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12.ストリートライブ


 まだ陽が高い時間、街中の広場にやって来た。


 円形状に開けたこの場所は、家事の合間に休む女性たちが座っていたり、年寄りが日向ぼっこしていたり、子供たちが遊んでいる。


 何もない場所だが、公園みたいなスペースだ。


 そんなのどかな場所でノアを見るのは新鮮だ。

 夜は月から舞い降りた神秘的なオーラを醸し出していたが、陽の光の下では湖から現れた精霊のようだ。


「ここで歌うのですか?」


 精霊から透き通る声が放たれた。


 いかんいかん。意識を戻さないと。


「そうだよ。今まで酒場以外で歌ったことはないのか?」

「酒場は民度が低いですが、身入りが良いんですよ。酔ったお客は財布の紐が緩みやすいですからね」


 その稼ぎでも足りなくて枕営業していたんだ。女性や子供相手じゃ、収入は見込めないだろう。


「稼げない分は俺が援助する。今はまず、いろんな人に聞いてもらうことを優先しよう。客層を広げることが大事だ」

「わかりました」


 ノアは花壇に腰かけると、膝の上に竪琴のケースを乗せた。

 蓋の留め金を外し、三日月のような竪琴を取り出す。


「何を歌いましょうか。いつものような悲恋の歌は、似つかわしくありませんよね」

「なるべく明るめの曲調で、昼過ぎだから穏やかな癒されるような曲がいいな」

「あまりレパートリーがないのですが、やってみます」


 竪琴を胸の前に抱くように置き、細い指を滑らせていく。

 どこか物悲しいいつもの曲とは違い、さざ波のようにゆったりとした旋律が奏でられる。そして、海風を飛ぶような伸びやかなノアの歌声が旋律に乗る。


 行きかう人たちがチラチラとこちらを窺っている気配はあるが、誰も近寄ってこない。

 それどころか、訝し気にこそこそと話している女性たちも見える。

 興味を持った子供がとことこと歩いてきたが、慌てて母親が手を引いて連れて行ってしまった。


 しばらく演奏していても、ノアの周りには誰も寄ってこない。

 こんな美形がイケボで歌っているというのに! なんでだ!


