目覚ましが、やかましく鳴っている。
彼は布団からもぞもぞと片手を出すと、止めた。
「うーん…」
布団の中で無意味にうめくと、
彼、風間緑は身体を起こした。
いつものように寝巻きに着替え、
いつものように、布団に入っている。
いつものこととはいえ、いつの間に切り替わっているのやら。
緑は伸びをした。
そして、あたりを見回す。
緑の一番いい服がハンガーにかけられている。
「ああ…」
今日はデートの日だった。
緑は、妙に落ち着いて、その事実を受け止めた。
今だけかもしれない。
多分、その場になったらパニックになるのかも。
考えてもしょうがないし、
緑は布団から壊れた時計を取り出し、ゆっくり起きて、
カーテンを開いた。
曇り空。
ぼんやりと太陽が出ている。
ぼんやりした太陽は、何かを思い出させた。
窓も開く。
湿気の無い風が吹き込んでくる。
ゆったりと、ふわりと。
無口な風が。
「12時に駅前時計台」
緑は約束を反芻する。
ケイと、約束したのだ。
時間はまだある。
少しだけ、ぼんやりすることにした。
緑はいつもぼんやりしているが、それに輪をかけてぼんやりと。
雨が降らないといいなとか。
ケイはどんな格好してくるのかとか。
ぼんやりした太陽が懐かしいとか。
錆色の町はなんだか心惹かれるとか。
どこに行こう、とか。
彼女はどこにいるんだろう、とか。
徒然と考える。
シャボン玉を次々と作って、音もなくはじけてしまう感覚。
いくつも思い、いくつも霧散する。
緑は一つ、大きな思いのシャボン玉を作った。
世界が一つになるって、どんな感じだろう。
大きなシャボン玉の思いは、
大きくなりすぎて音もなくはじけた。
窓から風が入ってくる。
緑の短い髪が流れる。
一つになる世界、女神。
そんなことを考える。
断片的な記憶。
壊れた時計を手に持ち、記憶を辿る。
いくつも続いている世界。
小さな世界の記憶が、断片的に。
緑は、壊れた時計を投げることなど出来ない。
緑の考え方だが、もう、戻れないところに来ている。
なら、この断片の世界を一つにして、
不安がっていた彼女を安心させて、
そして緑は…
「どうなるんだろう」
日曜日の夜中から始まった、あの呼びかけから始まった。
続き夢のような記憶。
様々のことを見た。
様々のことを体験した。
扉をくぐれば異世界で、
眠れば世界が変わっていて、
不思議と思わず受け入れていて。
夢と割り切ればそこまで。
でも、夢だけにしたくなかった。
関わった人たちを幸せにしたいし、
何より、彼女を幸せにしたかった。
黒い目の彼女。
緑はそこまで考え、ため息をついた。
ケイの目も、きれいな黒い目だ。
思いだし、少し笑う。
黒い目も、彼女も含めて、
言葉にならない感情があることに気がつく。
泣く彼女、怒る彼女、笑う彼女、
思い出すたび、言葉にならない感情がさざなみ立つ。
守りたいとか、笑っていてほしいとか、穏やかであってほしいとか、
これらを全部ひっくるめた言葉があったはず。
窓から風が吹き込む。
無口な風。
彼女を思えばさざなみ立つ。
ぼんやりと凪いでいた緑の心が、
朝焼けの海のように、さざなみ立つ感覚。
「いとおしい」
緑は、ふ、と、言葉をつむいだ。
ああ、これだと思った。
いとおしいと思っているのだ。
彼女をいとおしいと思っているのだ。
緑は大きくため息をついた。
心があるべき形を持った気がした。
ぼんやりした緑の中、しっかりとしたもの。
これだけは譲れないもの。
緑は窓際で大きく伸びをした。
さぁ、シャワーを浴びて身支度を整えよう。
ランチの場所は道々考えよう。
行き当たりばったりでいいさ。
昼には彼女が待っている。
いとおしい彼女が楽しめますように。
計画はないけれど、これはこれでよしとした。
朝日はぼんやりと。
緑は支度を始めた。