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14.太客襲来


 お客が増えてきたとはいえ、収入は小遣い程度。これではボロ宿にも泊まれない。


 そこはパトロンの俺の出番。衣食住に困らないよう、ノアには十分支援をしてきた。

 宿も移って、毎日温かい料理を食べ、寝心地の良いベッドでゆっくり休んでいるはずだ。


 その日、革袋に銀貨を補充してくるのを忘れてノアに今日の分を渡せなかった。

 すぐに持ってくると言っても「明日でいい」と断られたが、お金のことはきっちりしないといけない。これは俺から言い出したことなんだから。


 急いで屋敷に戻り銀貨を何枚か掴んで戻ったが、陽が暮れた広場にノアの姿はなかった。


 新しい宿の場所は聞いてない。明日にしても良かったが、せっかくならどこに住んでいるのか捜してみよう。

 宿街に行けば、あの目立つ銀髪を見つけることくらいできるだろう。


 ……と思っていたのだが、全然見つからない。

 仕方がない。やっぱり明日にするか。


 薄暗い路地を抜けて歩いていると「おい」と低い声に呼び止められた。

 振り返ると、横にも縦にもでかい男が立っている。しかも、手には棒を持っていた。


 思わず後退ったが、この男どこかで見た覚えがある。


「な、なにか……?」

「てめえ、この前は恥かかせてくれたな」


 この前……あの夜、ノアと一緒にいた男だ!

 恨みと怒りをまったく隠さないギラついた眼で睨まれ、背中に冷や汗が浮かぶ。


「あいつをどこにやった!」

「え、あ……ノアのこと、だよな? いや、俺も知らなくて……」

「嘘つけ! あれ以来、あいつは酒場に出てこないじゃねえか! お前が囲って歌わせてんだろう!」


 男が手に持った棒を横に振った。ドゴッと石壁に穴が開く!

 て、鉄パイプ!? ……なんて、こっちの世界にないかもしれないが、似たようなものだ。凶器なことには間違いない。


「ま、待ってくれ。 あのときは悪かった。 落ち着いて、ちょっと話し合おう」

「お前と話すことはねえ! ノアを出せ!」

「本当に俺も今どこにいるか知らないんだよ」

「嘘つけこのやろう!」


 男が鉄パイプを大きく振りかぶった!


