よどみ返しで湿った庭石を歩く。
タムはベアーグラスの手を取った。
少し、震えている。
カビなどが怖いのかもしれない。
タムは乾いたことがない。
記憶をグラスルーツに残すなんて真似はできない。
それでも、ベアーグラスはそれをやってのけ、
また、エリクシルでやっていこうとしている。
乾く直前の記憶もあるのだろうか。
カビにやられ、害虫になすがままになっていた記憶も。
タムは、ぎゅっとベアーグラスの手を握った。
約束したから、ベアーグラスはここにいる。
タムはそんな気がした。
もう、ベアーグラスに怖い思いはさせたくなかった。
まもなく、二人は入り口を見つけた。
ベルのついた黒い扉だ。
タムはそっと、扉を開けた。
甘い匂いがした。
構わず扉を開けた。
からんころん。
ベルは乾いた音を立てた。
二人は扉の中に滑り込んだ。
中はほの暗い。
ぼんやりした太陽の明かりが、小さな天窓から入ってくる。
なんとなく、全体的に霧の中にいるような印象がある。
そして、甘い匂い。
奥は見えない。
天窓が丁度中心にあり、差し込む光で奥が見えない。
奥は暗いのだろうか。
タムが歩き出そうとしたとき、
奥から人影が現れた。
細い人影だ。
魔術師のような緑色のローブを着ていて、頭は出している。
顔や髪からは、きちんと整えられた印象を持った。
「申し訳ございません、フユシラズ様はただいま臥せっておりまして…」
「あなたは?」
「私はコーヒー・アラビカといいます。フユシラズ様の予言見習いです」
「僕らはエリクシルから来ました」
「エリクシルから?」
アラビカが怪訝そうな顔をした。
奥から、しゃがれた女性の声がした。
「いらっしゃい。風がようやく運んでくれたのね」
「フユシラズ様、お身体に障ります」
「花術とは、種を残すこと、私は予言を残すこと…」
奥の声は、続ける。
「奥へ、あなたたちに会いたかった」
タムとベアーグラスは、奥へと歩く。
中央の天窓の明かりを越えると、
奥の人影が見えてくる。
後ろから、アラビカがついてくる。
ほの暗い奥には、ゆったりした紫色のソファーがあった。
そこに、黄色のローブ、黄色の髪、そして肌は灰色に見える老婆がいた。
周りには、黒いかけらがいくつもある。
そんな風に見える。
老婆は微笑んだ。
「私がフユシラズです。はじめまして」
「はじめまして、タムといいます」
「ベアーグラスです」
自己紹介すると、フユシラズは軽くむせた。
ベアーグラスが過敏に反応する。
「わかっているのね…エリクシルのお嬢さん」
「カビ…」
ベアーグラスは、そう言った。
「私は灰色のカビにやられています。あなたたちは大丈夫、強いから…」
フユシラズは、こほこほとむせた。
アラビカが駆け寄り、背中を軽く叩く。
ベアーグラスは、タムの後ろに隠れた。
「命の匂いでがんばっていますけれど…そろそろ、限界がきたみたいです」
「命の匂い?」
タムは、匂いを吸い込んだ。
甘い匂いとしかわからない。
「乾きの治療院でも時々だけど使ってた。外からの消毒ね」
ベアーグラスが記憶を頼りに説明する。
フユシラズがうなずいた。
「よどみ返しの水の力で、私は様々の予言を種として残しました…」
フユシラズは遠い目をする。
「今、私は、おおよその命の力を削り、朽ちて腐っていこうとしています…」
アラビカが何か声をかけようとした。
フユシラズはそれを制した。
「種を残せば朽ちる。花術を使うもののさだめ」
フユシラズはアラビカの目を見た。
「あなたはまだ朽ちないでほしい。もうしばらく、学んでから花術を使って」
アラビカはこくりとうなずいた。
「私が朽ちれば、私の予言が一斉に目覚めます…」
「それは、どういうことですか、フユシラズ様」
「よどみ返しの水が、予言に力を与えます…ひとつの命がなくなり、つながっていくのです」
フユシラズはため息をついた。
「命は連鎖していく。予言も連鎖させる…その生き証人になってほしいのです」
フユシラズがそう、言い終えたとき。
天井が壊れた音がした。