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8.朝帰り


 生まれて初めて朝帰りをした俺を、ノーマンが青ざめた顔で迎えてくれた。

 何か事件や事故にでも巻き込まれたのかと思ったらしい。


「飲んでいたら朝になってた」


 と言ったら、ノーマンはモノクルから目が飛び出るほど驚いていた。


「夜遊びはほどほどになさいませ」


 なんて言いつつ、少し口元が綻んでいたのは気のせいだろうか。

 俺が大人の階段をのぼって、不安な反面喜ばしい親心なのかもしれない。


 が、実際は違う意味で大人になってしまった。

 一晩中、ノアに手やら口やらで散々天国見せられた。気絶するように眠ってしまったから、詳しくは覚えていないが。


 朝目覚めると、隣には天使の顔して眠っているノアがいた。

 何が起こったのか、考えなくても身体が覚えている。


 大急ぎで退散して、今に至ったというわけだ。

 自室の部屋で大の字になって、呆然と天井を見続けて何時間が経っただろうか。


「なんだったんだ……」


 推しに連れ込まれて、一方的にヤられるとか。これがお持ち帰りというやつなのか?


 まさか本当にノアに惚れられたと思うほどおめでたい頭はしていない。

 かといって、あれほどの容姿を持つノアが行きずりの相手と遊ぶとも思えない。


 しかも俺は常連客だ。後腐れなくするためなら、俺に手を出す必要はないだろう。


 ということは……


「坊ちゃま。お目覚めですか?」


 ノックと共にノーマンの声が聞こえた。

「ああ」と短く答えると、コップと水差しを持って入ってきた。

 よろよろと起き上がる俺を見て、ベッドサイドにやってくる。


「お水をお持ちいたしました。二日酔いでしょうか」

「多分な。ありがとう」


 多分違うけど、そういうことにしておこう。

 コップを持つと、ノーマンが水を差してくれる。冷たい水が喉を通って胃に落ちると、やっと頭がスッキリしてきた気がする。


「フレデリック坊ちゃまが朝帰りなど、リュシアン様とご主人様が聞いたらなんと驚かれるでしょう」

「リュシアン兄さんには言うなよ! もちろんアレク兄上にも」

「もちろん、私だけの胸に留めておきます」


 アレク兄上……アレクサンドロは8個年上の長兄だ。

 ロストラータ家は既に両親とも他界しているから、兄上がこの家の主人だ。


 穏やかなリュシアン兄さんとは真逆で厳格な人だったが、主人となってからはますます厳しくなった。

 俺が引きこもり始めたときも散々罵倒されて家から叩き出されそうになったが、今は諦めて見放したのか何も言ってこない。


 ただ、そんなろくでなしの弟が夜遊びだなんて聞いたら怒り狂うのは確実だ。

 ノーマンは信頼できる。恐らく本当に今日のことは内密にしてくれるだろう。


 いまだに俺のことだけ坊ちゃま呼ばわりで子供扱いしているが、そういうところは尊重してくれる。


「なあ……ノーマン」


 迷いながらも、言葉がついて出てしまう。


「吟遊詩人って知ってるか?」

「街で噂になっている吟遊詩人でございますか?」


 あの目立つ風貌と歌声だ。ノーマンの耳にも噂は届いていたらしい。


「吟遊詩人は美しい歌声で人々に伝承を語る歌唄い……と、表向きにはなっておりますが」

「違うのか?」


 少し視線を逸らし言い淀んでから、ノーマンが声を抑えて言った。


「客と夜を共にし、金銭を稼いでいると言われています」


 ……なるほど。

 可愛いだの愛してるだの、空々しい言葉が本心ではないことは俺でもわかった。


 つまり俺は、枕営業されたということか。

 なにが「フレデリックさんだけ特別」だ。普段からやってるんじゃないか。


 歯噛みして拳を握り締める俺を、心配そうにノーマンが覗き込む。


「坊ちゃま? まさか、あの吟遊詩人と何か……」

「ああ、いや。すごく良い歌声だと噂があったから、聞いてみたいと思っただけだ」


 実際は「まさか」が大当たりなのだが、本当のことを言うわけにはいかない。

 言ったらノーマンのロマンスグレーの髪が、真っ白になってしまいかねない。


 ノーマンが部屋を出てから、残った水を飲み干した。

 空になったコップを勢いよくサイドテーブルに叩きつけると、ガンッと音が響く。


 こんな俺が、あんな天使みたいな推しに本気で好かれるわけがない。それは別にいい。

 でもノアの演奏に、歌声に惹かれたのは本当だ。


 俺はノアと寝たくて投げ銭をしてたわけじゃない。純粋にノアの歌に代金を支払っただけだ。


 けど、ノア自身がそう思ってはいなかった。

 自分に近づいてくるやつは全員身体目当てだと思っているのか。


 他の奴らは知らないが、俺はそうじゃない。

 それなのに、俺があいつに掛けていた言葉も渡していた金も全部、あいつを抱くためだと思われていたなんて。


「くそ……っ!」


 叩きつけた拳は、柔らかいベッドに吸収されて鈍い音を立てた。



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