 慌てて身を捩って避けると、 俺が立っていた地面がへこんでいる。

 もし当たっていたらと考えると、血の気が引いた。


「てめえ、ロストラータ家の穀潰し三男だろう。家の金で男を囲って、貴族様は優雅なもんだな。呑気な風来坊が」


 穀潰しを肯定したくはないが、残念ながら事実だ。

 こいつからノアを攫って、パトロンになれたのも全部家の金のおかげ。この男が自分で働いて稼いだ金を使っていたなら、俺は文句を言える立場にない。


「いくらだ?」

「は……?」

「いくらであいつを買ったんだ。俺だって散々貢いでやってたのに、伯爵様が太客になったら一瞬で用済みとはな」


 男の目が鈍く光り、下卑た笑みを浮かべた。


「毎晩あいつとヤッてんだろ? あいつは金で誰とでも寝るやつだからな。歌なんて歌って腰振って男漁り。乞食の淫売め」


 俺の中の何かが、ピキッと音を立てた。

 文句を言える立場じゃないだの、そんな謙虚な気持ちが崩れ去る。


「ふざけんな」


 自分でも驚くほど低い声が出た。

 ああ? と凄まれるが、縮み上がりそうになる気持ちをグッと堪える。


「俺はあいつの歌に惚れ込んだんだ。身体目当てじゃない」

「歌ぁ? バカ言え。身体目当てじゃなきゃ誰があんな乞食に金なんて払うかよ」

「ノアの歌を聞いてなかったのか? あいつは天才だ。あんな場末の酒場じゃなくて、もっと大きな場所で大勢の人の前で歌うべき人間なんだ」


 だから俺があいつの背中を押してやる。広い場所で、ノアに相応しい場所で輝けるように。


「ごちゃごちゃうるせえな。さっさとノアを出しやがれ」


 男が鉄パイプを握り直した。


 逃げないと殺されると本能が告げている。

 でも俺が逃げられても、ノアが見つかったら? ノアがこいつに報復されるかもしれない。それは絶対に避けなければ。


 元はと言えば、俺が勝手にこの男からノアを奪ったんだ。責任は俺が取る必要がある。


 俺はあいつのパトロンなんだから。


 震える足を踏ん張って、男を見上げた。


「殴れよ。俺のことは好きなだけ殴っていい。その代わり、これからはノアに近づかないでくれ。頼む」


 男がカッと三角になった目を見開いた。その目を逸らさないよう、強い眼差しで迎え撃つ。


 俺が殴られて手打ちにしてくれるなら、それが一番だ。あいつを守るには、今の俺にはこれしかない。


 はっ、と男が吐き捨てるように笑った。


「いい根性してんじゃねえか!」


 振り上げられた鉄パイプに歯を食いしばる。

 その瞬間、俺の内側から得体の知れないものが暴れ出した。それは俺の周りを膜のように包み込む。状況を理解する前に、鉄パイプが叩きつけられた。

 しかし、俺に何の衝撃もない。得体の知れない膜が盾のように、その鉄パイプから俺を守った。


「野郎……妙な技使いやがって」


 妙な技? 一体なんだ?

 しかし、男はもう一度鉄パイプを握り直した。ガンガンと俺の膜を叩いていく。透き通る青く見えていた膜は、徐々に薄くなっている気がする。

 なんだかわからないが、このままだと突き破られる気がする。でも防戦一方で、反撃方法なんて何も……


「これで終わりだ!」


 男が渾身の力で鉄パイプを振り上げた瞬間、俺は思わず目をつぶった。

 衝撃の代わりにカランカランと音が響く。


「こんなものを振り回して、物騒ですねえ」


 その声に反射的に目を開けた。


 膝をついた男の腕を捻り上げているのは、ノアだ。

 すぐ傍にはさっきまで男が握っていた鉄パイプが落ちている。


「ノア!? どうしてここに」

「あんなに大騒ぎしていたら聞こえますよ。近所迷惑です」


 ノアが唇に人差し指を当てた。

 苦しげに呻きながらもがいている男を、赤子の手を捻るように片手で押さえつけている。


「彼は僕の大事なパトロンなんです。あまり乱暴なことをするのは、やめていただけますか?」

「てめえ……」


 ギリギリと歯ぎしりしていた男が、渾身の力でノアの手を振り払った。

 そのままの勢いでノアに殴りかかる!


「逃――」


 げろ、という間もなく、ノアが男のみぞおちを蹴り飛ばした。

 あっけなく男がひっくり返る。起き上がろうとしたが、背中を打ち付けて身体が動かないようだ。


 唖然としている俺の前に、ノアが歩み寄ってきた。

 その姿は相変わらず月の住人のようで、大男を蹴り飛ばした人間とは思えない。


 涼しい笑顔が俺に向けられた。


「行きましょうか、フレディ」

「こ、このままでいいのか?」

「問題ありません。もう僕を追いかけてくる気力はないでしょう」


 そうは言っても、ノアの背後で男が殺意を向けてこっちを睨んでるんですけど!


「ふざけんなこの乞食野郎! 淫売男が!」

「どうも、光栄です」


 まるで褒められたかのようにさらりと受け流した。肝が据わってる。


 そのとき、上の方からヒューヒューという指笛と拍手が聞こえてきた。

 見上げると、宿屋の2階や3階から身を乗り出している見物客がやんやと声を上げている。


「兄ちゃんよくやった!」

「吟遊詩人はケンカも強いんか?」

「もう終わりかよ。もっとやれー」


 ノアが笑顔で手を振って答えると、小銭が降ってきた。こんなとこまで投げ銭か。


「まさか見世物になってたとは……」

「こんな宿街でやっていればこうなりますよ。臨時収入になりましたね」


 そう言いながら、ニコニコと小銭を拾い集める。さすがに逞しい。


「ノアもこの辺に泊まってたってことか?」

「ええ、あの窓からちょうどフレディが絡まれてるのが見えて」


 ノアが指差した方を見ると、壁の板が剝がれかけているボロ宿があった。

 って、もともとノアが住んでた宿じゃないか!


「お前……」


 俺の視線に気づいて、ノアがしまったと視線を逸らす。

 「それではまた」と逃げようとするので、その首根っこを掴んだ。


「ちょっとゆっくり話をしよう、ノア」

「……今夜は帰さないぞってことですか?」

「茶化すな」


 まだ呻いている男を残して、ノアを引きずって行く。


 興奮気味な野次馬たちの声が、徐々に遠くなっていった。



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