名も無き風が舞う。
広げられた本たちは、ページを行ったり来たりする。
タムはつぶやく。
「火恵の民…」
どこかでも聞いた。
それは、多分演説をしていた。
それは、多分楽園を作らんとしていた。
それは、多分仕掛け人形に…
タムは頭を軽く振る。
どこの記憶だろう。
思いながら、瞬きを数度する。
どこだ、どこの…
タムの記憶はさまよう。
どこの記憶なのかを求めて。
「境界までなら、連れて行けますよ」
声がかかる。
エバだ。
「エリクシルの方が、記憶の末端を探してくれた。それを利用すれば、境界まで」
タムは軽く混乱している。
エバはうなずく。
「僕の記憶の末端と同調するイメージを持てた。きっと、何かの縁があるはずです」
タムはエバの目を見る。
茶色の目はまっすぐ見据えてくる。
そこに、混乱しているタムが映る。
タムは、目を閉じ、うなずいた。
「行こう」
タムは目を開く。
戸惑いはあるが、迷いはない。
「記憶の端端みたいなものが見える。その境界に行こう」
エバはうなずく。
「あなたの名は」
「アジアンタム。タムでいいよ」
「では、タム。イメージを同調させてください」
「わかった」
エバは周りを見渡す。
「少し旅をしてきます。僕は蝶となって」
イメージの同調は、そこから始まっているとタムは感じた。
ワイヤープランツ男爵がうなずく。
ベアーグラスがうなずく。
メイは、元気に手を振った。
エバはイメージの同調を続ける。
「ここは書斎、書斎は極彩色に彩られ、やがて蝶の羽の色となる」
タムはイメージする。
エバの背に、極彩色の書斎が羽となって圧縮される。
「僕は蝶。境界の蝶々。タムは小さな存在、蝶々に乗れるほど小さな存在」
エバの持っていた絵本から、蝶々が飛び出す。
何匹も何匹も。
その蝶々は、どんどん数を増す。
無数の蝶に巻き込まれ、タムは自分の姿を見失う。
「小さなタム。僕の背にお乗り」
蝶々は、どこかへと飛び去り、そこは真っ暗の空間になった。
空間に、極彩色の蝶が大きく一匹。
タムはためらいなく、蝶の背に乗った。
想像力が羽ばたく。
境界の蝶々は、ほの暗い錆色を目指す。
タムはそこを知っている気がした。
真ん中に大きな球がある。
掲示板には、金属の板が貼られている。
演説をしている人がいるんだ。
ここは、町だ。
錆色の町。
音は聞こえない。
ただ、イメージだけが伝わってくる。
蒸気。
熱。
火。
金属製の管。
金属製の門。
「火恵の民はここから来ている」
タムはつぶやいた。
そして思う。
自分はここにいた、と。
どんな姿だったかは思い出せない。
それでも、ここにいた。
「誰かの背中を追っていた」
「それは君のイメージ?」
境界の蝶々が問いかける。
「この町で誰かの背中を追っていた」
「そこまでは、イメージを共有できない。僕は境界までだから」
タムはそれを残念だと思った。
見つけなければいけないのに。
そう思った。
「次のイメージに…」
境界の蝶々が言いかけると、
不意に、落下する感覚。
誰かの手が蝶々にかかる感覚。
熱い手だ、いけない、蝶々が燃えてしまう。
「だめだ!境界に割り込んできたやつがいる!」
蝶々は叫ぶ。
タムはとっさに叫んだ。
「イメージするんだ!ここは書斎、みんながいる!」
言葉は想像、そして、イメージ、現実へと道を作る。
境界の蝶々は、エバになる。
タムは、エバの目を覗き込んでいた。
エバは絵本を抱きしめたまま、荒い呼吸をついている。
タムの呼吸も荒い。
二人はほぼ同時に、へたり込んだ。
大きく、ため息をついた。
「誰だ…?」
「タムさんなら、見当ついているでしょう」
「火恵の民…」
「熱い手で、握りつぶさんとしていました」
「エバ、君が狙われ…」
「違います」
エバはきっぱりと言った。
「別世界の記憶を持つ、タムさんが狙われると思うのです」
「僕が…狙われる?」
タムは呆然とつぶやいた。