やかましい目覚ましの音がする。
彼は布団から片手を出すと、もぞもぞとあたりを探り、
器用に片手で目覚まし時計を止めた。
「んー…」
もぞもぞと布団にもぐりこむ。
居心地がいい。
部屋はほのかに明るくなってきている。
彼はもう一度もぞもぞとすると、
布団から半身を起こした。
彼、緑は、大あくびをする。
目覚ましを止めてから、それほどしていない。
カーテンを開ける。
今日もいい天気だ。
布団を干してもいいかもしれない。
緑は大きく伸びをした。
今日はバイトがお休みのシフト。
それから、大学で食堂会議。
ケイとだ。
曜日感覚がめちゃめちゃになってきたような気がする。
いろいろな夢を見たというか…
いろいろな経験がごちゃごちゃしている感じだ。
緑は一つ一つ確認する。
まず、最初は日曜日。
日曜の夜から、真夜中以降の記憶がおかしい。
月曜日に陽子のテニス。
火曜日にお茶の殻博士の講義。ケイに会う。
水曜日に『世界の名酒事典』を借りる。
木曜日に『世界の名酒事典』で、父親の酒を探す。
ざっとこんなところか。
「あーあ」
今日は金曜日。
土日の大学の講義は取っていない。
緑は、布団の中を探る。
壊れた時計を見つける。
記憶は少しだけ。おぼろげに。
いろんな世界を見たような気もするし、
そこでいろいろ経験したかもしれない。
それでも記憶はどこか朧で、
明確に思い出せるものは少ない。
「置いてきちゃったのかな」
眠りとともにあったであろう、世界。
その世界に記憶をおいてきてしまったのだろうか。
緑はシャワーを浴びる。
着替え、適当に朝ごはんを食べる。
智樹はすでに出勤している。
陽子は庭で洗濯物を干している。
鼻歌すら聞こえそうだ。
「どうしようかな」
緑はぼんやり考えた。
ケイは、今日で食堂会議を終わらせるわけではないだろう。
来週の約束も取り付けたほうがいいだろうか。
それから、『世界の名酒事典』もあまり長くは借りていられないな。
『世界の名酒事典』と、ケイの機転で、
裏側の世界で…ええと…
緑は思い出そうとする。
銃弾。噛み砕く。
頭の中で、単語が明滅する。
緑の意識はそれを捕まえる。
そう、裏側の世界で銃弾を噛み砕いた。
それはスミノフとオレンジ。
よしよし思い出せた。
緑は、壊れた時計を確認する。
つながっている。
大丈夫。
裏側の世界ほど、すごい力を使えるわけじゃない。
それでも、この壊れた時計でつながっている。
緑は食器を片付けて、一息ついた。
表、裏、狭間。
壊れた時計の刻みが、単語を思い出させる。
つながれつながれ。
それでもまだどこか、つながらない。
何かきっかけがないと、全部の記憶は思い出せないらしい。
「とりあえず、昼までに大学行かないと」
緑はコーヒーを入れた。
なんとなく、アラビカという豆からなのかが気になった。
気になったが、インスタントコーヒーではよくわからなかった。
バスに乗り、大学前まで。
太陽はまぶしい。
光源はぼんやりしていないし、
太陽もぼんやりとしていない。
大学のキャンパスまで歩き、
ロッカーから、『世界の名酒事典』をとりだす。
食堂で暇つぶし。
ワインの多さにうんざりしてみたり、
リキュールのカラフルさに目を白黒させたり。
緑は成年だが、酒を飲む習慣も煙草をたしなむ習慣もない。
まぁ、見ているだけでいいかとも思う。
相変わらず、並べられても見分けはつかないが、
並んでいるだけでも楽しい。
緑は、ウォッカの項目をめくる。
「スミノフ」
スミノフでも、いくつか種類があるようだ。
緑は、本に書かれていない、スミノフを思い返す。
裏側の世界で噛み砕いたスミノフ。
狭間で先を走るスミノフ。
そして、一つ、思い出す。
見つけなくちゃ。
あてなんてない。
でも、それだけ、緑の中に刻まれた。
食堂の時計はそろそろ昼近く。
まもなくケイも来るだろう。