キカクがスミノフの頭をぽんぽんと叩く。
スミノフはまた、不満げな表情に戻る。
「女の子が、男みたいになるものじゃないぞ」
「いいじゃないか、僕は僕だもん」
「せっかくかわいいんだ」
「ふんだ、オヤジに何がわかるんだよ」
「必死になって気を引こうとしているのは、わかるがな」
キカクは何気なく言ったらしい。
スミノフは、きょとんとする。
「アリーゼ、もう一風」
「はい」
アリーゼが器に風を吹かせる。
風鉱石に風が宿る音がする。
「無理せず、あるがままが一番さ」
キカクはつぶやく。
「無理してないもん…」
スミノフは、それを自分に向けてと取ったらしい。
それにしては、覇気なく答えた。
キカクの前に、風を宿した器が置かれる。
キカクは、スミノフの頭を、また、ぽんぽんと叩いた。
「無理ない程度に磨けばきれいになるさ」
「磨いて誰に見せるんだよ」
「この坊やに」
キカクは、リタを示す。
「へ?」
リタは、間抜けな声をあげる。
スミノフは、また、不機嫌になった。
「リタになんか、普通の格好でいいんだ」
キカクは、笑った。
「思い出したら磨いてみろ。きれいになれるのを特権とばかりにな」
「ふん」
スミノフは、不機嫌に鼻を鳴らす。
「僕は変わらないからね!」
噛み付くように、スミノフは怒鳴った。
キカクはまた、風をすすった。
どこ吹く風といった具合に。
スミノフは、カウンター席を下りた。
「帰る」
振り向かずにそう言うと、早足で店を出て行った。
ベルの残響音が聞こえる。
リタは、呆然とした。
キカクが、リタの頭をぽんぽんとたたく。
「追ってやれよ。待ってるだろうからさ」
「はい」
リタもよくわからないまま、スミノフを追った。
店の扉を開け、出て、閉める。
黒銅の通りの蒸気を深呼吸する。
ただ、なんとなくだけど思うのは、
スミノフがきれいになったら、それはきれいだろうなということ。
服装などに気合を入れたら、きっと、もっと…
もっと、なんだろう。
リタはそこで行き詰ってしまう。
立ち止まる。
そして、首を振って、勝手にうなずくと、走り出す。
スミノフに会わなくちゃ。
今は、それだけ。
リタは走る。
黒銅の門の通りを、中央火球広場に向けて。
帰るということは、黄銅の門から研究所に行っただろうか。
道は忘れていないが、置いていかないでほしいとは思った。
どこにいるだろう。
君はこの世界のどこにいるだろう。
ふっと、そんな考えがよぎった。
この世界の?
錆色の町じゃなくて?
足が止まりそうになる。
考えを始めると、没頭してしまう。
足を止めて、上を見た。
うっすらと光源が見える。
あちこちの蒸気でけぶっている。
クロックワークの狭間。
そして、表側の世界と、裏側の世界。
君はこの世界のどこにいるだろう。
急に、スミノフに会いたくなった。
身体が水を求めるように、
心が彼女を求めている。
黒い目の彼女。
また歌ってよ、鼻歌でもいい、あの歌を。
記憶にある、あの歌を…
あの歌…が、聞こえる。
黒銅の門に背を預けて、
すねたようにスミノフがいる。
歌に導かれるように、スミノフに歩み寄る。
スミノフは、歌をやめた。
いつものスミノフだ。
化粧っけもそっけもない。
「スミノフ」
リタは恐る恐る声をかけた。
「…もし」
スミノフは、小さな声で話し出す。
やっぱりどこか、すねている。
「どこかの世界で出会えたら、そのときは気合入れておしゃれしてみるよ」
「スミノフはスミノフだよ」
「だから、スミノフじゃないところで、僕は変わる」
「あの…」
「だから、その僕を見つけてよ。きっと、すごくおしゃれに気合入れてると思う」
「スミノフは…」
「僕は僕だよ。変わらないさ」
スミノフは微笑んだ。
化粧とか、おしゃれとか関係なく。
彼は彼女を美しいと思った。