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15.生い立ち


 宿街から離れたレストランにノアを引きずり込んだ。

 ロストラータ家が懇意にしている店だ。まさか俺が使うことになるとは思わなかったが。


 教育が行き届いているスタッフは俺が穀潰し三男だと一目でわかったようだが、驚く素振りも見せず個室へと案内してくれた。


 モノトーンで統一された個室は落ち着いていて、黒いテーブルに向かい合わせに座る。

 張り詰めていた糸が切れたように、頭を抱えた。


「あー……死ぬかと思った……」

「災難でしたね。でも、フレディにケガがなくて良かったですよ」

「ノアが助けに入ってくれなきゃ、どうなってたことか。ありがとうな」

「いえいえ、礼には及びません」


 ニコニコと微笑むノアは、まるで女神だ。

 酔っ払いたちに囲まれた酒場よりも、やっぱりこういう高級感ある場所がノアには似合う。


「少し飲みませんか? 多少の酒は精神を安定させます」

「そうだな……って、違う! その前に、ノアに聞きたいことがある」


 危うく流されるところだった。

 誤魔化そうとしていた思惑が外れ、ノアが目を逸らす。


「なんでまだあのボロ宿にいたんだよ。ちゃんとした宿に移れって、十分金は渡してたよな?」


 目を伏せたまま、その薄い唇から硬い声が漏れた。


「申し訳ないとは思っていましたが、頂いたお金は貯金にまわしていました」

「将来のためか? それを見越した分も渡してたはずだ」


 これ以上誤魔化されないよう問い詰めると、さすがに観念した様子で肩を落とした。


「……欲しいものがあるんです」

「だったら俺が買ってやるから」

「そこまであなたに強請ねだることはできません。それに、どこにあるのかもわかりませんから」


 どういうことだ?

 と聞く前に、酒と食事が運ばれてきた。まともな食事をさせるために、ノアをここに連れてきたと思い出す。


「とりあえず食えよ。ロクなもん食べてないんだろうから」

「ありがとうございます」


 食事と白ワインを無言で片付けていく。


 ノアの食事作法は申し分なく、アレク兄上にしょっちゅう怒られていた俺よりもよっぽどサマになっている。

 その所作を見ているだけでご飯三杯はいけそうだ。こっちの世界に白飯はないが。


 この優雅さで食べたらボロ宿の脂が浮いただけのスープも、高級レストランのふかひれスープに見えそうではある。


 俺の視線に気づいたのか、ノアが苦笑いを浮かべる。


「ああ、すみません。何かおかしかったでしょうか。何分なにぶん、食事マナーを正式に習ってはいないので。お恥ずかしい」

「いや、完璧だよ。俺の方が全然ダメだ。子供の頃に家庭教師に散々習ったんだけどな。ノアは誰に教わったんだ?」

「母です。と言っても母も庶民でしたので、貴族の見よう見まねでしたが」


 確か母親が歌や琴を聞かせてくれたと言っていたっけ。


 ノアがワイングラスをゆっくりとまわした。半透明な液体が揺らめく。


「母は貧しいながらも懸命に働き、僕を貴族の子息のように育てようと苦心していました。僕の父親が貴族だったからでしょうね」

「父親が……?」

「僕は所謂、隠し子なんです。父がどこの誰なのかは教えてもらえませんでしたが」


 貴族の隠し子。こっちの世界では珍しくもない。


 とはいえ厳格なアレク兄上は女遊びするタイプでもなく、老若男女に優しいリュシアン兄さんにそんなことは無縁。俺はモテない童貞。


 珍しくもないが、うちとは関係のない話だ。

 それでも母子家庭の支援なんてないこの世界で、認知されなかった母子がどうなるか知らないほど世間知らずじゃない。


「母は子守歌として、いつも竪琴を弾いて歌ってくれていました。母が使っていたのは、銀の竪琴です」


 ノアが銀色の髪を指に絡ませた。


「僕の髪色と同じだと、いつも言ってくれました。僕もあの竪琴が好きだった。貧しい僕と母にとって、唯一の贅沢品です。温かな母の歌と竪琴の音色を聞くと、寒さも空腹も忘れられました」


 ノアがワインを口にした。

 反射したノアの顔がグラスに映り込む。


「ある日、僕が高熱を出したんです。薬なんて買える金もなく、母が懸命に看病してくれましたが熱は下がりませんでした。でも母が突然姿を消し、戻ってきたときには薬と栄養のある食事を摂らせてくれたんです。僕は深く考えもせずに薬を飲み、食事をし、すっかり元気になりました。母が竪琴を売って金を作ってくれたと知ったのは、しばらく後のことです」


