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19.別れ


 その日から、アレク兄上に外出禁止を命じられた。


 俺の部屋の周りには四六時中見張りが付き、誰も兄上の命令には逆らえない。

 そもそも見逃してもらったら、怒られるのは使用人たちだ。大人しくしているほかない。


 机に置いたままだった、ノアに貰った誕生日プレゼントが目に留まる。その紺色の箱を開けると、白い台座に宝物のようにペンが埋め込まれていた。


 そっと手に取ると、どうやらガラスのようだ。捻じれたガラスのペンの中に、紫のインクが模様のように線を描いている。


 俺の様子を見に来たリュシアン兄さんに聞くと、これは魔法使いのガラス職人が作ったものらしい。


「そのインクには魔力が込められていて、永久的に使えるそうだよ。都の方で、贈り物として流行っているようだね」


 インクが内蔵しているペンがほしいと思っていたが、既にあったなんて。しかも永久的とは、魔法があるこの世界にしか存在しないだろう。


 インクをぶちまけた俺のぼやきを、ノアは覚えていたのか。

 ガラスペンを掲げると、シャンデリアの明かりに照らされて宝石のようにキラキラと光が散らばった。


 それをぼんやりと眺めている姿に、兄さんが慰めずにはいられなくなったようだ。


「フレディ、私からももう1度兄上に話をしてみる。きっとわかってくれるよ。君にとって、どれだけノアくんがかけがえのない存在か。だからもう少し辛抱してくれるかい」

「うん……」


 キレイな言い方をしてくれたが、結局は推しと太客だ。兄上が理解してくれるとは思えない。

 それに、兄さんだって暇じゃないはずだ。俺のことばかりに構ってはいられないだろう。


 ガラスペンを台座にはめ込むと、台座と箱の隙間に紙が挟まっているのに気づいた。

 抜き取ってみると『お誕生日おめでとうございます』の文字が。ノアからのバースデーカードだ。


『フレディとの思い出になればと思い選びました。お気に召していただければ幸いです』


 思わず顔がほころぶ。これを買いに1人で都まで出向いたのだろうか。

 ガラスペンが並ぶショーケースの前で、俺を思い浮かべながら選んでくれたのだと思うとニヤけてくる。


 一瞬思い悩んでいたことを忘れかけたが、その後に続く文章に嫌な予感がよぎる。


『フレディとの日々を、けして忘れることはないでしょう。いつの日かまた、夢で逢えることを願って』


 まるで別れの手紙じゃないか。

 もしかして、近いうちにこの街を出るつもりじゃ。


 俺が会いに行くまで待っていてくれるのか……いや、そんな義理はない。ノアはこの手紙で終わりにしたつもりなのかもしれない。


 でももう1度、もう1度だけでいいからノアに会いたい。

 あいつの顔を見て、声を聞きたい。


 それから、リュシアン兄さんは何度もアレク兄上に話をしに言ってくれたらしい。

 兄上は聞く耳を持たなかったようだが。


 気を紛らわすため、ノアに貰ったガラスペンで歌詞を書き起こしていく。

 ガラスペンは細く冷たく、強くペン先を押し付けたら割れてしまいそうだ。そっと紙に滑らすと、紫の波を作る。繊細なその線は、ノアの髪を思い出した。


 吟遊詩人として過酷な旅をしてきたのだからそんなヤワじゃないだろうが、時たま見せる複雑な表情は触れたら壊れてしまいそうに見えた。


 慎重に歌詞を書き写す。誕生日に初めて聞かせてくれたあの歌。

 1回しか聞けていないからうろ覚えだ。また今度聞けたら……また今度があるんだろうか。


 ペンを置き、今まで書き連ねた歌詞の書かれた紙を捲っていく。ノアの歌声を脳内再生しようとするが、何故だか上手くいかない


 いつもだったら頭の中に響くノアの歌声に聞き惚れることができたのに、今は何も聞こえない。ますますノアの声が聞きたくなっただけだ。


 でもこの状態じゃ、いつ外に出られるのかわからない。こうしているうちにもノアは旅立ってしまうかもしれないのに。


 散々悩んだ末、意を決して部屋を出た。見張りをしていた執事が驚いて止めに来たが「兄上に話がある」と言うと、話を取り次ぎに行ってくれた。


