二人っきりのような時間の中。
タムの肩口に顔をうずめていたベアーグラスが、顔を上げた。
「来たのはね、アイビーに頼まれて」
「アイビーさんに?」
ベアーグラスがうなずく。
「子守唄を歌ってあげてって」
タムは、眉間にしわを寄せてみた。
「そんなに子どもじゃないのに」
ベアーグラスは微笑んだ。
「酒精術を使うと、気分が高ぶっちゃうこともあるんですって。だから」
タムとベアーグラスは、至近距離で見詰め合う。
意識しないわけではない。
でも、恋とか愛とか、そういう言葉にするには幼すぎる。
ベアーグラスが、ふっとタムの手を解く。
「よいこは早寝」
いつものワンピースを翻して。
いつもの白い髪をふわりと舞わせて。
黒い目が笑った。
タムは素直に、きれいだと思った。
タムは、ベッドサイドに腰掛ける。
「ちゃんと中にもぐるの」
ベアーグラスから、だめだしされた。
タムはしぶしぶ靴を脱いで、ベッドにもぐりこんだ。
そんなタムのベッドの端っこに、ベアーグラスが腰掛ける。
そのとき、タムははっと気がつく。
「待って!」
タムはばね仕掛けのように起き上がる。
ベアーグラスがびっくりして立ち上がる。
「あ…ごめん」
「なに?」
「あ…扉おろしとかないと」
タムは天井を示す。
収納された、緑の部屋への扉。
「すぐやる!まってて!」
タムは、とにかく新設の歯車を回した。
ぎいこぎいこ。
重い音を立てて、扉がつるされて下りてくる。
部屋の中に、扉がぶら下がっている。
段差は問題ない程度までおろした。
タムは、ふぅとため息ついた。
そして、ばたばたっとベッドにもぐりこんだ。
「ごめん、またせて」
ベアーグラスは一連のタムの行動を見ていた。
そして再び、ベッドサイドに座り、肩を震わせて…笑った。
「笑うことないじゃないか」
「なんだかね、律儀で無邪気で、いいなって」
「それより、子守唄」
「そうね」
タムは、ベッドのシーツから、顔だけ出している。
ベアーグラスは、タムの髪をなでた。
さらりと音がする。
部屋は少し暗くなってきている。
治療屋に行く間に、ずいぶん時間を食ったらしい。
夜がくる。
ベアーグラスが、どこか異国の旋律を歌いだす。
静かに、流れるように。
タムの髪をなでながら。
ベアーグラスの壊れた時計を感じる気がした。
旋律とともに、壊れた時計の刻み。
自分のものか、ベアーグラスのものか。
タムはわからなかった。
ただ、それはとても心地よく、
二人の時間を包んでいく。
異国の旋律が震える。
美しい調べ。
言葉はわからない。
ただ、その旋律は、何かを包み込むような、
大事に大事に…
子どもを守るような…
ああ、だから子守唄なんだね、ベアーグラス…
タムは、そう言おうとした。
ベアーグラスの髪をなでる感覚。
タムを守る歌。
タムは心地よいまどろみに落ちていった。
落ちていく感覚。
ベアーグラスも、タムの部屋も、エリクシルのアジトも、雨恵の町も遠ざかる。
落ちていくのに包まれているような。
優しく髪をなでられる感覚。
ベアーグラスの壊れた時計の刻みを、近くに感じたときのように、
タムは、自分を包んでいる、刻みを感じている。
ベアーグラスがそばにいてくれているのかもしれない。
あるいは、違う刻みかもしれない。
タムはタムであり、壊れた時計を感じている。
生真面目な刻み。
好き勝手な長針短針秒針。
時計仕掛けが、ある一点に集まるようにして…
落ちていく感覚は、どこかを目指している。
もうすぐ切り替わる。
そんな感覚。
刻みの中にいて、
その中で切り替わる。
クロックワークの狭間。
彼は切り替わる。
蒸気消毒のにおいがして、
リタは目を覚ました。
そばに誰もいないことが、物寂しかった。