「警戒されているようですね」


 苦笑したノアが手を止める。


 ノーマの言っていた通り、客と寝るような卑しい仕事だと思われているのか。

 いくら昼間だとはいえ、女子供が近づけるような存在じゃない。


 なにか、もっと親近感が湧くようなきっかけが必要だ。


「最近流行りの曲とかないのか? 興味を惹かれるような」

「流行歌ですか」


 あまり詳しくはないのか、ノアが考え込んだ。

 俺も流行りには疎い。アーニーにでも聞いてくればよかった。


 アーニー……そういえば、鼻歌を歌ってたような。


 あれは確か――


「ノア、この曲知らないか?」


 うろ覚えのメロディーで鼻歌を歌ってみる。

 それを聞いたノアが、すぐに「ああ」と頷いた。


「都の方で流行っている歌ですね」

「できるか?」

「正確にはできませんが、耳で覚えた範囲なら」


 少しの間、ノアの桜色の唇が小さく動く。それに合わせて、音を紡ぎ出すように宙で指が踊った。

 一呼吸置いてから、ノアが息を吸い込む。


 先程までよりアップテンポで、琴の音色もまるで跳ね回っているようだ。

 遊び盛りの元気な少年のような声が響く。


 ノアのイメージとはガラッと違うが、踊り出したくなるような楽しい曲だ。

 元の曲をよく知らないが、おぼつかないところはないように聞こえる。耳コピができるのか。


 まだ目の前まで聞きに来る客はいない。

 それでも、遠巻きに聞いている若い女性たちが何人かいた。先程までの訝し気な雰囲気と違い、笑い合いながらこちらを見ている。


 ノアが伸びやかに歌い上げると、一拍置いてから遠慮がちに拍手がパラパラと聞こえた。

 笑顔で拍手をする3人の女性たちは、はっきりとノアを見ている。そちらに向かってノアが軽く微笑むと、黄色い歓声が短く上がった。


「ノア、あの人たちにちょっと声掛けてきてもらえないか?」

「おじさんの呼び込みなら得意なんですけどね」

「今みたいに軽く微笑んでくれれば大丈夫だから」


 あまり気乗りしない様子だったが、ノアは竪琴を置いて女性たちに近づいた。キャッと声を上げて、女性たちが顔を見合わせる。


 二、三言喋ると、戻ってきたノアの後ろに女性たちが続いてきた。

 かっこいい~! 素敵~! と、はしゃいでいるようだ。


 どう考えてもノアはイケメンだ。いや、美少年と言った方が似合うだろうか。俺を含め、男も魅了される美少年に女性が靡かないわけがない。


 俺は気配を消して、少しその場を離れた。

 竪琴を持って腰かけたノアが、とびきりキレイなイケボで女性たちを見上げる。


「お嬢様方、何かリクエストはございますか?」

「ええと、あなたの好きな曲を……」

「承知いたしました」


 女神のような笑みを浮かべ(男だが)、ノアは酒場でいつも弾いていた曲を奏でた。

 これが1番得意なんだろう。


 歌詞は物悲しいが、幻想的なメロディーはノアの歌声にピッタリだ。

 女性たちもポーっとして聞き入っている。


 得意な曲だからか目の前に客がいるせいか、指先が滑らかだ。


 そうしているうちに、まるで吸い寄せられるように別の女性がやって来た。


 1人、また1人とハーメルンの笛吹きのようにノアの音色に釣られて続々と人が集まってくる。

 大半が女性だったが、子供たちもチラホラ覗いている。


 最終的には、十数人ほどが集まりノアを囲んで拍手をしていた。

 酒場の集客には敵わないが、初日にしては十分だ。さすがはノア!


「ありがとうございます」


 ノアがお客に向かって恭しく一礼し、竪琴のケースを開ける。女性たちがポケットや手提げの中を探り始めた。


「ごめんなさい、これでもいいかしら」


 投げ入れられたのは、キレイな紙に包まれた飴玉だった。ノアが人好きのする笑顔で彼女を見つめる。


「もちろんです。ありがとうございます」


 微笑まれた女性の顔がほんのり赤くなる。それを見た他の客たちも、手持ちのいろいろなものを投げ込み始めた。


 ハンカチ、リンゴ、花、ボタン、手作りのマスコット。

 収入と呼べるのは、数枚の銅貨だけ。


 それでも最後の客がいなくなるまで、ノアはにこやかに手を振り続けた。


「やっぱりノアはすごいよ。あっという間に大盛況だもんな」

「女性や子供に囲まれたことは初めてで、新鮮でした」


 酒場では、という意味だよな。これだけの美形が子供はともかく、女から放っておかれるはずがない。


 それはそうと、この投げ銭じゃ食べていけない。

 革袋を取り出して、銀貨を数枚ノアに渡した。


「今日の分はこれな」

「お手当てですか?」


 言い方がパパ活みたいだが。まあ、いいか。


「宿はもう少しまともなところに移って、メシもちゃんとしたの食えよ。足りなければその分は出すから」


 ふいにノアが俺の手を取った。その手を、自分の頬に添える。なんだ急に!

 思わず手を引っ込めようとしたが、ノアが離してくれない。


 じんわりと、少し熱を持ったノアの体温が伝わってくる。

 俺、手汗とか大丈夫か!?


「ありがとうございます、フレディ」

「あ、ああ、礼なんて別に……」


 ノアがそっと目を閉じて、俺に顔を寄せた。


「な――ッ!?」


 手を振りほどいて飛び退くと「どうしました?」と小首を傾げている。

 それはこっちのセリフだ!


「な、ななななにしようとした?」

「お礼の口づけを」

「そういうことはしなくていい!」

「良いではないですか、口づけくらい。この前だって……」


 ノアが指で自分の唇をなぞった。


 途端にこの前のアレが甦り、バカみたいに顔が熱くなった。

 そんな俺に、この男はまるで小悪魔のような笑みを向けている。腹立つ。


「そういうことしなくていいように、俺がパトロンになったんだろ!」

「でも、お礼も見返りもなしではあなたに旨みがありません」

「いらないって。ノアが有名になってくれることが1番だ」

「これはこれは、優良なパトロンを見つけてしまいましたね」


 肩を竦めたノアが、さらりと髪を払った。

 そんな仕草にも見惚れてしまうから、からかわれるんだ俺。


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