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11.約束


 その後、ノアを定住してる宿まで送り届けて帰ったら、また遅くなってしまった。


 昼過ぎまで寝ていると、フンフンと調子の良い鼻歌が聞こえてくる。

 そしてすぐ、部屋の扉がノックされた。


「フレデリック様、お水をお持ちしました」


 アーニーの声だ。返事をすると、水差しとコップを手に入って来た。

 ぼんやりとベッドに寝転んでいた億劫な身体を起き上がらせる。


 水を差したコップを手渡され、喉を潤す。


「ありがとう」

「昨夜も遅いお帰りのようでしたね。ノーマンさんが心配しておられました」


 もう心配される歳でもないが、朝帰りから引きこもりに戻ったと思いきや、また夜遊びして帰った俺に困惑してるんだろう。

 俺だって戸惑ってる。


 が、逆にアーニーは1人ほくそ笑んでいた。


「なに笑ってるんだ?」

「すみません。フレデリック様、最近お帰りが遅いのは……素敵な人と会っていらっしゃるのでは?」


 素敵な人……素敵……恋人? 恋人と密会してると思われてる!?

 はあ、と脱力する。


「素敵な人ではあるけど、アーニーが想像してるような関係じゃないぞ」

「片思い、ということですか?」

「恋愛してるわけじゃ……」


 いや、もしかしたら恋だったのかもしれない。


 ただのファンとして、熱を上げていられたなら片思いと同じようなものだった。

 けど今は違う。本人と接触し、裏の顔を見て、あろうことか偉そうに口出しまでしてしまった。


 その上「国一番の吟遊詩人にしてやる」なんて……

 酒も飲んでいないのに酔っていたんだろうか。その場の勢いとしか言いようがない。


 そもそも、昨日は納得してくれたがノアは俺の話を信じてくれたんだろうか。

 最近通い始めた、ただの客のことを。他の太客を蹴ってまで?


 俺が貴族だから、伯爵パワーでどうにかなると思ってる可能性もあるが。


「アーニー、例えばだけど」

「はい?」

「その場のノリで告白して、やっぱりあれは勢いだったと言う男がいたらどう思う?」


 途端、アーニーが眉を大きく釣り上げた。


「最低最悪です! 相手の心を弄んで、地獄に落ちますよ!」

「…………」


 断言されてしまった。

 黙り込む俺に、アーニーが疑わしそうな目を向ける。


「もしかしてフレデリック様、酔った勢いでどなたかに告白したのですか? そしてそれを反故にしようと……」

「違う違う! ちょ、ちょっと俺出掛けてくるから!」


 首を傾げるアーニーを振り切って、外に飛び出した。

 どちらにしろ、今日ノアの宿に行くことになっている。


 まずはノアがどう思ってるのかだ。

「本気にしてたんですか?」とバカにされるならそれでもいい。でももし、ノアも本気だったら……



 ノアの暮らす宿はボロい安宿だった。

 一階は食堂になっているが、ロクな食事が出ていないのは見ればわかる。

 そこまで金に困っているようには見えなかったのに、どうしてこんな宿に……


 階段を上って部屋に行くと、この宿とは似つかわしくない見目麗しい青年が出てくる。

 にっこりと笑ったノアは「どうぞ」と迎え入れてくれた。


 部屋の中は外から見るよりも酷く、天井を見上げると細く空が見える。

 雨が降ったら大変なことになりそうだ。


 申し訳程度のベッド以外何もない板張りの部屋。

 とりあえずベッドに腰かけたが、腐りかけた木材がギシギシと悲鳴を上げる。


 その悲鳴を気にもせず、ノアがしな垂れかかるように俺の横に座った。


「すみません。伯爵様をこんな部屋にお通しして」

「いや……俺は別にいいんだけど。あれだけ客がいたんだから、もっと良い暮らしができるんじゃないか? なんでこんなボロ宿に住んでるんだよ」

「なるべく身なりや竪琴にお金を使いたいので。見た目がよくなければ、そもそも僕に興味を持ってもらえませんからね。竪琴も定期的に弦の張り替えが必要で、持っているだけで出費がかさむんです」

「それにしたって、稼ぎの良い日もあっただろう」


 自分で言うのもなんだが、結構な金額を投げてきた。

 もちろん俺だけじゃない。酒場が盛り上がり、儲かる日だってあったはずだ。

 それが全部衣装や竪琴のメンテナンスに消えるとも思えない。


「余分に稼げたときは貯金していますから」

「何か欲しいものでもあるのか?」


 ふふっ、とノアが意味深げに笑みを浮かべた。


「吹けば飛ぶような、明日もわからぬ流れ者ですからね。蓄えはしておかないといけないんですよ。貴族の皆さんと違って、無駄遣いはできない」

「俺はお前にしか課金してないんだけど、それも無駄だって?」

「いえいえ、フレディはとても有意義な使い方をしていますね。賢い人だ」


 いかにも口先だけといった様子なのに、なぜか言いくるめられてしまう。

 ノアの声には、何か相手を魅了する魔力でもあるに違いない。


 そうはいっても、寝食は大事だ。

 俺と飲んだときは洒落たバーに入っていたのに、あれは営業用だったんだろうか。


 将来のために貯金といっても、今倒れたら意味がない。

 ……まあ、スパチャのために食費や生活費を削っていた俺が言う権利もないが。


 でも俺がパトロンになれば、もう少し良い暮らしをさせてやれるはずだ。


「あの、昨日の話だけど」

「昨夜のフレディ、とてもかっこよかったですよ」


 うっとりとした声で言われると、複雑な気分になる。

 あれは咄嗟に出た言葉で、なんて言い訳が封じられる。


「国一番の吟遊詩人にしてやるなんて、痺れました」


 太ももに柔らかな手が添えられ、ビクッと反応してしまう。

 ノアが上目遣いに俺を見ていた。


「俺が言ったことを……信じてくれるのか?」

「もちろんです」


 もう後戻りはできない。俺も腹を括ろう。

 どうせ一回死んだ命、前世では自分のためにも推しのためにも何もできなかった。

 これは推しを推せるときに推せなかった、俺の無念が生んだ転生なのかもしれない。


 それならばノアのパトロンになることは、今世の俺の使命だ。


「ノアには絶対に才能がある。酒場の酔っぱらい客だけじゃなくて、お前の歌を大勢の人に聞いてもらおう」

「心強いですね。このお礼は、たっぷりさせていただきますから」

「別にお礼なんて……っ!」


 微笑んだノアの手が太ももから俺の肩に移り、そのまま引き寄せられそうに……!?


 ガバッと立ち上がって、壁の方まで後ずさった。


「お前! 男と寝たいわけじゃないんだろ!?」

「酒臭い中年親父と寝たくはないと言っただけですよ。あなたは初心でかわいいし、僕の好みです」

「――ッ!?」

「ふふっ、真っ赤になっちゃって。かわいいですね」


 からかわれた。俺が童貞だからって。


「とにかく! さっそく今から歌いに行くぞ」

「まだ昼間ですよ?」

「昼間だからだよ」


 前世のオタク知識を総動員して、俺が絶対ノアを売れさせてやる。


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