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6.お誘い


 それから、毎日のように酒場に通った。


 日によって出没する酒場も時間も違ったが、完全にランダムというわけではないらしい。

 何度も顔を出していれば、顔見知りになった店員が「昨日はあの店に来ていたようだ」「この時間に来ることが多い」と情報を教えてくれるようになった。


 そして何より、通っていればノアと何度も話す機会がある。

 顔も名前も認知され、軽い雑談もするようになっていた。

 「次はどこ?」「いつ歌が聴ける?」と聞けば、それとなく教えてくれる。


 もうすっかり常連の仲間入りをしたと言ってもいいんじゃないだろうか。


 幻想的な微笑もキレイだが、俺の他愛もない話で笑ってくれるノアも魅力的だ。

 ノアの顔を見るだけで、声と竪琴の音色を聞くだけで生きる希望が湧いてくる。


 推しがいるというのは幸せなことだ。転生できて良かった。


 残念なのはこの世界に録音機能がないということだ。

 家に帰ってCDやスマホでノアの歌声を聞けたらどんなにいいか。


 考えた末、俺はノアの歌を紙に書き留めることにした。

 それを眺めれば、ノアの歌声が脳内再生できる。それだけでも幸せだ。



 今日もまたノアの歌に酔いしれた。

 我先にとコインを投げに行く親父たちの背中をのんびりと見守る。


 早くノアと喋りたいのは山々だが、最後の方に行くと長く話せると学んだ。焦りは禁物だ。


 まだ数人残っているが、そろそろコインを入れに行くことにする。


 今日は奮発して金貨を準備してきた。

 ヒキニートのくせして毎月小遣いを貰っているが、いつも銀貨しか渡されないのに今月は金貨があった。


 急に伯爵家の羽振りがよくなったのかは知らないが、ありがたく使わせてもらおう。


 足元のケースに金貨を入れると、ノアが笑顔を向けてくれる。


「フレデリックさん、いつもありがとうございます。こんなにいただいてしまって」

「いつも良い歌を聞かせてもらってるからさ。それに今日は、好きな歌が聞けたし」


 通っているうちに、ノアの曲のレパートリーを把握してきた。

 ほとんどが悲恋の歌だったが、俺が好きなのは勇気づけられるような明るい曲だ。

 今日はその曲が演奏されていた。


「フレデリックさんが好きな曲だと言っていたので」

「え、まさか……俺のために?」

「喜んでいただけました?」


 数日前の雑談で、あの曲が好きだとノアに話してはいた。

 まさかそれを覚えて、しかも俺のために歌ってくれたなんて!


「すごい嬉しいよ! ありがとう!」


 俺は革袋を取り出して、更に金貨を追加で渡した。

 ノアが遠慮がちに小首を傾げる。


「よろしいのですか?」

「もちろん。俺からの感謝の気持ち」

「感謝しているのは僕の方です。でも、あまり無理はされないでくださいね」


 金なんて少しでも多く払わせたいだろうに、俺のことを心配してくれるなんて本当に優しい。


 そんなところへ、酒を片手に持った親父が近づいてきた。なんだ、俺が最後かと思ってたのに。


 せっかくいい気分だったのに、また突き飛ばされでもしたら敵わない。

 そろそろ退散しておこう。


「それじゃ、また楽しみにしてるよ」

「あ、待ってください」


 突然、ノアに腕を掴まれた!


 せ、接触!?

 まだ握手すらしたことないんだぞ!