 随分待たされてから許可が下り、兄上の部屋の前に行く。

 聳え立つ大きな扉はラスボスのステージに入る前のようで、身が竦む。が、怖気づいている場合じゃない。


「アレク兄上、フレデリックです」


 返事はないが、中にいる気配はする。

 呼吸をひとつして、扉に手を掛けた。重い扉が開かれる。


 重厚なアンティークの机の奥で、背もたれの高い椅子に座っている兄上は本当にラスボスのようだ。

 ここは元々父上が使っていた部屋だが、兄上が主になってから空気が重々しい。


 兄上は何やら分厚い本が積み上がった机で何か書き物をしているようだ。

 俺が入ってきたことに気づいているに決まっているが、顔を上げない。


 胸元を握りしめると、ごくりと喉が鳴った。


「兄上、俺の話を聞いてください」


 眉一つ動かさず、羽ペンを書類に走らせている。

 また無視だ。しかし、出て行けと言われないのだから話してもいいんだろう。


「この前は、勝手なことをして悪かったと思ってる。でも俺が引きこもりを脱却し、こうして変われたのはあの吟遊詩人の……ノアのお陰なんだ。俺は彼に出会って励まされ応援したくて、その気持ちで立ち直れた。何もしていないのに家の金だけ使ってパトロン気取りなんて、恥ずべきことには変わりない。けど、貴族の遊びじゃなくて本気であいつを支援したい。だから……」

「ならば、騎士団に入れ」


 ようやく答えた兄上は、ペンを置いて俺を見た。


「部屋から出て、見た目を整えれば立ち直ったと言えるのか。お前の性根は叩き直してやる必要がある。屋敷にいてはリュシアンやノーマンたちがお前を甘やかすからな。騎士団に入って、今度こそ騎士の称号を胸に帰ってくることができれば、その後は好きにしろ」

「でも俺は」

「遊び歩く元気はあるというのに、貴族の訓練程度もできないというのか?」


 貴族の子息は成人までの数年間、修行として王国騎士団に入ることになっている。

 とはいえ、一般からの騎士志望とは違い貴族は嗜み程度の訓練しか課せられない。それでも俺は半年も持たず、団長に匙を投げられた。


 家に戻った俺は兄上に殴られ、屋敷から追い出された。最終的に、兄さんが間に入ってくれたお蔭でなんとかなったが。

 あの日々にまた戻るなんて絶対に嫌だ。でも承諾すれば、この外出禁止は解かれるかもしれない。


 最後に一度だけノアに会える。その為だったら、なんだってできる。


「わかりました。騎士団には入団するから、それまでの間は外出を許可してほしい」


 絞り出した言葉に、兄上が鼻で笑う。


「あれほど嫌がっていたのに、あの旅芸人風情に会うためならば何でもするということか。そこまで入れ上げているとは、ここまで世間知らずにしてしまったのは私にも責任があるな」


 兄上が立ち上がって、俺の前にやって来る。迫りくる兄上の陰に飲み込まれ、背中がゾクリと震えた。


「旅芸人が本当に芸だけをやっていると思っているのか。ああいう下賤の者は裏で……」

「知ってる! そんなこと」


 俺の答えに、兄上の目が僅かに見開かれた。


「あいつが裏で何をしているか知ってる。でもそれは、せざるを得ない事情があったからだ。そうさせない為にも、俺が」

「見上げた根性だな。自分のこともままならない奴が、下賤の民を救うつもりか」


 兄上の言ってることは正論で、俺に言い返す権利はない。

 けど、ノアのことは別だ。その蔑んだ目は俺を通して、ノアに向けられている。


 なんとか腹の奥に抑え込んでいた感情が、ふつふつと煮えたぎってくる。


「兄上、俺のことはいいけどノアのことを下賤だとか、旅芸人風情なんて言うのはやめてください。あいつの歌を聞いたこともないのに」


 兄上の眉尻がぴくりと吊り上がった。


「貴族としての義務と言うのは、社会の模範となり、社会的に弱いものを助けることなんじゃないのか。そんな風に職業で人を差別して、それが兄上の言う貴族としての義務なのか。騎士団に入って訓練をして、後はふんぞり返って弱い人たちを見下すのが貴族だって言うのかよ」