 アメジストの瞳が深く沈んだ。


 子供の頃から夢を追いかけて芸事の道に進んだ人間など、こちらの世界に何人いるんだろうか。

 ほとんどの場合は、何か事情があってやらざるを得ないだけだ。ノアにもきっと何かあるのだろうと思わなくはなかったが、考えないようにしていた。


 パトロンになると言いながら、彼の見たい部分しか見ようとしていなかった。


「お母さんは、今……」

「10年以上前になりますか、無理がたたって母は倒れました。僕はまだ子供で物乞い程度しかできず、薬を買えなかったんです。薬屋に懇願しても追い返され、最終手段で盗みに入りましたがすぐに見つかり酷い暴行を受けました。ようやく解放されて家に帰ったときには、もう……」


 辛い話を思い出させてしまった。

 謝ろうとしたが、ノアは緩く首を振った。


「僕は、母の竪琴を買い戻したいんです。母の形見と言えばそれくらいしかありませんから。それで、各地を旅して銀の竪琴を捜しているんです。一体いくらになっているのかわからないので、お金は少しでも貯めておきたくて。もしかすると遠い異国に売り飛ばされて、見つかることはないかもしれませんが……」

「見つかるよ、きっと」


 何の根拠もない言葉だ。無責任にも程がある。

 それでも言わずにはいられなかった。


 兄さんが俺を励ましてくれたのも、こんな気持ちだったのかもしれない。


 ノアが俺を見て小さく笑う。


「本当にフレディはピュアですね。こんな話、あなたに貢がせるための嘘だとは思いませんか?」

「あ……いや、まあ、その可能性もなくはないだろうが……でも、俺はノアを信じる」


 信じたい。

 本当の話なら、俺を信用して打ち明けてくれたんだから。

 もし嘘だったとしても、俺がパトロンであり続けることに変わりはない。


「そうですか」


 感情の読み取れない返事をして、ノアは椅子に沈み込んだ。


「まあどちらにしろ、貯金は続けます。ずっとあなたに頼るわけにもいきませんしね」

「なに言ってるんだ。俺はノアのパトロンだろ。ずっと頼ってくれて構わない」

「お気持ちは嬉しいですが、僕は旅をしていますからね。この街を出ても、フレディについて来てもらうわけには行きませんので」


 言われるまで気づかなかった自分がアホすぎる。


 吟遊詩人がずっとこの街にいるわけはない。

 ノアが旅立ったらもう、会えなくなる。


「でも、先程のフレディには感動しましたよ。自分の身を挺して、僕を守ってくれたんですね」

「そんなかっこいいもんじゃないけど。でもこれで、あいつとは完全に切れたんだよな……」


 俺のせいで、ノアは今まで金を出していた太客を全員切ってしまった。

 あの男だって、もしかしたら俺よりもずっと金を出していたのかもしれない。身体目当てだとしても、ノアにとって必要なのは金だ。


 あいつとしても、突然穀潰しの貴族に邪魔されたんだ。怒るのも無理はない。

 俺が偉そうなことを言う権利なんて、なかったはずだ。


「お気になさらず。彼は切るのが惜しいような太客ではありませんでしたから」

「え!? でも、かなり貢いでるようなこと言ってたぞ」

「たまに銅貨を1枚払ってくれる程度でしたよ。それでいて、演奏後に出待ちして僕と長々と喋りたがるんです。古参ぶって初見の客に高圧的な態度を取っていたり、営業妨害だったんですよね」


 あの口振りだとノアのトップオタクか何かと思ったのに、勘違い繊維客だと!?

 払った金以上のサービスを受けようとするのはマナー違反だ。無課金だったら尚のこと。


 とはいえ、ノアはあいつに枕営業しようとしていたはず。


「あの夜はあまりにもしつこいので誘いに乗りましたが、酔い潰して逃げようと思っていたんです。正直、あなたに連れ去られて助かった」

「はあ!? じゃあ、あのとき俺に怒ったのはなんだったんだよ!」

「あなたが僕に説教してきたので、イラっとしたんです。僕、貴族は嫌いなんで」


 父親のことがあるからだろうか。そう言われると言い返せない。


 でも……と、ノアが腕を伸ばしてきた。

 手を引っ込める前に、包み込むように触れられる。


「フレディは別です。あなたのことは好きですよ」

「……嘘つけ」

「嘘じゃないのに」


 ノアが俺に好意を持ってくれていることは嘘じゃないだろう。

 でもそれは俺が金を出してるパトロンだからだ。それ以上の理由はない。


 けど、俺だけに向けられた笑顔で、俺だけに「好き」と言ってくれたことは事実。

 頬の緩みを隠すように何か話題を変えようと頭を巡らす。


「ところで、さっき妙なことがあってさ」

「妙なこと?」

「突然俺の周りに膜みたいなのが張って、あいつの鉄パイプを防いだんだ」


 ノアは顎に手を当てて、何の気なしに言う。


「魔法では?」

「魔法!? 俺に魔法なんて使えないぞ」


 親族にも魔法を使えるものはいない。鼻から魔法の訓練すら受けたことがなかった。


「魔力は遺伝が大きいですが、突然覚醒する者もいると聞きます」

「そう、なのか……?」


 半信半疑だが、魔法じゃなければ逆になんだということになってしまう。

 何かの偶然かもしれないと、胸に残った疑問をワインで流し込んだ。



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