 驚いて振り向く間もなく、俺の耳元にノアの唇が近づいた。


「この後、お時間ありませんか?」

「え……」

「もしよろしければ、少し待っていてください。フレデリックさんと、ゆっくりお話したいんです」


 い、いいのか、そんな……客と繋がったりして。バレたら炎上、事務所クビになるぞ。

 推しに迷惑をかけるなんて絶対にやっちゃいけない。繋がるなんて言語道断。


 って、それはVTuberの話だ。

 吟遊詩人がマネージメント事務所に入ってるわけがないし、炎上するSNSも存在しない。


 せっかく本人が誘ってくれてるんだし、俺だってもっと話をしてみたい。

 その誘惑には、勝てない。


「いい、けど」

「では、後ほど」


 さらりと俺に天使の微笑みを向けて、ノアは酔っぱらいの相手をし始めた。


 俺と話がしたい、か。

 話すと言ってもここで立ち話するわけじゃないだろうし、食事とかに行くってことだよな。


 推しと2人きりになれるなんて、想像すらしたことがなかった。



「お待たせしました」


 酒場の外で待っていると、竪琴のケースを持ったノアが出てきた。


 いつもノアは座った状態で話しているが、立った姿もスラリとして格好良い。 

 長い銀色の髪をひとつに結わえて後ろに流しているのも、また違った印象だ。


 プライベートを垣間見ているようで、つい口元が緩んだ。


「どうしました? 嬉しそうですね」

「嬉しいに決まってるよ。ノアにこうして誘ってもらえるなんて」

「それは僕の方ですよ。思い切って声を掛けてよかった。断られたらどうしようかと、ちょっと怖かったんです」


 ホッとしているノアの横顔も美人だ。


「俺が断わるわけないだろ。けど、大丈夫なのか? 客と個人的に会ったりして」

「フレデリックさんだけ、特別ですよ」


 ますます顔がにやけてしまう。

 さすがは吟遊詩人。人の喜ばせ方がわかってるな。


 ノアが行きたいところがあるというのでついて行くと、小洒落たバーだった。

 竪琴を演奏している大衆酒場とは違って、静かに飲む若い男女が数組しかいない。


 行きつけの店だったらしく、店員はノアを見るとすぐにあまり目立たないカウンターの隅へ案内してくれた。

 ノアの横に座ると、腕が触れそうになるほど近い。


 ドギマギした心臓の音がバレないように、努めて平常心を装う。


「ここには、よく来るのか?」

「ええ、静かに飲みたいときにね。フレデリックさんは、こういうところはお嫌いですか?」

「1人で入る勇気はなくて。でもちょっと憧れだったから、ノアと来れて嬉しいよ」

「良かった。飲み物はどうされます?」


 そう聞かれても、ずっと引きこもりでバーなんて来たことがない。

 前世でも酒なんて、たまに家で安酒を飲むのが精一杯の金銭事情だった。こんな洒落た店に何が置いてあるかなんてさっぱりわからない。


「なんか適当に頼んでくれ」

「じゃあ、僕のおススメを」


 そう言うと、ノアが慣れたようにバーテンに注文した。


 ほどなくして、紫色をしたカクテルが目の前に置かれた。

 ノアの前にも同じものが置かれる。


「僕のオススメです。味も好きですが、見た目が宝石のようで気に入っているんですよ」

「キレイな色だ。ノアの瞳と同じだな」


 目を丸くしてから、ノアがふっと笑った。

 そして、俺の目を見ながらゆっくりと顔を近づける。ち、近い。


「僕の瞳は、こんな色ですか?」

「そ、そうだよ。アメジストみたいでキレイじゃないか。自分でも見たことあるだろ」

「あまり自分の顔をじっくり見ることなどありませんから」


 もったいない!

 俺がノアなら朝から晩まで鏡の前で過ごすぞ!


 それよりも、ノアが俺を見つめ続けているのが気になる。

 耐えられずに、顔をそむけてカクテルを飲んだ。クラッとくる。結構強いらしい。


「……そんなじっと見るなよ」

「どうしてです?」

「俺の顔なんて見ても仕方ないだろ。ノアと違って美形じゃないんだから」

「そんなことはありません。僕にはとても、魅力的に見えます」


 お世辞なんだろうが、絶世の美男子に言われるのは変な気分だ。


「お前と違って、俺はどこにでもいるような平々凡々な男だぞ」

「平凡は悪いことではありません。とても安心感がある。それでいて手を離せば人込みに紛れてしまうような、そんな儚さを持ち合わせている」


 めちゃくちゃ耳心地の良い言い回しをしてくれたが、つまりは平凡ということだ。


 俺を見つめる紫の瞳が、とろんと熱っぽくなった。

 ノアの手が、俺の手に重ねられる!


「フレデリックさん……フレディ、とお呼びしても?」

「え、あ、ああ、いいけど」


 フレディと俺を呼ぶのはリュシアン兄さんだけだ。

 いつまでも子供扱いされているようで恥ずかしかったが、ノアに呼ばれると特別な響きに感じる。


 それはいいのだが……頭がクラクラしてきた。

 普段酒なんて飲まない身体だ。酒のまわりが早いらしい。

 潰れるのは格好悪い。なんとか堪えようとしたが、恐ろしいほどの睡魔に襲われる。


「フレディ。今夜はあなたを、帰したくない」


 その言葉を最後に、俺の意識は途切れた。


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