「フレデリック!」


 飛んできた拳を前に、また妙な感覚が俺の中から湧き上がってきた。

 それは兄上の拳をはじき返す。何事かと思った兄上が目を見開いて息を飲んだ。


「お前、魔法を……」


 頭に血がのぼってる俺は、これが魔法かどうかなんてどうでもよかった。


「俺は爵位なんていらない。貴族なんてこっちから願い下げだ」


 掴んだ拳を押し返し、兄上に一礼した。そして、蹴破るように扉を開けた。

 見張りの執事たちが狼狽えていたが「勝手にさせろ!」と怒号が飛ばされる。


 俺は本気だ。二度と貴族になんて戻ってやるものか。


 屋敷を出て、ノアの暮らす宿に乗り込んだ。

 豪勢なホテルではないが、雨漏りも隙間風もない、ベッドもが軋むこともない。


 宿の主人からノアがまだ滞在していると聞き、階段を上がって行く。


 階段の中ほどで、爪弾く優しい音色が聞こえた。

 張り詰めていた精神が一瞬和らいだ。途端に泣きそうになる。


 なんだこの涙は。今更兄上に反抗したことへの反動か。女々しく泣いてる場合じゃないだろ。


「ノア!」


 ドアを開けた瞬間、竪琴の音が止まった。


 椅子に腰かけ竪琴を弾いていたノアが、こちらを振り向く。面食らっているようだったが、すぐに穏やかな表情を作り直した。


「どうしました、突然。あなたがこの部屋に来るのは初めてですね。おかげさまで、良い暮らしをさせてもらって――」

「お前、いつここを出るつもりだ?」


 問い詰めるようにそう言うと、ノアは言いにくそうに視線を落とした。


「……明日にでもと、考えていました」

「だったら、俺も行く」


 ずっと考えてはいたことだ。迷いをようやく断ち切れた。


「俺はノアのパトロンを続けたい。この街を離れたら終わりなんて嫌だ。だから」

「やめておきなさい」


 静かに、きっぱりとそう言われた。

 まぬけにも断られる可能性が頭から抜け落ちていて、その言葉を飲み込めなかった。


「僕の旅は旅行じゃない。箱入り息子のあなたには酷なものになります」

「俺は今さっき爵位を捨ててきた。もう貴族でも何でもない。それに、俺はどんなものでも食べられるし、どこでも寝れる。こう見えて意外と逞しいんだ」


 前世の話だが。そうは言えないのがもどかしい。

 ノアは眉間にしわを寄せ、首を振った。


「なんでだよ! 俺は……俺はノアと一緒にいたいって……」

「違いますね」


 縋りついた言葉さえ、すぐさま否定される。


「あなたは本気で僕と一緒に行きたいわけじゃない。大方、兄上様とケンカでもしたのでしょう。だから家出のつもりで僕についてこようとしている」

「違う! 俺は」

「それに、爵位を捨てればあなたが自由に使える金はない。どうやって僕のパトロンをするのです?」


 息が詰まった。


 ノアのパトロンをやれていたのは、家から小遣いを貰っていたからだ。それがなくなれば俺はただのニート。働いたとしても、今までのような額には到底届かないだろう。


 ノアを雨漏りしない宿に泊めてやることも、一流のレストランで食わせてやることもできない。

 そんな俺に、一体何の価値があるって言うんだ。


 竪琴を置いて立ち上がると、ノアが俺に背を向けた。


「フレディ。今までのことは、本当に感謝しています」


 少し前の俺なら、ノアに名前を呼ばれただけで舞い上がっていた。

 でも今は胸の奥が冷えていく。ノアの細い背中がやけに遠くに感じてしまう。


 ……何を勘違いしていたんだろう。最初からそうだったじゃないか。

 俺はただのオタクで、ノアは推し。手の届く相手じゃなかった。


 手が届く相手だと、仲間だと、友人だと、そう勘違いさせてくれていただけだったのに。


 楽しい夢を見せてくれて、俺こそ礼を言うべきなんだろうか。

 でもその背中に、呟くことしかできなかった。


「さよなら、ノア」


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