは、跳ね起きた。
乱れた長髪がバサッとした。
スミノフに整えてもらいたい。
いつものように、整えてもらいたい。
ここは蒸気で長髪がべたつくのだと。
白のカットシャツ、カーキ色のジャケットと黒のパンツ。
いつものリタの格好を確認する。
そして、ジャケットの中には、壊れた時計。
緑色のジャケットではない。
今はタムではないから。
スミノフが来る気配はない。
リタは乱暴に髪をまとめると、部屋を出た。
蒸気光石が光っている廊下。
リタはスミノフの部屋の前に行く。
ノックしようとして、扉に金属の板が貼ってあることに気がつく。
「中央火球広場にいるよ」
リタはそう読み上げると、廊下を出た。
出た先は、サファイアの研究施設だ。
いつものように、濃い蒸気で霞がかっている。
「サファイアさん。いますか?」
リタは呼びかけた。
いつものように、人影を探す。
いるだろうか。
「リタかい?」
いつもの声がする。サファイアだ。
リタは、いつもの場所を探す。
なぜかいつも以上に蒸気が濃くて、周りがよく見えない。
「今、蒸気をコントロールするよ。大変なことになっているんだ」
「大変な?」
「とにかく、かけたまえ。…見えないかい?」
「今行きます」
リタは歩き、いつもの椅子を探し当てた。
その近くに、サファイアがいる。
長身の白衣、そして、青い義眼。
「火恵の民、住人を大掛かりにさらっていた。これは覚えているかい?」
「はい」
リタは答える。
「そのさらわれた住人たちが、今、一斉に帰ってきている。中央火球に集中しているんだ」
「集中」
「錆色の町は、中央火球の蒸気から、住人を精製するんだ」
「蒸気の中に、住人がいるんですね」
「そう、だから今、町役場あたりが大変なはずだ。あそこは冷やすことも整っているからね」
リタは少しほっとする。
そして、次の疑問を投げかける。
「サファイアさんは、さらわれなかったんですか?」
「私もスミノフも無事だった。しかし、スミノフは君が目覚める前に出て行ったよ」
「…そうですか」
リタはがっかりする。
スミノフに会えなかったことに。
あの黒い目を見れば、安心できる気がしていたから。
サファイアが咳払いをした。
「この大変な時だけどね。プロジェクト・リキッドが完成しつつあるんだ」
「あの、エーテルが?」
「そうだ」
サファイアはうなずいた。
いつものように、金属の板を手に取る。
「エーテルとは、世界をつなぐもの。他の世界をつなげているもの」
リタは覚えている。
雨恵の町の世界のことを。
置いてきてしまった女神。
独りぼっちでいる女神。
「エーテルは、世界をつなぐ意思と、世界をつなぐ柱で完成するんだ」
リタは顔を上げた。
聞いたことがある。
それは…
「世界をつなぐ意思には、別の世界の記憶が不可欠だ。その記憶は…」
サファイアが、ペンでリタを示す。
「リタ、君が持っているはずだ。そして、錆色の町の住人を導いたのも君だ」
リタはうなずく。
記憶がそう言っている。
羽ばたいて、意思を導いた。
「そして、世界の柱には、スミノフがなるはずだ。私の研究はそこで完成する」
「世界の柱…」
「もうすでに、別世界のスミノフたる存在は、一つの柱として機能しているはずだ」
「柱…」
「世界の支えとなる存在だ。きっと記憶にあるはずだ」
リタは覚えている。
太陽となって、独りぼっちの女神を。
「二つが機能して、錆色の町からのエーテルになる。つなぐんだ、全てを」
リタは考える。
「…スミノフは、そのことを知っているんですか?」
サファイアはうなずいた。
「スミノフは全てを知っていたよ。そして、柱となるため、中央火球広場に行った」
リタは拳を作った。
殴るためではない、苦しいのだ。
「見つけられるでしょうか…」
「何になろうとも、君なら見つけられるはずだ」
リタはうなずいた。
そして、乱暴に席を立つと、出入り口に向かっていった。