すっかり身綺麗になった俺は、改めてノアの歌を聞きに街へ出た。
この前と同じ酒場に行ったが、今日は来ていないようだ。
暇そうにしている酒場の店員を捕まえる。
「今日はあの吟遊詩人は来ないのか?」
「あの人は気まぐれですからねぇ。突然ふらっと現れるんですよ」
神出鬼没ってやつか。吟遊詩人のイメージ通りだ。
だが、こういうときネットもない世界というのは厄介だ。
前の世界ならすぐにSNSで出没情報が出まわるだろうが、こっちではそういうわけにもいかない。
他の店を当たってみよう。
と、振り返った瞬間――
酒場の入り口に、目を惹く銀髪の青年が立っていた。ノアだ!
昨日投げ銭入れに使っていた茶色いケースを持っている。
ノアに気づいた客たちが、我先にと酒場の前の方へ移動し始めた。
こうしちゃいられない。俺もいい場所を取らないと。
酔っぱらいの親父たちとの攻防の末、俺は最前列上手側をキープした。上出来だ。
ほどなくして、ケースを抱えたノアが俺たちの前に登場する。
「よっ!」「待ってました!」という掛け声に、ノアは天使のような微笑みを返す。
足元にケースを置き、中から竪琴を取り出した。
たったそれだけでも、ひとつひとつの動作が美しく見惚れてしまう。
軽く一礼すると、銀色の髪が揺れた。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます。ぜひ最後までお楽しみください」
ワッと拍手が沸き、観客が身を乗り出す。
ノアが腰かけたのはただの木箱だったが、まるで上等な椅子のように思えた。
膝の上に三日月の竪琴を乗せ、胸で支える。
弦を指で弾き、流れるようにメロディーを奏でた。
竪琴とは小さなハープのようなものだ。木製の三日月の欠けた部分に、弦が張られている。
ハープなんてほとんど聞いたことがなかったが、幻想的な音色だ。
まるで月の住人のようなノアの美しい見た目とよく似合う。
竪琴のメロディーを追いかけるように、ノアの歌声が重なる。
鈴の音のような澄んだ声、どこかこの世のものではないような、物悲しさを感じる。
歌詞を聞くと、どうやら天女が恋した人間の男と別れなければいけない悲恋の歌らしい。
酔っぱらいだらけの酒場が、あっという間に上品なコンサート会場に様変わりしてしまう。
天女の曲だからか、ノアの声は女性のように柔らかい。声だけ聴いたら、男だとは思わないだろう。
いや、その中世的な出で立ちは、男か女かなど超越してしまう。
天女が天上へと帰っていき、ノアの指が竪琴から離れた。
途端に、ノアの足元のケースにコインが飛ばされる。
歌声の余韻に浸っていたら出遅れた。俺も投げ銭をしないと。
銀貨を取り出し、ノアの前へ進み出る。
俺のこと覚えてるだろうか。覚えていたとしても、まさか気づかないよな。
既に溜まっているコインの上に銀貨を落とす。
俺を見上げたノアは一瞬僅かに紫色の瞳を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます。フレデリックさん」
「俺のこと、わかるのか!?」
「ええ、もちろん。今日は一段と男前ですね」
な……ッ!!
まだ2回目の、しかも風貌のまったく違う客を完璧に覚えている。
しかも今までの俺を否定せず、今の姿を褒めてくれる。
なんという神対応! プロだ!
「またいらしてくださって嬉しいです。今日はいかがでしたか?」
「そりゃもう最高だったよ!」
「よかった、嬉しいです。また是非聞きにいらしてくださいね」
もちろん! と答える前に、後ろの親父に突き飛ばされた。
よろけながら振り返ると、赤ら顔の親父が親しげにノアと喋っている。
続々とノアの元へやってくる親父たちは、どうやら常連客らしい。
ああっ! あっちの客は馴れ馴れしくノアに触ってる!
向こうのおっさんはあんなに顔を近づけて!
耳元で何か囁いてるやつもいる! ノアもあんな楽しそうに笑って……!
俺も負けてはいられない。早くあの位置に行かなくては。
なんてったって、今の俺には金がある。
すぐに常連の太客になってやるからな!