あれから数日。
ノアを別の宿に強制移動させると、食事もまともに食べてくれるようになった。
あの男や他の太客から襲われることもなく、ようやくひと安心だ。
引き続き、ノアは広場やカフェなどで歌い続けている。
今日は久しぶりの雨。たまには休みにすることになった。
暇になった俺は、自室のソファに寝転んでリュシアン兄さんから借りた本を読む。
ラノベに比べれば文体は硬いが、魔法使いや精霊が出てくるファンタジーはとっつきやすい。
こっちの世界に魔法使いは実在するからか、なんとなく描写がリアルな気がする。とはいえ結構レアな存在だから、本物の魔法使いを見たことはないが。
吟遊詩人が出てくる話もあった。
この世の者とは思えない儚く美しい姿と声を持っていると書かれている。挿絵はないが、どれだけ美しくてもノアには敵わないだろう。
前の世界で例えるならば児童文学のような本の数々。おもしろかったが、これを兄さんが読んでいるなんて。結構かわいいところがあるんだな。
確かに、これがアレク兄上に見つかったら確実に捨てられる。
――と、部屋がノックされた。
本から目を離さず「どうぞー」と返事をすると、扉が開いた。
「おや、それは私が貸した本だね。おもしろいかい?」
その声に慌てて飛び起きた。
目の前には、優しく微笑むリュシアン兄さんが。
「兄さん! 来てたのかよ!」
「ああ、フレディの顔を見たくなってね」
一緒に食事をした日から、兄さんは今まで以上に屋敷に戻って来るようになった。
同じ屋敷に住んでるはずの兄上より、よっぽど帰って来る。兄上の場合は、帰って来たら俺が逃げてるから余計に会わないんだが。
「俺が言うことじゃないけど、仕事は大丈夫なのか?」
「平気だよ。時間なんて、作ればいくらでもあるからね」
けして暇なわけではなく、わざわざ俺のために時間を割いてくれているらしい。
どうしてそこまで……
兄さんはソファに腰かけ、棒立ちになっている俺を見上げた。
何か話があるようだ。ちょっと躊躇いつつも、その横に座る。
兄さんの顔をこんなに近くで見るのは、子供の頃以来かもしれない。
エメラルドグリーンの双眸に俺が映っているのが見えた。
美形はノアで慣れてるつもりだったが、兄さんもまた違うベクトルの美形だ。なんか緊張する。
「来週はフレディの誕生日だね。誕生日パーティーを開こうと思っているんだが、どうだろう?」
そういえば、もうすぐ俺の19回目の誕生日だ。自分でも忘れていた。
「いいよ、そんな。もう成人してるんだし、パーティーなんて」
「しかし、昨年の成人の祝いもしていないじゃないか。せっかくフレディも元気になったのだから、今年は祝わせてほしいんだ」
元気になった……兄さんの目から見てもそう思うのか。
この世界で貴族は16歳になったら社交界デビュー、18歳で成人を迎えることになっている。
特に成人の祝いは、自宅に大勢貴族を招いて盛大なパーティーをすることが一般的だ。
しかし、俺はどちらもスルーしてきた。引きこもり真っただ中で部屋から出ることすらなかったのに、パーティーなんて無理に決まっている。
昨年は扉の外から兄さんが「おめでとう」と声を掛けてくれたような記憶はある。
でも何も成し遂げられず、何の希望もなく、18年間ただ生きてきただけで祝われる権利はないと思っていた。
押し黙った俺を見て、兄さんが落ち着いた声で言う。
「盛大なパーティーをしようと言っているんじゃないよ。私と兄上、ノーマンやアーニーたちもフレディと一緒に過ごしたいんだ。みんなフレディをお祝いしたいと思っているんだよ」
みんな、かどうかはわからない。特に兄上は。
でも、アーニーたちは俺の引きこもり脱却を手助けしてくれた。ノーマンも泣いて喜んでくれた。
誕生日は親に感謝する日でもあるなんて聞いたことがある。俺に既に両親はいないが、みんなに感謝を伝える良い機会かもしれない。
「わかった」
そう答えると、兄さんの顔がパッと華やいだ。イケメンが更に輝いて見える。
「良かった! フレディの誕生日パーティーを開こう!」
兄さんが扉に向かってそう言うと、アーニーたちが一斉に入ってきた。
ずっと聞いてたのか!?
「フレデリック様! とびっきりのお誕生日会に致しますね。楽しみに待っていてください」
「坊ちゃまの誕生日会……幼き日のことを思い出しますね。私の目の黒いうちにまたお祝いできるなんて、大変に幸せでございます」
今感動するのは気が早すぎるぞノーマン。
俺を置いてけぼりにして、みんな楽しそうにパーティーの相談をし始めている。
考えてみれば、鬱々とした俺とハデなことを好まない兄上が住むこの屋敷で、パーティーなんて何年も開いていない。
今まで苦労掛けた分も、みんなには楽しんでもらいたい。
「フレディ、パーティーにはお友達も呼ぶといい」
お友達?
まったく、兄さんはいつまでも俺を子ども扱いだ。
「俺に友達なんて……」
「最近仲良くしている友達がいるんじゃないのかい?」
言葉に含みを感じる。まさか、ノアのことバレてるのか?
兄さんの青緑の瞳は、なんでもお見通しな気がする。それなら――
「……どんなヤツでも、いい?」
「もちろん。フレディの友達なら、どんな子でも大歓迎だよ」
ノアは果たして友達なんだろうか。
でも兄さんにノアの歌声を聞いてほしいとは思う。
アーニーたちも吟遊詩人を噂していたし、来たら喜ぶかもしれない。
頼んでみるか。