「それから、子守唄ですけど…」
リタは話し出す。
「スミノフさんと同じ歌を、異世界で聞いています」
サファイアは、また、金属の板に何か記す。
蒸気の満ちるなか、それでも書けるらしいペンが走る。
「曲名は覚えているかい?」
「それが…ぜんぜん」
サファイアはスミノフにも視線らしきものを投げかける。
スミノフも首を横に振った。
「何か手がかりはあるかな、どんな思いをして歌ったとか」
リタは思い出す。
「守りたいという思いだけで、心から浮かんだ歌。そんなことを言っていた気がします」
「守りたい、何を」
「ええと…僕だそうです」
「異世界…この場合は、表側、裏側、どちらかね」
「裏側、雨恵の町です」
サファイアは、ペンでせわしなく何かを描く。
「裏側と狭間、同じ旋律」
サファイアは繰り返す。
スミノフが口を挟む。
「多分、同じ思いで歌ってる。守りたいと」
サファイアが顔を向ける。
スミノフはうなずく。
「リタほど鮮明じゃないけど、守りたいと思って、歌ってるよ。それから」
「それから?」
サファイアが促す。
「リタも歌っていなかったかな。いや、異世界だからリタじゃないかもしれないけど」
「僕でない僕が、歌を」
「歌というか…」
スミノフが言いよどむと、
リタは言葉を継ぎ足した。
「異国の旋律」
「そうそれ!」
頭に電球がついたように、スミノフは大声で肯定した。
リタは、うなずいた。
そして、サファイアに向き直る。
「これもまた、世界が一つになるということの一端でしょうか?」
サファイアは、少し考え、うなずく。
「これは裏側の世界のことだったね」
リタはうなずく。
「火恵の民が攻め入っている、雨恵の町」
リタはまた、うなずく。
「お互いを守りたいと。君たちはそう思っている」
サファイアは、金属の板にペンで何か記す。
「記憶はまだあるかい?」
リタはうなずき、話し出す。
「僕が守りたい人が、一つになった世界の、次の女神」
その一言で、サファイアは、納得したようだ。
何度もうなずく。
「エーテルになりつつあるね、つないでいるよ、世界を」
「そういうことなんですか?」
サファイアはペンでこつこつと金属の板を叩く。
「間違いない。リタは世界をつなぐ意思、そして…」
サファイアがペンで、スミノフを指差した。
「スミノフは、常にリタとともにある。リタを守りたく思う存在、そして…」
言葉を区切り、告げる。
「一つになった世界の、次の女神だ」
スミノフは、ぽかんとする。
が、次の瞬間、笑い出した。
黒い目が、おかしそうに笑っている。
「女神なんてガラじゃないよ。僕は僕。たまたまリタと一緒なだけだよ」
サファイアは、少し、困ったような顔をした。
「裏側の世界、雨恵の町の記憶はあるかい?」
「薄らぼんやり。守りたい人がいた、子守唄を歌った。そのくらい」
「女神という記憶は?」
「僕はさっぱりだ」
あっけらかんとスミノフは言う。
「僕は僕のやりたいようにやるさ。リタを守りたいと思うのも、ここにいるのも」
「そんなものか」
「そんなものだよ。だから、僕を次の女神になんてしないでほしいな」
リタはふと、大きなことが苦手な風を思い出す。
名前をつけた風。
風すすりと違う風。
スミノフは、あの風に少し似ている気がした。
リタは考える。
世界がつながろうとしている。
リタの意思と、このスミノフを柱として。
スミノフは、次の女神というのを否定する。
男勝り、好奇心の塊。黒い目。
女神でないと言い張るけれど、心のどこかでは、女神であってほしかった。
サファイアは、金属の板を一時置いた。
「記憶の共有が、リタに顕著になってきているね。裏側の世界で何かあったのかもしれないね」
「はい。裏側の世界から、ここまで、境界の蝶々に乗ってやってきました」
「なるほど…」
サファイアが、置かれた金属の板に、何か付け足す。
きゅっと蝶の印をつけた。
きっと、この金属の板は、サファイア以外には読み解けないだろうと思わせた。